【やらかした三池氏】
「こうやって隣合って寝るのっていつ振りかな?」
消灯した室内。暗がりの中、凛子ちゃんの声はよく聞こえる。
「三池氏のダンゴになって、どちらかは起きて見張りをしていたから……おそらく就職浪人時代までさかのぼる」
並べた布団に入り、同じ天井を見る。随分と懐かしい。
「そんなに前か~。あの頃は大変だったね、安アパートでルームシェアしてお金を切り詰めて」
「贅沢は敵。節制は美徳」
「まさか、山菜に詳しくなるとは思わなかったよね」
「凛子ちゃんがイケるイケると言った草の三割は人体に優しくなかった」
「そうっかなぁ。あたしが耐えられなかったのは一割くらいだったけど」
「それは凛子ちゃんが鋼の胃袋を持っているから」
「まあまあ、ともあれ。あの頃と比べると遠くに来たよねぇ。三池さんと出会えて、ダンゴになってさ。昔のあたしに言っても信じてもらえないね」
「確かに遠くに来た。三池氏にもらったモノは計り知れない」
「もらったモノは返さなきゃね、これからも三池さんの護衛をガンバロー!」
「…………うん」
「なになに静流ちゃん? 元気がないよ。もう眠くなっちゃったのかなぁ? あははは……はは」
凛子ちゃんの笑い声はだんだん小さくなって、ボソッと一言。
「辞める気なの、静流ちゃん」
闇の中、凛子ちゃん表情は窺えない。しかし、彼女らしくない顔をしているのは分かった。
「……三池氏に迷惑をかけた。まだ、かける事になりそう」
「天道家のパイロットフィルム対決。三池さんが首を突っ込んだのは静流ちゃんのためだよ」
「承知している。感謝の念に堪えない。しかし、ダンゴが護衛対象の足を引っ張るなど不始末にも程がある。これ以上、甘えるわけにはいかない」
「出来るの? 三池さんから離れるなんて。あたしたちは三池さんという空気を吸わないと三池酸欠で死んじゃうんだよ」
「自分が重中毒患者なのは自覚している。タクマグッズを処方して時間をかけて治療していく。それでも無理なら――」
「また
椿静流の名付け親の声に含まれる失望の色に、私は沈黙するしかなかった。
気まずい空気が闇に溶けて部屋に滞留する。息苦しい。
どうするべきだろうか、【椿静流】ならばどうやって謝罪するべきだろうか。
答えの出ない思考の迷路にハマっていると。
「まっ、らしくないシリアスやっちゃったけど、静流ちゃんの悩みなんてなるようになるよ。問題ないって」
いつもの口調の凛子ちゃんが戻ってきた。
「なるようになる、とは?」
「静流ちゃんはね。自分が誰のダンゴなのか、もっと自覚した方がいいよ」
「誰って、それは三池氏だが」
「そう、三池さん! 己の貞操を省みず、世界に殴り込みをかけた史上初の男性アイドルのダンゴなんだよ。あんなビックな人の前ではね、静流ちゃんの悩みなんてちぃ~~っぽけなもん。掃いて捨てて燃えるゴミの日にポイするくらいのチリに同じ!」
「私が長年抱えている問題をそんな雑に」
「辞めたきゃ辞めればいい、リセットしたきゃリセットすればいい。でもね、そんな小手先の行動で三池さんから逃れられるなんて思わないでね」
何という信頼感だろうか。いや、信頼では言葉が弱い。信奉……それでも弱いか、もっと強固なナニか。たとえ三池氏が世界の敵に回っても最後までお傍に、凛子ちゃんからそんな覚悟完了感が伝わってくる。
「んじゃ、おやすみ!」
言いたいことを言い切ってスッキリしたのか、凛子ちゃんの方から毛布を頭まで被った音がした。続けて「ぐにゅにゅふふ。やっだぁ~、三池さんったらだいたぁ~ん……かむひぁにゅふふ」と奇怪な寝言も聞こえてくる。
三池氏ほどのビックな存在の前では、私の悩みはチリも同然か。
炎情社長こと律叔母さんに相談し、高名な医療機関に通い、多くの医者から匙を投げられた私の問題。三池氏なら解決してくれるのだろうか……
凛子ちゃんからぶつけられた説教を、どう受け止めるべきか持て余していると――
「た、たえこぉぉぉ!!」
障子を越えて、陽之介氏の慟哭が響いてきた。
