肉食女性を社会的に抹殺する簡単な方法

中世よりヨーロッパの社交会は、男女の出会いの場として機能していた。

既婚者の手引きで集められた若き男女は、肩書きや財力はもちろん、己の美貌や器量を駆使して異性を誘ったという。

この時、自身をアピールする一手法として用いられてきたのが、ダンスだった。


軽音楽に合わせて男女が優雅に舞う、社交ダンス。


遡ること数日前。

中御門邸に設けられた南無瀬組の拠点、その一室にて、ツヴァキペディアが『不知火群島国の常識(晩餐会編)』の講義をしてくれた。

そこで不知火群島国にも社交ダンスの文化があると知り、俺は意外に思った。


男が欠けているのにダンス? 女性同士でやるのかな?


俺の問いに、ツヴァキペディアはこう語った。


「三池氏の国における社交ダンスは、男女がキャッキャする裏山けしからん呪われろのイベントらしいが、不知火群島国や大陸の社交ダンスは単純に親睦を深めるもの。女性たちがダンスを通じ、共に身体を動かして一体感を味わう。若い女性同士だと激しく踊り回って、汗を流しながら友情を育むもの」


はぇ~、身体能力が地球以上の女性たちのことだ、すっごいアグレッシブに踊ってそう。


「色々思うところはありますけど興味深いですね。俺、ダンスには自信があるんですよ」


アイドルとしてダンスレッスンは欠かせない。そう言えば、以前戯れにパーティーダンスをかじったこともあったな。

懐かしいものだ、という気持ちでついつい俺はこぼしていた――「久しぶりに誰かと踊ってみたいなぁ」と。


「三池氏が誰かとダンシング!? ……ふもも、これはいけない。手と手を取り合った時点で腰が砕けるの不可避。だが、その意気や良し! 晩餐会で恥をかかないように私が練習相手を務める。さあ、今すぐこの場でかかってきて、どうぞ」


講師役として身につけていたダテ眼鏡を放り捨て、スーツを脱ぎ捨て、机さえ投げ捨てる勢いで壁際に寄せ、心身共にラフになった椿さんはる気に満ちていた。完全に火が付いている。


「お、落ち着いてください。今度の晩餐会ではダンスの予定はないんでしょ? わざわざ練習しなくても」


「不測の事態は往々にしてあるもの。やっていて損はない。むしろ私には得しかない! 任せてほしい、ダンスに関しては私も自信がある」


椿さんの言葉に嘘はなかった。

初心者用の定番曲をアカペラで口ずさみながら、基本ステップを単独で実演してくれる。その歌声と足取りの華麗なことと言ったらどうだ。下手なアイドルよりずっと上手いんじゃないのか……相変わらず所持スキルに謎の多い人である。


「では、次に……ぐふふ、実際手取り腰取りしてやってみる。三池氏カモン」


今更「やっぱり止めた」と言えば、椿さんが闇墜ちしかねない。

仕方ない、発言には責任が伴う。ちょっとだけなら、俺の貞操も椿さんの理性も大丈夫だろう――と、いうことで行った模擬社交ダンス。


椿さんは頑張った。三分間くらい頑張った。最後あたりの挙動は泥酔した人の完コピになっていたが頑張った。

そして、俺と手を繋いで立ったまま動きを止め、物言わぬ人になってしまった。


「おそらく獣欲に駆られて拓馬はんを襲わんよう、自分から強制終了したんやろな」

後からやって来た真矢さんの分析である。真矢さんは真っ白な灰と化すツヴァキペディアに黙祷を捧げて。


「椿はんの魂はうちが引き継ぐで。拓馬はん、第二ラウンドや! …………あ、あひぃぃ」と次の被害者になり――


「真打ちは美味しいところで登場するものです! 静流ちゃんと真矢さんの犠牲は無駄にはしませぇぇへぇ…………へぐっ」と音無さんが三人目になり――


弔い合戦と称してホイホイと名乗りを上げる組員さんたちも、実にスムーズに朽ちていった。


晩餐会を数日に控えたある日の南無瀬組は、こうして壊滅したのである。よく壊滅してんな、南無瀬組。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「ワタァシとダンスですってぇ!」


人を喰ったように余裕シャクシャクだったバタフライ婦人が驚愕した。それだけ俺の提案が常識外だったのだろう。


「ちょっとしたボディタッチだなんてセコい事は言いません。どうです、俺と一曲?」


「……っふふふふ。大した男性だと思っていましたが、それでも見誤っていたかもしれません。ええ、ええ! よくってよ、よくってよ! 存分に踊り明かしましょう!」

バタフライ婦人が「おほほほほ!」と高笑いを上げた。バタフライのくせにカマキリのような顔になっている。


「タクマさんのダンスの腕前はどれほどですか? ワタァシは経験豊富ですから優しくリードしてもよくってなのよ」


「自分で言うのもなんですけど、ダンスはかなり出来ると思います。十五人抜きしましたから」


「十五人抜き? ふ、ふぅん。何やらイヤらしい響きですけど、ワタァシはそう簡単に抜かれませんよ。逆に抜いて差し上げます」


「ご託は結構。全てはダンスで語らいましょう!」





急遽、開催されることになった俺とバタフライ婦人の社交ダンス。

中御門邸の使用人たちによりテーブルが隅に寄せられ、その一方で音響設備が用意される。


ダンスによってバタフライ婦人の理性を焼却する。我ながら酷い手だな、こりゃ。

ラブソングを使えば一発だろうが、それでは無関係な人たちまで肉食獣になる恐れが大だ。

よって、確実にターゲットを絞れるダンスを採用したのである。


「た、拓馬様。このような事態になってしまい……本当によろしかったのですか?」


準備を待つ俺の傍にソソソと由良様がやってきた。心配し過ぎなようで白い顔がさらに白くなっている。


「自意識過剰とは思いますが、もしワタクシ共招致スタッフを考えての提案でしたら、どうか取り下げてくださいませ。拓馬様を危険にさらしてまで、世界文化大祭の開催国に選ばれたいなど誰が想うでしょう? あなた様の御身は何ものにも代えられません!」


