ミステリーと変態する蝶
ダンスの締めに来るのがスパイラルターンだ。
二人が順に、その場でクルクルと回る。不知火群島国のダンスの特徴なのか、やたら何回転もするので目を回さないよう注意である。
まずはバタフライ婦人から。
止まりかけの
ここまで粘るとは予想外だ。もっと早くに理性を失って俺を襲うか、あるいは興奮のあまりに脳が強制シャットダウンするかと思っていたのに……
バタフライ婦人、あんたすげぇよ。プライドと性格がお高いだけの女性と思っていたが、そのゴージャスぶりに見合った黄金の精神を持っていたんだな。
であるなら敬意を払い、あんたの最後の花道にコイツを飾ろう。
なんだかんだ大勢から注目される場、アイドルとして絶好のシチュエーション。後から思えば、俺のテンションはおかしくなっていた。
文字通りの俺のターン!
俺は羞恥心と常識を墓地に捨て、対肉食女性用快楽物質を召喚!
バタフライ婦人にダイレクトアタックだ!
「むっ、あの技は!?」
「知ってるの、静流ちゃん!?」
「薄い古文書(R-18)に書かれていた『フェロモンハリケーン』。己が放つ快楽物質を、回転することで周囲にまき散らす大技」
「聞いたことある。昔、とある戦場に投入して敵軍の動きを一時的に止めたんだっけ? まあ、その後、放出源の男性は理性を失った敵兵たちからエロドロな目にあったそうだけど」
「歴史的悲話を作った禁断の技。まさかこんな近くに使い手がいたとは……」
「やだ、すっごい良い匂いがする。ちょっと離れた所にいるあたしでさえ、トンじゃいそう。ってことは、間近にいるバタフライ婦人は――」
「うむ。残念ながら、もう彼女は――」
社交ダンスが終局を迎えた。メロディが止み、ひと時の静寂が訪れる。
拍手はない。多くの観客は「はぁはぁ」と発情に忙しく、叩く手を持っていないのだ。
「三池さん、お疲れ様でした!」
「周りの理性指数は確実に低下している。私たちから離れないように」
すぐさま駆けつけたダンゴたちが警備体制に移る。二人の鼻がヒクヒクと活発に動いていることに目を逸らし、俺はバタフライ婦人に注目した。
「…………ぁぁ……」
見るに耐えないとはこの事だ。
バタフライ婦人は白目をむき、口からダラダラと涎を垂らし、折れた身体を不自然に保って立っている。唯一、ゴージャスヘアーだけが依然と荒ぶっている事にもの悲しさを感じてしまう。
南無瀬組員の人たちも何度か廃人やゾンビになったが、バタフライ婦人の姿はそれらを
「バタフライ婦人……」
いくら気に喰わない人だったとは言え、やり過ぎてしまったかもしれない。俺は婦人に謝罪しようと近付こうとした。しかし。
「ダメです。三池さんがナニをしても、この人をイタズラに刺激するだけです」
「今は、静かに離れるのが賢明」
そういうものか。
肉食化に秀でるダンゴたちのアドバイスだ。とりあえず、素直に従っておこう。
ダンゴたちに守られながら、バタフライ婦人から距離を取った――と。
「ああっ!? かああっっ!!」
突然、婦人が苦しみ出した。
バタンとぶっ倒れるとゴロゴロと会場の床を転がり、絨毯に爪を立てている。
なんだ! 毒でも盛られたのか!?
「むう、やはり」
「静流ちゃんの推察通り。『過タク吸』だね」
か、過タク吸? なんぞそれ?
「はあはあっぐはああっはっ」
バタフライ婦人の呼吸が激しい。頑張って空気の出し入れを試みているものの上手く出来ないようだ。この症状、過呼吸のようにも見えるが……?
「あかん、例の物をはよっ!」
「承知しました!」
真矢さんの指示で、組員さんが迅速に行動する。
症状に効く薬でも渡すのか、と思ったがそうではない。組員さんが持ち出したのはなぜかヘッドフォンで、それを婦人の頭に勢いよく装着した。ゴージャスヘアーがグニャッと潰れるが、それを気にする人は誰もいない。
「真矢さん、あれは一体!?」
「まあ、見てみぃ」
おや、バタフライ婦人の様子が――
「がああはあははぐうぃうぃ……ああ、はぁ……はぁはぁ……はぁ」
だんだんと落ち着いていく。顔に出ていた死相も薄れてきた。
「何を聴かせているんですか?」
「拓馬はんの音声ドラマや」
なん……だとっ?
「解説する」ツヴァキペディアがダテ眼鏡を掛けた。
「バタフライ婦人は、三池氏耐性ゼロのまま急激にタクマニウムやタクマフェロモンを吸収。それで一気に中毒状態となってしまった。俗に言う過タク吸」
すみません、俗も何も初耳単語なんですが。
「過タク吸になった者から、三池氏成分を取り上げると禁断症状となる。故に、濃度を抑えた成分を投与して、症状を緩和する必要があった」
「ああ、だから俺の音声ドラマを」
「バタフライはんも難儀な人や。さっさと暴走してうちらにシメられるか、気絶でもするなら中毒にならへんかったやろうに。意地を張り過ぎて、身体に大きな代償を負ってしもうた。あの様子からしてL4まで行っとるで」
L4、また俺の知らない用語が……
目は口ほどに物を言う。俺の疑問を察した音無さんが教えてくれた。
「L4っていうのは三池さんの中毒レベルを表すものです、末期手前と言ったところですね。ちなみにL1の判定基準は、三池さん成分を取らなくても二十四時間の生命活動が問題なく出来ることです。また、L1なら治療も出来ます。根気よくリハビリすれば、三池さんを摂取しなくても社会生活を送れるようになるでしょう」
L1の時点で結構深刻じゃね?
