6  容さん基礎データ

 

 腹くくるっきゃないか?



 こんなありえない話、納得できないけど。


 何度目がさめても、状況かわらないし。



 いまはできることからやってくか?


 ここで生きてくしかないんだったら。



 とりあえず、最悪の事態だけは絶対避けよう。


 不条理極まりない会津戦争。


 それに巻きこまれる原因――京都守護職就任だけはっ!



 


 1853年のペリー浦賀来航にはじまる幕末動乱。


 条約締結の是非と第十四代将軍継嗣をめぐる対立は、幕府を一気に弱体化させた。


 強権発動によって破綻を食い止めようとした大老・井伊直弼は、1860年、江戸城の真ん前で暗殺された。


 桜田門外のこれを機に、幕威は完全に失墜。


 その結果、攘夷をせまり幕府をゆさぶる朝廷。

 それを利用しようとする長州藩と脱藩浪士たち。



 政局と世情不安による騒乱にくわえ、数度の大地震・外圧・物価高。


 これにより、幕府による統治能力はますます低下し、社会秩序は乱れ、徳川政権から人心も離れていった。



 やがて、政治の舞台は江戸から京にうつり、皇都を中心に天誅と称する殺人が横行。


 従来の京都所司代では騒乱を鎮圧しきれなくなり、新設されたのがあの『京都守護職』。


 今風にいえば、爆弾テロが頻発する無政府状態の地域に、国連の治安維持部隊として派遣されるようなもの。


 そのうえ、駐留経費の半分以上は自腹!


 誰の目から見ても、最悪の貧乏クジ的任務。



 会津藩主松平容保は固辞しつづけるが、政治総裁職・越前藩主松平慶永(春嶽)の執拗な説得に、最後は押しきられる形で受諾。


 以後五年間、藩財政に莫大な負担をかけながら京に駐留し、懸命に禁裏と都を守って、その一途な仕事ぶりはときの帝から気に入られ、厚く信頼されたが……。


 明治維新により一転、賊とよばれる身に!



 やりたくない仕事を押しつけられ、身銭を切って働かされ、犠牲者もいっぱい出したあげく、なぜか朝敵の汚名をきせられボコボコ。


 それだけでも理不尽なのに、薩長からのイジメはさらにエスカレート。



 維新前後から日本中にくすぶりだした新政府に対する反感不満。


「旧幕時代にもどせ!」という要求は、士族のみならず武士に搾取されていたはずの農民からも噴出し、二百件以上の一揆・騒擾が勃発。


 そうした反動に対する見せしめとして、会津武士の誇りは徹底的に踏みにじられいたぶられた。


 それが、不毛の地・斗南への移封。


 移封とは名ばかりで、実態は一藩丸ごとの流刑。


 きびしい寒さと食糧難。


 一冬で、千人以上もの藩士とその家族が餓死する。



 かつて、武士の鑑とたたえられた会津藩士たちは、その身なりのみすぼらしさを人々に嘲笑され、『乞食侍』とまでさげすまれた。



 親藩として倒れゆく徳川幕府を必死に支えつづけ、武士としての『義』を貫いたため、会津は大罪を犯したことにされた。



 会津生まれ会津育ちのうちのじいちゃんは、『この前の戦争』を悔しそうによく語っていた。


 てっきり第二次世界大戦のことかと思ったら、なんと戊辰戦争のことだった!



 会津藩に対する新政府側のあつかいの非道さは、百五十年たった今でも会津人の心に強烈な憎悪を残すほど過酷で凄惨だったらしい。


 それは、会津戦争後の会津側戦死者埋葬の禁止(死体の野ざらし)にはじまり、明治期になっても会津藩出身者に対する差別、つねに後まわしにされる鉄道敷設・学校建設・インフラ整備等々……。


 国をあげてのみごとなイジメ!



 俺の世界とこの世界、同じ歴史をたどるのか、まったく別の歴史になるのか?


 現時点では判断できない。


 でも、あっちで起きた事件がここでも起きれば、今後似たような未来になる可能性は高い。


 まず、ここの状況を調べないと。





 ってことで、検証開始。


 とりあえず、この松平容保型ハードウェア(略称・かたさん)の身辺調査から。


 どうやらジイサン(容さんは親愛の情をこめて『じい』とよんでいる)は子どものころからの世話係――傅役らしい。


 井伊直弼のことを『親同然のお方』といっていたが、むしろこっちの方が親そのもの。


 聞きこみするなら最適な人物だ。



「記憶が曖昧でとても不安……」


 伏し目がちに嘆いてみせたら、即レスポンス。 

 その調査結果が以下。




 【容さん 基礎データ】



 名前:松平容保まつだいらかたもり(俺の世界と同じ)


 年齢:天保七年生まれ、数え年十九歳(満十七、八くらい?)


 職業:陸奥国会津藩第九代藩主


 家族:父 先代藩主・松平容敬 故人


    母 容敬正室・静仙院 加賀前田家出身 故人


   (俺の方では、美濃高須松平家からの養子。容敬は養父)


    兄弟 利姫 異母妹 十二歳


    (あっちでの兄弟は、尾張藩主・一橋家当主・桑名藩主他)


    妻 なし 現在独身


 年収:石高二十三万石。


    年貢率『五公五民』として、手取りは約十一万石。



    ところが最近、天候不順の年がつづき、収入はガタ落ち。


    さらに、年貢率も実際は、三公七民・四公六民だったりする。


    団体交渉(一揆)くらって、率を引き下げることも多いとか。


    なお、これには家臣給料・藩運営費も含まれ、個人所得はもっと少ない。


 趣味:和歌(俺の世界の容保の趣味? んなこと、知らねーよ!)




 【調査結果】



 俺の世界との違い――ここの容保は養子ではなく、保科正之直系男子。


 つまり、過去にストレートに飛ばされたのではなく、よく似てるけど微妙にちがう世界――いわゆるパラレルワールドの江戸時代にいる可能性が高い。



 今後も調査の必要あり。





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