第59話 エピローグ
「失礼します。お父さま」
そう告げて、リーゼ=レイハートは父の執務室に入室した。
紅いリボンで結んだ長い髪が歩く度にたなびく。そして執務席に座る父の前で優雅に一礼する姿は、まさに淑女の見本のような佇まいだった。
「うむ。よく来てくれたな」
対し、父であるマシュー=レイハートは、表情を変えずに頷いた。
「いえ。お呼びでしたら、いつでも参りますわ」
そう言って、にこりと笑うリーゼ。
娘の笑みに目を細めつつ、早速マシューは本題に入る。
「今日、お前に来てもらったのは他でもない」
そう切り出して、レイハート家当主は、指を組んで机に肘をついた。
「すでにお前も知っていると思うが、サザン伯爵との縁談の話だ」
「……お父さま」
リーゼはわずかに表情を曇らせた。
「申し訳ありませんが、その話は――」
「まあ、まずは私の話を聞け」
単刀直入に断ろうとする愛娘の言葉を、マシューは遮った。
「実はな。この話、破談になった」
「――えっ」
リーゼは目を丸くした。
「それはどういうことでしょうか。お父さまが断られたのですか?」
そんな疑問が思い浮かぶ。
前回会った時、サザン伯爵はかなり縁談に乗り気だったように見えた。
まあ、元々向こうから持ちかけた縁談なので、当然ではあるが。
しかし、それに対し、マシューはかぶりを振った。
「いや、違う。サザン伯爵の方から断って来たのだ」
「サザン伯爵の方からですか?」
リーゼは眉根を寄せた。ますます訳が分からない状況だ。
すると、マシューは苦笑を浮かべて語り出した。
「こないだの別荘の件だ。あの時、サザン伯爵の落ち度から、お前達は盗賊に襲われることになっただろう?」
「……ええ、そうですわね」
まだ記憶に新しい事件だ。
あの日の晩。結局、盗賊達は全員捕えるか、討伐されたらしい。
彼らはルッソ達に連行され、サザンにある収容所に収監されたと聞く。
「ですが、あれは一応、表向きの上ではサザン伯爵も被害者なのでしょう。それがどうして破談に繋がるのですか?」
「表向きの上とは……はっきり言うではないか、お前も」
マシューは苦笑を深めた。
「まあ、それはともかく。伯爵は自分の管理ミスで、お前を危うい目に遭わせてしまったと後悔されていてな。今のままではお前に相応しくないと言って、身を引かれた……ということだ。彼の真意は分からんがな」
「……は、はあ。そうですか」
リーゼは困惑した表情を浮かべたが、ともあれ縁談はなくなったといことか。
ならば、それは喜ばしいことだろう。
(どうやら一安心のようですわね)
と、内心でホッと安堵の息をこぼすリーゼ。
するとマシューが、興味深そうに愛娘の顔を覗き込んだ。
「随分とホッとしているようだなリーゼ」
「え、そ、それは……」
父に心情を見抜かれ、リーゼはドキッとする。
対し、マシューは平坦な表情で言葉を続けた。
「そんなに縁談は嫌か? 実は他にも縁談話は来ているのだが」
「………え」
そう呟き、リーゼは大きく目を見開いた。
が、それは一瞬だけのこと。彼女は表情を改めて父を見据える。
「……お父さま。お話があります」
そして真直ぐな瞳で話を切り出した。
「ふむ。なんだ? 言ってみろ」
マシューは組んでいた指を解き、娘に説明を促す。
リーゼはこくんと頷くと、はっきりと告げた。
