エピローグ

第159話 エピローグ

 とある一室にて、コーヒーと紅茶の香りが立ち上る。

 そこは《黒陽社》・第1支部の支部長室。

 しかし、書類が積まれている大きな机に人はいない。

 この部屋の主人は今、来客用のソファーに腰を下ろし、紅茶を楽しんでいた。

 年の頃は十四、五歳。

 緩やかに波打つ、ネコ耳のような癖毛を持つ長い髪が印象的な少女だ。

 それに加え、宝石のような美しさを宿す紫色の瞳と、息を呑むほど整った顔立ち。同年代に比べるとかなりの低身長にも関わらず、見事な成長ぶりを見せつけるプロポーションまで持っている。黒服で統一されているはずの《黒陽社》において特例とも呼べる蒼いドレスもよく似合っていた。 


「……うむ」


 少女は眼前の机の上に紅茶を置き、満足げに頷く。

 彼女の名はリノ=エヴァンシード。

《黒陽社》の九大幹部。《水妖星》の称号を持つ少女だ。


「なかなか腕を上げたではないか。ゲイルよ」


 と、もはや執事扱いしている腹心の部下に告げる。

 一応褒められたのだが、直立不動で傍に立つゲイル本人は渋面を浮かべるだけだ。


「ありがとうございます。お嬢さま」


 だが、今日の所はその賛辞を素直に受け取る。

 なにせ、今この支部長室には客人がいるからだ。

 リノの正面に座る三十代半ばの男。

 右側の額にある大きな裂傷が印象的な、頬のこけた人物。


「ホオヅキ支部長。コーヒーはいかがでしたか?」


 と、ゲイルは少し緊張気味に尋ねる。

 男――《金妖星》ラゴウ=ホオヅキは「うむ」と頷いた。


「確かに姫の言う通りだ。なかなかの腕前だぞ。ゲイルとやら」


 カチャリ、とソーサーに空になったコーヒーカップを置いた。


「ありがとうございます。ホオヅキ支部長」


 尊敬する人物に認められ、ゲイルはホッとした。

 我が儘お嬢さまに振り回されてきた日々も無駄ではなかったようだ。


「しかし、ホオヅキ支部長」


 ゲイルは少し眉根を寄せて尋ねる。


「どうして今日は第1支部に?」


「うむ。それはだな」ラゴウは視線をリノに向けた。「姫に呼ばれたのだ。何でも吾輩に見せたいものがあるとな」


「うむ! その通りじゃ!」


 と、リノが満面の笑みで肯定する。

 初めて聞くことに、ゲイルは眉間にしわを寄せた。

 ――嗚呼、このお嬢さまは、今度は何を企んでいるのだろうか……。

 すると、そんなゲイルの心情を見抜いたか、リノがムッとした表情を見せた。


「ふん。わらわとていつもいつも謀略ばかり考えている訳ではない。今日は別件じゃ。ふっふっふっ、見るがよい! ラゴウにゲイルよ!」


 言って、リノは一枚の手紙を机の上に叩きつけた。

 ラゴウとゲイルは、まじまじとその手紙に目をやった。

 リノはふふんと鼻を鳴らして告げる。


「これはボルドからの手紙じゃ。わらわが、あやつに密かに依頼しておった品を入手したと書いておる。その品を今日届けてくれるそうじゃ!」


 リノの台詞にゲイルは目を丸くした。一方、ラゴウはあごに手にやり、


「ほほう。では、今日はボルドもここに招いているのですか?」


「うむ。ボルド自らその品を持って出向いてくれるそうじゃ。多忙な《九妖星》同士は会うこともそうそうない。特にボルドはお主と親しいからの。どうせならお主も呼んであやつが持ってくる品を見せたいと思ってな」


