第三章 巡り会い
第67話 巡り会い①
週の半ば。その日は久しぶりの祝日だった。
エリーズ国の建国記念日。
めでたい日ではあるが、特にお祭りなどもなく飲食店や露店、雑貨店も普段通り店を開いている。唯一違う点があるとすれば、学校が休校になるぐらいか。
しかし、それこそが一番重要だった。
この日は、コウタにとって実にありがたい日になった。
おかげで今週の休日に予定している『デート』の下見が出来るのだから。
(う~ん、どうしようかな……)
メモとペンを片手にコウタは悩む。
ちなみに彼は今、学校が休みだと言うのに制服を着ていた。
何だかんだでこの服は便利なのだ。
意外なぐらい通気性や機能性も高く、何よりも着ているだけで身分証にもなる。よって彼は、普段から長期休暇中以外は制服を愛用していた。
ともあれ、コウタは店舗の並ぶ大通りを歩きながら、ボリボリと頭をかいた。
「デートなんて初めてだし、そもそもメルはあの鎧を着ないとダメだしなぁ」
実は、それが一番の問題だった。
コウタの予算で出来る『デート』の内容は、かなり限られている。代表格を挙げると『食事』『演劇』『ショッピング』『公園とかで散策』などだ。
だが、その内、まず『食事』についてだが、人前であの鎧を脱げないメルティアには不可能だ。そして『演劇』と『ショッピング』については、あの巨大な体格では他の客に多大な迷惑をかけるのは容易に想像できる。
きっと、どの店員もひきつった笑顔を見せてくれるだろう。
あえて入店できるとしたら『鎧機兵』を販売するような工房だけだが、そこは女の子を連れて入る店なのだろうか? まあ、メルティアならば喜びそうではあるが。
「う~ん、一応候補には挙げとくか」
コウタはメモに『鎧機兵の工房』を記載する。
それから、あまりの選択肢の少なさに脱力し、小さく嘆息した。
結局、無難なところでコウタ達に出来そうなのは『公園とかで散策』ぐらいだった。
「……地味だなあ」
思わず素直な感想が零れる。
こんなことでメルティアは楽しんでくれるのだろうか。
コウタは足を止めて眉をひそめる。
しかし、いくら考えても良いアイディアは出てこない。もっと予算があれば、他にも手段はあるのだが、今はコウタの出来る範囲で対応するしかなかった。
「仕方がない。せめて散策できるようなスポットを見て回っておこうかな」
コウタは顔を上げ、思考を切り替えた。
メルティアは基本的に引きこもりだ。この街についてはコウタよりも疎い。
見知らぬ場所を巡ることは、案外面白いかもしれない。
そう前向きに考えることにした。
「出来れば人が少ない方がいいかも。メルはまだ人混みは苦手だし」
言って、コウタは大通り脇の路地に入る。
緩やかに続く狭い坂道。この先の高台には、とても小さな公園があって王都パドロを一望できる。意外と知られていない穴場だ。
ゆっくりとした足取りで、コウタは坂道を登っていく。
途中には階段もあり、コウタは鉄製の手摺に掴まりながら進んでいった。
それから五分ほどが経過して、ようやく公園に辿り着く。
落下防止用の木製の柵しかない森の中の広場のような場所。
そこでコウタは軽く目を剥いた。
(……あれ?)
珍しく公園に先客がいたのだ。
そこにいたのは、一人の少女だった。
蒼いドレスに、緩やかにウェーブのかかった、背中まである淡い菫色の髪。頭の上では少し跳ね上がっている。コウタは一瞬、彼女はメルティアと同じ獣人族の血を引くのかと思ったが、どうやらあれは癖毛のようだ。後ろ姿のため、正確には分からないが、年の頃はコウタと同じぐらいだろうか。
彼女は柵に寄りかかり、眼下の街の光景を眺めている。
何やら物想いに耽っているようにも見えた。
(これは邪魔しちゃ悪いかな?)
