第68話 巡り会い②

 そして、およそ三十分後。

 すでにコウタには一切の余裕はなく、ガチガチに緊張していた。

 彼の隣には、コウタの腕をしっかり掴んで満面の笑みを浮かべるリノがいる。

 そこは人通りがまだ少ない路地裏。大通りに続く道だ。


(ど、どうしてこうなったんだ!?)


 全くもって意味が分からない。

 自分はただ、メルティアのためにデートの下見をしていただけなのに。

 それが何故か見知らぬ少女とデートする流れになってしまっている。


(しかもこの子、明らかに普通じゃないし……)


 コウタは、ちらりと隣の少女に目をやった。

 リノ=エヴァンシード。

 名前以外は一切何も知らない少女。

 しかし、只者でないことだけはよく分かる。

 今もコウタに甘えているように見せかけて、きっちり彼の腕を拘束している。高度な技術で関節を固定しているのだ。こうも完全に極められていては、コウタが力尽くで振り払おうとしても容易ではないだろう。

 コウタは確信していた。彼女は生半可ではない戦闘術を会得している。

 こんな尋常でない少女が一般人であるはずがない。


「なんじゃ? コウタ。わらわのことが気になるか?」


 その時、リノがコウタを見上げてそう言った。

 彼女の顔には、親愛の笑みが浮かんでいた。

 ちなみにリノの身長はメルティアと同じぐらい。同年代よりも小柄だ。そのためか、どうもメルティアの姿がリノに重なって、コウタは強く出られないでいた。

 特にこんな無邪気な笑顔を見てしまうと、リノに対しついつい甘い顔をしてしまいそうになるが、コウタは表情を引き締め直した。


「君は何者なんだ? ただの旅行者なんかじゃないだろ?」


 と、鋭い声で尋ねる。

 すると、リノはクスクスと笑い、


「女の過去を聞くなど無粋じゃぞ。だが、そうじゃのう」


 そこで彼女は魔性を秘めた紫色の双眸で、コウタの瞳を覗き込む。

 そして警戒する様子もなく、少年の顔に近付き――。


「どうしても知りたくば、力尽くでわらわを自分のモノにするがよい。わらわ自身を賭けて決闘といこうではないか」


 と、少女は耳元で囁くように告げる。

 それから、クスリと笑い、


「なに。いかなる手段を用いても構わんぞ。そして、わらわがお主の女になった暁には、わらわの素性をすべて教えよう」


 その幼いはずの声には、まるで娼婦のような艶やかさを宿していた。

 将来は間違いなく傾国の魔女。末怖しさを感じさせるほどの妖艶さだ。

 ――いや、今の時点でもその色香は驚異的である。

 リノは瞳を細めて笑うと、数多の男を惑わせてきた肢体を少年の身体にさらに強く押し付けてきた。豊かな双丘は右腕に、華奢な両足は彼の足に絡めるように寄せる。

 少年の身体が、わずかに硬直するのを少女は感じ取った。


(ふふ、さあ、どう出る。コウタよ)


 柔らかな頬を少年の肩に当てたまま、リノは内心で笑う。

 彼女は自分の生まれ持った魔性を、誰にも教えられることもなく理解していた。

 ここまで挑発すれば経験上、大抵の男は暴走していた。誰も彼もが昨日の騎士見習いの少年達のように、リノを手に入れようと力に頼って襲ってきたものだ。

 無論、望みもしない男に、抱かれる気など毛頭ない。

 それどころか、これまで唇さえ誰にも許したこともない。所詮これは傾国の雛鳥の『お遊び』だ。リノはただ、この状況を楽しんでいるだけだった。

 襲って来るのならば、ねじ伏せればいい。今までずっとそうしてきた。

 そして、このひと気がほとんどないような路地裏であえてコウタを挑発したのは、リノがこの少年の『本気』を見てみたくなったからだ。

 ――そう。初めて自分の目に適った少年の『全力』を知りたくなったのである。


(人は『欲望』を剥き出しにした時こそが最も強い)


 それがリノの信念だ。

 すぐにこの少年も、心に宿す『欲望』を見せてくれるに違いない。

 リノはそう確信していた。

 そして彼女はコウタの顔を見やり――。


「いや、あのね、リノ」


(………ん?)


 リノは少しだけ片眉を上げた。

 そこには、ムッとした表情を見せる少年の姿があった。

 コウタの表情を、リノはまじまじと凝視する。

 こんな反応は初めて見るモノだった。彼の黒い眼差しは全く正気を失っておらず、どこか怒りのようなモノが感じられる。

 これは一体どういうことか。

 思わず彼の右腕を掴む力を緩め、リノは眉根を寄せて困惑する。

 どうして彼がここまで不機嫌そうな顔をしているのかが理解できない。

 いや、そもそも、この少年は自分に対して何の劣情も抱いていないのか……?

