幕間一 剛令嬢が往く

第9話 剛令嬢が往く

 はあ、はあ、はあ……。

 その少年は森の中を走っていた。

 呼吸は荒く、顔は恐怖に歪み、足取りは時折ふらついている。

 共に挑んだ仲間はすでにいない。

 全員、『奴』にやられてしまった。


(な、何だんだ『奴』は!)


 とても人間とは思えない。仲間達の断末魔が今も耳に残る。

 少年はかぶりを揺らして恐怖を振り払った。

 とにかく今は早く撤退しなければ。


(あの外見だ! 足は遅いはず……きっと遅いはずだ!)


 そんな希望にすがり、少年は繁みをかき分け、走り続けた。

 そして森が抜けて大きな広場に出た時、歓喜の笑みを浮かべた――が、

 むんず、と。

 少年の頭は巨大な紫銀の手に掴まれた。

 愕然と目を見開く少年。

 ――ば、馬鹿な!? 一体どうやって追いついた!?

 しかし、そんな声を上げることも叶わず、少年の両足は宙に浮いて――。


「ひ、ひぎゃああああああああああ――ッ!?」


 絶叫が森の中に響いた。




「……うおぉ、人が雑草みてえだ」


 Bチーム。総大将のジェイクは双眼鏡を片手に呻いた。

 そこは森の一角にある高台。騎士学校が所有する裏山であり、今、彼らがフラッグを取り合う対人戦闘のチーム戦を行う舞台だった。

 現在、対戦しているのはジェイク率いるBチームと、リーゼ率いるCチーム。

 そして、彼らBチームは明らかに劣勢に立たされていた。


(アタッカーが全員返り討ちかよ)


 ジェイクは双眼鏡を強く握りしめ、振り向いた。

 そこは少し開けた広場で周辺には森、中央には台座のような土山があり、黄色いフラッグが突き立てられていた。ここがBチームの本拠地なのである。


「おっそろしいぞ、あの剛令嬢ゴレイジョウは……」


 ジェイクはその場にいる三人のメンバーに告げた。


「捕まえた人間をポンポン放り投げてる。さっきシルバもやられた」


 たった今、チームメイトであるシルバが逃走も空しく捕獲された。

 そして雑草を引き抜くように持ち上げられ、後方に投げ飛ばされたのだ。

 この距離でも届く仲間の断末魔。正直、ゾッとする光景だった。


「……ふん。シルバがやられたか」


「所詮、奴は我らの中でも最弱」


「我らBチームの面汚しよ」


 と、不敵な笑みを見せるチームメイト達。


「……いや、四天王ごっこしてないでお前らも行けよ。このままだとあの剛令嬢一人に負けちまうぞ」


「いやいや、ジェイクよ」


「俺らに死ね、と?」


「なにせ、あの剛令嬢、ヒラサカ以外には容赦ねえしなあ……」


 と、不敵な笑みから一変、尻込みするチームメイト達。

 ジェイクは深々と嘆息した。


「……くそっ。コウタがいればなあ……」


 現在コウタはAチームを率いている。

 意図的に成績上位者達が分けられているのだ。


「……ふん。泣きごととは情けないでござるな。オルバン殿」


 その時、落胆するジェイクに声をかける者がいた。

 今まで森の中に潜み、敵を警戒していた四人目の少年だ。

 ジェイク及びチームメイト達は目を剥いた。


「おお! お前は!」


「東方の大陸アロンの出身! 黒髪黒眼でミステリアスな雰囲気から一時期は女の子にすっげえモテたのだが!」


「結局、座学・実技すべてにおいてヒラサカに惨敗し、『劣化ヒラサカ』の異名を持つようになったフドウ=アカツキじゃないか!」


 グッと呻いて後ずさる少年――フドウに、ジェイクがポツリと告げる。


「まあ、最近はコウタとキャラ分けすんのに必死で変な口調になったフドウだな」


「ぐぐ……。容赦がないでござるな、お主ら……」


 フドウは頬を引きつらせて呻いた。

 が、すぐに立ち直ると、


「ともあれ、ここは拙者に任せて頂こう」


 そう言って、敵がいる森の方へと歩き出した。

 その迷いない足取りに、ジェイクは慌てて声をかけた。


「お、おい、大丈夫なのかよ。いくらお前がコウタとキャラが被っていても、あの剛令嬢は手加減なんかしてくれねえぞ」


「ふっ、手加減など無用。確かに剛令嬢の腕力は侮れぬ。されど、『力』のみに頼るなど未熟な証にすぎぬのだ」


 そう嘯き、フドウはニヤリと笑った。


「お主らに見せてやろう。アロンより伝わりし奥義。その『技』の冴えをな」



 そして十分後。

 黒髪の少年は宙に舞った。


「……ふん。フドウもやられたか」


「所詮、我らは全チームの中でも最弱」


「我らはクラスの面汚しよ」


 と、不敵な笑みを見せるチームメイト達。


「……いや、まあ……もういいさ」


 彼らの両膝がガクガクと震えているのを見て、ジェイクはツッコみを諦めた。

 そもそも台詞がすでに負け犬だ。心が折れてしまっている。


「……しゃあねえな」


 そう呟き、ジェイクは小さく嘆息してから、おもむろに歩き出した。


「お、おい、ジェイク。どこに行くんだよ?」


 と、チームメイトの一人が声をかけると、


「オレっちが剛令嬢を止めに行くんだよ。どうにか出来そうなのはガタイ的にオレっちしかいねえだろ」


「おおッ! そうだな!」


 ぱあっと表情を明るくするチームメイト。


「学年三位の実力を見せてやれ!」


「さあ、フラッグここは俺に任せて早く行け!」


 と、他の二人もグッと拳を力強く握りしめて告げてくる。


「お前らなあ……」


 一緒に行くぜ、と言ってくれる仲間はいないのだろうか。

 ジェイクは肩を落とし、溜息をついた。


「まあ、頑張ってみるよ」


 と、言ったものの……。


(どうしたもんかな)


