第66話 前途多難な少年③

 ――同時刻。

 その少女は一人、森のような公園の中にいた。

 王都パドロのほぼ中央に位置し、特に柵のような地区分けをする敷居もなく、街の景観と一体化したような場所。

 そこに設置された石畳の歩道には、多数の長椅子も設置されており、その一つに彼女は腰を掛けていた。


(……ふむ)


 蒼いドレスを纏う少女は、抜群のプロポーションを隠すそぶりもなく大胆に足を組みつつ周囲に目をやった。それに合わせて菫色の髪が微かに揺れた。

 周囲には道を歩く男女の姿。長椅子も歩道も多くの恋人達で賑わっている。

 しつこい従者をどうにか撒き、気の向くまま散策して入り込んだこの公園だったが、どうやらここはデートスポットだったらしい。

 見目麗しい容姿と言えど、一人身の彼女としては何とも場違いな場所だった。


「入る場所を誤ったか」


 そう呟き、彼女は立ち上がった――と、その時だった。


「やあ、そこの君! 何やら暇そうだね!」


 やけに軽快な言葉で声をかけられた。

 いきなり暇人扱いされて、彼女はムッと眉をしかめる。

 そして不機嫌な顔で声のした方に視線を向けた。

 そこには二人の少年がいた。彼女より少しだけ年上だろうか。腰に短剣を差し、黒い騎士のような格好をした少年達だ。


「……なんじゃ、お主らは?」


 少女は不機嫌な様子のままそう尋ねる。

 対し、軽薄そうな面構えをした少年達は、まじまじと少女の容姿を見やる。

 全く遠慮のない不躾な眼差しだ。少女はますます不快そうに眉をしかめる。

 しかし、制服らしきモノを着た少年達は、そんな少女の様子など一切気にもかけず、ボソボソと男同士だけで会話をし始めた。


「(おいおい、こいつはすげえな! 大当たりだぞ!)」


「(ああ、見た目は俺らより一個下ぐらいか。マジですげえ……こりゃあ一回生のレイハート級の美少女じゃねえか!)」


 と、少年達は揃ってにやけた顔を浮かべる。

 彼らはエリーズ国騎士学校の二回生の生徒だった。たまたま学校の帰りにこの近くに寄った時、一人で歩く彼女を見かけ、声を掛けたのはまさに正解だった。

 間近で彼女の姿を見やり確信する。これほどの美少女は、全校生徒の中でも一番の美少女と噂されるリーゼ=レイハート以外、お目に掛けたことが無い。

 少年達は興奮気味に、さらに少女に声をかけた。


「あ、あのさ、暇なら俺らと一緒にこれから街へ遊びに行かないかい? 俺ら騎士学校の生徒でさ」


「別に怪しいことなんてしないしさ。楽しいとこを紹介するよ」


 と、逃してなるまいとでも考えたか、少女の行方を遮るように比較的大きな体格の二人は身振り手振りにそう語る。

 しかし、少女の方はそんな少年達を一瞥すると、


「………去れ」


 冷淡な声でそう告げた。


「わらわは弱い男に興味がない。お主らの立ち姿を見れば分かるぞ。これが仮にも騎士見習いとはな。エリーズの騎士とは随分と質が低いものだ」


 いきなりそんなことを言われ、少年達はムッとした表情を浮かべた。

 これでも嫌々ながらではあるが、日々訓練に励んでいるのだ。

 弱いと言われては癇に障る。


「……おい。てめえ、ちょいとばかり綺麗だと思って調子に……」


 と、元々短気な性格なのか、少年の一人が前に乗り出した。

 すると、その時だった。


「だが、そうだな。どうしてもわらわが欲しいというのならば……」


 不意に少女は妖艶に笑う。


「『欲望』の赴くまま、力でわらわを手に入れるとよい。もしお主らがわらわを組み伏せられるのならば、この体、いかように扱っても構わんぞ」


 彼女の声には、絶対の自負があった。

 だが、それは『少女』としては、あまりにも危うい台詞でもあった。

 少年達は一瞬キョトンとしたが、すぐにごくりと喉を鳴らした。

 それから改めて少女の肢体を凝視する。蒼いドレスに包まれた大きな双丘。引き締まった細い腰。艶めかしい太ももに、華奢でしなやかな四肢。

 この幼くして魅惑的な肢体を思うがままにしてよいというのか……。


