第105話 追跡者達③

 ――翌日の早朝。

 レイハート邸の庭園にて、その少年は一人、修練を積んでいた。

 槍が鋭く大気を貫き、そのたびに赤い髪が揺れる。

 そうして十分ほどかけて一通りの型を演じた少年はふうと息をついた。

 次いで槍の柄を少し捩じる。カシュと音を立て、彼の愛機の召喚器でもあるギミック付きの槍が短くなる。少年は腰のホルダーに槍を収めた。


「……アルフレッドさま」


 と、それを見届けたかのようなタイミングで、声が掛けられる。

 執事であるイアンの声だ。

 赤い髪の少年――アルフレッドは、呼気を整えた後、イアンに視線を向けた。


「待たせたかな、イアン」


「いえ。丁度今、参ったところです」


 と、告げてからイアンは真直ぐ主人の視線を受け止め、本題を切り出す。


「昨日、《死面卿》に襲われた少女の所在が掴めました」


「……昨日の今日でもう見つかったのかい?」


 アルフレッドは少し驚いた。

 昨日の夕方近く、部下から《死面卿》の一報を受け、アルフレッドは渋面を見せた。いかに黒犬兵団の優れた諜報力も見知らぬ土地では十全には発揮できない。約八十万人が暮らすこのパドロで一人の少女を見つけるのは至難の技であり、探し出すには一週間はかかるだろう。しかし、そうしている内にも幼い少女が危険に晒されるのだ。

 アルフレッドは苦渋の決断をした。


『……すまない。君達のプライドを傷付けるよ』


 もう誰一人とて犠牲者を出す気はない。

 アルフレッドは従者達のプライドを踏みにじることを承知の上で、地理に精通しているエリーズ国の騎士団へ協力を申し出るように指示を下した。

 従者の――仲間の誇りを傷付けるという真似をしてまで依頼したのだ。

 当然迅速なる成果を期待していたが、これは幾らなんでも早すぎる。


「エリーズ国騎士団の諜報部隊はそこまで優秀なのか?」


 唖然とした口調で、アルフレッドは呟く。


「いえ。どうやら今回は特別だったようです」


 すると、イアンは珍しく皮肉気な笑みを見せた。


「特別だって?」


 アルフレッドが眉根を寄せて尋ねると、


「はい。アルフレッドさまのご指示を受け、我々は現場に最も近い場所にいたアシュレイ将軍閣下の指揮下にある部隊に接触したのですが……」


 そこでイアンは深々と嘆息した。


「実はその場で少女の特徴を伝えたところ、件の少女はアシュレイ公爵家のメイド見習いの可能性が高いのではないかという話になりまして」


「……なんだって?」


 アルフレッドは目を丸くした。


「それって依頼した直後に身元が判明したってことかい?」


 流石に困惑する。保護すべき少女が判明するのは良いことなのだが、二、三日はかかるであろうと覚悟していただけに、拍子抜けしたような気分だ。


「はい。そうなります」


 それはイアンも同じ気持ちだった。


「昨晩の内にアシュレイ将軍閣下にもご確認いたしました。襲撃があったことも本人に確認が取れているそうです。件の少女の名はアイリ=ラストン。年齢は八歳。アシュレイ公爵家のご令嬢に仕えるメイド見習いでした」


 と、どこか疲れたような口調で報告するイアンに、アルフレッドも皮肉気に笑う。

 まさしく、灯台もと暗しとはこのことか。

 騎士団に協力を申し出た決断は大正解だったようだ。

 ここまで迅速に保護対象を確認できたのは本当に僥倖である。


「何はともあれ、少しホッとしたよ。これで後手回らずに済みそうだ」


 と、安堵の声を零すアルフレッドに、イアンも少しだけ表情を緩めて「はい」と同意するが、すぐに黒い執事は面持ちを鋭くした。


「それと他にもご報告があります。アルフレッドさま」


「他にも報告だって?」


 ――これ以上に重要な案件があっただろうか?

