第106話 追跡者達④
ガラララ、と車輪の音が鳴る。
時刻は昼の一時を少し過ぎた頃。休日のため、人通りが多い賑やかな歩道を横に一台の馬車が走る。白を基調にした外装に、三頭の馬が引く豪勢な造りの馬車だ。
八人は乗車できるサイズの馬車のキャビンには現在、四人の人物が乗っていた。
アルフレッドとイアン。
そして、レイハート公爵家のご令嬢――何故か騎士学校の制服を着ているリーゼ=レイハートと、彼女のメイドであるシャルロット=スコラだ。
四人は向かい合う状態で設置されている長椅子に、アルフレッドとイアン。リーゼとシャルロットに分かれて座っていた。
馬車が走り出してすでに五分。
しかし、その間、彼らは一言も会話をしていなかった。
と言うよりも、話を切り出せないでいたのだ。
女性陣の放つ雰囲気が途轍もなくおっかないからである。
なにせ、出会った時から無表情であることが多かったシャルロットだったが、今はさらに無愛想な表情を浮かべているし、『淑女』を体現していたようなリーゼの方でさえ明らかに不機嫌だった。流石に態度や顔にこそ露骨に出すのは控えているようだが、かなり苛立っていることがまだ付き合いの短い男性陣でも分かる状況だ。
正直、空気が重い。
「(……これは相当ご機嫌斜めだね)」
と、アルフレッドが少し頬を引きつらせながら、小声で従者に語りかける。
「(穏やかで礼儀正しいリーゼさまがここまで不機嫌になるなんて、もしかしてご予定とかがあったんじゃないか?)」
「(いえ、ご予定はないとお聞きしていたのですが……)」
イアンも小声で答える。その声は少し困惑していた。
「(察し切れなかったのかもしれません。本当は大切な御用があるところを、無理を通して予定を空けて頂いた可能性が……)」
「(う~ん、それはありえそうだ……)」
と、アルフレッドがわずかに苦笑を浮かべた時だった。
「……アルフレッドさま」
不意に、リーゼ本人が語り始めたのだ。
アルフレッドとイアンは顔にこそ出さなかったが、一瞬心臓が跳ね上がった。
が、リーゼは彼らの心情には気付かず、神妙な声で言葉を続ける。
「……本当に」
真剣な眼差しで、少女はアルフレッドを見据える。
「本当に、アイリは無事なのですよね……?」
「…………え」
その問いかけに、アルフレッドは少し困惑した。
対し、リーゼの表情は真剣そのものだ。隣に視線を向けてみると、従者であるシャルロットも同じような表情でこちらを見つめている。
そこで、ようやくアルフレッドとイアンは理解した。
「……リーゼさま。あなたは……」
要するに彼女達が不機嫌だったのは、襲撃された少女の身を案じ、焦燥に駆られていたからだったのか。件の少女は彼女達と面識があると聞いている。加え、リーゼはアシュレイ家のご令嬢と友人であるとのこと。襲撃されたと聞いて心配するのも当然だった。
(そういうことだったのか……)
納得すると同時に、アルフレッドはこの少女に好感を抱いた。
貴族――それも公爵家ともなると、古めかしい選民思想を持つ傲慢な人間も多いが、彼女は正しい倫理観と、優しさを持った人物であると確信する。
同時に反省した。これは配慮が足りていなかった。
「……顔見知りの少女が襲撃されたと聞けば、身を案ずるのは当然のことでした。あなたのお心を察することが出来ず、申し訳ありません」
アルフレッドは軽く頭を垂れた。
それから、少し驚いた顔をするリーゼとシャルロットに視線を向けて告げる。
「ご安心ください。リーゼさま。スコラさん。ラストンさんにお怪我はないそうです。アシュレイ将軍閣下のお話では、すでにアシュレイ家の本邸には選りすぐりの騎士達が警護につき、私の部下も周辺に配置させています。彼女の安全は保証いたします」
「………そう、ですか」
リーゼは少しホッとした表情を見せた。
シャルロットの方もわずかに表情から険しさが消えた。
「まあ、襲撃の件には動揺しましたが……」
そこでリーゼは耳にかかる自分の横髪を一房掴む。
「そもそもコウタさまがその場にいらっしゃったのでしたらアイリが怪我をすることなどありえませんね。無用な心配でしたか」
と、独白するように呟いた。
アルフレッドは眉根を寄せた。
(……コウタさま?)
