第201話 ハウル公爵家④

「へえ~、そうだったんだ」


 と、アルフレッドが感嘆の声を上げる。

 そこはハウル邸の一階。大きな窓と幾つもの部屋が並ぶ渡り廊下だ。

 アルフレッドを先頭に、コウタ、ジェイク、ミランシャの四人は談笑しながら、長すぎる渡り廊下を進んでいた。

 話題はもちろん、ジェイクの女神さまについてだ。


「だから、さっき兄のことを聞いたんだね」


「おうよ。なにせ、その人はオレっちのライバルらしいからな」


 と、ジェイクが苦笑じみた笑みを見せる。


「あはは、なるほどね」ミランシャが微笑む。


君からシャルロットさんの心を奪いたい訳か。まぁ彼女って凄い美人だものね。アタシとしては応援したいところだけど……」


 そこで自嘲の笑みを見せる。


「こう言っちゃなんだけど『彼』を好きになってから、他の男に乗り換えた人って聞かないわよ。ねえ、アルフ」


「……う」と、何故か呻くアルフレッド。


 どこか悲壮感さえ漂う様子に、コウタとジェイクは眉根を寄せた。


「どうかしたの? アルフ」


 と、コウタが尋ねる。

 すると、ミランシャが口元を押さえて笑い出した。


「実はね。この子も君がライバルなの。まぁ横恋慕なんだけどね。なにせ、この子の好きな子も『彼』にベタ惚れだから」


「へ? マジっすか!」


 まさかの話にジェイクが目を丸くする。

 コウタも驚いていた。


「へえ。それじゃあ、もしかしてこの間見せてくれた写真の子――あれ?」


 そこで、コウタは不思議そうに首を傾げた。


「その子って確か、第三座さんの養女って話じゃなかったっけ?」


 以前、写真で見せてもらった空色の髪の少女の姿を思い出して呟く。

 直接確認した訳ではないが、これまでの情報を統合するとそうなるはずだ。


「……うん、そうだよ」


 アルフレッドが肩を落としながら事実を認めた。


「正確に言うと『彼』は養父じゃなくて保護者代理。だから二人の家名も違うよ」


 そう告げつつ、サーコートから件の少女の写真を大事そうに取り出した。


「ユーリィ=エマリアさま。僕の大切な人だ。たとえ横恋慕でもね」


「うわあ、マジかよそれ。要するにその人、養女まで落としてんのか」


 ジェイクが足を止めて写真を覗き込む。コウタも隣から覗き込んだ。

 不意に立ち止まる少年達に、ミランシャが肩を竦めて語る。


「まあ、それは仕方がないわよ。ユーリィちゃんはある意味、誰よりも『彼』に愛されているからね。とても綺麗な子だけど、あの子は決して恵まれた生い立ちじゃないの。そんな環境から救ってくれたのが君。そして『彼』に引き取られてから、ずっと無償の愛を注がれているのよ。成長するにつれて『彼』しか見えなくなるのも当然だわ」


「……ふ~ん」


 ジェイクはあごに手をやった。次いでコウタの方に目をやって呟く。


「けど、これって、どっかで聞いたような話だな」


「あはは、そうだね」


 コウタは苦笑いを浮かべた。

 そう言えば、エリーズ国にはそんな逸話があった。


「多分、『ライト=オリジン男爵』の逸話じゃないかな。あの男爵も養女だった女の子を自分の奥さんにしたって話だったから」


「ああ、あれか。めぼしい女の子を養女にしてから、自分好みに育てた上で嫁にしたっていう狂気のおっさんの話だよな。それならオレっちも思い浮かんだが、ここで言いたいのはコウタの話だよ。まさに今、アイリ嬢ちゃん相手に同じことを――」


「はは、なに言ってるのさ。ジェイク。幾らボクでも怒ることはあるんだよ?」


 言って、額に青筋を浮かべて笑うコウタ。

 親友の迫力にジェイクは「お、おう」と呻いて腰が引けた。


「……はは、まあ、いずれにせよ」


 アルフレッドが写真をしまって再び歩き出した。


「ジェイクにはすでに心に決めた人がいるってことだよね。ジェイク自身がはっきり言えばお爺さまも配慮してくれるかも。気に入った相手ほど尊重する人だから」


「まあ、相手が男である場合だけどね」


 ミランシャが苦笑と共に弟の言葉を続ける。


「お爺さまは徹底した男尊女卑主義者だから。けど、ジェイク君がそうなってくると、コウタ君の場合はどうなのかしら?」


「ああ、コウタの方も問題ないっすよ」


 言って、ジェイクは親指でコウタを指差した。


「なにせ、コウタにはメル嬢がいますから」


「――ジェ、ジェイク!」


 コウタが頬を赤くして叫ぶ。


「え? そうなの?」


 ミランシャが目を丸くする。


「てっきりコウタ君の好きな子ってリーゼちゃんだと思ってたわ。メルちゃんの方が本命だったなんて……」


 リーゼは極上と呼んでも差し支えのない美少女だ。

 そんな彼女を差し置いて、あのずば抜けて体格のよい少女を選ぶとは――。


「なるほど。コウタ君ってああいう子がタイプってことね」


「え? い、いや好みって……」


 と、何と答えていいのか、困惑するコウタをよそに、


「ははっ、コウタの場合はもっと特殊だね。実はお爺さまにはコウタの好みはもう伝えてあるんだ。流石のお爺さまも唸っていたよ」


 アルフレッドがにこやかにそう告げて、ミランシャが柏手を打つ。


「うん。あのタイプはうちの身内にはいないかも。お爺さまも諦めそうね」


 どうやら勘違いが、どんどん発展しているようだ。

 コウタとジェイクは顔を見合わせた。

 さて。どうしたものか……。

 と、対応に悩んでいたその時だった。




 ――唐突に、彼女は現れた。

 