そう思い、コウタは静かにこの場から立ち去ろうとした。
と、その時だった。
「……ん?」
そう呟き、振り向いた少女の姿に、コウタは一瞬ドキッとした。
後ろ姿から美人かなとは思っていたが、彼女の容姿が想像以上に美しかったからだ。
細い眉に、紫水晶を彷彿させる紫色の瞳。
年齢は――やはりコウタと同じぐらいだったか。しかし、そのプロポーションは明らかに年齢離れしている。メルティアにも匹敵するほどのスタイルだった。
思いがけない美少女との遭遇に、コウタは少し唖然とした。
すると、少女はまじまじとコウタを見据え――少し不快そうに柳眉をしかめた。
「……なんじゃ。今日もまた騎士見習いか」
と、やけに古風な口調で少女が呟く。
どうやらコウタの格好から、騎士学校の生徒と気付いたらしい。
それが何故、眉をしかめるような結果に繋がるのかまでは分からないが。
少女は疲れ切ったように小さく嘆息し、
「今のわらわは機嫌が悪い。早く立ち去れ。さもなくば………ん?」
そこで再び整った柳眉を動かした。
ただし、先程の不快そうなモノではない。興味を抱くような表情だ。
「……ほほう。これは」
と、菫色の髪の少女が、あごに指を当て呟く。
続けて彼女は特に警戒するようなそぶりもなく、無造作にコウタの傍まで近付くと、まじまじと彼の様子を窺った。
「……あ、あの……?」
一方、コウタは困惑するだけだった。
彼女は身を乗り出すようにコウタを吟味している。どうにもその仕草は無防備であり、時折大きな胸元などが視界に入ってコウタは霹靂してしまう。
と、そうこうしている内に、少女は「おお……」と感嘆の声を上げて、いきなりコウタの両頬をそっと両手で挟んだ。
その紫色の瞳は、どうしてか爛々と輝いている。
「ちょ、ちょっと君、いきなり何を……」
と、少しばかり冷たくはあるが、柔らかい少女の掌にドギマギしつつも、コウタが抗議の声を上げようとした時、
「お主、相当な手練れじゃな」
艶やかな微笑みと共に、少女がそう呟いた。
「筋肉の付き方が理想的じゃ。しかも今こうしていても姿勢が崩れない。動揺しておるようで心奥ではしっかり警戒しておる。恐らくすでに実戦も経験しておるな」
そんな風に評価され、コウタは軽く目を剥いた。
が、すぐにその黒い瞳は警戒の色を帯びる。
目の前の少女の言動が危険なものだと感じたからだ。
直感が警鐘を鳴らしていた。この少女は油断できない存在だと。
そして、コウタはすっと少女の右手首を掴み――。
「君は……何者だ?」
と、淡々とした声で告げる。彼の表情には普段の温厚さはない。
あるのは研ぎ澄まされた刃のような鋭さだけだ。
が、それに対し、少女は「ふふっ」と笑い、
「わらわの名はリノ。リノ=エヴァンシードじゃ」
穏やかな声でそう名乗った。それから、おもむろにコウタの頬から片手を離し、
「して騎士見習い。お主の名は何と言う?」
紫色に輝く眼差しでしっかり見据えて、そう尋ね返す。
「…………」
コウタは一瞬沈黙した。
この妖しすぎる少女に、素直に名前を告げていいものなのか。
少しだけそんなことを躊躇うが、すぐに決断する。
相手はすでに自分の名を名乗っている。ならば名乗り返すのは当然のことだ。
こちらだけそれを拒むのは、騎士にあるまじき行為である。
「コウタだよ。コウタ=ヒラサカだ」
少女の片腕をしっかりと捕えたまま、コウタは名乗りを上げた。
二人はそのまま姿勢で、しばし見つめ合った。
緑の匂いを運ぶ強い風が、公園に吹く。
そうして緊張感が、限界まで張り詰めた時、
「……ふふ」
不意にリノが笑みを零した。
対し、コウタはますます警戒する――が、
「そんなに強く掴むでない。流石に痛みを感じるぞ」
少女にそう指摘され、ハッとする。
確かにコウタは、ずっと彼女の腕を掴んだままだった。
その手の力は緊張感から、かなり強くなっている。