「……ふふっ」


 その時、少女は自分の大きな胸を揺らして両腕を組む。

 彼女はこの状況をどこか楽しんでいた。自分が危機的な立ち位置にいるなど夢にも思ってもいない。その無防備さが、少年達の『欲望』をさらに刺激した。

 紫色の瞳が妖しく輝く。


「「…………」」


 そして彼らは、少女の魔性に魅入られたように、ジリと一歩踏み出した。

 すでに二人の正気は薄れており、騎士学校の生徒としてはあり得ないことに、周囲に人の視線があるにも拘わらず、短剣の柄に手を掛けていた。

 もはや彼らの目には、菫色の髪の少女の姿しか映っていなかった。

 そんな少年達を見やり、少女はふふっと笑う。

 続けて彼らの正面に立つと、すべてを受け入れるように両手を広げた。


「さあ、わらわが欲しいのだろう? いかなる手段を用いても構わんぞ。お主らの心奥にある『欲望』の力を見せてくれ」


 少女の声が森の公園に朗々と響く。

 と、同時に「「う、うおおおおおおッ!」」と少年達が雄たけびを上げた。

 公園にいた周囲の人々が、ギョッとして振り向いた。

 そしてその光景を目の当たりにして、さらに目を剥く。

 なにせ、そこでは騎士学校の男子生徒二人が短剣を抜いて可憐な少女に襲い掛かっているではないか。驚かないはずがない。


「お、おい!」


 近くの男性が慌てて止めようとした――が、それには及ばなかった。

 襲い来る短剣の刃を、少女が踊るようにかわしたのだ。

 さらに少女は少年の一人の腹部にそっと手を当てると、力強く踏み込んだ。

 それは打撃と言うより投げ技だったのか。大きな体格の少年はふわりと宙に浮き、そのまま石畳の上を何度も転がった。受け身も取れずかなり痛そうだ。


「う、うおおおおおおッ!」


 だが、その光景を見ても、もう一人の少年は怯まない。

 常軌を逸した眼差しで少女だけを見据え、短剣を右へ左へと振るう。服装こそ騎士ではあるが、それは完全に通り魔の姿だった。

 あまりにも無軌道な動きに、周囲の人間達も手を出せずにいた。

 すると、少女が「……やれやれ」と嘆息した。

 その美麗な顔立ちに浮かべる表情は、かなり疲れていた様子だった。

 全くもって期待はずれだ。一言で言えばそんな顔だった。


「『欲望』の力を借りても所詮は未熟者か。余興がすぎたな」


 そう言って、少女は音もなく加速する。

 続けて少年の懐に潜り込み、一人目の少年と同じように手を当てた。

 そうして少年は宙を舞い、手から外れた短剣がガランと石畳の上に落ちた。

 周囲の人間は、あまりにも一方的な決着に言葉もない。

 が、そんな中、勝利者たる少女は、


「……やれやれじゃな」


 呻きながらのたうち回る少年達に見向きもせず、天を仰いで独白する。


「一人で街を歩けばいつもこうじゃ。まったく。どいつこいつも雑魚ばかり。わらわの目に適う男は一体どこにおるのやら」



       ◆



「…………なに?」


 報告書に目を通していたアベル=アシュレイは、眉をひそめた。

 パドロの王城――イスクーン城の四階にある執務室。将軍のみに許された席に座る彼の眼前には、一人の女性騎士がいる。


「中央公園で騒動があっただと?」


「はい。アシュレイ将軍」


 と、女性騎士が答える。

 年の頃は二十代前半。薄い桃色の長い髪を太い三つ編みにして胸の前に下げている姿が印象的な彼女の名は、イザベラ=スナイプス。

 その優秀さから異例の昇進を果たし、今やアベルの副官を担い、さらには侯爵令嬢の地位も持つ才色兼備で知られる女傑だった。美麗な顔つきに常に刻まれた無表情ぶりから騎士団では『氷結の騎士』の異名で呼ばれる人物でもある。


「それは……例の連中の仕業か?」


 アベルは全幅の信頼を寄せる部下に問う。

 対し、イザベラはかぶりを振った。


「恐らくは違います。主犯は騎士学校に所属する二回生の二名。目撃者の証言ですといきなり短剣で少女に襲い掛かったそうです。幸い、負傷者も出ることなく騒動自体はすぐ終息したそうですが、証言では私情のもつれでないかと」


