開戦直前、【忍び寄るモノ】
陽南子さんと一緒に警備ルームに赴いた俺を、トム君は喜び迎えてくれた。
「あっ、そうだ。紹介します。彼は
トム君に呼ばれ、多数の監視モニターの前に座っていた大人しめの男子が俺の方を向く。
どこの学校にも一人はいる『メガネ君』のあだ名を欲しいままにしそうな男子だ。
「柿崎です……よろしく……」
俺の目を見ず、顔を下にして必要最低限の挨拶する柿崎君。なかなかのシャイボーイである。
だが、そんな彼こそ『鬼ごっこ』のキーマンと言っていい。
「よろしくお願いします。凄いですね、これだけの機器を操作出来るなんて」
「マニュアルがあるから……読めば……出来ます」
交流センター三階にある警備ルーム。
交流センター中にある監視カメラの映像を映し出すモニターと、各ブロックの窓や扉の開閉を管理するシステムが備え付けられている。
柿崎君が警備ルームの責任者であり、彼と数名の男子で常に交流センターに侵入する者がいないか警戒しているのだ。
彼からの情報で、スネ川君率いる実動部隊が動き、撃退行動を取るらしい。
そして、頭脳担当柿崎班と肉体担当スネ川班をまとめるのがリーダーであるトム君の役割となっている。
「『鬼ごっこ』頑張ろうね。無事みんな独身を貫けたならお祝いをしよう。柿崎君が好きなステーキとパインサラダをたくさん作るからね」
「うん……楽しみ……」
トム君の激励に小さな笑みを作った後、柿崎君は座っていた椅子を回して、またモニターと機器の方へ身体を向けた。
再び警備に集中するようだ。
俺と陽南子さん、それにトム君は邪魔にならないよう警備ルームを退室した。
「トム君、『鬼ごっこ』の方針を教えてくれないかな?」
廊下を歩き出し、隣のトム君に訊く。
「まずは壁際作戦ですね。女子が壁を乗り越えないよう防衛戦を行います。こんな時のために、交流センターには防犯銃が用意されているんですよ。あっ、もちろん実弾じゃなくてゴム弾です。マサオ教の男女対抗戦は、相手に重傷を負わせないのが大前提ですから」
重傷を負わせないって……ゴム弾だって至近距離で喰らえばプロボクサーのパンチ並の威力になるって聞いたことがあるぞ。
ゴム弾が当たったことで女子が五メートルある壁から落下したらシャレにならないよ――と心配する一方で、それくらいしないと、80キロを片手で持ち上げる狂戦士たちは止まらない気もする。
壁から落下してもピンピンしていて、再び壁登りにトライする女子たちの光景が目に浮かぶぜ。
それに女子のバックにはザマスおばさんがいる。
彼女なら施設に防犯銃が用意されているのを知っているだろう――と、いうことは女子たちが防弾装備をしている可能性が十分にある。
「しかしトム殿。交流センターの周囲は広大でござる。どこから乗り込んでくるか分からない女子の攻勢をどう
「そこなんですよ。女子の侵入箇所は監視カメラで柿崎君が発見してくれるでしょうが……それだけでは」
陽南子さんの疑問にトム君は頭をかいて、言葉を続ける。
「柿崎君たち警備ルーム組は直接防衛には参加出来ません。他にも運動が苦手な男子は防衛戦力として
「で、ござるな。それにルール④が怖いでござる」
ルール④、俺はルールのメモ紙を確認する。
『女性側の勝利条件は、終了時刻までに男性を捕まえ、グラウンドのトラックまで連れて来ること。交流センター上空に監視ドローンを飛ばし、確認と判定を行う』
そうか。壁際防衛をするということは……建物内と比べ、我が身をグラウンドの近くに置かなければならない。
もし女子に捕まった場合、抵抗する暇なくグラウンドのトラックに直行である。
防衛する男子たちにとって、すぐ横に結婚スポットがあるのは計り知れないプレッシャーになるだろう。
「スネ川君たちの疲労を想定すると、壁際作戦はある程度の時間稼ぎで済ませようと思います。危ないと思ったらすぐに交流センターへ撤退させます」
「撤退させて、その後はどうするんですか?」
「消極的ですが籠城ですね。体育館や宿舎と比較して、交流センターの防備は充実しています。例えばですね……」
トム君が廊下の窓を軽く叩く。
「これは強化ガラスです。ちょっとやそっとの武器では割ることは出来ません。それに窓の開閉は手動ではなく、全て警備ルームで管理しています。ミステリでありがちな紐やワイヤーを使って鍵を開ける、なんて方法は使えませんよ」
ほぉ、男子がいる施設ってのは想像以上に頑強に建設されているもんだな。
「それにですね、あれを見てください」
トム君が、廊下の天井を指さす。そこにあるのは――
「防女シャッター、ですか?」
南無瀬市で起こった百貨店襲撃事件を思い出す。
「そうです。緊急時にはシャッターが降りて、廊下を封鎖します。仮に女子たちの侵入を許したとしても、ここには至る所に防女シャッターが設置されているので安心ですよ。どんなルートから襲って来ようと、ボクらのいる場所まで彼女たちは辿り着けません」
防女シャッターか……あの時は近くに南無瀬組のみんながいて、全力で俺を助けてくれた。
でも、今俺を守ってくれる人は存在しない。
逆に俺が守ってやりたいと思う男子たちが共にいる。
ハードになるな、こいつは。
悪名高い南無瀬百貨店襲撃事件、それを上回る惨劇の予感に、俺の動悸は激しさを増していった。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
「そもそも不思議だったのです」
