第156話 囚われた乙女と、騎士の矜恃⑤

「なん、ですって……?」


 長い沈黙を破り、シャルロットはようやくそう返した。

 そして通路の先にいる男――ボルド=グレッグを睨み付ける。


「どうしてあなた達がゴーレムのこと……いえ、そもそも一体何のために、この子達を狙うのです?」


「う~ん、それはですね」


 ポリポリと頬をかくボルド。


「自律型の鎧機兵。兵器として実に興味深いから……と言いたいところですが、今日のところは身内の都合でしょうかね。我らの姫君が彼らをご所望なのですよ」


 と、告げる彼には中間管理職特有の疲れが見えていた。

 後方ではカテリーナが「お労しいことです。ボルドさま」と呟いている。

 悪ふざけのようにしか思えない彼らの態度に、シャルロットは無言だった。


「……ヒメ、ダト?」


 すると、三十三号が興味深そうに小首を傾げた。


「……ソレハ、ヨウセイノ、ヒメカ? ウシノナカマヨ」


「……はい? 牛の仲間とは?」


 三十三号の台詞にボルドは少し困惑した様子を見せたが、すぐに思い当たり、


「ああ、もしかしてラゴウのことですか。確かに牛と言えば牛ですが、随分とまた率直な表現をされていますね。彼も……っと、それより姫のことですね」


 コホンと喉を鳴らす。


「ええ。そうですよ。今回あなた方をご所望しているのは、我ら《九妖星》の紅一点である彼女です」


「……なるほど」


 シャルロットがようやく口を開く。


「そのルートからゴーレムの存在が知れたのですね。しかし、かの少女は犯罪組織に似つかわしくないほど天真爛漫だと聞いていましたが、結局は犯罪組織の幹部。利益を求めて動きましたか」


 と、吐き捨てる。ただでさえ主人の恋敵の一人なのだ。

 その上、こんな真似をされては不快になるのも当然だった。

 だが、それに対しボルドは渋面を浮かべた。


「いいえ。それならまだいいのですが、今回の彼女の望みは違います。プライベートの話なので詳しくは聞いていませんが……」


 そこでゴーレム達を一瞥して嘆息する。


「何でもそのゴーレム達は姫が想いを寄せる騎士見習いとやらと縁深きものであるとか。女性のあなたなら理解できるかも知れませんが、要は中々会えない想い人の所持品を入手したいという乙女心が今回の動機のようでして」


「…………は?」


 思わずシャルロットは目を丸くした。

 それに構わず、ボルドは疲れた様子で言葉を続ける。


「昔から無茶ばかり言うんですよ、あの子。私もあの子のことは幼い頃から知っていますので娘のように可愛くはあります。社長も溺愛してますし、基本的に他の《九妖星》も彼女には結構甘いです。しかし、仮にも一部門の長がこうも清々しく公私混同するのは……」


 身内に対してだけは公平明大、清廉潔白を常々心がけてきたボルドにとっては、本当に胃の痛くなることだった。

 が、そもそも『欲望に素直であれ』というのが彼らの生き方。

 そう言う意味では、彼女の我が儘も英才教育の賜物であるのかもしれない。

 と、前向き(?)に考えて、ボルドはにこやかな笑みをシャルロットに向けた。


「話を戻しましょうか。どうでしょうかお嬢さん。二機とは申しません。一機で構いませんのでどうかお譲り願えないでしょうか?」


「………………」


 その交渉に、シャルロットは何も答えなかった。

 ゴーレム達の所有権を持つのは当然制作者であるメルティアだ。シャルロットは何か答えられるような立場ではないし、それ以前にこんな交渉など論外だ。

 一機たりとて犯罪組織などにゴーレムを渡す気はない。


(ですが、どうしたものですか……)


 シャルロットは、内心で強い焦りを抱いていた。

 一本道の通路。脇道もなく前後はボルドとカテリーナに押さえられている。

 自分よりも明らかに格上の敵二人に囲まれてしまった状況だ。零号達も、どう動くべきか迷っているようだった。


(彼らの狙いはゴーレム。でしたら……)


 シャルロットは小さく呼気を整え、冷静に状況を見極めようとした。

 今この会場には大勢の人間がいる。最初に気絶させようとしたのも、彼らとしては目立ちたくないのだろう。恐らく自分を殺害までする気はないように思える。

 やはりここは自分が囮になってゴーレム達を逃がすしかない。

 多少痛い目に遭ったとしてもそれがベストだ。

 と、考えた矢先のことだった。


「ボルドさま。ご提案があります」


 不意に後方にいるカテリーナが語り始めた。


「先程から彼女を観察しておりました。豊かな胸は勿論のこと、スカートの上からも分かる臀部の肉付き。腰つきも充分なほどに引き締まっています。立ち姿から内部筋肉はかなり鍛え上げているようですが、女性的なラインは一切崩れていないと推測します。藍色の髪と深い蒼色の瞳も美しく、顔立ちも一級品です。相当な逸材と見受けました。どうでしょうかボルドさま」


