彼女の変調、【元天道家の者たち】
コンペ勝負。天道家にとっての世紀の大一番が一カ月後に開催される。
勝負に負ければ祈里さんたちは、どこぞの男性と結婚してしまう。その境遇に同情を寄せてしまいそうになるが、深入りしてしまうと「そこまで心配してくれるなら『タクマさんorお父さんorタクマお兄ちゃん』が私たちと結婚してよ」と言われかねない。
中途半端な優しさは残酷だ。俺は天道家に婿入りするつもりはない。
日本に帰るのが最終目標な俺である、いずれ別れる世界に妻や子供を残すなんて人間として最低だ。
それに現状ギリギリのバランスで保たれている俺の貞操は、誰か一人と深い仲になった瞬間に終わる。ダンゴたちや南無瀬組員、タクマのファン、彼女らが暴徒と化して目と耳を覆いたくなる壮絶な修羅場が作られるだろう。
何より渦中の俺が搾りに搾られ、ベッドで変わり果てた姿になるに違いない。ガクブルである。
そういうわけで、俺は一定の距離を取りつつ、コンペ勝負に参加しようと思っていた。
今回のパートナーである天道美里さんは多忙な人のようで、パイロットフィルムの撮影の前に海外でやり残してきた仕事を片付ける、と不知火群島国を離れてしまった。
撮影は二十日以上先だ。それまで俺が出来るのはパイロットフィルム用の脚本を覚えること。大した量もないので取り込むのは難しくないだろう。
毎日の仕事に汗を流して、撮影が始まるのを待とうじゃないか――
コンペ勝負が決まった際はヤバイことになってしまったな、と思ったが意外と平穏な日々に俺は油断していた。
トラブルと言うのは、こういう何気ない時に「やっ」と気さくに登場することを忘れていたのである。
「三池さん、ちょっといいですか?」
今日の午前中は炎タメテレビのスタジオで収録がある。中御門邸内の自室で準備を整えていると、音無さんの声が廊下から聞こえてきた。
「はぁい、なんですか? ……あれ?」
ドアを開けて驚いた。俺を訪ねてきたのは音無さんだけではない、椿さんも一緒だった。ただ暗いオーラが彼女の気配を殺していたのだ。
「椿さん? 元気がないみたいですけど、何かあったんですか?」
「……うむ。三池氏に謝罪に来た。私は三池氏のダンゴを辞める」
「………………………いいいぅつっ!!」
たっぷり時間をかけて椿さんの発言を呑み込み、俺は驚天動地した。
「どうしちゃったんですか!? 悪いものでも食べたんですか! エイリアンに精神を乗っ取られたんですか! つか偽物!?」
「お、落ち着いてください三池さん。正真正銘本物の静流ちゃんの、正真正銘の本心です」
「最近、体調が優れない。三池氏の護衛に不備を起こす可能性がある。しばし休息を取りたい」
そう言えば――
この間、天道美里さんが襲来した時、「タクマ! 会いたかったわ、お母さんよ~」とハグを仕掛けてきた彼女に対し「このぉ舐めんな!!」と食い止めたのは音無さんだけだった。椿さんは動けていなかったのである。普段の椿さんではありえないミス。
体調が悪い、というのは本当のようだ。
「真矢さんからも許可をもらっています。今後しばらくは、あたしとダンゴ免許を持つ組員さんが三池さんの近くに立ちますね」
「分かりました。じゃあ、椿さんはこの離れか南無瀬邸で休むんですか?」
「……否定。あまり三池氏に離れ過ぎると中毒で体調はさらに悪化。付かず離れずの位置で三池氏を見守りながら三池氏成分の吸収に集中する」
俺の重中毒者になると、体調不良を回復するのも大きな手間になるようだ。
「了解です。ゆっくり養生……とは行かないみたいですけど、ご自愛くださいね」
「感謝。重ねて申し訳ない」
頭を下げる椿さんの動作は緩慢で、彼女の辛さを如実に表していた。
今晩あたりお粥でも作ろうかな。早く良くなるように心を込めて。
そんなことを考えつつ、俺はいつから椿さんの体調が悪いのかを思い返した。
最近のパンツァー騒動の頃から微妙に活力が弱まっていたな。決定的だったのは美里さんが登場したあたりか。そこから一気に体調を崩した気がする。
う~ん、考えてみれば天道家が出てくると椿さんは変調を
もしや天道家が苦手とか? はは、まさかね。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「よく来た、天道祈里嬢よ! それに天道家の使用人!」
社長室へ入る際の「失礼しますわ」を覆い被さんとする大音声に、私は一瞬怯みました。こういう人とは知っていても苦手なものは苦手です。
「急な来訪を歓迎していただきありがとうございます」
「天道家には我が炎タメテレビ一同、多大な恩恵を受けている身! その長女がわざわざやって来たのだ、追い返す非礼はせん!」
炎情社長は好き好んでヒーロー物のマスクを装着する変質者。
天道家長女として世間に後ろ指さされない正道を進む私には、理解出来ない趣向の持ち主ですわね。けれど暑苦しくも
社長が私たちを客用ソファーに案内しました。
背もたれに身体を預けず座る私と、着座を固辞して後ろに控えるメイド。対面には炎情社長がどっしりと構えます――とは言え、言動とは裏腹に社長の体格はそれほど大きくありません。開脚座りで大物さを醸そうとしていますが、それが十全に機能しているとは言えません。
「本日、伺ったのは他でもありませんわ。私たちのパイロットフィルム撮影に、炎タメテレビのスタッフさんを融通してくださいませんか?」
「よかろうッ!」
炎情社長は二つ返事で答えました。打てば響くほどの気持ちの良い人ですわね。
「頼んでおいて何ですが、社内会議に掛けず承諾してよろしいんですの?」
「君らが依頼してくることは想定していたッ! 社内はもちろん、社外の製作プロダクションにも話は通している! 必ずやパイロットフィルム撮影に必要な人材を集めよう、それも一流どころを!」
「か、感謝いたしますわ」
「礼は結構! そもそもコンペ勝負のキッカケを作ってしまったのは、この炎情なのだッ! 無念! 祈里嬢たちには本当にすまないことをしたッ!」」
「炎情社長がキッカケを?」
「元はと言えばこの炎情が寸田川先生を酔わせて『親愛なるあなたへ』を書かせたことに端を発する。今となっては言い訳になるが、イロモノばかりを書く寸田川先生に一度王道に立ち返っていただきたかった! 彼女の
「ジュンシン?」
私の知らない新手の単語でしょうか?