「そうでしたか。姫のお心遣い感謝いたしますぞ」


 と、ラゴウが両膝に手をかけ、頭を垂れる。


「い、いや! お嬢さま! 待って下さい!」


 しかし、ゲイルの方は平常心にはほど遠かった。


「で、では今日はグレッグ支部長まで来られるのですか!」


「うむ。さっきからそう言っておるではないか」


 大きな胸をたゆんっと揺らして悪ぶれなく言い放つリノ。

 ゲイルはますます青ざめた。


「いやいや! そもそもグレッグ支部長に一体何を依頼したんですか! 私は何も聞いていませんよ!?」


「そりゃあ話しておらんからの。時間的にはそろそろ来る頃じゃ。今さらジタバタするでない。ボルドは穏健派じゃから他の《妖星》よりは緊張もせんじゃろ?」


「それはそうですが……」


 と、ゲイルが不満げに呟いた時だった。

 ――コンコン、と。

 不意に支部長室のドアがノックされた。外からは穏やかそうな男の声で「いらっしゃいますか? 姫」という声が聞こえてくる。

 話題の《妖星》。ボルド=グレッグの声だ。


「うむ。ドアは開いておる。入ってよいぞ」


 と、リノが実に偉そうに許可した。ゲイルは血の気が引いているが、ラゴウの方は苦笑いするばかりだった。

 そしてドアが開かれる。


「いやはや。お久しぶりですね。姫」


 と、にこやかに挨拶をするボルド。彼の背後には大きな木箱が乗った台車を押す彼の秘書――カテリーナの姿もあった。


「うむ。久しいのうボルド。カテリーナも健壮そうで何よりじゃ」


 支部長であると同時に社長令嬢でもある少女に声をかけられ、カテリーナは「はい。姫さまもお元気そうで何よりです」と言って軽く会釈した。

 ボルドはふふっと笑うが、不意にラゴウの姿に気付き、


「なんと。あなたも来ていたのですか。ラゴウ」


「ああ。久しいなボルド」


 ラゴウは口角を崩して立ち上がると、ポンとボルドの肩を叩いた。

 一方、ゲイルはガチガチに緊張していた。なにせ組織を支える九大幹部の内の三名がこの部屋に集まったことになるのだから。


「はははっ、これはまるで同窓会か身内の親睦会のようですね。しかし、積もる話よりもまずはお披露目といきましょうか」


 が、ボルドはそんな緊張感とは無縁に親しみを覚える笑みで話を進める。

 彼は後ろに控えるカテリーナに前に出るよう指示をした。カテリーナは台車を押し、リノの前で停車した。


「おおっ! もしやそれが!」


「ええ。ご所望の品ですわ。姫さま」


 と、カテリーナが微笑んで告げる。

 リノの瞳が木箱を見つめて宝石のように輝き始める。

 ラゴウもゲイルも興味深そうに木箱に注目した。

 その様子を満足げに見てから、ボルドは木箱に語りかけた。


「さあ、出番ですよ。三十三号さん」


「……ウム! デデーン! オレ、トウジョウ!」


 その時、いきなり木箱の壁が四方に倒れ込んだ。

 そして中から登場したのは、小さな鎧騎士だった。二本の角と、プラプラと揺れる小さな尾。竜を象ったお面を被る紫色の騎士だ。

 両腕を天に掲げて立つその騎士に、ラゴウとゲイルは目を丸くしたが、


「おお……おおおっ! これぞまさしく!」


 リノは大いに興奮した。


「わらわの望んでいたものじゃ! しかもコウタの愛機に似せたタイプとはの! 流石はボルド! 見事な手腕じゃ!」


 と、同胞であり父の腹心でもある人物を褒め称える。

 ボルドは気恥ずかしそうに、ポリポリと頬をかいていた。

 一方その傍らで、ラゴウが「……ふむ」と呟いてあごに手をやり、


「これはもしや自律型鎧機兵という奴なのか?」


「――え?」ゲイルが驚愕する。「そ、そう言えば、これは報告書にあった機体の特徴によく似てますが……」


 まさか、あの未知に包まれた機体を入手したというのか……。


「お、お嬢さま!」


「ん? なんじゃ? ゲイルよ?」


 三十三号の角に触っていたリノがゲイルの方へと振り向く。


「まさか自律型鎧機兵の奪取を依頼していたのですか! そんな厄介な任務をご多忙なグレッグ支部長に押しつけていたのですか!?」


 ゲイルはもはや失神してしまいそうだった。

 しかし、返ってきたリノの台詞はさらに想像を絶していた。


「ん? いや任務ではないぞ。近々エリーズに行くと聞いたからな。ついでに取ってきてくれと一筆かいただけじゃ。完全にわらわの個人的な願いじゃな」


 ……うわあ。

 このお嬢さま。マジでパねえ。


 ゲイルは額を押さえ、くらくらとふらつき始めた。

 明らかに危険な顔色なのだが、リノは部下の体調など一切気にしない。

 今の興味は目の前の鎧機兵だけにあった。


「だから案ずるな。小さき騎士よ」


 優しい表情で三十三号に語りかける。


「お主はわらわの個人的な所有物になる。解体などせんから安心せよ」


 と、堂々と宣言する少女に、ラゴウとボルドは顔を見合わせて苦笑いをした。


「……ウム。アンシンシタ」


 対する三十三号も語り始める。


「……カイタイサレルト、ヒメヲマモレナイ」


「ぬ? なんじゃ? わらわを守ってくれるのか? 勇ましいのう」


 リノは勇敢な幼子を見るように双眸を細めた。

 が、次の瞬間、表情を劇的に一変させることになる。


「……ウム。コウタトヤクソクシタ。ヒメヲ、マモルト」


「……………え」


 リノは大きく目を見開き、ふらふらと後ずさった。


「な、なんじゃと? コ、コウタがわらわのことを……?」


「……ウム。マモッテホシイト、イッテイタ」


「……はうっ! はううゥ!」


 リノは両頬を押さえて耳を真っ赤にした。

 ――まさか、まさか!