「今後、わたくしの縁談はすべて断って頂けないでしょうか」
「……ほう。何故だ。惚れた男でも出来たのか?」
あまりにも単刀直入に訊いてくる父に対し、リーゼの頬が赤くなる。
その様子に、マシューは複雑な笑みを見せた。
「図星か。まあ、お前も年頃だしな。それなら仕方がないか」
と、あっさりと了承する父に、リーゼは目を丸くした。
「お、お父さま……? その、反対したり、怒らないのですか?」
てっきり怒鳴られることぐらい覚悟していた分、拍子抜けだ。
すると、マシューは肩をすくめた。
「正直、私は優先順位として家柄は低く考えている。政略結婚はメリットもあるがデメリットも大きいからな。現状では家柄よりも能力を重視しているのだ」
そこでマシューは愛娘を見据える。
「自分よりも強い男を伴侶に。常々そう言っていたお前のことだ。当然、その男はお前よりも強いのだろう?」
「……ええ、それは間違いなく」
真剣な眼差しで頷く娘に、マシューは「ほう」と呟いた。
「そうか。ならば問題はないな」
そう言って、レイハート家の当主は椅子に寄りかかる。
「優れた鎧機兵乗りも貴重だ。元々、伯爵の縁談もその点で悩んでいたのだからな。レイハート家に迎えるのに異存はない」
「ほ、本当ですか? もしその方が貴族でなくても?」
「家柄よりも能力を重視すると言ったはずだ」
父の態度は素っ気ない。
しかし、その言葉は紛れもない了承の証だった。
「お、お父さま……」
リーゼの表情が一気に華やいだ。続けて、恭しく父に頭を下げる。
「ありがとうございます」
と、感謝の言葉を述べてから、
「お父さまのご期待に応えるためにも、いずれ彼を――最高の殿方を、お父さまの元へとお連れ致しますわ」
そう言って、リーゼは満面の笑みを浮かべて退室した。
部屋に残ったマシューは、しばし娘の去った扉を見据えていた。
「まったく、あの子は……」
そして、不意にふうと嘆息すると、
「ここまで譲歩してやったと言うのに、頬にキスの一つもくれんのか」
そんな冗談めいた台詞を呟くマシュー。
鉄面皮を持つ彼もまた、一人の父親なのである。
◆
時刻は夜の八時頃。そこはサザン伯爵邸。
照明で照らされた長い廊下に、コツコツと靴音が響く。
この館の主人であるハワード=サザンと、執事長であるルッソの足音だった。
二人は足早に廊下を進んでいた。
「……ところで旦那さま」
その時、ルッソが主人に尋ねてくる。
「レイハート家とのご縁談の件、本当に宜しかったのですか?」
対するハワードはふんと鼻を鳴らす。
「構わんさ。もはやマシュー=レイハートに興味はない」
遂に、待ち望んでいた者と出会えたのだ。
今さら他の者に時間をかけるつもりなどなかった。
「それよりも客人だ。彼はすでに応接室にいるのだな?」
「はい。お待ちして頂いております」
と、ルッソは恭しく答えた。
ハワードは足を速めつつ、厳かに「そうか」と呟いた。
「急な呼び出しにも拘わらず有難いことだ。やはり人脈は重要だな」
そう呟き、ほくそ笑むハワード。
そんな主人に、ルッソは困惑していた。
あの夜以降、彼の主人はかなり様子が変わった。
今まではどこかクールな――不敬を承知で言えば、無気力であった主人が劇的に感情を見せるようになったのだ。
(一体、ハワードさまに何があったのだ?)