いやまさか、ピュアから最も離れた位置で混沌に興じる寸田川先生を「純真」と称するわけありませんわ。
「王道と邪道、二つの分野で執筆を重ねれば寸田川先生の引き出しはどんどん増えていくだろう。この炎情、
寸田川先生は炎タメテレビお抱えの脚本家です。これからも末永い付き合いをしたいテレビ局側として、先生がレベルアップすることは大歓迎なのでしょう。
「それをまさか天道美里氏に悪用され、現天道家の婚活問題に発展してしまうとは……この炎情、一生の不覚ッ!」
なるほど、炎情社長は私たちに負い目を感じていると。
朗報ですわね、これからの交渉がやりやすくなりますわ。
スタッフの目処はつきましたが肝心のタクマさん勧誘の件が手付かずです。そろそろ攻めましょう。
「ところで。お願いしているスタッフの話ですが、一人どうしても欲しい人材がいらっしゃいます」
「聞こう!」
「ズバリ、タクマさんですわ!」
切り込む一言を放つと同時に、私は社長の変化を観察しました。その発想はなかったと驚愕するか、やはりそうかと動じないか。マスク越しで分かりづらいですが、社長の反応は後者でした。
「ふむ、その考えに行き着いたか。同意する! 君たちが勝つにはタクマ君の協力が必要不可欠だろう!」
「ですからお願いしますわ! タクマさんへの口利きをどうか!」
テーブルに両手をついて深々と頭を下げます。
タクマさんは炎タメテレビの番組にしか出ません。聞いたところによれば、炎情社長がタクマさんが活動しやすいよう相当骨を折ったとか。両者の間に蜜月な関係があるのは間違いないでしょう。炎情社長ならタクマさんを説得するのも可能では……そう私たちは踏んだのです。
「……う~む」
ここに来て炎情社長が長考にふけました。嫌なリアクションですわね。
「君たちの
「南無瀬組にはなくてもタクマさんにはありますわ! タクマさんは私とDNAを交えたくて仕方ないのです! 南無瀬組に監視されて声を上げられませんが、本心では私の力になりたくて悶々としていますわ!」
「「はっ?」」
メイドと炎情社長が間の抜けた声を出しました。炎情社長に至っては、作っていた低音ボイスではなく素の声になっています。
「あの祈里様。DNAこと涎に関しては、タクマさんのうっかりだったと判明したはずですが」
先日、お母様が出没したテレビ局の控え室にて、タクマさんによるDNAプレゼントの件は周囲に知られてしまいました。おかげで南無瀬組から問い詰められ、半泣きになりながら弁解する羽目になったタクマさん……あのお顔を思い出すと、胸が張り裂けそうになります。まあ、熱くなっていた私がついつい口を滑らせて暴露しちゃったのが原因ですけど。
「あら、あなた。まさか、タクマさんの弁解を真に受けたんですの? ふふ、まだまだですわね。あれはタクマさんなりの照れ隠し! 南無瀬組がいる手前、私へのラブコールを周知されるのが恥ずかしくて思わず『プレゼント用パンツにうっかり涎をこぼしてしまいました』と嘘をついたのですわ! なんていじらしい!」
「…………」
なぜか炎情社長は額に手を当て俯いております。
「素晴らしい見解でございます。そう思うのならそうなのでしょう、祈里様の中では」
対してメイドはとても愉しそうにしています。
二人ともどうしたのでしょう?
「おっほん。ところで先ほどからコーヒーや菓子に手を付けていないではないか! 遠慮せず飲んで食べてほしい!」
「ありがとうございますわ。では、お言葉に甘えて」
あからさまに話題を逸らす社長に疑問を持ちながらも私はコーヒーに口を付けました。
ごくごくごく。
「それにしても、天道美里氏にも困ったものだな! 娘たちの結婚をコンペ勝負で決めるとは」
「炎情様でしたら美里様を説得することは出来るのではありませんか? 乱暴なやり方で祈里様たちの未来を決定づけるべきではないと」
ごくごくごく。
「難しいだろう! 美里氏は一度やると言ったことを撤回しない。たとえテレビ局社長である炎情の忠言だろうとな!」
「そうですか……無理ですか、
ごくごくご……ぶはっ!?
「ごほごぅ! ちょ! ちょっと!? あなたは!」
この堕メイド! 何を言い出しますの! 炎情社長の『秘密』には触れずに話を終わらせる。そういう予定でしたのに!
「………………」
炎情社長が無言になりました。マスクだとどんな顔をしているのか分からず、私の不安が加速してしまいますわ。
あわわあわ、とりあえず盛大にぶっ放してしまったコーヒーをハンカチで拭きましょ。ごしごし。
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