彼女の育った家

「そのお話、天道家に仕える者として賛同致しかねます」


タクマ・ヤンデレ計画の全容を聞いたメイドさんは「申し訳ありませんが」と頭を下げつつ、そう言った。


「えっ?」予想外の反応である。

主人の醜態を生きる糧にしている彼女のこと、きっとノリノリで受け入れると思っていたのに。


「無論、私には祈里様の御意志を覆す権利はございません。祈里様がヤンデレタクマさんを快諾してエンドレス御気絶したとしても、それを咎めるのはメイドの領分を超えています」


「だから祈里嬢が未だ眠っている間に、ボクたちへ苦言を呈したいのかい?」


「かの有名な脚本家様や黒一点アイドルのタクマさんに苦言を呈するなどめっそうもありません。ただ――」


メイドさんは負ぶっていた祈里さんをゆっくり畳に寝かせつけた。祈里さんの頭の下に折り曲げた座布団を入れて枕代わりにするなど、安眠への配慮が窺える。


「――ただ、祈里様の安全面にもっと注力していただければ、と思う次第です。この企画のままに作品が完成しますと、祈里様は死にます」


「死ぬって、んな大袈裟な」と楽観主義になるには不知火群島国の暮らしが長すぎた。約一年間のサファリパーク生活で、俺は肉食女性の恐ろしさを骨身に染みて学んでいる。


「先ほど、祈里様の物と称したパンツをタクマさんが使った(意味深)そうですね。何やらペロしゃぶクンカしたと……その垂愉悦モノの光景を見て南無瀬組の方々はどう思いましたか?」


「どうもなんも、そら羨ましい気持ちがなかったとは言わへん。せやけど、所詮しょせん演技やさかいそれ以上の感想はない」


「本当ですか? ヤキ入れのヤの字も考えなかったのですか?」


「あ、当たり前やん。南無瀬組はこれでも淑女的な組織で通っているんやで」


真矢さんの少し辿々たどたどしい言葉に「う、うんうん」と、これまた辿々しく肯く組員の皆さん。


「そうそう淑女! 天道家の長女さんが倒れた時、あたしたちはすぐ駆けつけて手当したんですよ。気に入らない相手に淑女的な真似するわけありません!」


音無さんが堂々と言い放つ。


「大変失礼致しました。祈里様を介抱した方々に不躾なことを申しまして……てっきり、祈里様が気絶したのをいい事にどさくさ紛れて追撃しようとする輩がいたのでは――そう、邪なことを想像してしまった私をお許しください」


「わ、分かればいいんですよ」

音無さんの目は一流スイマーのようだ、今日も元気に泳ぐ。


一般人より我慢強い南無瀬組でもこのリアクションか。

仮にコンペ勝負に勝って、フロンティア祭でヤンデレストーリーを公開したとすれば……その日が祈里さんの命日になるのは必至だ。

祈里さんたちを助けるためコンペ勝負に介入したのに、逆に死地に追いやっては本末転倒ってレベルじゃないぞ。


「メイドさんのご指摘はもっともです。俺がヤンデレしつつ、共演者に危険が及ばないやり方を考えてみます。寸田川先生もそれでよろしいですか?」


「アイディアの生みの親に頼まれちゃ断れないね。いいさ、ボクとしても自分の脚本で人死にが出るのは避けたい」


「お二人のお優しさには幾ら感謝しても足りません。およよよ」


メイドさんがハンカチを取り出して目元を拭っている。

なんだかんだ長年天道姉妹を育ててきた人だ。自分の愉悦より愛しい子どもを優先している。俺は少しメイドさんの評価を改めることにした。


「――と、言うことで私から一つ提案があります。この際、タクマさんを天道家の一員にしてはいかがでしょうか?」

感涙していたはずのメイドさんがケロッとした表情で、なんか言い出した。


「お、俺がなんですって?」


「天道家に入るのでございます」


「「「「あ゛っ?」」」」


「南無瀬組の皆様、どうか殺気をお収めください。作品中での話です」


「ふぅん、タクマ君のキャラ設定をいじって、祈里嬢や紅華嬢の兄弟にするつもりかい。なんのために?」


「祈里様たちへのヘイトを減らす措置です。現状の問題点は、婚約者のいる祈里様がタクマさん演じるもう一人の男性からも想いを寄せられ、結果的に二人の男性を弄んでいる感があること。未婚女性から暗殺されても文句の言えない境遇でございます」