いかに危険な予感のする相手といえど、小柄な少女相手に扱う力でなかった。
事実、彼女の細腕は少しだけ赤くなっている。
「…………」
コウタは少し迷ったが、結局、彼女の手首の拘束を離すことにした。
すると、リノは「ようやく離してくれたか」と呟いた後、
「……ふむ。しかし、よくもまぁやってくれたのう」
と、わずかに赤くなった自分の右手首を一瞥し、柳眉を寄せる。
「まったく。礼儀知らずの小僧め。この程度とはいえ、わらわの身体に他者の証を刻むことなど本来ならば許されぬことなのじゃぞ」
そんなことをブツブツ呟く少女に、コウタは渋面を浮かべた。
「いや、証を刻むって……ただ腕を持っていただけなんだけど?」
確かに、若干力を込め過ぎた感はあると思うが、所詮は少し赤くなる程度。時間が経てばすぐにでも消える、アザにもならないような跡だ。
この少女に警戒していることもあって、コウタは少し不満げにそう呟いた。
すると、リノはムッとした表情を浮かべた。
「何を言うか。どうやらお主は、わらわを傷つけるという行為がどれほど罪深いことのか分かっておらぬようじゃな」
そう言って少女は、すっと歩き出した。
あまりにも自然体な歩法だったため、コウタは思わず警戒を緩めてしまった。
そして「……ほれ、隙ありじゃ!」とリノが声を上げた。同時に、むにゅうとコウタの右腕に何か途轍もなく柔らかいモノが押しつけられ、そのまま拘束される。
「…………えっ?」
コウタは一瞬キョトンとするが、
「ええっ!? う、うわっ!?」
コウタの腕を捕えて傍に寄りそうリノに、驚きの声を上げた。
「ちょ、な、何を!?」
言って、コウタはリノを引き剥がそうとするが、がっしり右腕を豊かな双丘と細い腕で極められていてビクともしない。と言うよりも、腕の動きに合わせて柔らかすぎる物体が変化して離れないと言った方が正確か。その落ち着かなくなるような感触と、甘い花のような香りに、コウタの心臓が嫌でも高鳴った。
続けてリノは、ぎゅうっと動揺する少年をさらに強く拘束して、
「わらわの新雪のごとき肌を傷モノにしたのじゃ。それなりの代価は払ってもらう。これよりお主がこの街を案内せい」
そんな要望を告げてくる。コウタは目を丸くした。
「ええっ!? なんでボクが!?」
「ん? なんじゃ? なんならこれから詰め所に行ってもよいぞ? この赤くなった手を見せ、お主に暴行されたと訴えることも出来るのじゃぞ?」
「何それ!? なんて露骨な脅迫を!?」
コウタは愕然とする。いきなりの大ピンチだった。
一方、圧倒的に優勢な立場にいるリノは、すっと目元を緩めて告げる。
「そう案ずるな。わらわは少しばかりこの異国の地で『デート』気分を味わいたいだけなのじゃ。これと言った他意はない。お主はただ、わらわの目に適っただけじゃ。少なくとも案内人程度にはの」
そこで少女はにこっと笑い、
「訴えなどせん。代わりにしばし付き合え。それぐらいよかろう?」
そう言って、柔らかい体をますます押しつけて来た。
コウタの顔がみるみる赤くなっていく。
(う、うわ、柔らか……まるでメルみたい――じゃなくて!)
リノはスタイル、顔立ち共に極上の美少女だ。
いかに鈍感王たる彼であっても、こうも密着されれば緊張してしまう。
それに加え、コウタは少しだけこの少女の癖のようなものを察し始めていた。
余程、自分の存在に揺るぎない自信があるのか。それとも、あえて危険な状況を作ることで楽しんでいるのだろうか。
いずれにせよ、この少女は時々酷く無防備になるのだ。
今も初対面の異性に対し、警戒心がなさすぎる。
(この子は一体、何者なんだ?)
思わず眉をひそめるコウタ。
が、そんな少年の思惑をよそに、リノは無邪気な笑みを浮かべて宣言した。
「さあ、わらわを案内せよ! 参るぞ! コウタよ!」
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