 キョトンとするアルフレッドに、イアンは真剣な面持ちのまま告げる。


「保護対象の少女の身元が判明すると同時に、《死面卿》を撤退させたという少年の方の身元も判明いたしました」


「――ッ! 少年の方も身元が分かったのか!」


 イアンの報告に、困惑していたアルフレッドの顔つきが鋭くなる。

 なにせ、報告によると戦わずにしてあの異能を持つ殺人鬼を撤退に追い込んだ人物。しかも自分と大差のない少年だったと聞く。

 ある意味、少女の安否に並ぶほどに気になる情報であった。


「一体何者なんだ? もしかしてその少年もアシュレイ将軍の関係者なのか?」


 アルフレッドの問いかけに、イアンは首肯して答える。


「はい。少年の名はコウタ=ヒラサカ。年齢は十五歳。エリーズ国騎士学校の一回生であり、アシュレイ家の住込みの使用人とのことです。……


「……含んだ言い方をするね、イアン。どういうことだい?」


 と、赤い双眸を鋭くして、アルフレッドは従者に問う。

 対し、イアンは「この情報はまだ裏付けが取れていません」と前置きしてから、


「これは私が直接アシュレイ将軍閣下よりお聞きした情報からの推測――個人的な意見になりますが、それでもよろしいでしょうか?」


「構わないよ。君の観察眼は鋭いしね」


 と、アルフレッドが首肯する。

 イアンは「分かりました。では」と話を切り出した。


「どうやら件の少年は、アシュレイ将軍閣下が自ら才能を見出し、英才教育を施した人物のようです」


「……へえ。それって将来の腹心ってことかな?」


 と、腕を組んで尋ねるアルフレッドに対し、イアンはかぶりを振った。


「いえ。扱いとしてはそれ以上かと思われます。アシュレイ将軍閣下のかの少年について語る口調はまるで我が子を自慢するかのようでした。アシュレイ家には男児がいないと聞きます。恐らく将軍閣下は件の少年を、いずれご息女の婿に迎え、自分の後継者に考えている模様です」


「……そうなのか」アルフレッドは少し驚いた。「その少年って使用人だって話だよね? 公爵家の後継者に貴族ではない人間を選んだってことかい?」


 イアンは「そのようです」と頷く。

 アルフレッドは「へえ」と再び小さな感嘆を零した。

 まさか、公爵家ほどの大貴族が平民を跡取りにしようとするとは……。


「それだけ優秀……ってことは間違いないか。《死面卿》を撤退させるぐらいだしね」


「はい。アシュレイ将軍閣下が惚れ込むほどの逸材ということだと思われます」


 と、告げるイアンに、


「……うん。中々興味深いね」


 アルフレッドは口元をわずかに綻ばせる。

 自分と同世代であり、四将軍の一人が惚れ込んだ逸材とは実に興味深かった。


「今から会うのが楽しみだよ」


「ええ、私も個人的に楽しみにしております。それとアルフレッドさま」


 一拍置いて、イアンはさらに告げる。


「件の少年と少女ですが、実はリーゼさまと面識があるとのことです」


「ッ! そうなのか」


 アルフレッドは軽く目を剥く。ここでもう一人の公爵令嬢の名前が出てくるとは思わなかったが、すぐに両腕を組んで考え直す。


「……いや、二人ともアシュレイ家の人間だし、少年の方に至っては騎士学校にも通っているのなら、むしろリーゼさまと面識がある方が自然なのか」


「はい。仰る通りかと。これもまた僥倖でした。おかげで彼らとのコンタクトが容易になりましたから」


 と、返答してから、イアンは姿勢を正す。

 そして、


「それではアルフレッドさま。最後のご報告があります」


「……何だい、イアン」


 アルフレッドは真剣な顔つきで従者を見やる。

 すると、イアンは胸に片腕を当てながら深々と頭を垂れ、


「唐突で申し訳ありませんが、アルフレッドさま」


 若き主人に、これからの予定を告げる。


「ご準備のほどをよろしくお願い致します。本日十三時より、リーゼさまがアシュレイ家の本邸までご案内してくださいますので」

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