 あの少年がそこまで自分を想ってくれているとは……。

 嬉し過ぎて、このままソファーにダイブしてバタバタと足を動かしたい衝動に駆られたが流石にボルド達の前なので自粛する。


「と、ところで小さき騎士よ。お主の名は何というのじゃ?」


 代わりに、可能な限り平然を装って話を続ける。


「……オレカ? オレハ三十三号」


「なんじゃ? 番号で呼ばれておるのか? ギンネコ娘め。センスがないのう」


 嫌な女のことを思い出しつつ、リノは憤慨する。

 それから両手を腰に当て考え込み、


「……よし。決めたぞ! お主の名は今日より『サザンクロス』じゃ!」


 と命名する。それに対し、驚いた顔をしたのはボルドとカテリーナだった。

 ――サザン。

 奇しくも今回の協力者と同じ名前だ。

 協力者については、彼女は何も知らないはずなのに。


「ふふっ、我ながら良き名じゃ!」


 そんなボルド達の心中を知ることもなく、リノは満足げに頷く。


「良いか。サザンⅩよ! 今日よりお主はわらわの護衛者! 部下なのじゃ!」


 ビシッと指差し、リノは高らかに宣言した。

 盗品であるとかの負い目は全くない清々しいまでの態度であった。

 ラゴウ、ボルドは感嘆し、カテリーナはパチパチと拍手を贈っていた。

 ただ、ゲイルだけは上司の奇行っぷりに過呼吸になっていたが。

 ともあれ、そんな状況でも交渉は進み、


「……ワカッタ。ヒメノ、ブカニナル。ケド、ジョウケンガアル」


「ふむ。どんな条件じゃ?」


 リノが首を傾げた。

 すると、三十三号は拳を振り上げて。


「……スパナヲ! スパナヲ、ヨウキュウスル!」


「なんじゃ。その程度のことか」


 随分と愛らしい願いにリノは口元を綻ばせた。

 彼女も女の子。やはり可愛いものには目がないのだ。


「……ソレト、モウヒトツ、ヨウキュウスル!」


「ふむふむ。なんじゃ? 言ってみよ。どんな願いでも叶えてやろうではないか」


 すこぶる上機嫌であったリノは要望を聞く前に承諾した。

 三十三号はやったとばかりに瞳を輝かせる。


「……オオ! ソウカ! ヨカッタ。コレデ、ヤクソクマモレル」


 そして言質を得た三十三号は、堂々たる態度で要求する。


「……シャシンヲ! シャシンガホシイ! ヨウセイノヒメヨ! コウタノタメニ、ヘソダシフクジュウポーズヲ、トラセテクレ!」


 …………………………………………………………。

 …………………………………………………。

 ………………………………………。

 …………………………。


「「「…………………………………え?」」」


 ゲイルとカテリーナは勿論のこと、《妖星》の称号を持つ三人の支部長までもが揃ってポカンと口を開いた。


「……ウム! ヒメヨ! マズハポージングカラ、キメヨウ!」


 三十三号改め、サザンⅩがやる気満々で話を進める。

 支部長室は微妙な空気に包まれた。

 なお、三日後のこと。

 サザンⅩの機体内に一枚の写真が大切に収められるのだが、それが何の写真なのか、また希望者の元へと無事届けられたのかは、誰も知らないことだった……。



       ◆



 ――くしゅん、と。

 不意にくしゃみが場に響く。

 魔窟館の裏庭で鍛錬を積んでいたコウタのくしゃみだ。

