第200話 ハウル公爵家③

 ――カチャリ、と。

 ハウル邸の自分に用意された客室にて、彼女は一人紅茶を楽しんでいた。

 年の頃は十五歳。

 毛先にカールが掛かった蜂蜜色の髪に、同色の瞳が印象的な美しい少女――レイハート公爵家の跡取りであるリーゼ=レイハートだ。

 彫刻が施された豪華なテーブルに座り、香り立つ紅茶を桜色の唇に運んでいる。

 そして、彼女の傍らに立つのは藍色の髪のメイド――シャルロット=スコラだ。

 群を抜いたプロポーションを持つシャルロットも紛う事なき美女のため、二人揃うと何とも絵になる主従であった。


「皇国のお茶も中々のものですわね」


 言って、リーゼは手に持つティーカップの香りを再度楽しむ。

 まだ少々朝も早いのだが、彼女の姿はすでに普段通りだった。

 いつもの黒い制服に、蜂蜜色の髪を結ぶ紅いリボン。従者であるシャルロットもいつものメイド服をすでに纏っている。

 淑女たる者、いかなる時も万全でなければならないというのが彼女の信条だ。


「……ですが」


 ふうっと嘆息する。


「こうして毎日準備をしているというのに、今日もコウタさまは朝の訓練に誘ってくれませんでしたわ」


 と、不満を零す。ハウル邸に訪れて早四日。その期間、勤勉なコウタが毎朝ジェイクを誘って対人訓練をしていることをリーゼは知っていた。

 いずれ自分にも誘いがある。そう思って毎日こうやって準備して待っているのだが、コウタがリーゼの元に訪れる気配は一向にない。

 そのため、毎朝ティータイムという時間が生まれてしまっていた。


「どうしてコウタさまはわたくしを誘ってくれないのですか」


 と愚痴を零して再び嘆息をする。

 リーゼの頬はほんの少し膨らんでいた。

 どうも戦闘においてジェイクに比べると蔑ろにされている。

 そんな思いがありありと伝わってくる不満顔だ。


(これは困ったものですね)


 一方、そんな主人の様子を見ていたシャルロットは内心で苦笑していた。

 リーゼの不満も分かるが、やはり対人訓練ともなると異性とはやりにくいものだ。

 ましてや相手が親しく、しかも美しい少女では、どうしても切っ先が鈍ってしまうのが少年心というものだ。

 対人訓練するなら同性の方がいいと思うのも当然だった。


「それは仕方がありません。お嬢さま」


 シャルロットは主人に進言する。


「異性と対人訓練はしにくいものです。むしろ、ここはヒラサカさまのお嬢さまに怪我をさせたくないという気持ちの表れと考えられてはどうでしょう」


「……シャルロット」


 すると、リーゼはジト目を向けてきた。


「わたくしとてそこまで鈍くはありませんわ。少なくともコウタさまに大切に思われている自覚はあります。彼に庇護欲や独占欲を抱いて頂けるぐらいには愛されていますわ。今まではそれだけでも良かった。ですが、これからは違うのです」


「……これからは違う? それはどういう意味でしょうか?」


 眉根を寄せるシャルロットに、リーゼは真剣な表情を見せた。


「――わたくしは贄なのです」


 奇しくも、未だ邂逅を果たしていない女暗殺者と同じことを宣言する。


「コウタさまにより高みへと登って頂くための。そのためにはあの方を満足させうるだけの力量が必要なのです。ただ愛されるだけではダメなのです」


 想定もしていない重い言葉を告げる主人に、シャルロットは目を瞠る。


「コウタさまは誰かを傷つけることをよしとはしません。とてもお優しい方ですから。それは何があっても揺るがないでしょう」


 一拍おいて、


「けれど、同時にコウタさまはご自身が思われている以上に力に対して貪欲であり、暴虐的なのです。それこそ伝説にある《悪竜》のように。わたくしはそんな彼の貪欲さを満たせるほどの女になりたいのです」