「ふむふむ、続けて」


「この『弄んでいる感』を如何に無くすか。それが祈里様たちの生死を分かつことになるでしょう。そこで私はタクマさんを血の繋がった兄弟にすることを提案します」


「俺が、祈里さんの兄弟に……」


「タクマさんには、実の姉や妹に欲情する存在になってもらいます。女性にとって都合の良すぎるファンタスティックキャラクターです。しかし、倫理観の強い祈里様たちはタクマさんの想いに応えず、お気持ちを婚約者の方へと向けます」


「なるほど、そうか」

寸田川先生がポンと手を叩く。

「近親相姦は法律上アウトだけど、兄弟持ちの女性なら誰だってお手つきをしちゃうのが世の常。そんな中、手を出さない女性は希有だ。しかも兄弟の方からアプローチしてくるシチュで、その恋慕を拒むとは見上げた理性じゃないか」


「いかがでしょう? タクマさんを天道家の一員にするだけで、祈里様たちは『二人の男性を弄ぶ極悪人』から『婚約者がいるのはムカつくが、肉親の男性には手を出さないギリギリ許せそうなクズ』になります」


「いいね。タクマ君が祈里嬢たちと同じ屋根の下に住んでいるなら話を作りやすい。ヤンデレ行為のレパートリーも増やせそうだし。タクマ君もそれでいいかい?」


「いぃ……そ、それは」


ちょ待てよ。『親愛なるあなたへ』では天道美里さんの息子役をする予定で、この『ヤンデレモノ』では祈里さんたちの兄弟役をやれって言うのか。天道家という棺桶に片足突っ込んだ気分だぞ。


だが、祈里さんや紅華や咲奈さんの安全を考慮するなら、天道家入りする他ないか。

南無瀬組の方をチラリと見ると、みんな苦虫を1ダース噛む顔をしながらもグッと堪えていた。俺の意見を尊重してくれるらしい。


「……了解です。一時的ですが、天道家に厄介になります」


「タクマさんの寛大さに私は感動を禁じ得ません」

メイドさんがとても良い笑顔をする。俺には邪悪にしか見えない笑顔だが。


「じゃあ、今日のところはこの辺で、良いですよね? 続きは寸田川先生の脚本が出来てからで」

パンツァーにジュンヌさんにメイドさんの三連コンボ。もう俺のメンタルライフはゼロよ。


「お待ちくださいませ、タクマさん。まだ肝心の提案が残っています」

「へっ?」


だと言うのに、メイドさんは「まだ私のターンは終わっちゃいません」とばかりに、更なる一撃を加えてきたのであった。






☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆






「早まった」


四日後。

俺はパイロットフィルムのリハーサル撮影に赴いていた。脚本の読み合わせとか練習とかすっ飛ばしていきなりリハーサルだ。

昨日、寸田川先生から「ひひ……やったぁぁぁ。できたぁ。全部できたぁ、褒めてよタクマくーん」と脚本完成を報告する電話があった。あれは、生きた人間の出せる声じゃなかった。

寸田川先生、俺からヤンデレアイディアをもらって以降、一睡もせずに試行錯誤を繰り返して脚本を書き上げたらしい。


その脚本だが、寸田川先生からデータが送信されてすぐ日本語に翻訳した。毎度の如く、不知火群島国語の脚本を真矢さんに読んでもらって、それをノートに日本語で書き起こしていくやり方で。脚本を読み上げながら、怒りで声と身体を震わせる真矢さんがとても怖かったです、はい。


