第158話 囚われた乙女と、騎士の矜恃⑦
果たして、我が宿敵は何を見せてくれるのか……。
ハワードは密かに胸を躍らせていた。
なにせ、未だ全容を見せていない宿敵が、いよいよその力の一端を披露してくれるというのだ。胸が躍らない訳がない。
思わず彼の口角が上がってきてもしようがないというものだ。
そうして――遂に、悪竜の騎士が動き出す。
不意に魔竜の全身が一度強く振動した。
続けて双眸と、左右の竜頭の籠手に埋め込まれた両眼が赤く輝き始める。
一体何事かと、ハワードと観客達が拳に力を込めて凝視していると、悪竜の騎士はさらなる大きな変化を見せ始めた。
(おおォ……これは!)
ハワードは息を呑んだ。
何故なら、宿敵が見たこともない姿へと変貌したからだ。
それは、右腕と、その手に握る処刑刀を赤く発光させる異様な姿であった。
例えるならば真紅に輝く鱗を持つ蛇か。
かつて相対した業火を纏う姿ではないが、その威圧は決して劣らない。右腕周辺の景色がわずかに歪んで見えるということは、相当な高熱を発しているのだろう。まるで空間をねじ曲げたような圧力を帯びていた。
これが宿敵の切り札の一つであることは考えるまでもない。
観客席からも「「「おおおおッ!」」」と期待と興奮を宿した声が上がった。
『この力は《悪竜》を模したものだ』
そして宿敵が語る。
『三つ首の魔竜。その一つの首を解放した姿。そう思ってくれればいいよ』
『……ほう』
ハワードは双眸を細めた。
確かに宿敵の姿は伝説にあるかの魔竜を象っている。頭部と両腕に纏う竜頭の籠手。それで三つ首を示していることはすぐに分かる。
『なるほど。では、三つ首すべてを解放すればどうなるのだ?』
『……全身が赤く発光する。《ディノ=バロウス》が最も凶悪になる姿だ』
と、どこか苦々しい様子で少年は答えた。
ハワードは訝しげに眉根を寄せるが、それ以上に強い欲求が出てくる。
『それは是非とも拝見したいものだな』
『残念ながら、それは叶わないよ』
黒髪の少年は口元を皮肉げに歪めて告げる。
『侮らないで欲しい。《ディノ=バロウス》は最強の鎧機兵なんだ。その三つ首の一つを解放した以上――』
そこで《ディノ=バロウス》は処刑刀を水平に薙いだ。
大気が弾け、宙に火線が引かれる。その剣速は今までの比ではなかった。
『ここには今、魔竜のアギトが顕現している。無残に喰われたくなければこのまま立ち去ることをお奨めするよ』
『――フハハッ! 何を言うか!』
ハワードは高らかに笑った。
『竜を前にして逃げるなど騎士の誇りが許さぬ! 何より、これほどのものを見せつけられては、何もせずに帰れるはずもなかろうて!』
言って、ハワードは愛機を身構えさせる。
《アズシエル》は
『――勝負だ! 悪竜の騎士よ!』
そしてハワードは吠える!
『古来より竜殺しは騎士の務め! それが英雄譚の中だけではないことを、我が矜恃と共に証明してみせようぞ!』
高まる闘志は観客席にも伝播した。
何十人の生徒達が立ち上がり、「「「オオオ……」」」と声を零す。
そして遂には、
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!」」」
大歓声が会場を覆い尽くした。
その中央にいるのは二機の鎧機兵。
純白の騎士と、右腕を真紅に染めた悪竜の騎士だ。
歓声はますます声量を増す。そして観客達は力強い足踏みをし始めた。
鼓膜を震わせ、会場のボルテージは最大に至った。
そうして――。
『――ぬゥン!』
気迫を込めた唸り声と共に《アズシエル》が疾走する!
同時に
恐らく宿敵の攻撃は斬撃の類。ならば左の剣で防ぎ、右の剣で攻撃する。
そう考えた戦法だった。
《アズシエル》は双剣を構えてさらに加速する。悪竜の騎士と接敵するまでもう五秒もかからなかった。すでに決戦の間合いである。
するとそこに至って、悪竜の騎士はゆらりと右腕を動かした。
(どうした! 反応が遅いぞ宿敵よ!)
