第3部

プロローグ

第60話 プロローグ

 太陽が燦々と輝く午後一時。

 時節は『九の月』。その初旬。まだまだ夏の陽気さがはっきりと残る風の中を、豪勢な馬車が森を縦断するように設置された街道をゆっくりと進む。


「こんにちは」


 そこへすれ違った行商人風の一人の旅人が挨拶を交わす。馬車を操る御者も親愛の笑みを浮かべて「ええ、こんにちは」と返した。

 舗装こそされはいないが、街道はかなり広い。その後も数人の旅人がすれ違ったが、馬車は特に問題なく走っていた。

 そして、そんな穏やかな旅が二十分ほど続くのだが、


「…………ふう」


 不意に馬車のキャビンにて、一人の少女が溜息を零した。

 年の頃は恐らく十四歳ほどか。

 身長は同年代の少女達よりもかなり低く、背中まである淡い菫色の髪は緩やかに波打ち、獣人族のネコ耳を彷彿させるような癖毛が目立つ少女。さらに、宝石のように光輝く紫色の瞳を持っており、怖しく整った顔立ちが目を惹く少女でもあった。

 そして小柄な体格とは思えないほど発達したプロポーションを誇る肢体には、少し大きめのワンピース型の蒼いドレス。首には同色のチョーカーを着け、両足には紐付きの長いブーツを履いている。

 悩ましげに細い柳眉をひそめるその姿は、幼さの中にも妖しさを宿しており、どこか艶やかな気配を醸し出していた。

 そんな誰もが注目してしまうような雰囲気を放つ彼女は、


「何とも退屈じゃのう」


 随分と古風な口調でそう呟いた。

 続けて、馬車用にしては豪勢すぎるソファーに体を沈め、


「まだ街には着かんのか」


 今度は頬を膨らませる。彼女の視線は向かいに座る同乗者に向けられていた。

 年齢は三十代前半。黒い執事服を着込み、茶色い髪を首の後ろで縛った男性だ。

 ややこけた頬が、彼に鋭利な気配を纏わせていた。


「申し訳ありません。お嬢さま」


 男性は淡々と告げる。

 それから懐から懐中時計を取り出して一瞥し、


「もうしばしご容赦を。あと十分もすれば到着する予定です」


 事務的な様子でそう報告した。

 すると、少女は軽く目を瞠った。


「なんじゃ。もうそんな近くまで来ておったのか」


 言って、今度は華開くような満面の笑みを浮かべる。

 そして華奢な両足を大きく動かして、飛び跳ねるようにソファーから立ち上がると、御者台へと伸びるパイプ菅を手に取り、


「これ。聞こえるか?」


『……え? あ、お嬢さまですか?』


 いきなり声を掛けられ、御者が驚いた声を上げた。

 まさか、主人から直接声をかけられるとは思ってなかったのだ。


「お、お嬢さま? 何を……」


 執事服の男性も、主人である少女の行動に目を丸くした。

 対し、少女はふふんと笑い、


「ここまででよい。一旦馬車を止めよ」


『え? あ、はい。分かりました』


 突然の指示だが、主人の意向に逆らう訳にもいかない。

 馬車を引く二頭の馬は、嘶きを上げてその場に立ち止まった。

 すると、少女はキャビンのドアを勢いよく開け、馬車の外に飛び出した。

 それに対し、ギョッとしたのは執事服の男性だ。


「お、お嬢さま!? 何を!?」


 そう言って、男性も慌てて地面に降り立つ。

 続けて、街道以外には森が目立つ周辺を見渡すと、


「――お嬢さま!」


 何故か街道を歩き始めている主人に声をかけた。

 すると、少女は振り向き、


「馬車で残り十分ほどの道程。散策には持って来いの距離じゃろう」


 そう言って、ニカッと笑った。

 どうも彼女はここから街まで歩くつもりらしい。

 主人の突然の我が儘に執事服の男性は、やれやれと渋面を浮かべた。

 彼女はこうと決めたら絶対に曲げない人物だ。しかし、まさかここまで来て徒歩での移動になろうとは。もはや溜息しか出ない。


「……仕方がない。ここまででいい。お前は先に行ってくれ」


 と、男性は部下でもある御者に命じた。

 御者は少し困惑しつつも「了解しました」と答えて、馬車を再び動かし始めた。

 そして主人である少女とすれ違う際に恭しく一礼した後、馬車は街道の先に進み、その姿をどんどん小さくしていった。

 それを見送ってから、男性は早足で少女に追いつく。

 対し、少女は苦笑を浮かべて。


「なんじゃ? お主も先に行っても良かったのじゃぞ」


「そうもいきません」


 彼女をこのまま放置するのは、完全に任務放棄だ。

 正直、彼女の気まますぎる態度には不満に感じる事も多いが、これも仕事。

 手を抜く事だけは、彼のプライドが許さない。


「私はお嬢さまのお目付け役も兼ねています。どうかご容赦を」


 言って、頭を垂れる男性に対し、少女は目を細めた。


「……ふん。そうか」


 と、小さく呟くが、それ以上の言葉は発さない。

 それよりも今は森の街道にこそ興味がある。耳を澄ませば鳥の声が聞こえ、差し込む木漏れ日は実に暖かい。何とも心地よい道程だ。


「……ふふっ」


 思わず微笑みが零れ落ちる。

 菫色の髪の少女は、上機嫌な様子で街道を歩き続けた。

 その傍ら、執事服の男性の方と言えば、少女の気まぐれに振り回された苛立ちを隠すように、無表情に近い顔つきで彼女の後に続いていた。

 満面の笑顔と、愛想のない無表情。

 対照的な主従は、静かな森の街道を進んでいく。

 やがて街道は、終着点が目視できる位置にまで来て、


「おッ!」


 少女が紫色の瞳を輝かせた。

 視線の先に、煉瓦で造られた城壁と大きく開かれた巨大な鉄門が見えたのだ。

 そこには、何機かの鎧機兵も含めた騎士達の姿があり、旅人らしき人々が立ち止まって検問らしきことを受けている。

 とは言え、あまり厳しい検問でもないようだ。あくまで通過儀礼のようなものなのか、順番が回るのがかなり早い。

 軽い挨拶と、簡単なチェックをするだけで次々と人々は街の中へと入っていく。

 先に進んでいた彼女達の馬車も丁度今、検問を通ったところだった。

 少女は城壁と門――正確にはその奥の街並みを見やり、ますます笑みを深めた。


「あれが王都パドロか!」


 少女は従者に問う。執事服の男性は「はい」と答えた。


「ふふっ、そうかそうか!」


 そう言って、暖かい風の中で歩を進め、少女は笑う。

 ご機嫌にそうに、くるくると街道で踊る彼女は何とも愛らしいのだが、従者たる男性は深々と溜息をつくだけだった。


(やれやれ。このお嬢さまは……)


 思わず内心で愚痴も零すが、男性は不意に双眸を細めて鉄門に目をやった。

 彼ら達の目的地。『森の国』と呼ばれるエリーズ国の首都。

 ここで、彼らは大きな仕事をするのだ。


(……しかし、こんな調子で本当に上手くいくのか?)


 未だ回り続ける少女の方も一瞥し、男性は渋面を浮かべる。

 が、二人の足取りは止まらない。

 王都パドロの門は、もうそこまで近付いていた。

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