 繁みの中、Bチームのフラッグに向かって進撃する剛令嬢ことメルティアの姿を背後から見据え、ジェイクは考える。

 正直な話、ジェイクでも正面から挑めば問答無用で投げられる。捕まったら即座に終了だ。あの剛令嬢の腕力は、すでに人の域を超えているのである。

 しかし、そうなると、戦術として有効なのは奇襲だけだった。

 今、彼女はジェイクに対して背を向けている。

 ここは背後から両足を取って押し倒す。その後、寝技に持ちこみロープでふん縛る。それしかない。女の子に対する戦法ではないが、この場では彼女を『女の子』に分類するのはやめた。そんな配慮が出来る相手ではない。


(悪りいな、コウタ。出来るだけ傷つけねえようにはするよ)


 やたらとメルティアに甘い友人に心の中で謝罪しつつ。

 ジェイクは覚悟を決めて繁みから飛び出した。

 音もなく疾走する。

 まだメルティアは気付いていない。ジェイクは作戦の成功を確信した。

 ――が、次の瞬間、ジェイクは目を剥いた。


「はあっ!? な、なんでだ!?」


 ほんの一瞬。多分、ジェイクが瞬きした瞬間だ。

 一秒もない時間でメルティアはジェイクの正面を向いていたのだ。

 しかも、直立状態で予備動作もなく反転したようだ。

 咄嗟に逃げることも思いつかず、ジェイクは目を丸くしたまま立ち尽くした。

 すると紫銀色の甲冑騎士は、むんずとジェイクの両肩を掴んだ。

 深緑の髪の少年はギョッとする。


「ええっ!? ちょ、ちょっと待った!? どうやって反転したんだ!?」


『お、大きな声を出さないでください。怖いです』


「オレっちの方が怖えェよ!? ホラーかよ!?」


『……? 一体何の話ですか?』 


 巨大なヘルムが首を傾げた。

 しかし、ジェイクは口をパクパクさせるだけで答えない。

 メルティアは一瞬考え込んだが、別に気に掛けることでもなさそうなので、


『とりあえずリーゼの指示通り処理します』


「ま、待て! う、うおお……」


 ゆっくりと足が浮く。ジェイクは足をバタバタと動かした。

 顔色が青ざめていくが、もはや抗う術はない。


「ぬ、ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――ッ!?」


 そして森の中に響く断末魔。

 かくして、ジェイクも宙を舞った。

 Bチームがあっさり敗北を申告したのは、その十秒後だった――。





「……と、まあ、そんな内容の手紙だったよ」


 その日の夜。

 アシュレイ家本邸。当主の執務室にて。

 メルティアの父、アベルは嬉しそうにそう告げた。

 その手には手紙を掴み、ピラピラとフラッグのように揺らしていた。


「……おお、なんと」


 すると、傍に控えていたラックスが片手で目尻を押さえた。


「よもやメルティアお嬢さまが、そんな生き生きと授業に参加されようとは……。このラックス、感無量でございます」


 その告げる執事長に、アベルも厳かに頷く。


「ああ。授業参観がなかったのが残念で仕方がない」


 彼らにとってメルティアが鎧を纏っていることなど些細な事柄だった。

 なにしろ、あの引きこもりの愛娘が、外に出て級友と交流を深めているのだ。

 幼馴染であるコウタ、ラックスのような古参の使用人、そして父であるアベル以外とは会うことさえ嫌がる今までの状況を思えば劇的な改善だ。


「コウタも中々やるではないか」


 実際、この件ではコウタはメルティアを抱きしめたぐらいで、ほとんど何もしていないのだが、そんな事情は知らないアベルは上機嫌にそう呟く。


「ともあれ良いことだ。ラックス、祝杯を挙げたい。付き合ってくれるか」


「旦那様がお望みでしたら喜んで。ワインはどれに致しましょうか」


 と、尋ねる執事長に、アベルは「任せる」と答えた。

 そしてラックスは一礼して退室した。ワインを取りに行ったのだ。


「ふふっ、あのメルが学校に行くとはな」


 アベルは再度手紙に目をやり、にまにまと笑う。

 メルティアは病で亡くなった妻が残してくれた大切な忘れ形見だ。

 新参の使用人などは父娘の仲が悪いため、別館に隔離しているのだと邪推している者もいるが、それは間違いだ。あの館は娘の心を慮って与えたものだ。

 アベルにとってメルティアは、目に入れても痛くない愛娘なのである。

 当然、その成長は嬉しくて仕方がない。


「……レイラ。メルは健やかに育っているぞ」


 亡き妻の名を呟き、アベルは瞳を閉じる。

 と、そうこうしている内に、ラックスがトレイの上に年代物のワインと二つのグラスを乗せて戻って来た。

 それから老執事は、まずアベルのグラスに赤いワインをトクトクと注いだ後、自身のグラスにも注ぐ。二人はグラスを持ち上げた。


「それでは、我が娘の門出を祝して」


「はい。メルティアお嬢さまに良き学園生活を……」


 と、互いに呟き、アベル達は「乾杯!」と声を上げてグラスを鳴らした。

 そして一部の生徒が甲冑騎士に追い回される悪夢にうなされる中。

 保護者達の夜は更けていった。



 ちなみにその頃、魔窟館では。


「どうでしたかコウタ。私は今日、頑張れていましたか?」


「うん! メルはすっごく頑張ってたよ!」


 と、コウタがメルティアをベタ褒めしていた。

 なんだかんだで。

 メルティアにはとことん甘いアシュレイ家の面々であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る