「……それはそれで厄介な事件だな」


 アベルは渋面を浮かべた。次代を担う騎士見習い達が、市井の少女に刃に向けるとはあまりにも情けない事件だった。正直目を覆いたくなるような心境である。


「その者達は後で厳罰だな。ともあれ『奴ら』ではないんだな?」


「はい。少なくとも陽動などの動きとは無関係の事件です」


 イザベラは氷のような冷たい表情で答えた。


「しかし、今回の事件は無関係でしたが、にこの王都に潜入している可能性は極めて高いと推測できます」


「………そうか」


 アベルは指を組み、天井を仰いだ。

 それから直立不動で構えるイザベラを一瞥し、次の指示を出す。


「スナイプス上級騎士。君の部隊は引き続き『奴ら』の動向を探ってくれ。このパドロであんな連中に好き勝手にさせるな」


「はっ。了解しました」


 言って敬礼をするイザベラ。それに対し、アベルは満足げに頷き、


「ああ、それと……」


 一拍置いて告げる。


「人員が足りない場合はすぐに言ってくれ。他の将軍にも私から増援を頼む」


 その言葉に、イザベラは少しだけ眉を動かした。

 極ささやかな変動ではあるが、どこか不満げなような感情が浮かぶ。


「アシュレイ将軍」


 そして彼女は淡々と進言する。


「あまり他の将軍閣下に救援を求めるのはどうかと。四将軍閣下は器の大きい方々ばかりですが、他の貴族の中にはアシュレイ将軍を快く思わない者もいます。そのような者達にとってアシュレイ将軍が弱みを見せるのはよくありません」


 アシュレイ家は公爵家と言えど、まだアベルで三代目の成り上がりだ。

 アベルが将軍職に就くのを快く思っていない輩は腐るほどいた。そして彼らは常にアベルを失脚させる隙を探っていた。

 イザベラは、それを心配しているのだ。


「相変わらず君は優しいな。スナイプス。だが、心配無用だ」


 アベルはふっと笑った。騎士団内では『氷結の騎士』など呼ばれているが、アベルは彼女が冷たい人間ではないことをよく知っていた。


「何よりも重要なのは民を守ることだ。それ以外にない。そのために誹謗中傷を受けるのならば、甘んじて受けてやるさ」


 と、決意を告げるアベルを、イザベラは真直ぐ見つめた。

 そして髪と同色の瞳で見つめたまま数秒後、「そうですか」と呟き、


「私は将軍のご意志に従います。ですが一つだけ。私はアシュレイ将軍の仰るような優しい人間などではありません」


 と、反論(?)する部下に対し、アベルは「ははっ、何を言うか」と笑った。


「こないだも折角の休日だというのに、私の娘に贈るプレゼント選びにわざわざ付き合ってくれたではないか。君は充分優しい人間だよ」


 と、事例を挙げて正論を告げるのだが、


「……いえ……」


 イザベラは完全に無表情になり、何も語らなくなった。

 そして何か不満でもあるのか、真直ぐな眼差しでアベルをじっと見つめ続けていた。

 いきなり無言になった部下にアベルは首を傾げた。


「ん? まぁいいさ。では任務の方は頼んだぞ。スナイプス上級騎士」


 名前を呼ばれ、イザベラは、ピクリとだけ表情を動かした。

 アベルに声をかけられて、ここが執務室であることを思いだしたようだ。

 彼女はすぐに恥じ入るように面持ちを鋭くして、


「……はっ、了解いたしました」


 そう応えると、イザベラは敬礼をし、執務室から退出していった。

 アベルは指を組み、義息子にも劣らないほど頼りになる部下を見送った。

 彼女に任せておけば『奴ら』の尻尾もいずれ掴めるだろう。問題はその後だ。

 アベルは椅子に寄りかかり、ふうと嘆息する。


「しかし、どうにもキナ臭いな。上手く事が運べいいのだが」


 そう呟く彼の声には、祈りにも似た響きがあった。

 だが、未来に関わる事ばかりは女神でさえも知り得ない。

 アベルの願いが叶うかは、誰にも分からないことであった。

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