マサオ様、降臨

センパイを発見した。

自転車から降りて信号待ちをしている。背中には大きなギターケース。この先の駅前でストリートライブするつもりなのだろう。

アイドル事務所のトレーニングやバイトで忙しいのに、空いた時間を作っては自己鍛錬に励むなんて……さすがセンパイ!


センパイがライブする場所は駅前やアーケード街など複数に及ぶ。どこで演奏するのかはランダムだ。もしかしたら法則性があるのかもしれないが、センパイの聡明なお考えを読み解くのは難しい。

そこで俺はセンパイの家の近くに張り込み、外出する際の方向からライブ場所の当たりを付けることにした。

尾行できれば確実なのだが、センパイは自転車で移動するものだから追うのが困難だ。途中で見失ったり察知される危険あり、なら想定したライブ場所へ先回りした方が安全だろう。

思い立った翌週には原付免許を取得し、貯金を崩して地味な見た目の原付を購入した。並行してセンパイの自宅付近を歩き回り、地元民しか知らない道や裏路地までしっかり頭に入れた。


俺のたゆまぬ努力は、センパイ発見という結果に結びついた。

原付を駅の駐輪場に停め、先回りしていた痕跡を消して――


「センパイじゃないっすか! チッス!」


あくまで偶然を装って声を掛ける。

少し驚きながらこっちを向いたセンパイは、俺の名前を呼びつつ。


「久しぶりだな!」


快活に笑ってくださった。

はい、センパイ視点では久しぶりですね!


「どもっす! センパイは何して……あ、これから駅で演奏るんすね?」


「そんなところだ」


「センパイかっけーっす! 俺も楽器やっておけばモテたのになぁ。聞いてくださいよ、今日のナンパ、三十人に声を掛けてメアドゲットは一人だけっすよ」


高校時代のセンパイは内向的な俺をグイグイ引っ張り、遊びに学業に何かと目を掛けてくれた。卒業の日には俺の今後を想い、励ましの歌をプレゼントしてくださったほどだ。

そんなセンパイを安心させるべくナンパに明け暮れる陽キャを演じてみる。もう俺はセンパイが居なくても、ちょっとやそっとじゃ凹まない男になりましたよ……まあ、嘘ですが。


信号が青になって、周りの人たちが横断歩道を渡り出す。


「センパイは良いっすよね。高校時代からモテて、今はアイドルの卵でさらにイケてきた感じで。女にも苦労しないんでしょ。今、何人と付き合っているんすか?」


センパイも歩き出したい様子だが、話すのが楽し過ぎて口が止まらない。なお、センパイが誰とも付き合っていないのは当然把握済みだ。



そうして俺とセンパイ、二人だけの空間は何の脈絡もなく終わりを告げる。




突如として響き渡った大音響。大型トラックが歩道に乗り上げ横転した――




「メッチャ凄かったっすね! 俺、マジ興奮しちゃいました! 早速今の事故をブログに書かなきゃ!」


センパイによるカッケー救助劇を『センパイ観察ブログ』(非公開)で克明に記録せねば。

そんな使命に燃えていると、辺りに散らばったトラックの荷からセンパイがおかしな像を拾い上げた。


腕と足をくねらせた変な形の像。台座には『願い』と彫られている。

俺とセンパイは像についてあれこれ感想を言い合い――唐突にセンパイが消えた。


「せ、センパイ!?」


センパイの手にあった像がコンクリートの地面に落下し、鈍い音を立てる。


「な、なんで? いきなりそんな……ドッキリっすかセンパイ!?」


散々辺りを探し回ったが、センパイの姿はどこにもなく。


「この像を持っていたら消えた……コレに秘密が……?」


すっかり混乱していた俺はありえないと思いながらも像を手にした――そう認識すると同時に見知らぬ場所に飛ばされるのであった。





「センパイ! センパイ! どこっすかぁぁぁ!?」


石畳を駆ける。

さっきまで踏みしめていたアスファルトやコンクリートじゃなくて凹凸の激しい石の上を走る。

すっかり陽は暮れているのに、周囲には街灯の光がまったくない。

代わりに松明たいまつの灯がジリジリと道を照らしている。なんなんだここは……日本じゃない?

