成るための条件

「椿さんって演技が上手いですよね。演劇でもやっていたんですか?」


「特には」


「経験がなく、才能だけであんな演技が出来るなんて凄いですよ。俺なんて『演じるッ』と意識すると動きがぎこちなくなるばかりで」


「その『演じるッ』が良くない」


「えっ?」


「演技は演じるものではなく、『る』もの。自我を放棄し、対象に『成る』もの」


「成る……」


「対象そのものに成れれば、それが普通」



いつかした会話だ。

演技に悩める俺へ、椿さんは何でもないように天才肌な言葉を贈った。

思い返せば天道てんどう歌流羅かるらだからこその助言だろう。


そんな天才の部屋に今、俺はいる。





「歌流羅様が出て行ったままの状態にしております。もちろん、私が定期的に掃除していますので清潔さは保証します」


性根は汚いが仕事は綺麗なメイドさん。しゅうとめごっこと称して窓枠を指でなぞってもホコリ一つ付かないだろう。


「ここで椿さんは育ったんですね」

視線を忙しなく動かしながら、彼女の部屋を進む。天道家の豪邸だけあって歩き甲斐のある広さとカーペットだ。

かつて出演したのであろうドラマや映画の小道具が棚に飾られている。しかし、空いたスペースに適当に置きました感があり、雑な印象を受けてしまう。


机やベッド周りは高級家具で固められているが、それだけ。椿さんの私物は一切ない。


『自我がとても儚い』


由良様が歌流羅さんを評した言葉を思い出す。言い得て妙だ。ここからでは部屋主が何を好み、普段どう過ごしていたのか読み取れない。


「タクマ。歌流羅姉さんは本当に体調が悪いの?」

天道屋敷の案内を買って出た三女の紅華くれかが不安げに尋ねてくる。


「ああ、今も療養中。なかなか治らないから一旦南無瀬領に戻ってもらう予定だ」


「そ、そう。良かった……って良くはないけど、あたしたちに会いたくないから来ていないんじゃないのね?」


「当たり前だろ、そんなの」

俺は声に力を入れた。

未だ椿さんの胸の内は分からないけど、姉や妹たちを嫌って天道家を出て行ったのではない。そう信じたかった。


「そっか……」

紅華は俺の返事を額面通りに受け取ってくれただろうか。もの悲しい笑みを浮かべる彼女の胸の内もまた測れない。

「ねえ、あんたと一緒だった時の歌流羅姉さんってどんなだった? あの人は誰かに成っているか、ぼーっと空を見ていることが多くてさ。妹のあたしでも何を考えているのか分からなかったんだ」


姉を『あの人』と言う紅華。それだけで姉妹の距離が遠かったことを察してしまう。


「歌流羅さん、俺にとっては椿さんだけど……その」


俺の着替えを覗いたり、私物をクンカクンカしたり、年中発情顔を晒して、セクハラするために生まれてきたような人だったよ――と、ご家族の方に告げるほど俺は残酷な人間ではない。


「ダンゴとしてとても優秀で、何度も危ないところを助けてもらった。それに豊富な知識を持っていて、色々なことを教えてもらったな。無表情な事が多いけど、意外とノリが良くて面白いんだぜ」


「それが歌流羅姉さんの今のキャラなんだ。あたしたちの前からいなくなった時は心配したけど、幸せそうで……ま、まあ安心したかな」


紅華の言葉や、らしくない寂しげな表情には幾つかの疑問点があったが――


「でもタクマと一つ屋根の下って幸せ過ぎだよね。毎日パパ活が出来るじゃない」

とブツブツ呟き出したので、そっとしておくことにした。




「ねえねえ、タッくんタクマお兄ちゃん


天道家ツアーガイドの一人であり、四女の咲奈さんが話しかけてきた。

一時期は俺の事を「タッくん」と呼んではばからなかったブラコニストの彼女だが、最近はお兄ちゃん呼びに戻っている。

咲奈さんの中のブラコンが沈静化したんだねヤッター! と楽観視するのは危険である。

だって、咲奈さんが俺を呼ぶ時、隠しても隠しきれないナニかが副音声の如く聞こえてくるのだ。


「歌流羅お姉さまは私について何か言ってた? ほら、私の芸能活動に感想とか言ってなかった?」


「ええっと……その」


天道咲奈は可愛らしい見た目をしているが、デンジャラスガール。略してDガール。疑似弟のためなら血を分けた家族ですらバイオレンスする恐れあり。三池氏、惑わされないように――と言っていたよ。なんて正直に告げるほど俺は危機管理のない人間ではない。