そうして翻訳したストーリーだが、寸田川先生の作品らしく酷いの一言。ヤンデレ提唱者の俺が言うのも何だが本当に映像化していいのか不安でならない。


――と、もう一つ。俺には不安でならないことがある。


「早まった」

撮影の舞台である『天道家の屋敷』を見ながら、俺は再び呟いた。







話を四日前に戻そう。


「撮影を、天道家の屋敷で?」


メイドさんの『肝心の提案』に俺は声を震わせた。


「タクマさんが天道家の一員になられるのなら、撮影のほとんどは家の中で完結します――そうでございましょう?」


「メイド君の言うとおりかな。まだ大まかな流れしかボクの頭にないけど、男性が屋外に出るのはまれだし、ほぼ屋内の撮影になるね」


「撮影場所を選定し、許可を頂くにはそれなりの時間が掛かるのではないでしょうか? 特に今回は期限が短く難儀すると予測されます。そこで天道家の屋敷です。祈里様たちでしたら喜んで提供するでしょう。アイドル姉妹とヤンデレ男子が住む家として、タクマさんが考えたストーリーラインにも合致しますし、私が責任を持って管理していますので大勢のスタッフ様を迎える準備は万端でございます」


矢継ぎ早に喋りまくるメイドさん。

しかし、その内容はいちいち説得力がある。


「はん、拓馬はんを自分たちのエリアに引き入れてズブズブな関係になりたいんやろ。そうはいかへん。撮影場所なら南無瀬組が総力を挙げて見つけるで」

真矢さんが意気軒高な言葉で、メイドさんの願いをぶった切った。


「……ズブズブなんて、私がそんな破廉恥なことを考えるわけがありません。ただ、撮影が円滑に進むよう提案しただけなのに……およよよ」


「「「…………」」」


メイドさんの嘘泣きに心動かされる者は、この場にいなかった。


「……こほん」旗色が悪いと察したのか、メイドさんは体勢を整えた。

「それはそうと、天道家で撮影して頂きたい最大の理由があります」


「へぇ~」これ以上、どんな戯言を吐くのかと俺が懐疑的になっていると。


メイドさんは表情を真面目一辺倒に変えて言った。



「一度、タクマさんには見て感じてもらいたいのです。かつて歌流羅かるら様が育った家を。あの方が何を考えて生きていたのかを……」





☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆





天道歌流羅こと椿静流さんの育った家。

そこに行けば、椿さんの不調を回復させる具体的な手段が浮かぶかもしれない。

メイドさんの術中にはまるのは不本意だが。


「虎穴に入らずんば虎子を得ずというやつだな」

俺は覚悟を決めた。



天道家の門の前に車を停め、組員さんたちと共に外に出る。

門横のブザーを押すより先に。


タッくんタクマお兄ちゃん、いらっしゃ~い! ずっとずっと待ってたんだよ~」


「ったく、やっと面と向かって会えたわね。あんたには言いたい事もやりたい事も積もりに積もっているんだから。覚悟しなさいよ!」


「しゃ咲にゃ、くぅれ華、二人とぉも行儀良く! た、タクマつぁんが我が家にキたのよほぉお」


「祈里様が一番行儀悪くなられていますよ。最近は安定していましたのに、また挙動不審が再発して」


パンツァー、ファザコン、ブラコン、堕メイド。

屋敷のドアがバァーン! とド派手に開き変態四人衆が現れた。俺をエスコートするべく急ぎ足でやって来る。逃げ場はない。


彼女たちの心底嬉しそうな顔を見ていると思うのだ。



ここは虎穴よりずっと恐ろしい穴ではないかと。

油断すればズブズブと穴の中に入れられてしまうのではないかと……


「早まった」

リハーサル撮影開始前から俺の覚悟は崩れそうになった。

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