これほどまでに精気に溢れた主人は見たことがない。
幼少時より主人を知っているルッソとしては、困惑するばかりだった。
「どうしたルッソ? 私の顔に何か付いているのか?」
すると、ルッソの視線に気付いたのか、ハワードがそんなことを尋ねてくる。ルッソは動揺を隠して「いえ、何も付いておりません」と答えた。
と、そうこうしている内に、二人は応接室に辿り着いた。
「さて。ルッソ。これから商談する。お前は自室で待機していろ」
「畏まりました」
そうやり取りすると、早速ハワードはノックをする。と、中から「どうぞ」と言う声が返ってきた。ハワードは、ガチャリとドアを開けた。
「ああ、お待たせして申し訳ない」
そして部屋のソファーの前で立つ男に、ハワードは謝罪した。
「いえいえ、大して待ってなどいませんよ。伯爵閣下」
そう言って、手を差し伸べてくる男。
にこやかな笑みを浮かべる彼は、黒い服を纏った四十代後半の男性。
温和な顔立ちに細い瞳。やや猫背な姿勢と、薄い頭髪が印象的な男だった。
「ふふ、またお会いできて嬉しいですぞ。ボルド=グレッグ殿」
「こちらこそ。お会いできて光栄です。サザン伯爵閣下」
二人はがっしりと握手を交わした。
続けてハワードは客人――ボルドと呼んだ男に着席を勧め、彼はそれに応えた。
そうして二人は、向かい合わせの位置に座った。
「急なお呼び立て申し訳ない。グレッグ殿」
「いえ。閣下は大切なお客さま。それも我が社のお得意さまです。お呼びとあればどこへでも駆けつけましょう」
と、にこやかに告げるボルドだったが、不意に表情を曇らせた。
「ですが、申し訳ありません閣下。かねてから閣下がご所望する《銀色の商品》は、未だ在庫がなく――」
「いえ、グレッグ殿。今回お呼びし立てしたのはその件ではありません」
「その件ではない? では別の《商品》を?」
ボルドが目を丸くしてそう尋ねると、ハワードはゆっくりと首肯した。
「ええ。その通りです。実はグレッグ殿。これは、あなたの担当部門ではないと知っているのですが、どうしてもご相談したいことがありまして」
「……ほう。それは一体何でしょうか。他ならぬ閣下の願い。可能な限りご期待に添えるよう対処いたしましょう」
真剣な眼差しでそう告げるボルド。
ハワードは「それは有難い」と言って破顔した。
「実は、鎧機兵が欲しいのです」
「……鎧機兵ですと? それはまたどうしてですか? 確か閣下にはあの《ラズエル》があったはず。あれに勝る機体はそうはないと思いますが?」
思わずボルドは眉根を寄せた。
伯爵の愛機――《ラズエル》は有名だった。
英雄譚の騎士を彷彿させる、荘厳な白き鎧機兵。
代々サザン家に伝わる恒力値・一万八千ジンを誇る高性能機である。
あの機体があるのに、他の鎧機兵を求めるとは一体どういうことなのか。
「……《ラズエル》ではダメなのです」
その問いに対し、グッと拳を固めるハワード。
「《ラズエル》では、とても『彼』の相手は務まらない」
「…………」
ボルドは無言で、伯爵の言葉に耳を傾ける。
ハワードは、真直ぐな眼差しでボルドの顔を見据えた。
「もっと強力な機体が欲しい。そう。それこそ、あなたの《地妖星》――噂に聞く《九妖星》にさえも匹敵するような鎧機兵が欲しいのです」
「……それはまた変わったモノをお望みですね」
ボルドは苦笑する。
まさか、自分の愛機を引き合いに出されるとは……。
「《九妖星》は我が《黒陽社》における武力の象徴。それに並ぶ機体ともなると、相当な額になりますよ?」
「ああ、分かっている」
ハワードは静かに頷く。
「だが、それでも欲しい。私は――『彼』に勝ちたいのだ」
そんなガラにもないことを告げる伯爵に、ボルドはわずかに眉をひそめた。
このお得意さまは、こんなにも熱い男だっただろうか。
(ふむ。何か、心境が変わるようなことでもあったのでしょうか)
少し興味が湧くが、ボルドは内心で苦笑を浮かべた。
それは、伯爵のプライベートのことだ。
ただの商談相手に過ぎない自分が、詮索すべきことではない。
「ふふ、閣下のお気持ちは理解できました。いいでしょう」
ボルドは指を組んで首肯した。
「部門は違いますが、私の方から働きかけ、閣下が望む機体をご用意致します。閣下ならば使いこなせるでしょうし」
「おお! 本当ですか! グレッグ殿!」
ハワードは身を少し乗り出して声を上げる。
対し、ボルドは「ええ」と頷き、
「では、伯爵閣下」
応接室に穏やかだが、よく通る声が響く。
そして《九妖星》の一人は、温和な笑みを見せて告げるのだった。
「その件について、具体的な商談に入りましょうか」
第二部〈了〉
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