「まだまだ芸能界での経験は浅いけど、将来有望だって褒めていたよ」


「わぁ、ほんとほんと!? 嬉しいなぁ!」

咲奈さんがピョンピョンと跳ねながら喜びを表現する。ここだけ見れば年相応の子どもだよな、ここだけ見れば。


それにしても椿さんに苦手意識を持ってそうな紅華と違って、咲奈さんは自然体だ。

紅華はどちらかと言うと努力型なので天才肌の姉とは相性が悪い。対して咲奈さんはまだ子どもだから、失踪していた姉の居場所が分かって単純にハッピーなのかな。


「――でも、これまで何度か会っていたのに歌流羅お姉さまは正体を隠していたんだよね。他人の振りをして……もう、歌流羅お姉さまが元気になったらいっぱいお喋りするんだから。ぷんぷん」


これまた子どもらしく頬を膨らませる咲奈さん。

ふふ、大人びた所があっても本質的には幼いんだな。プリティなリアクションに安堵の息をついた俺だが――


「そして、タッくんタクマお兄ちゃんとの生活を徹底的に追求する。ソフトタッチでもしていようものなら、誰の弟に手を出しているのか分からせないと」


咲奈さんの小さな呟きをうっかり聞いてしまい、自分の聴力の良さを嘆いた。ラブコメの難聴主人公が心底羨ましい。



「拓馬はん、準備できたで」

廊下から真矢さんがやって来たところで俺の頭は撮影モードに入る。


天道家ツアーは撮影準備の合間、手持ちぶさただったブラファザコンが企画してくれたこと。椿さんの過去を知りたかった俺は渡りに船だと乗ったが、最優先事項はパイロットフィルムだ。


「了解です。気合入れていきます」

さあ、切り替えていこう。





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





パイロットフィルムのリハーサルは熾烈を極めた。まさに嵐の如く。


脚本家の寸田川先生と監督さんの意向に沿って天道屋敷の至る所で撮影は行われた。

最初に撮ったのは、まだ幸せだった頃の主人公一家である。

ちなみに主人公一家の名字は『早乙女さおとめ』と設定され、俺の役名は『早乙女たんま』となった。


たんまは名に反してグイグイと姉や妹に近付く。

リビングのソファーに座って早乙女三姉妹とたんまで談笑するシーン。俺は出来うる限りの愛情表現を駆使し姉妹に迫った。

結果、長女役の祈里さんが心不全を起こして、撮影は一時中断となった。


「祈里様はこの日のために滝に打たれて明鏡止水の心境に至っていましたのに。およよよ、タクマ道とは死ぬことと見つけたりなのですね」


テキパキと主人を介抱しながらメイドさんは悲しみの涙を流す。泣く前にメイドさんが目薬を差していたのは見間違いじゃないだろうけど見間違いなのである。


結局、たんまの両サイドはブラファザコンが固め、長女は少し離れた場所に配置された。


「……うごいてる。私の心臓は……まだ、うごいていますのに」

心臓を患うどこぞのサッカー選手みたいなことを言って悔しがる祈里さんに、俺は掛ける言葉を見つけられなかった。


さて、和気藹々わきあいあい(強弁)だった早乙女家に波風が立ったのは、長女がお見合いに成功して結婚相手をゲットしたからである。早乙女家長女は天道家長女と比べものにならないほど優秀だ。


ここで登場するのが、結婚相手役を務めるジュンヌさん。


「今回ほど過酷な撮影は初めてですね。スタントマンがほしい」

会話シーンにスタントを所望するほどジュンヌさんは悲壮な顔をしていた。

「とはいえ手加減はやめてくださいよ、タクマ君。男性から面と向かって嫌悪される。その苦しみに耐えてこそ、自分は男役として高みへと行けるんです」


大丈夫かな、ショックでより高みへ逝かないかな。

という俺の心配を良い意味で裏切り、ジュンヌさんはたんまの嫉妬の視線に耐え、役柄を完璧にこなしてみせた。


「お疲れ様ですジュンヌさん! 凄いじゃないですか!」

出番が終わり、満身創痍の彼女に駆け寄る。


「ふっふぅううぅ……防弾チョッキを着て来たのは正解でしたね」

戦場から生還したような顔で、ジュンヌさんは勝利の笑みを浮かべる。

えっ、そんなの装備していたの? そんなので防げるもんなの?

