8  登城

 

 辰の上刻 朝五つ(午前八時頃)



 かみしも姿で、上屋敷玄関から駕籠に搭乗。


 考えてみると、こっちの世界にきてからはじめての外出。



 駕籠……せまっ!



 大名クラスの高級仕様駕籠は、『乗物のりもの』というらしい。


 今回の仕様は『打揚腰網代』というタイプ。


 開閉は引き戸式で、乗降時には屋根の一部が上に開く。


 窓は外側が御簾で、内側は障子。


 胴体部の下六割が『網代』、上四割は板張り。


 網代はうすく削った竹やヒノキの板を編んだものなので、通気性バッチリだから、冬は地獄だ。


 ちなみに、今日は旧暦一月二十七日。

 グレゴリオ暦ではたぶん二月下旬頃。



 通気性……ホント最高っすね(泣)!




 外側からしずかに戸が閉められた。


 ゆっくり駕籠が浮きあがり、出発。



 屋敷を出てすぐ、どデカい屋敷門を左に折れる。



 窓の御簾ごしに外を見ると、人通りのない道の左側は藩邸長屋のなまこ壁。


 右は、濠に面した土塁が延々とつづいている。



 ほどなく、高い石垣にはさまれた頑丈な櫓門を通過。


 小さな四角い広場を横切り、次にやや小ぶりな門をくぐる。


 これは桝形門という桃山時代以降の城郭建築によく見られる防御力の高い二重の城門。



 外部に面した間口の狭い一の門は、高麗門。


 ここから侵入した敵を、枡形四角形の空き地内に閉じこめ、二の門の上にわたした渡櫓から矢や銃弾をあびせ、敵を殲滅する仕掛になっている。


 内側の開口部は、侵入者が奥にまっすぐ進めないよう、桝形の右か左につくられる。


 この和田倉御門は、外から見て左側に二の門がある左折枡形門というらしい。




 窓外にきらきらかがやく濠が見えてきた。



 欄干に青銅の擬宝珠がついた木橋をわたる。 

 

 擬宝珠のついた橋は、幕府が管理する『御公儀橋』のマークだ。



 ……ん……!



 なんか、デジャビュ感。



 東京駅から大手町に向かう途中、丸の内のオフィスビル群をぬけて和田倉門交差点に出た。


 日比谷通りを濠沿いに歩いていたとき、コンクリやガラスだらけの超近代的な風景の中、それとはまったく対照的な古風な木橋が濠にかかっていた。


 案内板には、『和田倉門跡』と。



 あー、あそこかーっ!



 あそこには昔、会津藩の屋敷があったのか?



 江戸と東京、やっぱつながってるんだな。




 二十一世紀の和田倉橋そっくりな長い木橋をわたる大名行列。


 水面の反射光が両サイドの障子窓から入り、金蒔絵の天井にゆらめく模様をおどらせる。



 いくつかの大名屋敷が連なる路をゆらゆら揺られながら通過。



 いきなり、開けた場所に到着。



 大手門前下馬所。



 江戸城に登城した大名・役人のうち、『乗輿じょうよ以上』の者以外は、ここで駕籠・馬から降りなければならない決まりだ。


 ちなみに、『乗輿以上』とは、大名・役高五百石以上の役人・高家・交代寄合・五十歳以上のジジイのこと。



 下馬または大下馬とよばれる大広場は、いっぱいに朝日が差しこみ本当にあたたかそう。


 一方、駕籠の中は陽もささず逆に冷気だけはたっぷり。

 ヒーターどころか、ホカロンさえなく、しんしんと冷えまくっている。


 なにしろ、袴の下はなにもはいていない生足。

 白い肌も紫に変色中。


 しかも、袴は太ももの上までめくりあげられているから、ガチで凍える。


 こうしてまくっておかないと、せまい駕籠にうまくすわれないらしい。


 キツキツのランニング用サポートタイツでいいから、今すぐはきたいくらいだ。




 濠と橋が見えてきた。



 ここが江戸城の玄関口――大手門。



 平成の大手門橋は木ではなく土橋だが、こっちは和田倉門橋よりすこし幅広い木橋。



 橋の手前で警護の侍と会津の供とのやりとりがあった。


 やはり、将軍の住居兼官庁だけに警備も厳重らしい。



 供六十名のほとんどがここでストップ。


 会津藩主は大名なので当然乗輿以上。


 駕籠のまま十数人の供と高麗門をくぐる。



 大手門は右折桝形門。


 堅牢な渡櫓門を左にまがり、しばらく直進。



 ふいに駕籠がとまり、下に接地する気配。



 もう着いたのか?



 駕籠の引き戸が開けられる。


 地面に竹の共緒の草履が置かれていた。



 駕籠の前には濠が。


 橋のたもとには、『下乗』と書かれた立札。


 下乗門または大手三之門とよばれているゲートだ。



 ふらふら立ちあがると陸尺(駕籠かき)たちが無言で頭をさげた。



 これは……「いってらっしゃい」ってこと?


 ここから自分で歩け……って!?


 駕籠でドアツードアじゃねぇのかよ!?


 そうとわかってたら、こなかったのにぃっっ!!!


 げ、やばい。計算ちがいだった。


 こりゃ体力もたないかも……。


 とはいえ、ここまできてしまった以上、先に進むしかない。




 とぼとぼ橋をわたりはじめる。


 うしろからついてくる供は、供侍三人・挟箱持ち・草履取りの計五名。


 残りは下乗橋前にとどまる。




 橋の手前に瓦屋根の平屋が建っている。


 これは戸張番所。


 ここに残った大名の家来を監視する同心の詰所だ。



 番所横には、空の駕籠がいくつか駐駕籠中。


 供侍とともに主人の帰りを待っているらしい。


 会津の供もその横に駕籠を移動した。



 主君がもどるまでずっと待機しているのか?


 封建時代っていろいろたいへんだな。




 三之門の桝形をすぎ、左手の櫓門をくぐる。



 門のむこうには、長方形の大空間がひろがっていた。



 広場の左側は、さっきの番所を三つ並べたくらいの細長い長屋。


 百人番所。


 三之門を警備する鉄砲百人組が、昼夜交代で詰めているところだ。



 番所後方に四角い二層の建物が見えた。



 こっちは、百人二重櫓。


 日光に照り輝く黒い瓦屋根と、白い漆喰壁のあざやかなコントラスト。




 すげー!




 二十一世紀の東京でこの角度から同じ方向を見たら、背景には丸の内近辺のオフィスビルやホテルがびっしりと林立しているはず。


 江戸の澄みきった空にそびえるのは、モノクロの二重櫓とその横にのびる多門櫓の白壁だけ。


 視界の六割はフェルメールブルー一色。


 空が…………途方もなく広ーーーいっ!



 なんで……だろ?



 心がふるえる。



 日本の空って、こんなに広くて、こんなにきれいだったんだ!




 感動のあまり、上空を見あげたまま立ちつくしてしまう。



 なにもない天を仰いで、涙ぐむ主君。


「また具合でも悪くなったんじゃないのっ!?」と、パニくる家臣ども。


「殿、お加減でも?」


 小姓頭兼御刀番の大野が心配そうに顔をのぞきこんできた。


「……案ずるな」


(江戸の空って、俺的には超ヤバイっす!)


 とも言えず、また歩きだす。





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