「L4やと医者が
あまりの説明に俺も発狂したくなる。生物兵器ってレベルじゃねぇぞ!
ヘッドフォンを付けたまま、担架で運ばれていくバタフライ婦人を眺めながら俺は後悔した。ここまでする気はなかったんだ、本当にすみません。
と、同時に俺はチラリと真矢さんや音無さんや椿さんを盗み見た。
バタフライ婦人はL4だと言う。じゃあ、この人たちの中毒レベルはどのくらいなのだろうか?
気になるものの決して訊くまい、と俺は心に誓った。
「ともかく、いろんな意味で疲れました。
「したいのは山々なんやけど、まだ拓馬はんと個別に喋ってない実行役員はんたちが半分くらいおるで」
「OH……」
そうだった。バタフライ婦人は、海外VIP勢の一人に過ぎなかった。俺の仕事はまだ後半戦に入ったばかりだ。
「そのことで拓馬様にお話があるのですが……」
由良様が申し訳なさそうな顔でやって来た。それを見るだけで俺の胃がキリキリ舞いである。
ああ、分かったわ。この後の展開が分かってしまったわぁ。
「他の役員様たちも拓馬様と踊りたいと……身の程も弁えずに(ボソッ)……おっしゃっていまして」
ん、なんか由良様の言葉の途中が小さ過ぎて聞き取れなかった。いや、そんなことより。
「今、まさに目の前で中毒患者が出たと言うのに、何なんですか皆さん? 怖くないのですか中毒?」
「拓馬様と触れ合えるのでしたら、多少の危険は覚悟の上とのご様子です。それに、自己管理くらい出来るので危なくなったら撤退する、と口々に……」
フラグ発言やめぇや!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
こうして、一つの事件が発生した。
中御門邸の社交会場で行われた晩餐会。その中で、招待されていたVIPたちが次々と病院に運ばれたのである。
騒ぎを聞きつけたマスコミが、会場で何があったのか調べても事実は不明。
食中毒や何らかのウィルスが関わっているのでは? と見立てるも証拠は見つからなかった。
中御門邸の使用人らがインタビューに対して一様に口を固くするのは理解できる。ゲストの
しかし、被害者となった世界大祭実行役員らも誰一人真実を語らなかったのが、この事件の不可解さに拍車をかけた。
あの場でナニが行われ、なぜ多数のVIPが犠牲になったのか……
ただ唯一、現場に居合わせた男役スターの兵庫ジュンヌさんが「人間が、ああも真っ逆さまに堕ちていく場面を見るだなんて……恐ろしい、自分はああはならない。なってたまるか。大丈夫、自分は、大丈夫なはず」と引きつった顔でブツブツ独り言を口にしている姿が、記者たちに目撃されたという。
ともあれ、真相は闇の中。
事件は迷宮に入ってミステリーに昇華された。
「なんだか大変なことになっていますねぇ」
中御門邸にある南無瀬組用の宿泊施設、その居間でテレビニュースを観ながら、加害者である俺は肝を冷やした。
「由良様やうちらが情報規制やっとるさかい、事がこれ以上大きくなることはないやろ」
「一部、ネットでは三池さんが関与しているんじゃないか、って話が出ていますね。ほら、アイドル・タクマの拠点が中御門邸になったのは周知されましたし」
「が、まさか三池氏と踊ってぶっ倒れたとは思うまい。思ったら、嫉妬にかられたファンが実行役員の入院する病院を襲う」
襲われる自覚があるのか、実行役員さんたちは黙秘しており、タクマファンブチ切れ案件までには発展していない。このまま、ひっそりと治まるといいなぁ。
「あ、その入院している実行役員はんやけど」真矢さんが思い出したように声を上げた。
「バタフライ婦人だけは早々に退院して、自分の国に戻ったそうや」
「へぇ、意外と軽症だったんですかね。あんな最期だったから心配しましたよ」
「ちゃうねん。逆や」
「はっ?」
「自国に戻った婦人は、家財道具や値の張るコレクションを全て売り払い、囲っていた男性を全て解放し、不知火群島国の国籍取得申請を出しているんやて」
「いいっ!?」
「不知火群島国の方が三池氏の情報やグッズを集められる。中毒者なら誰だってそーする、私もそーする」
さりげなく自分も中毒者だとアピールしながら、椿さんがフムフムと頷いている。
「あの人は元々世界的なコレクターになるくらい収集癖がありますから、
音無さんの予感は当たっていた。
タクマファンが、タクマの情報やアイテムを交換するアンダーグラウンドな市場。
そこで蝶マスクにゴージャスな髪型の婦人が金に物を言わせて、タクマに関するありとあらゆるグッズを買い漁っている。そんな噂が俺の耳に入るのは、それからしばらくのことだ。
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