ツッコミどころ満載だけど彼女が無事で良かった。


「ま、まあそれでもあばらの二、三本にヒビが入ったみたいですけどね」

どうやら無事じゃなかったみたいだけど、この世界の女性にとって男の眼光はガン光みたいだけど、ともかくジュンヌさんが生還したことを俺は歓迎することにした。

もうね、肉食女性の生態について詳しく考察したら、思考の袋小路にいらっしゃいませで頭がどうにかなりそう。



その後もリハーサルは難航した。

祈里さんが召されかかったり、愛される悦びを知ったブラファザコンが性癖を強化したり、撮影を見守る南無瀬組が用意していたストレス発散用サンドバッグを一ダース使い潰したり。


そんなこんなの果てに――


「リハーサルはここまでだね。みんなお疲れ様」

寸田川先生から終了宣言がなされた。


「お疲れ様でしたー」

「お疲れ様でしたー!」

「…………」

「祈里様、そんな所で朽ちていては家長の面目が保てませんよ」

「お疲れ様でしたー」


後片付けに奔走するスタッフさんたちを少し離れた所から見守っていると。


「やあ、タクマ君。ちょっといいかな」

寸田川先生がこちらに近寄ってきた。なぜか曖昧な顔をして。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「なるほど、たしかに」


中御門家の南無瀬組用離れ。自室に戻り、テレビでリハーサルの映像を確認していた俺は寸田川先生の懸念を理解した。


「君が提唱したヤンデレ。本当にこれでいいのかな? 時間がないから今日はスケジュールを優先して、君の演技には極力口を挟まないようにしたんだけど……浅いんだよね」

寸田川先生の感性は正しい。


姉や妹の下着をこっそり漁り口元を歪ませる作中の俺はただの変態にしか見えない。婚約者登場後、愛ゆえの狂気に取り憑かれて奇行を重ねていくが、ただのサイコパスだ。俺が思い浮かべるヤンデレとは何か決定的に違う。


寸田川先生の言葉を引用すれば「浅い」か。


このままじゃダメだ。

天道美里さんの『親愛』に勝つ鍵は『深愛』。浅い演技では太刀打ち出来ない。

明日、俺は南無瀬領に帰る。『みんなのナッセー』の収録のためだ。それが終われば、再び中御門領に赴き、パイロットフィルム撮影の本番となる。

悩める時間は多くない。急ぎ演技の浅い原因を掴み、練習しなくては!





「それで、私の所に」


「病人の椿さんにアドバイスをもらうのが非常識なのは自覚しています。でも、一人でゆっくり考える時間がなくて」


「気にしないでほしい。むしろ、頼ってくれて感謝。今回の件で、私は三池氏に何の貢献もしていない」


ベッドから上半身を起こして、椿さんは真摯に俺の話を聞いてくれた。

彼女の鼻がピクピクと三池氏成分タクマニウムなるモノの吸収に励んでいたり、実の姉や妹が(演技とは言えど)俺の愛情を一身に受ける事実に毛布を引きちぎっていたが、どちらかと言えば真摯に聞いてくれた。


「どうして俺の演技は浅いんでしょう? 頑張ってヤンデレを演じているつもりなんですけど」


思わず弱音が出てしまう。偉そうに提唱したヤンデレなのに再現出来ない。その事が俺を弱気にしてしまっている。


「前にも言ったが、演技は演じるものではなく『成る』もの」


「成る……」


「三池氏は、『早乙女たんま』という血の繋がった姉や妹に欲望を向ける現実にいたら羨まし過ぎて実の姉妹コロコロ確定ボーイに成りきっていない」


「リハーサルの直前に脚本をもらったから練習不足だったのは否めません。短い時間ながら俺なりに『早乙女たんま』を解釈して成ったつもりだったんですけど」


「本当に? では訊くが、三池氏は撮影中に、そ、その……」

椿さんが苦虫を百匹噛まないと作れないような顔をして、血反吐一歩手前の様子で言葉を続ける。

「天道祈里や紅華や咲奈を押し倒したいと思った?」


「いいっ!? そ、そんなこと思うわけが……あっ」


「三池氏の演技が浅いと思われているのは、形ばかりのヤンデレをやっているだけで中身がないから」


「ヤンデレの中身……それって行き過ぎた愛、ですね」


「異性に向ける愛は、どんなに高尚な言葉で取り繕うとも欲望が伴うもの」


「欲望、つまり性欲」


「うむ。三池氏が深愛の徒であるヤンデレに成るには性欲が不可欠」


性欲が不可欠。

ズシンと股間に響くアドバイスだ。


ここ一ヶ月ほど、俺は性欲と無縁に生きていた。若い身空みそらにも関わらず、麗しい女性たちと接していても下半身が無反応だった。

性欲の枯れた者はヤンデレに成れない。理屈でなく本能で理解できる道理だ。


「…………ジョニー」


「ん? 三池氏、なにか言った?」


「いえいえ! 何でもないです。ご助言ありがとうございましたっ! 夜も遅いですし、俺はこれで!」


「あ、三池氏……」

話し足りなそうな椿さんの声を背にして、俺は彼女の部屋を出る。


答えは得た。

問題はそれを如何にして実現するかだ。


パイロットフィルム対決に勝つには、俺がヤンデレに成り『深愛』に至るには。


――お前が復活しなくちゃいけないんだ、ジョニー。

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