ハワードは不敵に笑う。
――が、その直後、青年は知ることになる。
自分が宿敵と見込んだ少年の、その恐るべき力を。
――ぞわり。
突如背中に走った凄まじい悪寒に、ハワードは双眸を見開く。
次いで脳裏をよぎったのは、何故かアイシャの顔だった。
(アイシャ!)
ハワードは歯を強く噛みしめ、咄嗟の行動に出る。
加速する愛機に急ブレーキをかけたのだ。地面を削り、どうにか減速する中、《アズシエル》は双剣を両方とも防御に回した。
その直後、悪竜の騎士の右腕の竜が双眸を赤く輝かせた。
そして――真紅の閃光が奔る。
観客達は誰一人とて何が起きたのか理解できなかっただろう。
ただ、気付いた時には《アズシエル》が後方へと大きく跳躍していた。
――無残に切り刻まれた双剣だけを悪竜の騎士の元に残して。
観客達がざわめき始める。と、
『……恐るべき力だな。悪竜の騎士よ』
《アズシエル》が語り始める。
『一体今の刹那に幾度、太刀を繰り出したのだ?』
見ると《アズシエル》も無傷ではなかった。右腕には深い刀傷があり、額の満月を象っていた額当ては斜めに両断され、半月となっていた。
だが、この程度の損傷で済んだのは、僥倖だとハワードは感じていた。
もしもあの時、愛しい少女の顔が思い浮かんでいなければ、咄嗟に防御に切り替えていなければ、絶命していてもおかしくない攻撃だった。
『九太刀までは
あの瞬間。
予想通り悪竜の騎士は斬撃を繰り出してきた。
しかし、その速度と攻撃回数が、あまりにも想定外だったのだ。
ほんの一秒にも満たない時間。
その刹那の間に、悪竜の騎士は――。
『二十四回だよ』
恐るべきことを平然と成し遂げたのである。
『ボクはあの瞬間に二十四回、あなたを斬った。そうだな。この闘技は《残影虚心・
言って、悪竜の騎士は元の色に戻った右腕で処刑刀を振るう。
ハワードは乾いた笑みを浮かべた。
『《顎門》か。恐るべき闘技だな。まさしく魔竜の牙を垣間見たぞ』
と、宿敵に賞賛を贈る。
それに対し、悪竜の騎士――コウタも苦笑を浮かべるだけだった。
『さて。どうします? まだ続けますか?』
と、コウタが問う。
するとハワードは愛機の中で頭を振り、
『いや。続けたいのは山々だが、どうやらタイムアップのようだ』
『ええ。そのようですね』
コウタも同意する。
『――おい! そこのお前!』
濁声に近い怒声が響いたのは、その時だった。
次いでわらわらと数機の鎧機兵が
ようやく到着した教師陣である。
『ヒラサカ一回生! 下がっていなさい!』
と、女性教師の声も混じっている。
教師陣は熟練された動きで《アズシエル》を取り囲もうとするが、
『――フハハッ! ここで捕まるのは締まらないな!』
純白の騎士を操るハワードが高らかに笑った。
そして宿敵へと視線を向け、
『どうやら頃合いのようだ。素晴らしい戦いだったぞ! 悪竜の騎士よ!』
『ボクには相当肝を冷やした戦いでしたよ』
と、コウタはうんざりした気分で返す。
しかし、ハワードは気にもしないようで。
『フハハハッ! そうつれないことを言うな! 名残惜しいが今回はこれにてさらばだ! また会おうぞ! 悪竜の騎士よ!』
そう一方的に告げていきなり《アズシエル》を跳躍させた。それも《雷歩》を使った大跳躍だ。馬鹿げた恒力も合わさり、それは飛翔に等しかった。
そうして《アズシエル》は軽々と会場の壁を越え、登場したばかりの教師陣を無視する形で去って行った。教師陣は唖然としていたが、不審者をみすみす逃す訳にはいかず武舞台の入り口へと戻り、《アズシエル》を追った。
そんな忙しい状況でコウタは一人、「まったく、あの人は」と嘆息していた。
本当に、最後の最後まで疲れる相手であった。
と、その時、
「……ど、どうやら終わったようですわね」
密着していたリーゼがホッとした声でそう呟いた。
それからそそくさと少年から出来るだけ距離を置く。とは言っても狭い鎧機兵内ではさほど離れることも出来なかったか。
「うん。どうにか凌いだよ」
コウタは破顔する。
「だから、もう大丈夫。安心して」
「は、はい。あ、ところでコウタさま」