 そう言って、リーゼは誇らしげに微笑んだ。

 シャルロットはただただ主人の微笑みに魅入っていた。

 が、それも束の間。

 リーゼは笑みを消すとすぐに眉をひそめて――。


「ですが……そうですわね。力量もそうですが、寵愛という点でもまだまだ不充分と言わざるを得ないのが現状ですわね。はぁ……」


 ここ数日のことを思い浮かべ、リーゼは深い溜息をついた。


「早くわたくしも、メルティア並みに愛して欲しいところですわ」



       ◆



 ――トスン、と。

 少々重いケトルを、小さなメイドがテーブルの上に置いた。

 次いで三人分のティーカップも隣に置く。


「……『ダークネスコーヒー』の用意が出来たよ」 


 そう告げるのは九歳の少女だ。

 サラサラとした髪質の薄緑色の長い髪。そして同じ色の瞳と、鼻梁の整った美しい顔立ちを持つ少女だ。頭の上には銀の冠のついたカチューシャと付けている。

 ――アイリ=ラストン。

 アシュレイ家で働く小さなメイドさんである。


「……ウム。コッチモ、紅茶ノジュンビガデキタ」


「……ソウジモ、カンリョウ」


「……アトハ、コウタヲマツダケ」


 と、次々と応えるのは紫色の鎧を纏う小さな騎士達。

 個体番号シリアルナンバーは十二号、二十八号、そして長兄である零号。

 まるで人間のように行動する彼らの正体は自律型鎧機兵――ゴーレムだった。

 驚くべき技術の結晶なのだが、アイリにとっては一緒に働く同僚である。


「……さて、と」


 アイリは丸いテーブルに用意されている自分の席に座って一息ついた。

 周囲にはコーヒーの――アイリの主人が自ら調合した眠気を闇の底に葬るほどの効能があるらしいダークネスコーヒーの香りが漂っている。

 ハウル邸に来て三日目。

 最近の彼女の主人は寝付き、及び寝起きが非常に悪い。

 恐らく環境が変わったことが要因なのだろう。そのため、初日以降はアイリが主人を起こした後、コウタも来て三人で朝のコーヒーを飲むのが日課になっていた。

 まあ、コーヒーは苦すぎるのでアイリだけは紅茶なのだが。


「……ウム。ドウゾ」


 と、零号が腕を伸ばして紅茶のケトルを置いてくれる。

 アイリは「……ありがとう」と言って微笑むが、急に眠気が誘ってきた。

 椅子に座ったことで少し気が抜けたのかも知れない。


「……ツカレタノカ? フクチョウ」


「……メルサマハ、オレタチガオコス。コウタガクルマデ、ネテテイイ」


 と、気遣ってくれるのは二十八号と十二号だ。


「……でも」


「……大丈夫ダ。ソレグライ問題ナイ」


 と、零号も言う。

 アイリは少し迷っていたが、ややあってこくんと頷いた。

 しっかりしていてもまだ九歳。

 環境の変化に慣れていないのは彼女も同じだったのだろう。

 アイリは数秒もしないうちに、すゥすゥ、と寝息を立て始めた。

 ゴーレム達は互いに頷くと、早速寝起きが悪い主人を起こすことにした。

 そうして三機はベッドに向かって歩き出す――のだが、


「……ム」


 零号が動きを止めた。他の二機も追従する。


「……メズラシイ。メルサマ、オキテル」


 視線の先。ベッドの上には上半身を起こした少女がいた。

 金色の瞳に、うなじ辺りまで伸ばした紫銀色の髪。

 白磁のような白い肌。そしてとても十五歳とは思えない抜群のプロポーションの上には、少し下着が透けた寝間着ネグリジェを着ている。

 ――メルティア=アシュレイ。

 エリーズ国の四大公爵家の一つ、アシュレイ公爵家の一人娘だ。

 まだ寝ぼけているのか、パチパチと瞳を瞬いている。


「………???」


 メルティアはキョロキョロと首を動かした。


「……こうた?」


 そして目当ての人物がいないことに気付き、不安そうに表情を崩した。

 メルティアはふらふらと立ち上がるとベッドの上から降りた。

 次いで覚束ない足取りでドアに向かっていく。


「……メルサマ? ドコニ?」


 そう零号が尋ねると、


「……ふぁい? あ、零号ですか? あなた達はここで待っていてくだしゃい。私はこうたの部屋に行ってきますから」


「……エ?」「……メ、メルサマ?」


 と、二十八号と十二号も動揺した声を零す。

 どうやら、彼らの主人にして創造主は完全に寝ぼけているようだ。

 コウタの部屋とは恐らく魔窟館にあるコウタのための部屋だろう。どうもここが魔窟館ではないことまで忘れているようだ。


「それじゃあ行ってきます……」


 そしてメルティアは艶めかしい寝間着ネグリジェのまま、ふらふらと歩き出した。


「……マズイ! アニジャ!」


「……メルサマ、トメナイト! メイレイサレタ!」


 と、切羽詰まった声を上げる二機。

 ゴーレム達にとってメルティアの命令は絶対だ。

 それは忠誠・忠義などの意志レベルではなく、機能としての絶対命令なのだ。

 そして彼らは今、「ここで待っていて」と命じられた。もしここでメルティアが部屋を一歩でも出れば、零号達には追いかけることが出来なくなってしまう。

 それはすなわち、対人恐怖症である主人が、あんな寝間着ネグリジェ姿で他人の家の中を徘徊することを意味するのだ。


 ゴーレム達は激しく動揺した。

 だが、すでにメルティアはドアノブに手を掛けている。


「……アニジャ! コレヲ!」


 そう言って、跳躍したのは二十八号だった。

 腕を伸ばしてベッドの上のシーツを掴み取ると、それを零号に渡す。


「……ウム! メルサマ! セメテ、コレヲ!」


 そして零号は受け取ったシーツを掴んだまま両腕を伸ばす。

 ワイヤーで伸びた腕はメルティアの肩付近にまで近付くとシーツを離した。

 ふわりとシーツが落ち、運良くメルティアの両肩に掛かる。


「……???」


 しかし、寝ぼけているメルティアは自分の肩のシーツに気付かない。

 結局、彼女は肩にシーツを掛けた寝間着姿の状態で部屋を出て行ってしまった。


「………ムウ!」


 零号が無念そうに呻く。

 だが、室内待機を命じられた零号達にはこれ以上は追えなかった。

 ならば、ここは部屋から出られる人間に頼るしかない。

 三機はすぐさま振り返ると、椅子に座って眠るアイリを揺さぶった。


「……フクチョウ! オキテ!」


「……メルサマヲ! ハヤク、オイカケテ!」


 と、必死に声を掛けるのだが、深く寝入っているようでアイリは目覚めない。

 代わりにポツリと。


「……ダメだよ、コウタぁ。キス以上は私が大人になってからだよ」


「……フクチョウ!?」


「……もう。馬鹿……。お腹ばっかり撫でちゃダメ……」


 頬を朱に染めて、そんなことを呟くアイリ。

 どれほど揺さぶっても全く起きる気配がない。

 ゴーレム達は「……オウ」と天を仰いだ。


「……ダメダ、アニジャ。フクチョウガ、ピンクニナッテル」


「………ムムウ」


 歯はないが歯噛みする零号。


「……モハヤ、ココマデカ」


 無念そうに拳を握りしめると、ドアを真っ直ぐ見つめた。

 そして零号は悲壮な声で宣言する。


「……カクゴセヨ! ケモノガ、イマ、トキハナタレタ!」

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