第163話 望郷③
――コンコン、と。
不意にノックがされる。
執務室で書類を処理していたマシュー=レイハートはドアを一瞥した。
「入ってもいいぞ」
入室を許可すると、可憐な声が「失礼いたします」と応えた。
そしてドアが開かれる。
「執務中、申し訳ありません。お父さま」
そう言って、頭を下げるのはマシューの娘だった。
年齢は十五歳。身に纏うのは白いドレス。
マシューと同じ蜂蜜色の瞳と髪を持ち、毛先の部分にきつめのカールがかかっているその髪を頭頂部で紅いリボンで纏めている。最近よく見かける髪型だ。
(ふむ)
業務の手を止めて娘を見やる。
改めて見ると、ますます妻に似てきている。
美貌はもちろんだが、スレンダーなスタイルも含めてだ。
(そう言えばあいつはそれを気にしていたが、この子もそうなのか?)
社交界において絶世の美女と称えられるマシューの妻。
しかし彼女にもコンプレックスはある。それがスレンダーなスタイルだった。
ならば、娘も同じ悩みを抱えている可能性は大いにあった。
まあ、流石にそれを直球で尋ねるのはデリカシーにかけるのでしないが。
(それを訊いた時の激怒っぷりは凄かったからな)
若き日にうっかり訊いてしまった時の妻の様子を思い出し、マシューは苦笑する。
「……? お父さま? どうかされましたか?」
「いや、何でもない。それより何の用だ?」
鉄面皮の仮面を被り直し、単刀直入に訊く。
リーゼは「はい」と応えて、
「ご報告に伺いました。ハウル公爵家の招待の件です。準備が整いましたので、数日後にはシャルロットと共に出立する予定です」
「ほう。そうか」
マシューはあごに手をやった。
「確か、アシュレイの娘も同行する予定だったな。過保護なあいつの娘なら世辞に疎いだろう。お前がフォローしてやれ」
「はい。承知しています」
リーゼは少し苦笑じみた笑みを見せつつ、そう答えた。
それから「では、失礼いたします」と告げてリーゼは退室しようとする。
マシューは娘の背中に目をやって、
「ああ、ところで」
ふと尋ねた。
「同行者はまだいたな。《死面卿》事件に巻き込まれた少女と、後はお前のクラスメート達だったか。二人とも優秀だと聞くが……」
そこで彼にしては珍しい、いたずらっぽい笑みを見せた。
「どちらがお前の本命だ?」
「……え」
リーゼは振り返り、唖然とした表情を見せる。
「いや訊くまでもないか。オルバンという少年は違うだろう。彼の成績は学年三位。実技でもお前に劣るらしいな。ならば、ヒラサカという少年の方か?」
「お、お父さまっ!?」
リーゼは顔色を真っ赤にして父の元に詰め寄った。
「な、何を仰って!? い、いえ! それ以前に、いつコウタさまのことをお調べになったのです!?」
「……ほう。さま付けときたか」
マシューは目を細めて娘を見やる。
「どうやら当たりのようだな。なるほど。その少年こそが、以前お前が連れてくると言っていた伴侶という訳だ」
「そ、それは……」
リーゼは言葉を詰まらせる。マシューは苦笑を零した。
「やれやれ。何とも分かりやすい反応だな。未熟だぞ。珍しくお前が浮かれているのは惚れた男との旅行だからか?」
「……うゥ」
もはやリーゼは呻くことしか出来なかった。瞳に涙を溜め、耳まで真っ赤にした顔でマシューを睨み付けていた。
「……ふふ」
マシューは口角を上げた。
「そう睨むな。以前も言ったが私は反対などしていない。いいか、リーゼ」
「は、はい」
普段は厳格な父に名を呼ばれてリーゼは背筋を伸ばした。
「もう一度言っておく。私はお前を政略結婚に使う気はない。だが、それはお前自身の眼で伴侶を見定めよということでもある」
マシューは冷淡にも見える眼差しを娘に向けた。
「お前の眼から観て、その少年はまだ候補止まりなのか?」
「いえ。そんなことはありませんわ」
その問いかけには、動揺もせずリーゼは即答した。
「コウタさまは本物です。実力・性格共に素晴らしいお方ですわ。わたくしの伴侶は彼しかいません」
「ほう。そうなのか」
はっきりと宣言する娘に少し驚きつつも、マシューは両手の指を組んだ。
「ならば躊躇うな」
レイハート家の当主は言う。
「出自は問わん。欲するのは優秀であることだけだ。傑出した血をレイハート家に取り入れろ。私がお前に課す責務はそれだけだ」
傲岸不遜な父の態度に、流石にリーゼも眉根を寄せるが、
「……はい。分かっています。お父さま」
それでも機会をくれたことには違いない。
リーゼは一礼すると、今度こそ退室していった。
マシューはしばし閉じられたドアを見つめていたが、
「だが、リーゼよ」
不意に、皮肉気な笑みを零した。
「結局のところ、私が最も欲しているのは初孫の顔なのだよ。早く見せてくれ。お前の頑張りには本当に期待しているのだからな」
そんな台詞は娘には言わない。
色々と面倒くさいリーゼの父であった。
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