リーゼは気になることを尋ねる。
「先程の闘技ですが、《残影虚心》って……」
「あ、ごめん」コウタは少し気まずげに頬をかいた。「君の闘技を借りたよ」
第一の竜頭を解放した《ディノ=バロウス》であっても刹那に繰り出せる斬撃は十二回が限度。しかし、それではあの男には凌がれる可能性もあると思った。
「強敵だったからね。だからちょっと借りちゃった。ごめん。けど凄い闘技だね。斬撃数が二倍になったよ」
と、使えて当然のようにコウタは言う。
リーゼとしては実に複雑な気分であった。苦労して編み出した闘技をあっさり模倣されたこともあるが、それ以上に……。
(何だか早速わたくしの一部を奪われた気分ですわ)
内心で深々と嘆息する。
結局、ほとんど抗うことも出来ないまま、彼にすべてを捧げると誓ってしまった身ではあるが、こうも簡単に奪われては面白くない。
(もっと精進しなければいけませんわね)
せめて、容易く奪い尽くせない女になろう。
リーゼは、まじまじとコウタを見つめてそう決意した。
何故か自分を凝視するリーゼにコウタは不思議そうに小首を傾げたが、
「あ! それよりもメルだ!」
不意にハッとして、周囲へと目をやった。
そして一際大きい甲冑騎士を観客席の中から見つけ、
「ああ……やっぱり凄く怯えている」
と、心配そうに呟く。
先程の大歓声は本当に圧倒的なものだった。そんな中に放り込まれて、人見知りの激しいメルティアが怯えないはずもない。巨大な甲冑は椅子に鎮座したまま置物のようにピクリと動かない状態だった。今は隣のアイリやルカ、二機のゴーレムが宥めるように声をかけているようだ。なおジェイクは困ったように頬をかいている。
ふと見やると、どうもシャルロットと、あと二機のゴーレムの姿が見えないが、もしかするとこちらに向かってきているのかも知れない。
「早くボクも戻らないと」
コウタは焦りを隠さずそう呟いた。
一方、リーゼは面白くない。これほど近くに自分がいるのに、別の女の心配ばかりされては不愉快になるのも当然だ。
リーゼはぶすっとした様子で少し考え、
「……コウタさま」
以前から妄想していたとある策を決行することにした。
「え? 何?」心ここにあらずの様子でコウタが言う。「どうかしたの? リーゼ」
「プライド壁が随分と損耗しましたわ」
淡々とした口調で、リーゼはおもむろに切り出した。
コウタは目を瞬かせ、「へ? プライド壁?」と疑問符を頭上に出している。
それに構わず、リーゼは言葉を続ける。
「このままでは決壊してしまいます。補強を所望いたしますわ」
「え? いや、その前にプライド壁って――リ、リーゼッ!?」
コウタは愕然とした。
何故なら、いきなりリーゼがコウタの首に腕をからめて抱きついてきたからだ。
流石にメルティアと比べるのは酷だが、それでも間違いなく存在感がある双丘がコウタの胸板で押し潰される。
「そ、の、コウタさま。どうか恥ずかしがらないでくださいまし。これは、ひ、必要なことなのですから……」
と、耳まで真っ赤にしてリーゼが言う。
コウタの顔も赤いが、時々青くもなっていた。
「いやいや!? ちょっと待って!? これってメルのブレイブ値と同じだよね!? なんでリーゼが知っているの!?」
「い、いいえ。少し似ていますが違いますわ」
「やっぱり知ってるし! これって、やってることは同じ……」
「断じて違います! わたくしのオリジナルです! そ、それよりもコウタさま。これだけでは補強できません。コウタさまもわたくしを強く抱きしめて下さいまし」
「えええッ!? ちょっ、ちょっと待ってよ!?」
コウタは完全に硬直した。その間も彼女の甘い匂いと、微かな体温が伝わってくる。メルティアとはまた違う感触に、コウタの顔はますます赤くなった。
するとリーゼは少しだけぶすっとした様子を見せ、
「先程まであれほど強く抱きしめておいて今さら恥ずかしがらないで下さいまし」
「いや!? だってさっきまでは戦闘中だったからね!?」
「早くして下さいまし。でないと、嫌がるわたくしをコウタさまが無理やり抱きしめたと公言しますわよ?」