周りは石材を雑に積み上げ、木材で補強したような家ばかり。旅行番組で見たヨーロッパの建物に似ているな、と乏しい知識で思う……いや、そんな事はどうでもいい! それよりセンパイだ!


センパイもこのおかしな街に飛ばされてしまった?

だったら早く合流しなくては!


センパイは俺の憧れで、精神的支柱で、光で、燦然と輝く太陽なんだ!

センパイが居ないと俺は……俺は……!?


「お願いしますよ、元気な姿を見せてください! また俺に声を掛けてください! センパァイィィ!!」




「何をしている、お前っ。死にたいのか」


不意に腕を掴まれ、細い路地の奥へと連れて行かれる。抵抗する暇もなく、抵抗できたとしても大の男を片手で持ち上げる怪力には文字通り手も足も出なかっただろう。


「不思議な身なりだが肌触りからして上等品か。健康状態も悪くない。となると、売春宿から逃げ出してきたのではないな。どこぞの貴族か富豪の愛玩物か」


「……んぐぐ……ぐぅ」


路地の壁に押さえつけられ、手で口を塞がれる。


「声を立てるな。お前が騒ぐものだから住民たちが興奮している。ほら、聞こえるだろ」


「……んぅ?」


促されて耳に意識を割くと。





「マジで男なの!? なんで下町に居るの!?」

「知らないわよ、どっかから逃げてきたんでしょ」

「間違いなく男特有の低音ボイスだった。お店で聴いたことがある!」

「ともかく捕獲しつつ保護するから私のものね!」

「冗談じゃない、早い者勝ちでしょ!」

「とんでもねぇ、待ってたんだ!」



どうして今まで耳に入らなかったのか、女性の声があちこちで上がっている。

それも人生でお耳に掛かったことがないほど血気盛んで、舌なめずりと唾液を呑む音まで聞こえてきそうだ。


「大勢の者がお前を探している。捕まれば下半身の保証は出来んぞ」


なぜに限定部位っ!?


「延命と延性を望むなら私の指示に従え、いいな?」


センパイを探さないといけないのに、目の前の不審者に頼らなければいけないのか……

路地裏の暗がりに目が慣れ、俺は謎の人物をようやく視認した。


声の高さから女性だとは予測していたが、その容姿は想像の遥か上を行っていた。とびきりの美女だ。もっとも美人というカテゴリーならばセンパイの方が上だけど。

高圧的な口調とは裏腹に、穏やかそうな目と品のある唇、暗くても分かるほど頬に艶がある。

三角帽子のような鉄製の兜の端から髪が楚々と流れている。

鉄製と言えば、同じくゴテゴテした鉄製の肩当ても装備しているし、くさり製の衣服……たしかゲームで言うところのチェーンメイルみたいな物も着ている。


まるで中世の兵士だ。と安直に思う。


「何か言いたげだな。騒がないと約束するのなら質問と発言を許可しよう」


「んぐ、んぐ」


「よかろう、肯定と見す」


やっと口を塞いでいた女の手から解放される。


聞きたいことは数あれど、「はぁはぁ、すぅはぁ」酸欠気味だった俺は呼吸を優先した。


「おい、色気のある息遣いは止めないか。理性に定評の私にも限界はあるのだぞ――っと、そう言えば自己紹介がまだだったな」


女は鉄製の胸当てを誇らしそうに触れながら言った。


「私はブレイクチェリー女王国・王都守備隊・第一分隊長を務める『ユノ』だ。一時の付き合いだが名を覚えてくれると嬉しい」


ブレイク……なに? 王都の守備隊? なんだそれ、コスプレみたいな恰好をしているし何かの設定か?