布団を蹴飛ばし即座に起き上がる。今夜、三池氏は陽之介氏の部屋に泊まっている。その部屋主の悲鳴に似た叫び。動かないわけにはいかない。
「行こう、静流ちゃん!」
卑猥な寝言を放っていた相棒も当然のように起床している。私たちは障子を開け放ち、廊下へと飛び出した。
「なんだい、あんた! 血相を変えて」
「た、た、た、たいへんなのだよぉぉ!」
南無瀬邸の奥。領主夫婦の部屋や、三池氏と陽之介氏の処理部屋がある立ち入り制限区域。陽之介氏が妙子氏の腰に巻き付きアタフタしている現場に私たちは駆けつけた。深夜にこれだけの騒動、多くの組員も何事かと集まってくる。
「落ち着いて説明するんだ、どうしたんだい?」
「そ、そ、それなんだが」
陽之介氏が落ち着くのを待ってはいられない。私と凛子ちゃんは南無瀬夫婦の横を通り過ぎ、陽之介氏の部屋へ急いだ。
彼と一緒のはずの三池氏がいない。悪い予感がする。
「三池さん!」
「三池氏!」
的中か、陽之介氏の部屋で倒れ伏す三池氏を発見する。
「呼吸!」
「している。アルコール臭を確認。三池氏、三池氏――呼びかけに反応なし」
「脈拍は安定……と。顔色は……うん、大丈夫。念のため回復体位にしよう」
「了解。嘔吐対策の袋と水も用意するべき」
三池氏の状態を把握する。どうやら酔って眠っているだけだ。しかし、油断は禁物。
お酒で火照った三池氏の色気は脳をトロトロさせるが、それに負けてはダンゴの名折れ。私と凛子ちゃんは互いの瞳に肉気が灯ればビンタし合って理性を保ち、テキパキと処置に務める。
そんな私たちの耳に、陽之介氏の叫びが届いた。
「酔ってウェーイな三池君が、由良様に告白と勘違いされる電話をしてしまったのだよ!」
「…………」
「…………」
「…………」
今の今までの騒動が嘘のように、南無瀬邸から音が消え去った。
そして――
「ごふぅ」
妙子氏が出したと思われる声。ストレスで臓器を痛めた声だ。
「ほらね、静流ちゃん」
三池氏を介抱しながら凛子ちゃんが言う。
「三池さんほどビックな人なら、やることもビックでしょ。静流ちゃんの問題なんて小さい小さい」
「かもしれないが、よりビックな問題を引き起こすのは如何なものか」
「それね」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
酔っ払った三池氏が何をやらかしたのか。
詳細は録画されている、というので陽之介氏の携帯動画を大型テレビに移して組員総出で確認する。
結果。
「夢だねぇ……これは悪い夢に決まっている」
「たえこぉぉぉ! 目を覚ましてくれぇぇ!」
「妙子姉さん! しっかりするんや! あかんて、脈が弱まっとる!」
妙子氏がズシンと背中から倒れた。陽之介氏と真矢氏の呼びかけにも無反応で、死期の迫りを感じずにはいられない。
「お、お酒の入った三池さん。なんて恐うらやまけしからんもっとやってあたしオンリーに」
凛子ちゃんが頬に伝わる汗を拭いつつ、胸中を溢れさせている。多くの組員も酔った三池氏の破壊力に戦慄と興奮を禁じ得ない様子だ。
私も同様だが、それ以上に。
「静流ちゃん、抑えて。そんなに強く握ったら拳から血が出ちゃうよ」
「むっ、忠告感謝。知らずに高ぶっていた」
「姉妹制から抜けて自分は絶世の美男子のダンゴになり我が世の春を謳歌していたら、いつの間にやら姉妹の方が多くの役得をもらっていて大逆転。静流ちゃんの憤りは分かるよ」
「やめて。私の心をナマのまま出荷するのはやめて。オブラートに加工を希望」
天道歌流羅は捨てたはずの過去だったのに……私の中には【天道歌流羅】がリセットされずに残っているのか……
「あ、危うく吐血するところだったよ」
あの世のドライブから戻った妙子氏が陽之介氏に支えてもらいながら立ち上がる。
「あかん、動いたらあかんて。今すぐ横にならんと」
「そうもいかないねぇ。早く由良様に電話をして謝罪しないと」
「せやけどこんな夜更けに? 明けてからの方が失礼がないとちゃう?」
何とか妙子氏を休ませようとする真矢氏。が、妙子氏からは悲壮な決意が垣間見える。
