第131話 暗雲低迷③

「それでは、お受け取り下さい」


 大理石の机の上に、すっと封筒に入った書類が差し出される。


「ええ。では」


 応接室のソファーに座る貴族服の青年――ハワード=サザンはそれを受け取った。

 中身についてはこの場にて説明を受けているため、確認する必要はなかった。


「確かにお受け取り致しました。彼女にお渡ししましょう。校長にはお手数をおかけさせて申し訳ない」


「何を仰いますか。サザン伯爵閣下」


 ハワードの向かい側のソファーに座るエリーズ国騎士学校の校長が笑う。


「彼女を迎え入れるにあたり、伯爵閣下が後見人となって尽力して下さったおかげで助かりました。他国からの留学生の受け入れは今までも数多くありましたが、今回のケースは初めてでして、もしも何かあれば国際問題に発展するのではないかと恐れ、誰もが尻込みしておりましたからな……」


「まあ、それも仕方がないことでしょう」


 ハワードは苦笑する。


「エリーズに比べれば小国かもしれませんが、彼女は一国の王女ですからね。当初の予定通りであったとして二の足を踏むのは心情としては当然なのでしょう」


「ですが教育者としてはあるまじきことです。猛省しております」


 言って、頭を垂れる校長。ハワードは「顔をお上げ下さい」と告げた。


「お恥ずかしながら私が動いたのも私情なのですよ。高潔な教育理念があった訳ではありません。我が母校に通いたいという少女の願いを、この学校にお世話になった卒業生として無下にしたくなかっただけですから。ですが……」


 そこでハワードは昔を懐かしむように目を細めた。


「もう新徒祭の時期なのですね」


「ええ。そうですな」


 校長も指を組んで双眸を細めた。

 エリーズ国騎士学校の新徒祭。それは『十二の月』の後半に行われる創立祭――『一の月』に入学予定の新入生を祝う在校生達による催しだ。

 一般的な学校では学園祭の時期は『十の月』頃。さらに指摘すれば入学は『四の月』に行われるものなのだが、ハワードの母校の時期はかなりズレていた。

 だが、それには理由がある。

 今でこそ王立の学校ではあるが、そもそもエリーズ国騎士学校はかつて動乱の時代、母国の苦難を前にして立ち上がった十六名の少年少女による独立部隊が祖となるのだ。


 彼らが何かしらの大きな戦果を上げた訳ではない。だが、彼らの存在は他の騎士達の士気を大いに高めた。彼らを死なせたくないと騎士達が奮起したのである。


 その結果、エリーズ国は動乱の時代を生き延びたというのが通説だった。

 無論、彼らの存在だけが決め手をなったということではないが、それでも国防の一役を買ったのは間違いないだろう。


 そうしてその後、エリーズ国は独立部隊に対する敬意として、彼らが部隊を結成した『一の月』に合わせて学校を創立した。それが本校なのである。

 ただ、入学式と創立祭を同時に行うのはとても混雑するため、創立祭――新徒祭の方は一月ほど早く実施するのだ。それは新入生や在校生のみならず一般人にも開放された騎士学校における最大のイベントでもあった。


「懐かしい。今年の新徒祭も盛大になるのでしょうな」


 ハワードは視線を校長へと向けて尋ねた。


「そういえば新徒祭では在校生による鎧機兵の模擬戦がメインイベントでしたな。今年は誰が行うのですか?」


 模擬戦は在校生の中でも実技・座学共にずば抜けた者が選ばれる。

 かくいうハワード自身も在学中は二年連続で模擬戦の生徒に選ばれていた。

 ちなみに対戦相手も二年連続で同じであり、次席だったシャルロット=スコラという少女だった。


「ああ、それですか」


 校長はあごをさすりながら答える。


「一人は閣下もご存じかもしれませんな。一年のリーゼ=レイハート君です。レイハート将軍閣下のご息女ですぞ」


「なんと。リーゼさまでしたか」


 ハワードは目を軽く見開いた。


「存じております。しかし、あの可憐なお姿で武の誉れである模擬戦に選ばれるとは。流石はレイハート家のご令嬢ですね」


「ええ。全くです。彼女ほど優秀な生徒は歴代の生徒の中でも伯爵閣下を含めて数名しかいませんよ。しかし今年はそんな彼女でさえ次席なのです」


「ほう」ハワードは眉をピクリと動かした。「では主席は?」


 一応尋ねてみるが、すでに確信に近い予感がしていた。

 が、そんなハワードの様子には気付かず、校長は口角を崩して語る。


「コウタ=ヒラサカ君という一年の生徒です。貴族ではありませんが、アシュレイ将軍閣下が後見人となられている少年でしてな。レイハート君さえも凌ぐ彼はまさに別格です。彼が騎士団に入団した際は、間違いなく我が校の誇りになるでしょうな」


 と、自慢げに語る校長に、ハワードは大きく目を剥いた。


「ほう! ヒラサカ君とは!」


 想定通りの返答であったが、若き伯爵は大げさなぐらいに驚いて見せた。


「実は彼とも面識がありますよ。リーゼさまと同じ学校に通っているとは聞いておりましたが、まさかそこまで優秀だったとは」


 彼の実力を考えれば同然だ。学生レベルなど相手にすらならないだろう。

 内心ではそう思っているのは隠しつつ、ハワードは純粋に後輩の優秀さを喜んでいるような笑みで語る。


「おお、そうでしたか」


 校長は朗らかに笑った。


「まさかヒラサカ君ともお知り合いだったとは。世間は狭いですな」


「ええ、そうですね。ですがおかげで楽しみが出来ました。果たして二人がどのような演武をするのか。私も新徒祭を楽まさせて頂きます。っと失礼」


 そう言って、ハワードは懐から懐中時計を取り出した。

 ここに来て予定より時間が経っている。これ以上の長居は次の予定に差し支える。


「申し訳ありません。名残惜しいですが次の予定がありますので失礼します」


 ハワードはソファーから立ち上がると、一礼した。


「では、今日のところはこれにて失礼させて頂きます」と、母校の校長に深々と頭を垂れて退出する。校長は立派に巣立っていった生徒の様子に最後まで笑顔だった。

 パタンと応接室の扉を閉める。

 廊下には放課後のため生徒や教師の姿がほとんどなかった。

 いささか寂しくも感じる母校の廊下を歩きながら、ハワードはポツポツと独白する。


「リーゼさまの実力をこの目で確認した訳ではないが、やはりまだ学生の身だ。高く見積もってもスコラと同等ぐらいだろう。ヒラサカ君を満足させるには遠く及ばない。彼にとってはさぞかし退屈な相手だろうな」


 少しだけ足を止める。

 そして窓からグラウンドへと目をやり、すうと双眸を細めて――。


「どれ。我が宿敵を退屈させないためにも、私も色々と用意しておくか」


 そう呟いて、ハワードは無邪気な子供のように笑った。

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