いや、それよりも。


「センパイどこっすか? 見てないっすか?」


「落ち着け、情報がなければ答えようがない。まずはお前とセンパイとやらの名前を教えてくれ」


もっともだ、落ち着かないと。わけが分からない事態に巻き込まれている今、こちらの行動がセンパイの安否を決めるかもしれない。

荒れていた思考と呼吸を無理矢理抑え、俺は口を開いた。


「俺の名前は『牟田ヒロシ』と言います。そんな事よりセンパイについてっすけど、名前は『三池拓馬』。唯一無二、光り輝く最高のアイドルです」





★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★






『不知火群島国・公快記 109巻』より抜粋。





明日はマサオ教生誕10年目の式典がある。

昼間は由乃に付き添われ守漢寺を訪れた。会場設営の指示や本番の段取に全力を尽くす。

『マサオ様』と呼ばれるのには10年経っても抵抗感はあるが、創始者として不甲斐ない姿は見せられない。式典のスピーチもしっかりこなさなければ。


懸念だった式典会場だが、封印はそこそこに機能しているようだ。

女性たちの動きがやや妖しくなっているものの、『降誕の間』を解放するのは今日と明日だけ。二日間なら皆の理性も保つだろう。

私の我がままでここを会場にしてしまった。多くの者に負担を掛けてしまって申し訳ない。特に日々、封印のメンテナンスをしてくださる田町さんには頭が上がらない。

だが、それでも『降誕の間』でこの10年間を報告したかったのだ。


そう10年。

人々に支えられてマサオ教はここまで来た。

創設当初の想いは年月が経っても衰えず、熱を増していく。

最近では男女対抗戦を催し、男性の請願と陳情の場を設けることに成功した。

男性が被害を受ける事件も年々減少傾向だ。

信徒の数は立ち上げ時の100倍を優に超え、私の願いはゆっくりと浸透し始めている。




拓馬センパイ。

あなたに心配ばかり掛けていた俺ですけど、俺なりに頑張ってきましたよ。

あのヒロシが国主の夫になって、宗教まで作り思想と制度の改革に取り組んでいる――と知ったら、どんな顔をしてくれますか?


あなたと別れて20年。

由乃に頼んで捜索は続けていますが、それらしい目撃情報は一つもありません。


最初の頃は成果がない事を嘆いていましたが、由乃から不知火の像の言い伝えを聞いて考えが変わりました。

仔細を省きますが、あの像は『救世主を招く』物らしいです。


救世主と言えば、センパイ以外ありえません。

でも、この世界で男性がアイドル活動をするのは危険過ぎます。

活動する前に誘拐されるのが関の山です。

誰かが地盤作りをしないといけない、黒一点のアイドルが活動できる場を準備しなければならない。


10年前、北大路領の田町さんの家に引きこもっていた俺は長い思索の末に天啓を得ました。自分がこの世界に来た意味を知りました。


センパイの目撃情報が無いのは当たり前です。

この世界はセンパイにふさわしい舞台じゃない。センパイに合うレベルに達していないのです。

だったらセンパイの一番のファンである俺が、舞台を作るしかないっす!


マサオ教はセンパイを招致するために作りました。

『男性に人権を』というスローガンを出してはいますが、真の存在意義は黒一点アイドル・三池拓馬の舞台設営です。

たくさんの人を騙しているみたいで胸がちょっと痛むっす。

でもまあ、センパイは救世主ですし、救世主召喚が目的と言えば宗教らしくてアリじゃないっすかね?


ってことで、祝・生誕10年目のマサオ教。

ここからもどんどん盛り上げていきますよ! 俺の頑張り、ずっと遠い未来からでもいいんで見てくださいねセンパイ!




★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★





「単刀直入に尋ねます。田町厳さん、あなたは伝説とうたわれる『マサオ様像』の場所を知っていますね?」


『おいおい、急に電話してきたと思えばなんでぇ! 前にも言ったがマサオ様像は、人心を惑わせるほどの御利益があるんでマサオ様自身が封印しちまった。今じゃ存在自体が幻よ』


愛殿院の仕事で知り合った江戸っ子気質な厳さん。

本名、田町厳。ヒロシが北大路領に引き籠った時にお世話になった田町家の子孫だ。

昨日のリハーサルで彼の電話番号を聞いていたのは我ながらファインプレーだった。


「厳さんの立場を考えれば、そう答えるしかないのは承知しています。しかし人心がマサオ様から離れていく今、俺たちには伝説が必要なんです。これから俺の推測を並べます。正しいか判定してくださいませんか? かなり危ないことを予定しているので、肯定材料がほしいんですよ」