由良様がポツリと言う。
「男子を追いつめ、籠城事件を起こさせる――杏様の計画には不確定要素が多過ぎます。それにしては、男子たちは杏様の都合の良いように動いていました。まるで誰かに操られているように」
聞きたくない。耳を塞ぎ、由良様のお言葉をシャットアウトしたい。
「また、籠城事件を発生させるには、コンテストを中止に追いやる必要がありました。中止にしたのは拓馬様です。杏様の計画には拓馬様の存在が不可欠だったのです――しかし、杏様では拓馬様を東山院に呼ぶことは出来ません」
やめてくれぇ。由良様、やめてくれよ。
「男子たちの傍で彼らに行動指針を助言出来る人物。拓馬様を東山院に招待し、コンテストを中止させるよう誘導出来る人物。そして、男子たちを焚き付け籠城事件を起こさせる人物。これらは仲人組織に属する人では不可能です」
由良様が外堀を埋めていく。
ここまで言われれば馬鹿でも分かる。あたいの娘は、あたいと旦那の愛する娘は――
「さすが由良様ザマス。付け加えるなら、追い詰められた男子が自傷行為をしないよう見張る役目もあったのザマスよ。私とて、男子が傷つくのは嫌ザマスから」
「なんでだ……なんでこんな事を……」
無力感を振り払って、あたいは立ち上がった。
「東山院杏! あんたが陽南子を
「失礼ザマスね。この計画を持ちかけて来たのは、あなたの娘ザマスよ」
「嘘をつくな! 陽南子はそんな子じゃない!」
目の前の東山院杏の胸ぐらを掴もうとしたが。
「お待ちください」
怒りに震えるあたいの腕に、由良様のお手が触れた。
「あっ……」
それで急速に頭が冷えていく。
「も、申し訳ありません」着座して、呼吸を整える。
そんなあたいを横目で見ながら、由良様は問う。
「杏様、あなたの協力者に今から連絡は取れないのですか? 拓馬様を狙わないよう説得は?」
「無理ザマスよ。あの子、周囲に怪しまれないよう私への連絡手段を絶っているザマス」
「そ、そうだ! 三池君が『鬼ごっこ』に参加しなければ良い。そうすれば、陽南子が三池君を狙ったところで……」
「ふぅ……」やれやれと東山院杏が息を吐く。
「ルール⑩をもう一度読むザマス」
ルール⑩……
『鬼ごっこに参加した男性には、これまでの違法行為を
「お分かりザマスか? このルール、裏を返せば『鬼ごっこ』に参加しないと犯罪者として警察に逮捕される、ということザマスよ。まあ、タクマさんが違法行為を犯していないのなら、どうぞ『鬼ごっこ』を辞退して欲しいザマス」
警察に逮捕されるか、陽南子と結婚するか。
これが三池君に突きつけられた選択肢だと言うのか。
「ぐぅ……だ、だが三池君は外国人だ。陽南子が何の理由で三池君をモノにしたいか分からないが、簡単に結婚なんて……」
「ザマスね、おそらく他の男子のようにスムーズには行かないザマしょ。タクマさんは世界で唯一の男性アイドルザマスし、世間が彼との結婚を認めないザマス」
東山院杏はヒトゴトのように言う。いや、実際彼女は自分の娘が意中の相手と結ばれたら、それで良いのだ。
陽南子の目標が達成されようが、されまいが大した関心はないのだろう。
「まっ、あの子の目的はタクマさんとの結婚以外にもあったみたいザマスが……」
「な、なんだい、他に何があるってんだい!?」
あたいが必死な形相をすればするほど、東山院杏の目が冷ややかになる。
「――あなた、ザマスよ。妙子さん」
「あ、あたい?」
「ええ、あなた――それと、あなたの旦那さん。この事件はあなたたち夫婦への八つ当たりなんザマスよ」
な、なんだよ……それは。
そりゃ陽南子は次期南無瀬領主として厳しく育ててきた。
だが、決して愛情を注がなかったわけじゃない。誉める時はしっかり誉め、自主性を重んじてきた。
恨まれることがまったくない――とは言えないが、ここまでの大事を起こされるような恨みを買った覚えはない。
混乱するあたいに、東山院杏はさらに意味深なことを口にした。
「……あなたたち夫婦が昔のようだったら、今回の事件は起きなかったザマしょうね」
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
十二時になった。甲高いサイレンが壁の外から聞こえてくる。
ついに、多くの若者の人生を決める『鬼ごっこ』が始まったのだ。
これより三時間。女子に捕まった男子は、その人のモノになる。
窓から外を見ると、三人一グループで壁際の数カ所に待機するスネ川君たち実動グループの姿があった。
開戦したものの、まだ壁際は静かなようだ。
「タクマ殿……失敬、ミスター殿。そろそろ拙者たちも動くでござるよ」
交流センターにタクマがいると知られるのは、事態をさらなる混迷に落とすことになる。
なので、俺はミスターに変装した。ニュースでも交流センターにはミスターがいると報道しているしな。
この格好で競技終了まで身を隠すのだ。
「そう言えば、丙姫さんはどこにいるんですか?」
「あの方は、トム殿たちに付き添うらしいでござる。トム殿たちが怪我をしてもすぐ治療できるように、と。いやはや医者の
じゃあ、隠れるのは俺と陽南子さんの二人だけか。
「交流センターは主戦場になるかもしれないでござる。拙者と共に
「了解です」
俺は交流センターの玄関を目指し歩き出した――陽南子さんを後ろに従えるようにして。
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