第154話 囚われた乙女と、騎士の矜恃③
「コ、コウタさま……」
狭い《ディノス》の操縦席の中にて。
リーゼは恥じらいと困惑が混じり合った声を上げた。
彼女は今、コウタの真正面に座っていた。
肩二つ分ほどは離れているが、互いの足を絡めて密着にも等しい姿勢だった。
見えない粉塵の中だったことに加え、移動する時間もかなり切迫していたため、こんな無理な体勢で乗り込むことになったのである。
いかに想いを寄せる少年であっても……いや、好きな相手だからこそ恥ずかしい。
「あ、あの、コウタさま」
リーゼは耳まで真っ赤にしつつ、視線を逸らして尋ねる。
「どうしてわたくしを《ディノス》の中に――」
と、問いかけたところでハッとする。
逸らした視線の先には《万天図》が起動されていたからだ。
その記載されている敵機の恒力値にリーゼは思わず息を呑んだ。
(恒力値――三万六千ジン!? 《九妖星》クラスですの!?)
愕然と瞳を見開く。が、同時に察した。
何故コウタが自分を《ディノス》に乗せたのかを。
「なるほど。分かりましたわ。わたくしを乗せたのはメルティアに代わって《
このクラスの敵をノーマルモードで凌ぐことは不可能だ。
かといってメルティアを迎えに行く時間もなかった。ゆえにリーゼを代わりに乗せたのだ。メルティアの代理というのは甚だ不本意ではあるが、かねてから望んでいたことでもある。リーゼは真剣な顔でコウタを見つめた。
しかし、コウタの方と言えば、「え?」という顔をしていた。
「あ、そっか。《
「………え」
コウタの返答に、今度はリーゼがキョトンとした。
……《
ならば、何故自分を《ディノス》に乗せたのだろうか?
「え? なら、どうしてわたくしを《ディノス》に乗せたのですか?」
再度、リーゼがそう尋ねると、コウタは「どうしてそんな分かりきった質問をするのだろう」といった顔を見せた。
「それはさっきあの男に言った通りだよ。危ないからね」
一拍おいて、
「あの男は君を傷つけようとしたんだ。そんな男の前に、君を放り出したりするなんて絶対に嫌だ。そんなことをするぐらいなら無茶でも君を傍に置くよ」
そう言うと、よほど憤懣に満ちていたのか、強引にリーゼの腰を引き寄せた。
何ともらしくないコウタの態度に、リーゼの顔が真っ赤になるが、
(えっ? まさか、そういうことなのですか?)
リーゼは初めてコウタの心奥にある想いを察して――愕然とした。
類い希なる頭脳が、明晰なる思考が真実を教えてくれる。
きっと彼は、この悪竜の騎士は――。
(……そうだったのですね。コウタさま。そもそも、あなたにとってわたくしが騎士であることも、強者であることも関係なかったのですね……)
コウタにとってリーゼの強さとは、ただの一面にすぎないのだ。
リーゼはようやく理解した。
笑い、喜び、泣き、努力する。
彼女の生き方。彼女という存在のすべて。
彼が求めるものとは、そういったリーゼのすべてであるのだ、と。
だからこそ、彼女が強いことも弱いことも関係なかった。
(嗚呼、なんてことなのでしょう……)
少年の鮮烈なまでの強欲さに、リーゼは静かに息を呑んだ。
――完全に初恋に浮かれていた。コウタの穏やかさに本質を見誤っていた。
きっと今はまだ無自覚だ。しかし、間違いなく彼は『リーゼ=レイハート』の何もかもを手にすることを心の奥で望んでいる。
今は深層に眠るその意志が、腰を掴む腕の力強さから伝わってきていた。
(けれど、わたくしは……)
――ズキン、と。
そんな少年の本質の片鱗を前にして、リーゼの心は酷く痛んだ。
確かに自分はコウタに思慕を寄せている。
それは、愛しているとも言えるほどの強い想いだ。けれど、まさか彼の方がここまで強欲に……文字通り余すことなく自分を求めているとは思ってもいなかったのだ。
(わたくしはレイハート家の跡継ぎです。わたくしの双肩にはレイハート家に仕える者のすべての未来が乗っているのです)
それは、彼女の責任であり、矜恃でもあった。
だからこそ、自分のすべてを捧げることだけは出来ないのだ。
すでに父より、優秀であれば夫は平民でも良いと許可は貰っているが、それとは別に、リーゼ個人にも絶対に譲れない条件があった。
まず大前提として、彼女の夫となる者は、たとえどれほど愛していたとしても最も優先順位を低くしなくてはならないのだ。何故ならば、もし多くの命が危機に陥る時、真っ先に切り捨てなければならない相手だからだ。
それはレイハートの名を背負う者としての責務だった。最終的には個人の感情よりも公人としての責務を優先する。それこそがリーゼの譲れない条件なのである。
幼少時よりそう徹底して教育されてきたリーゼは、すでに公人としての立場を国と民衆に捧げているのだ。ゆえに、いかに愛する少年の望みとはいえ、本当の意味ですべてを捧げることだけには禁忌にも似た想いを抱いていた。
(わたくしは、ずっとレイハートであることに誇りを持って生きてきました。この条件だけは変えれないのです。ですから――)
リーゼは美麗な眉をひそめた。