「……あっ、こうたです」


 次いで、とても可憐な声が廊下に響く。

 自然と全員の注目が声のした方向――廊下の先へと向いた。

 すると、そこには一人の少女がいた。

 アルフレッドとミランシャは、大きく目を見開いた。

 その少女は途轍もなく美しい少女だった。

 金色の瞳に、紫がかった銀の髪。獣人族であるようで頭部にはネコ耳がある。

 恐らく年の頃はリーゼと同じぐらいか。背はかなり低い。だが、その肢体はリーゼと違って年齢離れしていた。

 ――細いくびれに、すらりとした脚線美。さらには豊かな双丘まで。

 実に魅力的なそれらが少し透けた寝間着ネグリジェと一枚のシーツだけを纏っているのだ。

 ハウル姉弟が目を剥くのも仕方がない。


「――う、うわ!?」


 アルフレッドは流石に顔を赤くした。


「えっ!? だ、誰なの!?」


 ミランシャも困惑した声を上げる。

 こんな少女は自分の邸で見たことはない。一体誰なのか――。

 すると、少女はにへらと笑った。


「こうたぁ、こうたあぁ」


 そしてミランシャ達の疑問に答えることもなく、寝間着ネグリジェ姿の少女はこの上なく甘えた声を出して両手を前にトテトテと駆け出した。重力に逆らうかのように大きな胸がたゆんっと揺れ、同時に肩に掛けていただけのシーツを置き去りにする。

 はらり、と床に落ちようとする白いシーツ。


 ――その刹那のことだった。


 突如、蒼い顔をしたコウタが駆け出したのだ。

 だが、血の気が失せた顔色に反して、その速度は尋常ではなかった。


 ――相手の呼吸を読む。

 ――敵の意識の間隙を突いて動く。


 そういった、先の模擬戦の時に見せたような動きではない。

 それは純粋なる速さ。

 生物の限界をも超えた速度であった。


 音も。

 光も。

 時間さえも追い抜いて。


 後にコウタ自身が「あれは無理。二度は無理」と語る奇跡の速度で――。

 まさしく、生涯一度限りの速さでコウタは動いた。

 コウタはアルフレッドやミランシャでさえ知覚できない速さで彼女――メルティアの横を通り抜けると、床に落ちる寸前のシーツを掌握キャッチ。次いでコウタの感覚ではほぼ停止している彼女の前に回り込み、シーツで彼女の全身を包み込んだ。

 それから、メルティアを優しく抱き上げて一気に廊下の奥へと駆け出した。

 ――一歩でも遠く。

 コウタの顔は必死だった。




 そして――『時』は動き出す。




「……え?」


 ミランシャが目を瞬かせた。

 何故なら、目の前にいたはずの少女がいきなり消えたからだ。

 ――が、すぐに気付く。

 廊下の奥に豆粒のような人影があることに。


「えええっ!? なに!? 今のなに!?」


 恐らくあれはコウタだ。

 白いシーツらしき影もあるので先程の少女を抱えているのだろう。


「――ええっ!? いつ移動したんだ!?」


 アルフレッドも愕然とした。

 一方、ジェイクは本気で顔を強張らせていた。


「お、おい、コウタよ……。そいつはちょいと人間辞めすぎだろ……」


 親友の過保護ぶりと底力はよく知っているが、これには驚愕するしかない。


「コウタ君の動きにも驚いたけど、さっきの女の子って誰? あんな子、うちのメイドにはいなかったわよね?」


 と、ミランシャが弟に尋ねる。


「う、うん」アルフレッドが頷く。「流石にあんな綺麗な子がいたら記憶に残るよ。しかも獣人族だったみたいだし。一体誰なんだ?」


「え、えっとそいつは……」


 ジェイクは少し困った様子で頬をかいた。

 しかし、こうなっては隠しておくのも難しい。


「まあ、さっきの子がコウタの大切なお姫さまで。メル嬢の『本体』なんすよ」


「「……………え?」」


 一拍の間。


「「えええええええええっ!?」」


 ハウル姉弟の驚愕の声が渡り廊下に木霊した。


 ――と、まあ、こんな感じで。

 到着して三日目。コウタ達一行はハウル公爵家に随分と馴染んでいた。

 ちなみに、シーツに包まれたメルティアはそのまま二度寝をしてしまい、今回の一件を全く憶えていないのだが、それはまた別の話である。

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