9 御城――千代田城
にしても………気になる。
やけに気になる。
俺はそんなつもり全然ないのに。
視線が勝手に……ななめうしろを歩くあの男に……自然と………むかって……しまう。
容さん本体が、大野冬馬をさがしてるっ!
おいおい、まさか、まさか?
おまえたち、俗にいう『そういう関係』じゃねぇだろうな?
俺は絶対イヤだからなっ!
俺はムラムラざかりの健全な高三男子。
恋愛対象は、俺の歳プラマイ三前後の美女限定!
男とオバチャンとお子ちゃまは、守備範囲外なんだっ!
覚醒後数日間、俺は極度の疲労感・倦怠感・消耗感で、昼夜問わずとろとろした眠りにおそわれた。
不定期に目をさまし、食事をとり、トイレにいき、かるくストレッチをし、そしてまた眠りにおちる……のくりかえし。
でも、いつ起きても、こいつがひかえている。
夜だろうが、朝だろうが、昼だろうが。
「ちゃんと睡眠とってんのか、おまえ?」
と、心配になるくらい常にスタンバイ状態。
しかもオソロシイことに、ここでも身体が勝手に作動。
睡魔がおとずれる間際、大野冬馬に手を差しだす容さん。
小姓頭、音もたてず超至近距離にワープ。
うるうる眼でこっちをじっとり見つめながら、差しだされた手をずっとなでなでする男。
ゲロゲロゲロゲロっっ!
死ぬほど
全身を満たす平安にほっとして眠りにおち、めざめればお口アーン、お姫さま抱っこ、なでなで、安眠、お口アーンの無限ループ。
身体に対する俺の支配力が強まるにしたがって、手を差しだすこともなくなり、『なでなで』の恐怖からはひとまず解放されたが……まだほかにも、いろいろ怪しい現象はつづいている。
覚醒後、大野は絶えず近侍しているが、最初の覚醒のとき、こいつはいなかった。
あとで聞いたら、どうやら江戸ナンバーワンの蘭方医を恫喝しながら、強引に引きずってくる途中だったとか。
容さんの主治医は漢方医で、井伊から派遣されたハゲも同じ漢方医。
大野は昏睡状態からさめない主君のため、
「系統のちがう医者なら、もしや?」
と、一縷の望みを託し、蘭方医狩りをしていたらしい。
容さん昏睡以降、大野は一睡もせず食事もほとんど取れなかったので、あのゲッソリやつれはてた姿だったが、主君の回復とともにこいつももとにもどったらしく、顔色もよくなり、血走ってコワかった目も今はきれいに澄んでいる。
思いおこせば……お口アーン・お姫さま抱っこ・身体ふきふき・着がえ・月代じょりじょり……。
全部、こいつがひとりでやってたじゃねぇか!
ほかにもうじゃうじゃ小姓がいるのに!
人払いを命じると、不審そうな目でじとーっとこっちをにらんでくるし。
なんなんだ?
濃いよ、濃すぎるよ!
もう、イヤだ、こんなのムリーーっ!
神様、お願い、今すぐ引越しさせてーっ!
大野に注がれる視線を、もぎ取るようにはずす。
すると、目に飛びこんできたのは、広場の一角にある三台の駕籠。
遠目にもわかる、ひときわゴージャスな仕様。
長柄には、三つ葉葵のご紋がベタベタ。
「尾張さまと水戸さまのお駕籠だ」
供侍のひとりがつぶやいた。
尾張と水戸?
御三家の?
「海防参与の水戸さまと、溜詰筆頭の掃部頭さまが、評定のたびにはげしく対立なさっておいでだとか」
供は水戸家の駕籠を不安そうに見やった。
掃部頭とは、彦根藩主井伊直弼。
容さんと井伊の関係性から考えると、井伊が登城を何度も催促してきたのは、このこととなにか関係があるのかもしれない。
歩きにくい未舗装の広場をよろよろ進んでいくと、巨大な石垣と渡櫓門が出現。
おいおい、いくつ門があるんだよ?
江戸城。
この時代的には、『御城』または『千代田城』。
さすがに徳川三百年の城。
将軍のもとにたどり着くまで、どれだけ関門があるのか想像もつかない。
門の名は、中之門。
ここから先は、御三家当主も駕籠をおりて歩くことになる。
会津はひとつ手前の大手三之門。
御三家との家格差は、この広場を歩く距離にあらわれている。
中之門は渡櫓だけ。
石垣の狭間には頑丈な門扉がつけられ、渡櫓の両サイドは屏風多門櫓の白壁が延々とつづく。
その奥には御書院出櫓の黒い瓦が、にょきっとのぞいている。
御書院出櫓は一、二階が同じサイズ。
こんなタイプの櫓を重箱櫓というらしい。
供が門衛に藩主の名を告げると、すんなり通行を許可された。
門内にある番所前を道なりに左折。
なだらかな雁木坂(石段)を登っていくと、行く手の出櫓の下に冠木門があらわれた。
これが江戸城本丸にいたる最後の関門・中雀門。
またの名を、御書院門。
ここの桝形は長方形で、正面と左側を高い石垣とふたつの二重櫓で囲み、右奥には威圧するようにそびえる渡櫓。
その下が真鍮を打ちつけた渡櫓門。
門の前後は急斜角の石段になっていて、江戸城のロケーションが高い台地上だとわかる。
容さんの肉体は、早くも限界に近づきつつあった。
うわ、大丈夫かな?
もともと体力ゼロ・病みあがりの体にとって、このキツイ石段は箱根五区レベルの難所。
一段登るごとに脚は重だるくなり、肺はぜいぜい、心臓ばくばく。心肺機能崩壊寸前。
なけなしの体力をふりしぼり、必死に石段を攻略すると、ようやく登頂成功。
一歩踏みだそうとしたとき、
酸欠で、はげしい立ちくらみにおそわれた!
「危ない!」
誰かに背中を支えられた。
直後、両側から供侍に抱きすくめられる。
家臣の肩にぐったりもたれかかり、めまいが治まるのを待つ。
「かたじけのうございました」
大野が誰かに声をかけた。
見ると、中背のオッサンが、会釈をしながら横を抜けていくところだった。
石段のテッペンでフラついたところを、たまたま後ろから来たオッサンが、キャッチしてくれたみたいだ。
(いい人だな)と、思った瞬間、
「ぶっ!」
オッサンは不自然に肩をゆらした。
必死で笑いをこらえているのがわかる。
な……に?
感じ悪ーーっっっ!
「あれは旗本の岩瀬殿では?」
ひとりが家紋を見て言った。
オッサンには字幕が出なかった。
「あの
「まだ惣領の身ながら、ご老中の伊勢守さまに抜擢され、目付になられたとか」
つまり、「当主である親父が現役で、本当は無役であるはずの惣領(世継ぎ)が、あまりに優秀なんで、特例として出仕してる」ってことだな?
っ、くっそ~!
いろんな意味での屈辱感で、クラクラ度がますますアップ。
岩瀬?
おぼえてろよっ!
でも、一番問題なのは、嘲笑される原因を作ったこの
この程度でギブアップとはっ!
なさけねーっ!
考えてたより、全然体力ついてねぇし!
さっさと帰って、トレーニングしなきゃ!
心の中にめらめらと闘志がわいてきた。
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