 そして彼女は朗らかに進言する。


「ここは、そちらのお嬢さんも持ち帰って《商品》にしてみるというのは? かなりの利益が見込めると判断いたします」


「――――なッ!」


 シャルロットは愕然とした表情で同性であるはずのカテリーナを凝視した。

 まさか、ここで自分まで標的にするような提案をされようとは――。


「――クッ!?」


 顔つきを険しくして視線をボルドに戻すシャルロット。

 この男の返答次第で、状況はさらに最悪のものになる。

 それこそ彼女の人生そのものが決まってしまう。

 そして数瞬後、ボルドは、


「おお。それは良案ですね。流石はカテリーナさん。女性を見る目があります」


 相も変わらない笑顔でそう告げた。シャルロットの血の気が一気に引く。

 思わず一歩二歩と後ずさるが、


「あら。自分から私の方に来てくれるのですか?」


 カテリーナの声に背筋が凍り付く。

 次いで恐怖を押さえ切れていない表情で、カテリーナの方へと振り向いた。

 赤い眼鏡の女はとても穏やかな笑みを浮かべていた。それがよりいっそう恐怖をかき立てシャルロットは完全に硬直してしまった。


(い、嫌です……わ、私は……)


 言葉さえ発せない。

 未だかつてない恐怖と絶望感が全身を縛り付けていた。

 シャルロットは本気で怯えていた。常に冷静沈着であった面影はすでにない。


「カテリーナさん。あまり怖がらせるものではありませんよ」


 そう言って、コツコツと足音を立ててボルドが近付いてくる。

 シャルロットは瞳を大きく見開いた。

 だが、すでに逃げ場などなかった。

 今も零号と三十三号が彼女を守るために陣取ってくれているが、たとえ彼らを共に戦っても勝算がないのは分かりきっていた。

 後門に狼。前門に虎。彼女の命運は、まさに風前の灯火であった。


「ご安心を。苦痛は与えませんから」


 にこやかな笑みは絶やさないまま、ボルドは指先をシャルロットに向けた。


「今は安らかに眠っていて下さい。《商品》としての教育は後ほど致しますので」


 そして、ゆっくりと彼女の額に指を近付けて――。


「い、いや! た、助けて!」


 遂に精神の限界に至って、シャルロットは助けを求めた。

 心の中にいる一番大切な人に。


「助けて――君!」


 ピタリ、とボルドの指先が止まった。


「え?」呆然と尋ねる。「今、あなた何と?」


「……え?」


 いつしか少女のように怯えて、自分の胸元を押さえていたシャルロットは、ただただ瞳を瞬かせる。

 ボルドは本当に驚いた顔をして指先を止めていた。彼女からは見えないが、カテリーナもまた軽く驚いているようだった。


「え? まさかそういうことなのですか? もしやあなたは『彼』の――」


 と、ボルドが呟いた時だった。


「……待テ。ハゲヨ」


「……直球で心を抉るのはやめてください」


 シャルロットを守るために立ちはだかっていたゴーレムの一機――零号の台詞に、ボルドは心底げっそりした声で答える。


「何かご用でしょうか? ゴーレムさん」


「……用ガアルノハ、ウヌノ方ダロウ」


 零号がボルドを睨みつけて言う。


「……ウヌノ狙イハ、ワレラダ。乙女ハカンケイナイ」


「いや、まあ、確かにそうですが……」


 ボルドは困惑した顔を見せつつも、シャルロットから指先を離した。

 零号は言葉を続ける。


「……交渉ダ。ハゲヨ」


「いや、だからやめてくださいよ、それ。牛より酷いじゃないですか」


 と、嘆息するが、ボルドは表情を改めて零号を見据えた。


「交渉とは何でしょうか? ゴーレムさん」


「……ウヌノ狙イハ、ワレラダ。乙女ニ手ヲダスナ。手ヲダサナイト約束スルナラ、ワレガ、オトナシクツイテイク」


「――ぜ、零号さん!」


 シャルロットが愕然とした声を上げた。


「それはいけません!」


「……カマワナイ。乙女ヨ」


 しかし、零号はどこか優しげに見える双眸をシャルロットに向けた。


「……ワレラハ、人ノタメニ生マレタ。人ニツクシ、人ノタメニハタラクノガ、ワレラノ本懐ダ。ダカラ、乙女ヲマモルノハ当然ダ」


 と、告げる零号。シャルロットは青ざめたままで言葉もなかった。

 一方、ボルドは「ほほう」とあごに手をやって感嘆し、カテリーナはゴーレムの人間じみた言動に目を丸くしていた。


「なるほど。それが交渉ですか……」


「……ウム。ソウダ」


 零号が顔を上げてボルドを見据える。ボルドはしばし考えた後、「分かりました。いいでしょう」と承諾しようとしたが、


「……マテ。アニジャヨ」


 その時、三十三号が声を挟んだ。


「……アニジャハ、ダンチョウダ。アニジャガ、イナクナッテハ、ダメダ」


「……ダガ、三十三号ヨ」


 三十三号の方を振り向く零号。

 それに対し、三十三号ははっきりと告げる。


「……イクノハ、オレダ。アニジャハ、ノコレ」


「……三十三号」


「……ヤクソクモアル。オレガ、テキニン」