由良様の熱い思いやりにむず痒くなる。

が、もう俺は威勢良く勝負の場に出てしまった。もう後戻りは出来ない、いやしたくない。


「俺はみんなのために立ち上がるような上等な人間じゃありませんよ。これは鬱憤晴らしです」


「鬱憤?」


「バタフライ婦人って高飛車に人を煽るじゃないですか。それにイラッとしたんで一泡吹かせようと思ったんです。ほら、ごく個人的な感情でしょ? 由良様が気を病むことはありませんよ。むしろ、使用人さんたちに会場設営とか余計な仕事をさせている俺を怒ってください」


「意地悪なことは言わないでくださいませ。ワタクシが拓馬様を怒るなどと、天地がひっくり返ってもございません……拓馬様のご意向とご配慮はしかと受け止めました。ならば、ワタクシは全力であなた様をお支えするまででございます!」


腹を決めた顔の由良様が、胸の前で両手をグッと握る。


「あ、ありがとうございます。よ、よろしくお願いします」


彼女からの信頼が厚過ぎて、若干困惑してしまう。

どうして由良様はここまで俺を厚遇してくれるのだろう?

それに、どうして可愛らしく握られた由良様の両手……何も壊せないような、あの小さな手から途方もない威圧を感じてしまうのだろう?




舞台は整った。

晩餐会会場の中央がひらかれ、そこに立つのは俺とバタフライ婦人のみ。

他は遠巻きに様子をうかがっている。


「あなぁたの考えは分かっております」

周りに聞こえない程度の声で、眼前のバタフライ婦人が喋る。


「大方、ワタァシを誘惑し、自分を襲わせて社会的に抹殺する魂胆でしょ? 見え見えのハニートラップね。でも残念。ワタァシは男を知らないそこらの女性とは違います。なにしろ自宅にはキラキラとした宝石男性を五人も囲っていますの」


「それはまた、お盛んなことで」


「いくらタクマさんが魅力的な男性だろうと、ワタァシの理性を骨抜きに出来るとは思わないことですね。おほほほっ!」


「じゃあ、試してみますか」


ゆったりとした音楽が流れ始める。椿さんに教えられた初心者用のダンス曲だ。

俺としてはもっと激しくて難しい曲でもドンと来いなのだが、そういう曲はダンサー同士の上半身や腰が触れ合うことが多いらしく、南無瀬組の面々から「二人のあられもないダンスを見せられては、バタフライ婦人を〇〇しちゃうか、己にネトラレ属性を付与しないと心が死んでしまう」と激しく反発を受けてしまい、この曲が選ばれたわけである。


俺とバタフライ婦人は穏やかな曲調の中、歩み寄った。

バタフライ婦人が、ご自慢のゴージャスヘア―を意志があるようになびかせ、舌なめずりをする。俺と言う獲物を心行くまで堪能する気か……だが『獲物を前にして舌なめずりは三流』という言葉がある。


愚かなり! 俺を甘く見積もったこと、後悔させてやる!


バタフライ婦人の片手を取り、もう一方の手は相手の背中に回す。


「……なっ、かはっ!」


それだけのことで、強烈な一撃となった。


俺に触れるや否や、喜色満面だったバタフライ婦人の表情が一変したのだ。


「ば、ばかなっ! なぜにっ……?」

下半身をモジモジさせながら苦しみ出す婦人。



「ふっふふ、三池さんはそんじょそこらの男性とは違いますもんね。なんか怪しい成分出ていますから」


「タクマニウム。学会を震撼させる恐るべき新元素、相手は(社会的に)死ぬ」


「ほんま、えげつないほど甘美やからな。空気感染もええけど、直接接触感染は……なぁ。四六時中一緒におる、うちらでもたまらんわ。バタフライ婦人はタクマ素人やし、これで終わりとちゃう?」


少し離れた所で待機中のダンゴや真矢さんが俺を人外認定している。今まで目を逸らしてきたが、一度自分の身体を調べた方がいいのかもしれない。


「体調が悪いんですか? その様子じゃ踊りなんて」


「な、なめてくださる! じゃなかった、なめないでくださる! このワタァシが醜態を晒して、おめおめと引き下がるわけには……っ!」


気力を振り絞って、体勢を戻すバタフライ婦人。良かった、これでダウンじゃ俺の鬱憤が中途半端に残っちまう。


かくしてダンスは始まった。

バタフライ婦人はトイレを我慢する人の如く、見るも哀れな動作になっている。それでもプライドと理性を総動員して俺に付いてきているのは敵ながらアッパレ。

素晴らしきド根性である。が、無意味だ。


曲が後半になり、俺の身体が温まってきた。それに呼応するようにバタフライ婦人の動揺が一層増す。


「……な、なに……この甘ひぃかおり……」




「きましたねぇ、三池さんのフェロモン。時間が経つに連れてどんどん散布しますから、長期戦は無敵です」


「眼福、鼻福、触福。お得な三点セット、相手は(脳がフット―して)死ぬ」


「さらに踊りながらええ感じに自分のフェロモンを掻き混ぜて、香りを引き立たせとる。あかんわ、ほんまあかん。思わずあの空間に飛び込みそうになる」


ダンスが佳境に突入する中――

三人の解説を耳にしながら、明日人間ドックを受けに行こうかと俺は本気で悩むのであった。

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