『タクマさん……あんた、まさか……』


「マサオ様像は昔から田町家の者がメンテナンスをしていた。田町家は代々宮大工の家系。おそらく一族の中から男性か既婚女性をマサオ像のメンテナンス担当に抜擢していたはずです。これは妄言ではありません、マサオ様の日記にちゃんと書かれていました。マサオ様は田町家に感謝していましたよ、日々封印のメンテナンスをしてくれて頭が上がらないって」


『……っ……日記って……タクマさん、読めるのか?』


「今度、田町家に関わる部分を抜粋してご紹介しましょうか。プライバシーの侵害ですけど、何百年も封印を守ってきた田町家だったらマサオ様も許してくれますよ」


『……て……てやんでぃ……ば、ばきゃ……ろぅ……泣かすんじゃ、ねぇ……』


男泣きに言葉を挟むのは無粋、沈黙して時を待つ――やがて厳さんは声の調子を取り戻し。


『マサオ様との間に何があるのかは知らねぇが、あんたには封印を破る資格があるのかもな……正解だ。けど、その推測にはちょいと修正がいるぜ』


「間違った所がありましたか?」


『封印のメンテナンスについてなんだが……今代で担当を務めるオレも、これまでの先代たちも実際のマサオ様像は見てねぇ。伝説に繋がる『壁』は補修してんだが、最後の『布』に手ぇ付けられねんだ。いざ伝説を前にするとよ、すげぇ偉圧いあつに身動きできねぇんだ』


「壁、それに布……ありがとうございます。イメージが付きました。それで、長年メンテナンスしてくださっている田町家の皆さんには申し訳ないのですが」


『壁を壊すってんだろぅ。気にすんな、元々嫌ぇだったんだ……マサオ様を隠す壁なんてな。大工道具をうちのモンに持たせる、使ってくれ』


「有り難い申し出ですが、少し修正していいですか?」


『なんでぇい?』


「大工道具は借りるのではなく、盗みます。守漢寺の分かりやすい所に置いてください」


『……田町家に責任を取らせないためか?』


「厳さんたちはマサオ様の恩人の血を引いています。道連れには出来ません」


『ちっ、アイドルって奴はテレビの外でも格好つけるもんかい……南無瀬組はどうすんでぇ?』


「全員眠らせています。犯行は一から十まで俺のものです。南無瀬組への非難を帳消しに出来るとは思えませんが、それでも傷は浅くしないと」


『……もう後戻りは出来ねぇんだな。一つだけ教えてくれ。どうして、そこまで出来る? タクマさんにとってマサオ様は何だ?』


「人生の大先輩です」


後輩だったくせに、あいつからの先輩風は目に染みる。






『降誕の間』の扉を開ける。

これから世界級の破壊魔になる俺だが、由良様の舞台は壊さない。むしろ静かに入場して見守ろう。

そう思っていたが、最高潮の気合を制御できず派手な音で扉が開いてしまった。

おかげで観客だけでなく、舞台上の由良様さえ驚いたようにこちらを見ている。


いつもなら「やっちまった」とか焦るところだが、この確固たる覚悟に怯えの付け入る隙なし。


悠然と視線を受け入れながら壁際に移動し鑑賞に徹す。

さあ、俺のことは意識せず劇を続けてください――熱くなってもクールに配慮、今の俺は絶好調だ。


「お止めください、拓馬様。マサオ教の権威はワタクシが保証いたしますから、どうかご思慮くださいませ」


なぜだ。由良様から警告を喰らってしまった。

っていけませんよ由良様。劇は進行中なのに素に戻っているじゃないですか。


由良様のダメ押しもあり信徒の目線や取材陣のカメラがすっかりこちらに固定されてしまった。

劇を続行してほしいが、グダグダになるのは明白か……ならば致し方なし!