「まさかの脅迫!? なんで!? 一体どうしたのリーゼ!?」
どうにもリーゼらしくない手段にコウタは驚愕するが、リーゼとしては、嘘は言っていないつもりだ。結局、コウタは問答無用で自分のすべてを手に入れたのだから。
「お願いですわ。早くして下さい。本当はまだ少し怖いのです」
と、聡明な少女はコウタが受け入れやすい言葉も告げる。
コウタはなお逡巡していたが、こう言われては拒絶も出来ない。
「わ、分かったよ」
結局、最後まで躊躇いつつもリーゼの背中を掴んだ。
ようやく感じ取れた力強い腕の感触に、リーゼは顔を真っ赤にするが、ややあって口元を微かに綻ばせる。
それはとても幸せそうな微笑みだった。
そうして十数秒間、コウタは彼女を抱きしめて。
「ど、どう? 落ち着いた?」
「はい……」
「な、なら、もう離してもいいかな?」
「いえ。まだ不十分ですわ。出来れば、このままあと十分ぐらいは」
「いや待ってよ!? ここってグラウンドのど真ん中だからね!?」
コウタの絶叫が《ディノス》の中で響く。
どうやら彼の受難レベルが数段階あがってしまったようだが、それに同情してくれる者は誰もいない。いるはずもないということは自明の理である。
「なんでこうなるのさ!?」
……そう。自明の理なのである。
◆
『――フハハハハッ!』
一方、ハワードは上機嫌だった。
右腕を損傷したが、まだまだ余力を残す愛機を疾走させる。
ここは王都の一角。当然人通りも多く、行き交う通行人は何事かと注目するのだが、ハワードは気にもかけずに愛機を走らせていた。
よほど気持ちが抑えきれないのか、大通りを走り抜けるだけではなく、時には建造物の屋上から屋上へと跳躍までする。
ハワードは本当にご機嫌だった。
(実に! 実に素晴らしい邂逅だったぞ!)
宿敵の底力。まさしく歓喜さえ覚えるほどのものであった。
とても興奮を抑えきれない。
鼻息も荒くして、ハワードは操縦棍を強く握りしめた。
この溢れんばかりの興奮を是非アイシャにも――愛する少女にも伝えたかった。
きっと、あの無愛想なへの字娘はムスっとすることだろう。
だが、それでも仕方がないなと付き合ってくれる。そういう義理堅い娘だ。
そしてアイシャは呆れ果てるかも知れないが、余すことなく、自分のことを伝えようと思った。これまでの生き方。宿敵との邂逅までのすべてをだ。
特に今日のことは熱く語ることになるだろう。
まあ、言葉だけで告げたところでこの高揚感はまず抑えきれない。十中八九――と言うよりも間違いなく彼女をまた押し倒すことになる。
直感としては、三日前の夜など比較にもならないぐらい凄いことになる気もするが、そこはあとでひたすら平謝りしよう。
ただ、今は一刻も早くアイシャに会いたかった。
愛しい少女にこの喜びを伝えたかった。
だからこそ、彼女を王都パドロにまで同行させていたのだ。
「嗚呼! 待っていてくれ! 私のアイシャよ!」
ハワードは《アズシエル》の中で愛する少女の名を叫んだ。
流石に拡声器を使わなかったことは、ギリギリの自重であった。
『フハハハハハハハハハハハハハハハハハハ――ッ!』
だが、それ以外では一切自重しない。
ギョッとする通行人など意にも介さず、ハワードは大いに哄笑する。
ちなみにこの一件で王都パドロには、哄笑を上げて疾走する白騎士がいるという都市伝説が生まれるのだが、それはまた別の話である。
『フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハ――ッ!』
そして純白の騎士の哄笑をファンファーレにして。
若き伯爵と悪竜の騎士の二度目の邂逅は、無事幕を閉じたのであった。
――果たして次なる邂逅がいつになるのか。
それは誰も知る由もない。
『フハハッ! 我が名は
だが、確実な未来であることは疑いないだろう。
「なんでこうなるのさ!?」
なお、黒髪の少年が叫んだのはこの瞬間だった。
――嗚呼、少年の未来に幸あれ。
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