第一章 引きこもり娘、再び

第61話 引きこもり娘、再び①

 ――由々しき事態だった。

 時刻は夜七時。場所は、王都パドロにあるアシュレイ邸。

 壮大とも呼べるほど広く美しい庭園を有するその大きな屋敷は、エリーズ国において四大公爵家の一つに数えられる大貴族の館だった。


 そんな館の一室。多くの書棚に囲まれた執務室にて――。

 珍しく騎士団の仕事を早めに切り上げることが出来たアシュレイ家当主であるアベル=アシュレイは、王城から戻って来ても騎士服から私服に着替えることもなく、気難しい顔で眉間にしわを寄せていた。


「……………」


 ひたすら続く静寂。

 アベルは三十分ほど前からラックスと共にこの部屋にいるのだが、その間、執務席にどっしりと座るだけで、指を組んだまま完全に静止していた。

 四十代も半ばに近付き、そろそろ若干のしわが目立ってきた顔に渋面を刻みつけて、アベルは一切言葉を発さないでいる。

 主人のその様子を執事長であるラックスが心配そうに窺っていた。


「……旦那さま」


 そして意を決してラックスが主人を呼ぶ。と、


「……コウタはまだか」


 アベルは、ポツリと呟いた。

 対し、ラックスは壁に掛けてある時計に目をやり、


「恐らくもうじき来られると思います」


 そう答える。アベルは小さく「そうか」と呟いた。

 と、まさにその時、

 ――コンコン、と。

 ノックと共に「ご当主さま。コウタです」とドアの向こうから声がかかった。

 アベルはガタンッと椅子から立ち上がった。


「おおッ! 来たかコウタ! 入ってもいいぞ!」


 そう言って来訪者に入室を許可する。

 すると、すぐにドアが開き、一人の少年が部屋に入ってきた。

 年齢は十四歳。黒い髪と同色の瞳を持つ少年だ。彼は襟まで締めるタイプの黒を基調にした服を着ていた。足には軍靴。腰の後ろには短剣を差して、道具袋も兼ねる白い布を纏っている。これら一式の装備は、エリーズ国騎士学校の制服だった。


「お呼びでしょうか。ご当主さま」


 と言って、頭を垂れて一礼をする少年の名は、コウタ=ヒラサカ。

 このアシュレイ家に住みこみで働く使用人の一人だ。


「そう畏まるな。コウタよ」


 しかし、アベルがコウタに向ける面持ちは使用人に対するようなものではなく、とても優しい。まるで実の息子に向ける眼差しだった。


「私のことは『義父ちち』で構わんと言っているだろう」


 と、はっきりと告げるアベル。

 彼にとって、コウタはただの使用人などではない。幼い頃に保護し、騎士として厳しい教育を施してきた期待の少年であり、今も騎士学校で群を抜いた成績を収めるなどといった優秀さから、幾度となく養子縁組を持ちかけた人物だった。

 宣言通り、アベルはコウタを息子のように思っていた。


「……そのお話はやめて下さい」


 しかし、そんなアベルの期待をよそに、コウタは困ったような表情を浮かべた。


「アシュレイ家にご恩はありますが、養子ともなると話は別です」


 と、コウタは言う。

 コウタは全くアシュレイ家とは血縁関係にない。それどころか村人出身者だ。

 そんな自分が養子になれば、大貴族でありながらまだ歴史が浅く、周囲の貴族達によく思われていないアシュレイ家に、またよからぬ噂が立つだろう。

 他にも理由はあるが、その懸念もあり、コウタは養子縁組を断っていた。


「ご厚意は嬉しく思います。ですが、ボクはただの使用人で充分です。アシュレイ家の次期当主はメル……お嬢さまであり、ボクはあくまでサポートする側の人間です」


 と、コウタは、迷う様子もなく宣言する。

 この少年の意志の固さにはアベルもラックスも、ほとほと困り果てていた。

 全くもって頑固な少年だ。

 コウタがそう宣言する以上、もはや意志を曲げることはないだろう。


(まあ、生真面目すぎるコウタの性格では、最初から養子縁組は無理があったか)


 アベルは、少年を見つめて苦笑を浮かべる。

 だが、それならそれでいい。まだ手段はある。

 それも正攻法とも呼べる方法が。


(………ふむ)


 アベルは目を細めて、この場にはいない愛娘の姿を思い浮かべた。

 十四歳になる愛娘。亡き妻が残した忘れ形見だ。

 目に入れても痛くないほど大切な娘であり、本来ならば、いつまでも手元に置いて愛でていたいのだが、


(下手な小細工は、そもそも不要なのかもな)


 アベルは椅子に座り直し、皮肉気に口元を綻ばせる。

 コウタと、彼の愛娘であるメルティアは、もう七年以上の付き合いになる。

 人生の半分以上を一緒に過ごした、いわゆる幼馴染と言うやつだ。

 しかも、二人の関係は『使用人』と『お嬢さま』といった形式的なものではなく、実に仲睦まじい。お互いに好意を抱いているのは一目瞭然だった。恐らく何もせずとも成長につれ、二人の仲がさらに発展することは容易に想像できる。


 手塩にかけた愛娘を他の男に託すというのは、父親としては流石にキツイものだが、自分が育て上げた少年が相手ならば、まだ我慢も出来るというものだ。

 アベルは少しだけ無念そうに嘆息してから、


(まあ、私は孫でも可愛がるとするか)


 そんな遠い未来まで思い浮かべて、アシュレイ家の当主は目尻を下げる。

 しかし、そこでアベルは表情を険しくした。

 コウタ達の未来の件に関しては、もはや確定したようなもの。アベルは何の心配もしていないのだが、彼の愛娘には別件で一つ問題があった。

 それが、今回アベルを悩ませる理由である。


「……コウタよ」


 ふうと大きく息を吐き出し、アシュレイ家の当主は少年に目をやった。


「そのメルのことなのだが、あの子の様子はどうだ?」


 多忙のため、最近あまり顔を見に行けていない愛娘のことを尋ねる。

 すると、コウタは渋面を浮かべた。


「あまり良くありません。ボクも説得を繰り返してはいるんですが……」


「……そうか」


 アベルは眉をひそめる。ラックスも何とも言えない表情を見せた。

 やはり、事態は由々しき傾向のようだ。


「すまんな、コウタ」


 アベルは言葉を続ける。


「ここで私が無理に介入しても、あの子はほとんど聞き入れてくれないだろう。このままお前の方で説得を任せてもいいか?」


 当主からそう頼まれ、コウタは真剣な面持ちで首肯した。


「はい。お任せ下さい。ボクもこのままだといけないと思いますから」


「そうか。頼んだぞコウタ」


「はい。では早速、今から行って来ます」


 そう伝えて、コウタは頭を垂れて一礼し、部屋を退出した。

 シンとした空気が執務室に流れる。

 そして数秒後、アベルは不意に椅子の背もたれに寄りかかり、執務机の隣で直立不動の姿勢で控えるラックスに目をやった。


「ラックス。どう思う?」


「正直分かりません」


 ラックスは素直に答えた。


「メルティアお嬢さまの引きこもりは根が深いですからな」


「……そうだな」


 アベルは腹の上で両手を組み、嘆息する。

 そして少年の去ったドアを一瞥し、


「本当に頼むぞ。頑張ってくれよな。コウタ」


 引きこもりが再発した愛娘のことを心配しつつ――。

 未来の義息子に期待を込めて、アベルはそう呟くのだった。

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