イアンからも聞いた、アシュレイ家の後継者と目される少年の名前だ。
確かその少年とも、リーゼは面識があると聞いている。しかし件の少年は、現在はただの使用人のはず。公爵令嬢であるリーゼが『さま』付けで呼ぶのは違和感がある。
しかし、少し考えて……。
(――いや、リーゼさまは、アシュレイ公爵家のご令嬢の友人だと聞くし、その内情にも詳しいのかも……)
と、思い直す。彼女はすでに件の少年がアシュレイ家の次期当主であると知っているからこそ『さま』付けで呼んでいるのかもしれない。
アルフレッドは少し探りを入れてみることにした。
「……コウタ、さまですか? 《死面卿》の襲撃時にいた少年の名前ですね。リーゼさまは彼とも親しいのですか?」
そう尋ねると、リーゼはこくんと頷き、
「ええ。彼とはクラスメートですの。騎士学校始まって以来の『天才』にして、最近では『怪物』や『悪竜王子』とも呼ばれる殿方ですわ」
「そ、そうですか……」
後半は何やらイジメにでもあっていそうな呼称だ。
『怪物』の方はまだしも『悪竜王子』とは一体何なのか。
悪意さえ感じる呼び名だ。何故そんな名前になったのか気にはなるが、とりあえずアルフレッドはもう少し踏み込んでみることにした。
「なるほど。とても優秀な少年なのですね。ああ、そう言えば……」
アルフレッドはリーゼの心情を探るように見据える。
「その少年は、今はアシュレイ家の使用人ですが、将来的にはアシュレイ家のご令嬢とご結婚されて公爵家を継ぐ、という噂を聞いた…………リーゼさま?」
言葉の途中でアルフレッドは眉根を寄せた。
何故なら、リーゼの顔色がみるみる青白くなっていったからだ。
「リ、リーゼさま? どうされましたか?」
アルフレッドが不安にそうに尋ねる。と、
「な、何を仰っているのですか!」
リーゼは勢いよく立ち上がった。
「コウタさまはあくまでアシュレイ家の使用人ですわ! メルティアと、ここ、こここ婚約なんてお話は……」
そこで、じわりとリーゼの目尻に涙が溜まり始める。アルフレッドは勿論、これまで主人のやり取りを静かに見守っていたイアンまで唖然とした。
「あうゥ、婚約なんて……こないだはリノという少女にも遅れを取りましたし……やはりわたくしはかなり出遅れているのでしょうか……」
青ざめた顔で床を見つめるリーゼ。
重い空気が馬車の中を満たす。いきなり落ち込み始めた少女に、アルフレッド達はかける言葉もなかった。と言う以前に、今の状況がよく分からない。
「お嬢さま。少し冷静に」
するとその時、初めてシャルロットが口を開いた。
「それは想定内のはずです。たとえアシュレイ公爵さまが婚約を持ちかけてもヒラサカさまの性格ならば『恩義に反する』と言って、そう簡単には受け入れないでしょう」
「た、確かにその通りですが……」
リーゼは泣き出しそうな顔で従者を見やる。
「まだまだ挽回は可能です。臆せず積極的に臨むのです。殿方を落とすコツは何よりも積極的であることなのですよ」
男性と付き合ったことが一度もない事実はおくびにも出さず、シャルロットは学生時代に友人から聞いた知識を、さも体験談のように語る。
「リーゼお嬢さまは決してメルティアお嬢様にも劣りません。自信をお持ち下さい。ライバルと言っても、まだたった三人ではありませんか」
それこそ自分に比べれば、まだまだ小規模な勢力だ。
かつての頃を思い出し、内心で溜息をつくシャルロット。
「そ、そうですわよね……」
が、そんな少しだけ落ち込む彼女をよそに、シャルロットの言葉は、リーゼに力を与えたようで少女の瞳に輝きが戻ってくる。
「以前お会いしたサラさんも仰ってました。諦めない限り、挽回は可能だと!」
「ええ、その意気です。お嬢さま」
サラという人物の事は初めて聞くが、とりあえず覇気を取り戻した主人に安堵し、シャルロットは首肯する。それから未だ沈黙を続ける男性陣へと目をやり、
「お騒がせして申し訳ありません」
「え、いえ、お気になさらず。まあ、何と言うか……」
アルフレッドは顔を強張らせて言う。
「その、色々と分かりましたから」
その台詞を境にリーゼは再び長椅子に座り、キャビンには静寂が訪れた。
馬車は彼らを乗せて進む。
アルフレッド達が、アシュレイ家の本邸に到着したのはこの十分後だった。
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