 エリーズ国は比較的に暖冬だが、流石に『十二の月』の末にもなればかなり寒い。ましてや今は早朝だ。少しばかり寒気もした。それに加え、修練のため汗をかいていたのもまずいかも知れない。風邪を引いて寝込んだまま年明けを迎えるなど最悪だ。


「ここらで切り上げるか」


 言って、コウタは手に持っていた短剣を鞘に納めた。

 それから、魔窟館における自分の部屋に向かって歩き始める。

 新徒祭が終わってから三日間。

 コウタはずっと魔窟館に泊まり込んでいた。

 理由は一つ。メルティアがかなり落ち込んでいたからだ。

 新徒祭での事件はかなりの騒動を呼んだ。騎士団まで出向して自称・放浪騎士の行方を追ったが結局捕まえることは叶わず、追跡は断念された。

 コウタとしては、それは当然の結果なので気にもしていない。


 問題は放浪騎士事件の裏であったもう一つの事件――三十三号強奪事件だ。


 その事件を聞いた時、メルティアは目に見えるほどのショックを受けた。

 思わずその場で崩れ落ちたぐらいだ。

 しかし、メルティアにも劣らないほど深く落ち込み、ひたすら謝罪をし続けるシャルロットにメルティアも気丈に振る舞い、「だ、大丈夫です。あの子は強い子ですから。気にしないで下さい」と告げた。


 とは言え、元来メンタルの弱いメルティアのことだ。

 魔窟館でコウタと二人っきりになった途端、一気に泣き出し始めた。

 まさしくギャン泣きであった。

 コウタはそんな泣きじゃくる彼女をずっと宥め続けていた。それこそいつも以上に甘やかした。傍にいて欲しいと彼女が願えば、ずっと傍にいた。放っておけば死んでしまう子猫を相手するようにその期間には学校にも行かなかった。

 流石に寝る前に毎日ブレイブ値の補充を要望されるのは堪えたが、その甲斐もあってかメルティアも少しは落ち着き始めていた。ただ、「やってくれますニセネコ女。今度会ったらぶちのめして三十三号を取り戻します」と怒りと決意を口にしていたが。

 リノの名を出され、コウタとしては苦笑するしかなかった。

 恐らく三十三号が自分から赴いたのは、コウタとの約束があったからだ。

 ゴーレム達は総じて義理堅い性格をしている。三十三号も例外ではない。きっとあのお面に恩義を感じて約束を果たしに行ったのだろう。


(ごめん。メル)


 だとしたら、自分にも原因の一端がある。

 一番の理由はシャルロットを守るためだとしても、やはり責任を感じた。


(今度、リノに会った時はちゃんと返してもらわないと)


 と、そんなことを考えるが、三十三号には期待もしてしまう。

 あの純粋で無邪気で律儀なゴーレムの性格は、彼女の生き方にも何か良い影響を与えてくれるかも知れない、と。

 そして何よりも、自分の手が届かない彼女をどうか守って欲しい、と。

 思わずそう願ってしまう。


(うん。頼むよ。三十三号)


 流石に口にするのは不謹慎なので、心の中だけでそう告げる。

 なお、まさかあの《水妖星リノ》を相手に三十三号がもう一つの約束まで律儀に果たそうとしているとは夢にも思わないコウタだった。

 コウタは裏庭を歩き続ける。

 ふと見上げると、空には雲もなく、蒼く澄み渡っている。

 年の暮れも、あと数日を残すばかりだった。

 コウタは黒い双眸を細めた。


「今年も終わりか。来年こそは……」


 そして少年は願う。


「トウヤ兄さんとサクヤ姉さんに、再会できますように」




第5部〈了〉

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