今この瞬間、彼女はコウタの心奥にある望みに気付いてしまった。
嬉しくないと言えば嘘になる。
だが、彼の望みは、致命的にまでに自分の矜恃と背反するものだった。
(ごめんなさい。コウタさま。わたくしはあなたの想いに応えられません)
キュッと下唇を噛みしめる。
自分がすべきことはすでに分かっていた。
気付いてしまった以上、もう彼を受け入れることは出来ない。
リーゼはコウタの両肩に、すっと手を当てた。
(わたくしの初恋もここまでなのですね)
胸を焦がす想いは消えていない。
けれど、レイハート家の次期当主として決断するしかなかった。
決断せざるを得なかった。
「コウタさま。わたくしを降ろしてください。足手まといになりますわ。あの騎士もこの観衆の前でわたくしを襲うこともないでしょう」
それは、状況を正しく判断した台詞だったが、同時に訣別の言葉でもあった。
こう言えば、きっとコウタは手を離すはず。
そうして、リーゼが《ディノス》から降りることによって二人の関係はただの『友人』となる。そこから恋や愛が生まれることは二度とない。
そんな悲壮な覚悟をして、リーゼは決別の言葉を口にした。
(ここでお別れです。大好きなコウタさま)
心の中では涙ぐんでそう告げる。
しかし、彼女は――未だ侮っていた。
堕ちた聖者・《黒陽》と並ぶ、滅びの魔竜・《
――その忌むべき名を自ら名乗る騎士の秘めたる強欲さを。
「それは嫌だと言ったはずだよ」
少年はとても強い口調で返した。
リーゼは「え?」と呟いて唖然とする。
「ボクは君を離さない。それよりも、もう後ろに移動する時間はないみたいだ」
そう言って、コウタは眼前の敵機を見据えた。
いつ戦闘が始まってもおかしくない。一触即発の状況だ。
「かなりキツいけど、このまま戦うよ」
操縦シートにはある程度の角度・位置の調整機構やスライド機構がある。
現在、操縦シートは一番奥に。操縦棍の角度は、ほぼ垂直に調整している。
しかし、それでも少女を抱きかかえていては、片腕を伸ばしてどうにか操縦棍を掴んだ状態だ。正直不安定な状況ではあるが、ここはやむを得ない。
「リーゼ。ボクの視界を遮らないように後ろ髪を前に持ってきて。それから、ボクにしがみつくんだ」
「えっ、い、いえ、コウタさま、わたくしは……」
「早くするんだ! リーゼ!」
躊躇するリーゼをコウタが一喝する。
リーゼは「は、はい!」と答えて後ろ髪を自分の胸元に持ってきた。
しかし、そこからどうすればいいのか分からない。
すると、コウタがより強くリーゼを抱き寄せて告げた。
「リーゼ。よく聞いて。この先どれだけキツくなったとしても、ボクは君を決して離さない。絶対にだ。だから君はボクを信じて全部任せて欲しい」
「……ぜ、全部……」
耳朶を打つ声に心が強く震える。リーゼは大きく瞳を見開いた。
そして彼の背中に回した両腕が彷徨う。
「わ、わたくしは……」
拒絶を伝える言葉を失ってしまった。
そして迷いながらも指先は、徐々に彼の背中に近付いていった。
自らの行動に息を呑む。
――いけない。この判断は明らかに間違っている。
レイハート公爵家の次期当主として、あるまじき選択肢だ。
頭ではそう理解していた。
だが、同時にリーゼの脳裏には、とある強烈なイメージが思い浮かんでいた。
無数の黒い腕を操って自分の四肢を容赦なく掴み、巨大なアギトを開いて自分を呑み込もうとする《悪竜》の姿だ。
「リーゼ。早くボクの背中を掴んで」
その邪悪な魔竜を従える少年が、有無を言わさず要求してくる。
リーゼは苦悩と逡巡に満ちた顔をする。と、相当切迫しているのか、コウタがギュッと腰を掴む腕の力を強めてきた。リーゼの鼓動が跳ね上がり、喉が鳴る。
そうして遂には……。
「わ、分かりました」
高潔なる乙女はここに宣誓する。
「全部、全部あなたに託しますから。すべてを委ねますから。だからお願いですわ。少し力を緩めて……」
矜恃も、覚悟も、責任も。
何もかもすべて《悪竜》に食らい尽くされて――。
リーゼは、そう答えてしまった。
宙空を彷徨っていた彼女の両腕も、しっかりとコウタの背中を掴んでいる。
訣別しようとしたのに、今や互いの顔を横に重ね合わせて密着していた。
まさしく、彼女の運命が決まった瞬間であった。
「うん。大丈夫だよ」
コウタは優しく笑う。
「君は何があってもボクが守るから」
と、少女の葛藤も運命も丸ごと食らい尽くしたことに気付かない少年が言う。
リーゼは顔を真っ赤にして「は、はい……」と答えるだけで精一杯だった。
そんな少女を左腕に抱き、コウタは大腿部に渾身の力を込めて姿勢を固定。右腕で愛機の操縦棍を強く握りしめた。
かなり無謀ではあるが、ともあれこれで戦闘準備は完了だ。
コウタは敵機を睨み付ける。
(それじゃあ、始めようか)
そして守ると誓った少女の鼓動を間近で感じながら、内心で敵の名を呼んだ。
(ハワード=サザン伯爵。あの日の続き――あなたの言う第二回戦を!)
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