「いや、礼を気にしている場合じゃない。三池君の電話で由良様はトンじまった可能性がある。放っておけば三池君の思いに応えようと、ここまで押しかけてくるかもしれないねぇ」
「由良様が拓馬はんに執心しとるのは感じとったけど、そこまでなん?」
「そこまでさ。あのお方は三池君の
「むっ、聞き捨てなりません! 三池さんの一番はあたしです!」
「三池氏にファーストコンタクトしたのは私と、次点で凛子ちゃん。国主とは言えど、一番を称するのはNG」
思わず反論する私たちに、妙子氏は死相の出た顔をげんなりさせながら言う。
「そういう意味じゃない。あのお方は会員ば……い、いや今はそれよりも」
「お待たせしました、妙子様」
廊下の向こうからやって来た数名の組員が妙子氏を囲む。彼女らの手には化粧道具やスーツがあった。
寝間着でノーメイクだった妙子氏は、瞬く間に執務を行う際の出で立ちにコーディネートされていく。死人のように白い顔が、一見血の気があるように施された。うすら寒いほどのメイク術である。
「こんなところか」
鏡で自分の外見を確認した妙子氏は「中御門邸にお繋ぎしろ」と指示を出した。
『これはこれは南無瀬妙子様。こんな時間にどのような御用向きでしょうか?』
審判の間として選ばれたのは、妙子氏が執務で使う部屋の一つ。
中御門邸とテレビ電話を行う妙子氏を、障子で挟んだ陽之介氏の部屋から見守る。同時にこの部屋でスヤスヤと眠る三池氏の体調が悪化しないか目を光らせることも忘れない。
この部屋にいるのは、私と凛子ちゃんと真矢氏、それに陽之介氏。
領主同士の電話に聞き耳を立てるのは恐れ多いが、今の妙子氏は満身創痍である。誰かが見ているべきであり、三池氏に関わることはダンゴとして知っておきたい。そう無理を通して、私たちは隣室から覗いている。
「常識外れの時間に電話する事をお許しください。どうしても由良様のお耳に入れたい事があります」
『由良様へのお取り次ぎをご希望ということですね?』
妙子氏と喋っているのは中御門邸の管理総括者。以前、三池氏を世界文化大祭招致の晩餐会へ参加するよう焚きつけた老齢の女性である。天道家のメイドと同じく人を喰ったような性格をしており、要注意として私の中で登録されている。
「ご就寝中でしたら時間を改めますが、もし起きていらしたら是非に」
『今の由良様は眠気とは無縁でございます。南無瀬様からの電話と伝えれば、喜んでお取りするでしょう』
「そ、そうですか」
妙子氏の肩からシュワシュワと生気が抜けていく。二メートル弱の身体が小さく見えて仕方ない。
ところで――
「ところで先ほどからそちらが騒がしいようですが、何かあったのですか?」
妙子氏も察知したように、テレビ電話の向こうから絶え間ないサイレンや人の声がする。火事場の如き喧騒だ。
『ああ、お気になさらずに。少々、中御門邸の庭が荒らされましてね。夫婦岩の妻側が完全破砕されたり、地面に大穴が空いたり、芝生に幾何学的な模様が刻まれた程度ですから』
それは少々程度で済ませていいのだろうか。
「一大事ではないですか、賊が侵入したのですか!?」
『いえいえ、物騒なことではありません。当家では警備する犬やロボットを庭に放っておりまして、ええ、それらがちょっとハシャいだだけです。最近の風物詩で、可愛いものですよ』
まるで暴れられるのが嬉しいような使用人。中御門邸の闇は深い。
『それより由良様ですね。すぐにお繋ぎいたします』
使用人の言葉は正確で、十秒と経たずに由良氏へと画面は変わった。
深夜であるのに由良氏の服装は、普段の白衣に緋袴をグレードアップして多彩の装飾品を付与したもの。式典で使用されているのを何度か目にしたことがある。
「うわぁ」
凛子ちゃんが小さく漏らす。
うわぁ。まさにうわぁ。
深夜なんぞ知ったことかと元気凜々の由良氏。軽い運動でもしたのか、顔が上気している。三池氏のやらかし行為の大きさが嫌でも伝わってくる。
『妙子様! ごきげんよう!』
由良氏、めっちゃテンション高し。