「マサオ教の創始者、マサオ様! マサオ様は男性の地位を向上に生涯を懸け、先進的で革命的で、何より温かみのある御方です」


『降誕の間』には舞台があるものの、造りが古く音が響きにくい。が、それがどうした。耳を塞いでも突き抜けるほどの大音声を出せば事足りる。

舞台に向けてゆっくりと進む。一歩一歩、ヒロシの想いを噛みしめながら『降誕の間』の床を踏みしめる。


――なあ、ヒロシ。


「マサオ様が行った改革は枚挙にいとまがなく、ご紹介するだけで一昼夜かかるでしょう」


――お前が尊敬するセンパイは、とんでもない恩知らずだったぞ。アイドルになれたのが誰のおかげか深く考えもせず、一年間のうのうとアイドル活動をしていたんだからな。


「私がアイドルになれたのも、アイドル活動を続けられるのもマサオ様のお力あってのことです」


――お前のセンパイはとんでもない大馬鹿野郎でもあるぞ。だってそうだろ、マサオ様は『アイドル・タクマの招致』のために作られた、すでに目的を果たしている。無くなっても大きな問題じゃない。なのに俺はアイドル生命を賭けてマサオ様を守るつもりだ。ヒロシにとっては余計なことなんだろうな。


「男性の皆さんにとっては、未だ冬の時代かもしれません。しかし、マサオ様の意志を継いだ人たちが世界をより良く変えようと今も活動しています。私もその一人です」


――俺はマサオ様こと『牟田ヒロシ』を心から尊敬する。だけど、その想いをすべては受け継げない。ヒロシは俺を『救世主』と言ってくれたが、その点だけは反対させてもらう。

――『救世主』はお前だよ、ヒロシ。


「マサオ教の教えを受け入れられないご婦人がいらっしゃるかもしれません。マサオ教から心が離れている方もいらっしゃるかもしれません。ですが、男性を物のように扱っていた旧時代より今の方が『愛』があります。誰かが言っていましたが『愛は気持ちいい』のです。マサオ様の教えをもう一度思い出してください」


――ヒロシが居たから世界はマシになったんだ。この功績からは逃げられないぞ。俺はお前が築いてくれた世界の上で胡坐あぐらをかかせてもらうぜ。



舞台上に踏み入る。

行動の六割は楚々としている由良様が珍しく……もないが、お慌てになって懇願した。


「どうしてお戻りいただけないのですか!? マサオ教はワタクシの先祖が始めたものです。ワタクシが責務を果たします」


ワタクシの先祖か。由良様はヒロシの遠い子孫なんだよな。


「……なんて美貌だ、ちくしょう。くっ!」


「はわわっ!? お褒めかお叱りか分からない上、お瞳を潤ませて……ワ、ワタクシはどうすれば!?」


あっやべ、面倒くさいリアクションを取ってしまった。

由良様のお美しい顔にヒロシの面影がなくて、悔しくて、あいつが生きていた時代との隔たりを感じちまった。


仕切り直そう。


「式典のプログラムを壊したことを深くお詫びします。ですが、私は無理にでもこの場をお借りしなければいけません。皆さんに今一度マサオ様の偉大さを知ってもらいたいのです。絶対正義、空前絶後、温厚篤実な……ありきたりな表現ですが『神』の如きマサオ様の素晴らしさを」