 リノは不審に思い、少年から少し離れようとした。

 すると、コウタは小さく嘆息し、リノの両肩をグッと強く掴んだ。


「ぬ! お、お主、何をする気じゃ!?」


 と、威嚇しつつも、体を抑えられたため反射的にリノは背筋をピンと立たせた。

 彼女の美麗な顔に、初めて相手を警戒するような表情が刻まれる。そこにいたのはすでに少女ではなく、敵を見定めようとする一人の戦士だった。

 しかし、そんな戦士の顔つきになった少女に対し――。


「あのさ、リノ」


 この上なく沈痛かつ真摯な声で。

 コウタは、やれやれとかぶりを振って告げるのだった。


「いきなりなんて事を言うんだよ。そりゃあ君が強いのは何となく分かるよ。けど、女の子がそんな台詞を言うのはどうかと思うよ」


「い、いや、コウタよ?」


 リノは表情の色を、警戒から困惑へと変えた。

 この展開は一体何なのだろうか。状況がよく分からない。

 だが、そこでリノはふと思い至る。


(いや待て。分かってきたぞ。まさか、こやつは……)


「……いや、やっぱりここは、はっきりと言うべきなのか」


 わずかに視線を落として、コウタ真剣な顔つきで独白する。

 そして数秒後、困惑するリノを真直ぐな視線で見据えて語り始めた。


「いいかいリノ。そんな台詞は絶対に言っちゃダメなんだ。いつか本気にする人間が出てくるよ。君がいくら強くても本当に手段を選ばない連中が現れたらもう遅いんだ」


「い、いや、え……?」


 両肩を強く掴まれたまま、リノはただただ唖然とした。

 ここまで聞けば、流石に確信する。

 ――要するにこれは説教なのだ。いわゆる『お説教』というやつであった。

 この少年は、彼女の魔性には一切惑わされず、生真面目にも説教をし始めたのだ。

 しかも、ただの説教などではない。


「リノは凄く魅力的だよ。その髪も。何もかもがとても綺麗だ」


 いきなりそんな事を告げられ、リノの鼓動がわずかばかり跳ね上がった。

 もう聞き慣れた台詞だが、彼の口から聞くと何故か別の言葉のように思える。

 どこか新鮮で――何よりも


(……う、うぬう)


 それを認識すると、リノの白いうなじが少しだけ火照ってきた。

 そんな中、コウタの言葉はまだ終わらない。


「君を抱きしめたいと思う人間はきっと大勢いるよ。多分、手段を選ばない人も。正直ボクだって君に傍に寄られるとかなりドキドキしている」


 と、そこで一拍置く。それがまた絶妙なタイミングだった。

 リノは次の言葉を待ち、知らず知らずの内に視線をコウタの顔に向けていた。

 同時に彼もまた、リノの瞳を見据える。

 すると、彼女は少年の黒い瞳から目を離せなくなってしまった。

 それはまるで心が吸い込まれるような感覚だった。


「……あ……」


 リノはキュッと唇をわずかに噛みしめる。


(……こ、こやつは……)


 ――悔しい。不覚にも、話のペースは完全に彼のモノだった。

 たとえ今はまだ雛鳥だとしても、傾国の魔女としてはとんでもない失態だ。


「いいかい。君はもっと自分を大切にするんだ」


 が、そんな心情に反して少年の言葉が、リノの心に深く浸透していく。

 耳朶を打つ少年の声が、どうしようもなく心地良い。

 リノはただ静かに少年を見つめた。コウタの表情は真剣そのものだった。

 心の底から出会ったばかりの――それも内心では警戒しているはずの少女の身を心配していることが、ありありと伝わって来る。

 リノは何も言えなかった。

 コウタは、さらに彼女の肩を掴む手に力を込めて告げる。


「リノ。よく聞いて欲しい。たとえ冗談だとしても、今後はあんな挑発するみたいな真似はしちゃいけない。自分を危険に晒すような真似は絶対によすんだ」


 恐らく承諾するまで、少年に手を離す気はないのだろう。

 間近で見る黒髪の少年の顔に、ガラにもなく彼女の心音が高鳴ってくる。


(ぬ、ぬうぅ……)


 全身を強張らせて、リノは内心で呻いた。

 このままでは非常に危険だ。もしもこの状況がこれ以上長びくともなれば、恐らくどうしようもないほどの深みにはまる。彼女の直感がそう告げていた。

 そんな今までにない危機感を抱きつつ、リノはこの状況を回避するため、とりあえず「あ、あい。分かった」と、コクコクと頷いた。

 すると、コウタは安堵するように口角を崩した。事実、安心したのだろう。

 そして彼女の肩からようやく手を離し、


「ほら。街を案内するから付いてきて。だけどね、二度とさっきみたいな台詞は言わないこと。それが案内をする条件だからね」


 そう言って、少年は一人、先に歩き出した。

 一方、リノはその後ろ姿を、唖然とした表情で見据えて――。


「…………ふ、ふぅ」


 未だドキドキする胸を片手で押さえ、大きく息を吐いた。

 まさか挑発した結果、真正面から口説かれるとは思いもよらなかった。

 とは言え、恐らくコウタ自身には口説いたような認識は全くないだろう。本気でリノの危うい言動を心配して、ただ本気で説教をしただけにすぎない。

 しかし、その効果たるや――。


「……ぬ、ぬう。あれが噂に聞く『天然たらし』という奴なのか」


 リノは小さく呻く。何人かの知り合いから噂程度には聞いていたが、まさか実在するとは思わなかった。多くの傑物を知る彼女にして、初めて出会うタイプの人間だ。

 そして話通りの人種でもある。

 彼女の心は、とくんとくんと初めて感じるような淡い感情に満ちていた。

 これもガラではない。自分はそんなウブな乙女ではないのだ。


「……ふん。お主は面白い男じゃな」


 と、長い髪をかき上げ、ふてぶてしい仕種で呟くリノ。

 ただ、呟いた声が少し上擦っていたのは、彼女だけの秘密である。

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