第166話 月下の出会い②

「お姉ちゃんっ」


「――ひゃあっ!?」


 長い黒髪が大きく揺れる。

 いきなり後ろから脇腹をつつかれたのだ。


「も、もう!」


 黒髪の少女は涙目になって振り向いた。

 歳の頃は十五、六ぐらいか。豊かな胸にくびれた腰。四肢はすらりと伸び、鼻梁に至っては女神を思わせるほどに整った美少女だった。

 そして身に纏うのは、背中と袖に炎の華の紋が刺繍された白いタイトワンピース。それに加え、黒いストッキングと茶色のブーツを履いていた。


 ――サクヤ=コノハナ。


 こう見えても終末思想集団――《ディノ=バロウス教団》の盟主を担う人物だ。

 ただ、彼女は今、本当に泣いてしまいそうな顔をしていた。


「後ろからは本当にやめてよ」


 たゆんっと大きな胸を揺らしつつ、身を屈めて『襲撃者』を睨み付ける。

 そこにいたのは五歳ぐらいの女の子だった。

 彼女が今日まで馬車に同乗させて貰った隊商の一人娘だった。


「えへへ」女の子は笑う。「ごめんね。サラお姉ちゃん」


「……もう。シーラちゃんは本当に悪戯好きね」


 言って、彼女はシーラと呼んだ女の子の頭を撫でる。

 ちなみにサラとはサクヤの偽名だ。今は亡き故郷の友人から借りている。

 サクヤは少し寂しそうに目を細めた。


「けど、これも今日で最後ね」


 そう呟いた途端、シーラは泣き出しそうな顔をした。


「サラお姉ちゃん、やっぱり行っちゃうの」


「うん。ごめんね」


 サクヤは再びシーラの頭を撫でた。


「残念だけど私達は皇国の方に用があるの。シーラちゃん達はサザンに向かうからここでお別れなの」


 現在、サラ達がいる場所は、街道沿いに設けられた馬車の停留所だ。

 森に覆われたその場所には三本の道がある。

 その内の一本はサクヤ達が来た道。

 そして残り二本は、サザン行きと皇国行きだった。


「イヤだよォ……」


 シーラがくしゃくしゃと表情を歪めた。


「一緒にサザンに行こうよォ……」


 ぎゅうっと腰にしがみついてくる少女に、サクヤは困り果てた顔を見せる。と、


「こらこら。シーラ。サラを困らせるんじゃないよ」


 不意に馬車の中から二人の人物が降りてきた。

 一人はこの隊商のリーダー。シーラの母親であるメイベルだ。気風の良い女性でたった三日間の付き合いだったが、サクヤも随分と世話になった。


「サラ」メイベルがサクヤの肩を叩いて言う。「あんたらがいなくなったら寂しくなるけど旅に出会いと別れは付きもんだしね」


 元気にやるんだよ。

 メイベルは二カッと笑ってそう告げた。


「はい。メイベルさん。本当にお世話になりました」


 サクヤは深々と頭を下げて礼を返す。メイベルはふっと笑うと、まだ泣きじゃくる愛娘を片腕で抱き上げた。

 サクヤはシーラに微笑んでバイバイと手を振ると、もう一人の人物に目をやった。

 年の頃は二十代前半。

 腰には短剣。服は動きやすそうな冒険服。黄色い短髪が印象的な女剣士だ。

 流石にサクヤには及ばないが、顔立ちもプロポーションも中々のものだ。充分美人と呼べる女性だろう。ただ、その面持ちは無愛想そのものではあるが。

 彼女の名はジェシカと言った。


「サラお嬢さま」ジェシカが頭を上げる。「お待たせして申し訳ありません。出立の準備が完了致しました」


「うん。ありがとう」


 サクヤはジェシカに礼を言う。

 よく見ると、ジェシカは背中に大きなサックを背負っていた。


「とりあえずこの道をまっすぐ行ったらコテージがあるよ」


 メイベルが、サクヤとジェシカに告げる。


「皇都は遠いからね。そのコテージで同乗させてくれる馬車を探すといいよ」


「何から何まで本当にありがとうございます」


 サクヤはもう一度頭を下げた。ジェシカも彼女に倣った。


「サラ姉ちゃああん……。ジェシカァァぁ」


 何故かジェシカの方だけは呼び捨てにしてシーラが泣く。

 サクヤは困った顔をし、ジェシカはムスッとしたが、メイベルは苦笑しながら愛娘を抱き直し、「そんじゃあ二人とも元気でな!」と告げて馬車に乗った。

 そうして、サクヤ達が見送る中、いつまでもギャン泣きするシーラの声を木霊させて馬車は去って行った。


「じゃあ、私達も行きましょうか」


「はい。姫さま」


 言って、サクヤ達は歩き出す。

 しばらくは森の静寂に身を任せて進んでいた二人だったが、


「ところで姫さま」


 ジェシカが話題を振ってきた。


「あの少女とのやり取りは見ておりましたが、少し意外でした」


 ジェシカは素直に告げる。


「後ろから驚かされただけで涙目になられるとは……。姫さまはもっと胆力に満ちた方かと思っておりました」


「……そんな豪傑みたいな評価はやめて」


 サクヤは少し引きつった顔で返す。

 それから頬に手を当ててふうっと嘆息する。


「私って昔から不意打ちには弱いのよ」


 昔はよく友人や婚約者にそれで弄られていたものだ。

 こればかりは今も昔も変わらない彼女の性格だった。


(本当に懐かしいわ)


 サクヤは黒い瞳を細めた。

 ――と、その時だった。


「……あ」


 彼女は不意に足を止めた。

 次いで、軽く目を見張った。視線の先は森の一角だ。

 心臓が早鐘を打つ。


(嗚呼、そっか。ここって……)


 きゅうっと胸が締め付けられた。


「姫さま? どうかされましたか?」


「……ううん。なんでも……いえ、どうかしたかな?」


 サクヤは苦笑する。

 きっと義弟も今こんな気持ちなのだろうか……。


(多分、あの子は強いから、きっとあの場所に行くんでしょうね。だけど、私にはまだそこまでの勇気はないかな)


 数瞬の間だけ足を止めて考える。


「あのね、ジェシカ」


 そして、サクヤは従者であり、友人でもある同行者に告げた。


「一つ、私のお願いを聞いてくれるかな」

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