戸惑いと唖然。観客の表情は大体こんなものだ。信徒たちでも信心の足りない反応、生中継を観ている一般人に至っては信心の枯渇が予想される。


「これより『神』をお見せします。多少乱暴な降臨となりますが、大事の前の小事ということでご容赦を」


「乱暴でございますか!? あのあのあの、お尋ねするのが恐ろしくて仕方ないのですが、お手になさっている物をお使いに?」


由良様がお震えになりながら、入場時から握りしめている木槌きづちを話題にした。

日曜大工で用いる小物ではなく、から槌の先端までで1メートルを軽く超える宮大工道具だ。ハンマー部は由良様の小顔が入るほど大きく、破壊力に期待が持てる。


あっ、もしかしたら由良様や観客の人たちから異様に注目されたのは、こいつを持っていたからか……ままええわ。


恥も外聞もとっくに捨てた。後悔はない。


観客席に背を向けて、舞台の『壁』を覆い隠す緞帳どんちょうと差し向かう。


よし、ワイヤーで昇降するタイプじゃない、下手側に開く引き割りタイプだ。これなら俺一人でも何とかなる。


勢い任せに緞帳を舞台袖まで引っ張り、排除すると――


「「「きゃはああぁぁ!!」」」


会場中が色めき立った。ベールが剥がされたことでアレがお目見えしたのだ。



今更だが『降誕の間』には名物がある。肉食女性たちを興奮させる謎のエロ絵だ。厳さんの話では、なぜかタイトルが付けられなかった絵ということだったが今なら分かる。

あれは作品じゃない。ただのおとりだ。


何枚かの板壁材を渡って描かれた縦横2メートルの絵。ぼやけたデッサンでローブを纏った男とも女とも判別できない人(?)が描かれている。

肉食女性を発情させるほどエロい絵じゃない――俺の第一印象は正解だった。

この絵自体には何の力も無い。

その後ろに隠された『伝説』が放つ威光を目くらますだけの存在だったのだ。


舞台と舞台裏の間に不自然なスペースがあるのだから、普通だったら数百年も隠せるもんじゃない。

それが今日まで発覚しなかったのは舞台設計の妙と、田町一族の努力。そして謎のエロ絵が囮になったからだろう。絵を前にすると、女性らの知覚は滅茶苦茶になるらしいし。


「いけません! ワタクシごときが拓馬様の道を阻むのは不敬でしょうが。それでも、この時ばかりは譲れません!」


立ちはだかるか由良様! 俺を罪人にさせない、そのためなら敵になるのも辞さない。お優しい心が伝わって来る。

だが、俺はやる! たとえ由良様だろうと手加減は――ってうおおおおぉぉぉい!!??


「こんな物騒な物はお捨てになってくださいませ。えいえい!」


目にも止まらぬ速さで由良様が木槌の柄を掴み、信じられないパワーでお引っ張りになられた。


「うおおぉわぁぁ!!」


か、身体ごと持って行かれるぅぅぅ!!


「えいえい!」


んな可愛らしい掛け声で出していい腕力じゃねぇ! そのパワーで清(楚)女は無理でしょ!?


――くそっ! 由良様相手には色んな意味でやりたくはなかったが……


「由良様、お許しください!」


片手を柄から放す。両足が空中に浮かぶが、構わずポケットからハンカチを取り出し――サスペンスドラマのクロロホルム吸引よろしく由良様のお口に押し当てた。


「――かはっ!?」


効果は抜群だ。由良様が木槌を振り払って苦しんでいる……のを木槌と共に吹っ飛ばされながら確認ヨシ!

で、舞台袖に墜落グヘ!


「「「いやああああ!? タクマさんの柔肌がぁぁぁ!!」」」


俺の刺激的な空中遊泳に観客席から悲鳴が上がる。

ぐおおおぉ、ぶっ倒れている場合じゃない!


「大丈夫! 先に申したように神降臨の前には多少荒れるものです! 俺はピンピンしていますし無問題!」


身体にムチ打って立ち上がり平気アピール。深刻な雰囲気を出したら由良様のお立場や、神降臨が台無しになっちまう。

気張れよ、俺。あと少しなんだ。異世界で一生を終えてしまったヒロシを思えば、このくらいの痛み何でもない!