 コンコンと《ディノス》のお面を叩く三十三号。

 ボルドとカテリーナ。そして目を見開くシャルロットが見守る中、零号はかなり逡巡した後、ゴーレムの長兄として決断した。


「……ワカッタ。ココハ、ウムニ託ソウ。弟ヨ」


「……マカセロ。アニジャ」


「ふむ。どうやら話はまとまったようですね」


 と、ボルドが言う。シャルロットは言葉もなかった。


「では、三十三号さんでしたか? こちらへ」


「……ウム」


 ボルドに促され、三十三号は数歩前に踏み出した。

 それに対し、ボルドは懐から輪っかのようなものを取り出した。次いでその輪っかを三十三号の右手首に装着させる。三十三号は首を傾げた。


「……コレハナンダ? ハゲヨ」


「とりあえず、まず禿げはやめてください。これは転移陣を阻害する腕輪ですよ。店舗などによくある盗難防止用設備の簡易版です」


 言って、ボルドは苦笑いを見せた。


「間近で見てもにわかに信じがたいのですが、あなたは鎧機兵ですからね。後で、転移陣で喚び戻されては困りますし」


「……ウタガイブカイ」


「まあ、私も犯罪組織の人間ですし」


 と、ポリポリと頬をかくボルド。三十三号は続けて問うた。


「……オトメニハ、モウ、テヲダサナイナ?」


 ここに至っても人間の心配をする三十三号に、ボルドは相好を崩した。

 次いで硬直したままのシャルロットを一瞥してから、


「ええ。それについてはお約束しますよ。《九妖星》の一角。《地妖星》ボルド=グレッグの名に誓って彼女に手は出しません。それに」


 そこで、ボルドは肩を竦めて自嘲じみた笑みを見せた。


「どうやら彼女は私と因縁深い『彼』とお知り合いのようですし。もう迂闊に手出しはできませんよ。なにせ、ついこないだ『彼』の身内に手を出そうとして手痛い目にあったばかりですからね」


「…………え?」


 シャルロットは驚いた顔でボルドを凝視した。

 一方、ボルドはくつくつと楽しげに笑い、


「まさかこの国でも『彼』の名前を聞くとは。やはり『彼』と私は宿命づいていると思いませんか? カテリーナさん」


「……ええ。そうかも知れません」


 と、カテリーナがどこか不満げな様子で同意する。


「あ、あなた達は一体何を……」


 シャルロットには状況がまるで分からなかった。

 だが、ボルドにしろ、カテリーナにしろ説明する気はないようだ。


「では、我々はここでお暇します。お嬢さん。三十三号さんのお兄さん。またご縁があればお会いしましょう」


 と、ボルドが別れの挨拶をしてくる。


「ま、待ちなさ――きゃあ!?」


 さらに後ろにいたカテリーナが、不意にシャルロットの肢体に触ってきた。柔らかなお尻に腹部、重く豊かな双丘を下からあげて堪能するように触り、


「この触り心地……やはり逸材ですね。実に惜しいことです。ですがボルドさまがお約束された以上、仕方ありませんね」


 カテリーナは嘆息した後、声を失うシャルロットの肩をポンと叩いた。


「それではさようなら。お嬢さん。ご自身の幸運に感謝して下さいね」


 微笑みを共にそう告げて、カテリーナはボルドの傍らに並んだ。


「では、ごきげんよう」


 仰々しく一礼し。

 天災のように突然現れた《九妖星》の一角と、その腹心は、三十三号を連れて立ち去っていった。「……コクヨウシャ、ニハ、スパナハアルカ?」「ええ。ありますよ」とどこか和やかな話し声だけが木霊した。

 シャルロットは身動きさえ取れなかった。そうして彼らの姿が完全に消えたところでようやく緊張が解け、ガクンと両膝を地面についた。


「~~~~ッ!」


 次いで屈辱で下唇を強く噛みしめる。

 何も、本当に何も出来ず、ただ助けてもらった。


「……大丈夫カ? 乙女ヨ」


 と、零号が心配そうに声をかけてくる。

 申し訳ない気持ちで一杯になって、シャルロットは顔を上げて謝罪した。


「すみません。零号さん。私のせいで三十三号さんが……」


「……キニスルナ」零号は言う。「……ワガ弟ハツヨイ。ドンナ場所デモクジケナイ。キット大丈夫ダ」


「ですが……」


 なお言い募ろうとするシャルロットに、


「……ソレヨリモ、乙女ヨ。タチドマルノハ、ココマデダ」


 零号は少し切迫した声で告げる。


「……ワレラニハ、マダスルベキコトガアル」


 零号にそう指摘され、シャルロットはハッとした。


「……ええ。そうでした」


 悔やむのは後だ。今は前に進まなければ――。

 そう決意すると、未だ少し硬直する体を奮い立たせて彼女は立ち上がった。

 そして通路の先を見やる。と、


「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!」」」


 シャルロットは息を呑み、零号は視線を通路の先に向けた。

 まるで空間を軋ませるかのような大音量。

 そんな大歓声が、会場を覆い尽くした瞬間であった。

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