「ご、ごきげんよう。ゆ、ゆらさま……ごぼぇ」
対して妙子氏、低空飛行のテンションを保てず墜落の模様。
『拓馬様の件でのお電話でございますね!? 拓馬様はご機嫌麗しいですか?』
「そ、それはもちろん」
もちろん、三池氏はご機嫌に寝息を立てている。自分の所行など知りもせず。
『妙子様から電話があるかもしれない、と使用人に言われて待っていたのは正解でございました。ワタクシったら時間も弁えずにそちらへお邪魔しようとプライベートジェットに飛び乗るところでした。うふふふ、はしたない』
おおう、由良氏が正装していたのは南無瀬邸に挨拶に行くためだったと。
これは不味い、実に不味い。
ギシギシギシ、と妙子氏の胃が軋む音がする。胃は追い詰められるとこんな音を出すのか、と知りたくもない知識を得てしまう。
『拓馬様からの急なお電話には驚きましたが、あれは逸る心を抑えきれなかったからですね、ワタクシには分かります。本当に愛くるしいお方……こちらの心はずっと前から決まっていますのに。妙子様は拓馬様のお気持ちを正式に伝えるためにご連絡してきたのですね? 領主として、一人の女として、ワタクシ……半端なお返事は致しません』
何という粋な気性だろうか。物静かで上品風な由良氏にこんな一面があったとは。
「しょしょうなのですが、みいけくんのでんわはですね」
妙子氏の方は、通常の気っ風の良さは消滅し半端な言葉しか出せていない。
「たえこぉぉ」
妻の痛々しい姿に耐えきれず、陽之介氏が名を呼ぶ。
「あ、あんた」
妙子氏が縋るような目を隣室の夫に向ける。
「僕が付いている。健やかな時だけじゃない、病める時だって僕はいるぞぉぉ」
「あんたぁぁぁ!」
「あかん、泣けてまう」
「ええ光景ですねぇ」
その尊さに真矢氏と凛子ちゃんの涙腺がダメージを受ける。
『妙子様? あら?』
「……見ていてくれ、あんた。あたいの生き様を!」
「たえこぉぉ! 僕は目に焼き付けるぞおぉ」
『あらあら?』
突然始まった愛の夫婦劇場に不思議がる由良氏。妙子氏はそんな彼女へ悲しみしか生まない事実を告げる。
「三池君の電話ですが、あれは酔っ払った上での行為です。彼の本心からの行動かは分かりません。どうか心を落ち着かせてください。ちなみに電話した意図は、普段お世話になっている由良様へ感謝を述べたいだけで――」
そこまで言わなくてもいいのでは?
と思うが、夫に応援されて勢いが付き過ぎたのか、妙子氏は言い切った。
「三池君の電話に、由良様が思い描く巨大で幸福な未来図はございません!」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「――その後、どうなったんですか?」
「由良様は顔を伏せて『そうでございますか』とだけ残し、電話を切ってしまった。妙子の方は『終わっちまった、全部』と言い意識を手放したのだよ。今も自室の布団の中だ」
ダブルKOになってしまったのか。
昨夜の顛末を全て聞き終えた俺は空を仰いだ。
本日は快晴なり、ただ平和な青空だけが広がっている――なのに、俺の周りの荒れ具合と来たらどうだ。泣けてくる。それを作ったのが酔った自分と言うので余計に泣ける。
「三池さん」
「三池氏」
「拓馬はん」
南無瀬組・男性アイドル事業部の面々を始め、組員さんらがやって来た。
思えば、さっきから「Noooo!!」とか叫んでいるのにダンゴたちが現れなかった。みんな、俺が罪を自覚するまで待っていてくれたのか。
「すみませんでしたあああ!!」
やるべきは土下座。それ以外にない。
俺は畳に頭を擦り付けて、周囲の人々に謝り
「うちらは、ええねん。それよりまずは由良様や」
「公務をお休みしちゃいましたからねぇ」
「一にも二にも誠意を見せるべき」
もはや面目を立てることも、ジョニーを勃てることも出来ない俺だが、せめて責任は取らなければならない。
「……由良様に謝罪の電話をします」
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