「……鎮まって……ワタクシは……由乃じゃ……ない……」


舞台端では由良様が両膝を突き、両肩に手をやって葛藤している。

立派だ、気絶も本能解放もせず自分と戦っている。さすがは由良様……申し訳ありませんが、しばらく大人しくしてください。



木槌を握り直し、力と気合を込める。

狙いは、囮の絵――から距離のある板壁。

絵の誘惑効果からして、伝説のマサオ様像は絵の真後ろにあるだろう。

しかし、いくら囮だとしてもヒロシの作品を壊すわけにはいかないし、壊した衝撃で像まで破損したら洒落にならん。なので別の位置に穴を開けよう。


木槌を振りかぶる。

どれほどの力を入れたものか。とりあえず最初は加減して――――あっ。


『降誕の間』の扉を開けた時もそうだったが、今の俺はリミッターが外れているらしい。

通常感覚で力を振るったらやり過ぎてしまった――ん? じゃあ由良様との引っ張り合いで完敗したのは……ままええわ(思考放棄)。



バキィィ――

ミシミシミシ――

バキバキガキバキガァーン――


破壊音は3パートに分かれた。


最初は木槌に叩かれた板壁にデカい割れ目が発生した音。

続いて壁全体が軋んでひび割れていく音。

最後、壁のほとんどが裂かれ崩れていく音。


厳さんの一族が長年メンテはしていたけど、元の材料が古いからな。こういう結末もある。

俺は手慣れた現実逃避で、絵が粉々になった点をスルーした。



ともあれ、予告したように多少? の乱暴で『壁』は壊れた。危惧した混乱は微小、それもすぐに収まる。

騒ぐよりもみんなは伝説に心を奪われていた。


「……ヒロシ、お前はそこに居るのか」


誰にも聞かれないように呟く。

厳さんの言った通り『壁』の次は『布』だった。


石の台座の上に何かが載っている。大きい、俺と同じくらいある。等身大の像ってことか……

威光を覆う最後のストッパーとして布が像に掛けられていた。博物館で見た江戸時代の古代布に似ている。


生地は丈夫だが、すっかりせて虫食いも所々目に付く。

でも、造りの細かい花柄の模様は数百年経っても艶やかで、染色だってまだまだ味がある。

当時としては最高級の布だったのだろう。



「皆さん、マサオ様は遥か昔からここに居たのです。ご自身の像を作り、亡き後もここから世界の安寧を願っていたのです。マサオ様は地位に溺れず謙虚な方だったと聞きます。目立たずこっそりと皆さんを見守っていたのでしょう。そんなマサオ様を白日の下に晒すのは心苦しいですが、私は……改めて皆さんにマサオ様を感じてほしいのです!」


ごめんな、ヒロシ。

俺はこの世界にお前を強く刻み付けたいんだ。お前が亡くなった事でさえ一晩中泣くほどこたえるのに、お前が生きた事実まで希薄になっていくなんて耐えられないんだ。


「さあ! この歴史的瞬間に刮目してください! 神の如きマサオ様のご降臨です!」


布を縛る帯に触れると、まるでこの時を待っていたように結び目が勝手に解かれた。

ヒロシ……久しぶりだな。お前にとっては待望の時なんだろうが。悪い、素直に喜べねぇや。



俺は布に掴んで引っ張――「ダメです拓馬様! は違います!!」






由良様が叫ぶ中、俺は布を引っ張り切ってしまった。






ああ、どうして思い浮かばなかったのだろう……


違和感は至る所にあったんだ。


なぜヒロシは『自分自身の像』を作った?

俺の知るあいつは自己顕示欲が控えめだった。先ほどの北大路しずかさんの証言『マサオ様は偉大であり、謙虚であった』もヒロシのヒロシらしい点を補足している。


あのヒロシが自分の像を、矛盾している……という事は、解釈が間違っているのかもしれない。



日記の内容を思い出せ。

一節に『マサオ様と呼ばれるのには10年経っても抵抗感があるが――』と書かれていた。

てっきり様付けされるのは柄じゃない、という意味だと思っていたが……こうも解釈できる。



自分は『マサオ様』ではない――と。



時間が無かったとは言え、北大路家に保管されていた日記を熟読すべきだった。

『マサオ』の由来について、ちゃんと調べておくべきだった。



ヒロシの日記には不透明な部分が他にもある。

人心を惑わす像のある『降誕の間』をわざわざ式典会場に選んだ理由だ。日記ではヒロシが『降誕の間』を推していた。


おそらくヒロシは『マサオ様の像』に報告したかったのだ。自分が頑張った10年を誇らしく語りたかったのだ。




もっと時間があれば――ヒロシの日記を隅々まで読め込めた。

もっと冷静であれば――ヒロシの『闇』を読み解けた。

もっと思案していれば――1番ヤベェ狂信者の罠に気付けた。


そして、、真実に辿り着けたかもしれない。


けれど、俺は失敗した。

自分で自分を絶望へと追いやってしまった――だから、もうおしまいだ。








マサオ様の像が露わになり、伝説は終わりを迎えた。


信徒たちは神を目の当たりにして滂沱の涙を流す。

取材陣は呆然となりながらマサオ様の像と俺を交互に見て、ポカンと口を広げるばかりだ。




「あああぁ……これが拓馬様のやらかし……歴史的で国家規模の自爆……ワタクシの想像を上回るどころか次元が異なります……」


由良様はお嘆きするのがやっとらしく、座り込んでいらっしゃる。



そんな中。

俺は妙に既視感のある、具体的に言えば毎朝洗面台でお目にかかるマサオ様について一言感想を漏らした。



「マサオ様ってすっごく俺」


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