第4話 過去
「まだ名乗っていませんでしたね、私は須藤龍治と言います、今年で30歳になります……私の故郷は田舎で、周辺の地域内だけでしたがそれなりに権力があり、財力もあり、所謂名家と呼ばれる家に一卵性双生児の兄として産まれました……弟は賢治と言います……賢治は幼少の頃から学力があり、運動神経もあり、周囲に明るく振る舞い、礼儀正しい弟です……その反面、私の学力はそれ程高くは無く、暇さえあれば部屋に引きこもり、本を読んでいました……親は本を買ってくれましたので……本当に私と賢治は一卵性双生児なのかと疑いました……やがてお互いに成長すると、家の跡継ぎは賢治にしようと両親と親戚達が言い始めました……私は上京して、この近くの大学に入学し、卒業し、まだこの近くに住んでいます……賢治は有名大学を卒業し、実家に帰りました」
そこまで言うと、龍治はまた煙草を一口吸った。
「あれは高校生の頃でした……絶望した私は家の庭にある松の木の枝にロープを縛り付け、自殺しようとしました……しかし、まだ子供だったので詰めが甘かった……すぐに庭師に見つかり、ロープを枝切りバサミで切られてしまいました……しばらく家に軟禁され、トイレに行く時でさえ誰か人を付けなければいけない状態になってしまいました……しかし、ロープに首を掛けた時に、呼吸が出来ない苦しさと共に快感を覚えてしまいました……それから、大学に行く為に上京するまでは大人しく生活をし、その後は自殺未遂を繰り返す様になりました……それだけです」
俺は小さな声で言った。
「お前、いや、龍治さん」
その言葉を遮って龍治は言った。
「龍治、と呼んで下さい、呼び捨てで、口調もそのままで」
俺はまた小さな声で言った。
「龍治が今年で30歳なら、俺よりも5歳上だ……多分大学も同じだ……龍治は、どんな仕事をしているんだ?」
龍治は煙草をまた一口吸い、微笑んで言った。
「小説家です……が、どの出版社にも取り合ってもらえない……要するに無職です、大学を卒業してからずっと……働いた事はありません」
龍治はずっと煙が俺に当たらないように横を向いて煙を吐いていたが、今度は正面を向いて煙を吐いた。
俺は疑問に思った事を言った。
「じゃあ、生活費はどうしてるんだ?」
龍治は「ははっ」と笑ってから言った。
「毎月、実家から仕送りとして銀行に入金されるのです……親がそうしているのか、賢治がそうさせているのかは知りませんが、それなりに遊んで暮らせる金額です……おかげで脚立も買えましたし、ロープも何度でも買えます……しかし、いつまで続くかは分かりません」
俺は思い付いたまま言った。
「俺の職場、もうすぐ人が減るんだ……3人で処理していた仕事を2人でするから、人が欲しいんだ……一緒に働いてみないか?」
龍治は微笑んでから言った。
「その前に、貴方の話を聞いていない……それ次第で考えましょう」
俺はカップを口に付け、少しぬるくなったコーヒーを飲んでから話し始めた。
「俺の名前は加藤忍だ……ここの隣の県で産まれて、この前25歳になった……両親は女の子供が欲しかった……胎内に居る間に性別は分かっているはずなのに、医者は何も言わなかった……そして男の俺が産まれた……幼稚園の頃、スモッグを着て家に帰ると、母親はレースが沢山付いたドレスを俺に着せて楽しんでいた……でも、小学生になる直前に父親がそれを止めさせた……Tシャツとズボンを穿かされた……ひらひらとしたスカートを穿いた女の同級生を見ると嫉妬心が湧いた……その時点でもう変になっていたのかも知れない……中学生の頃になると親や親戚から貰った小遣いを貯めて、女物の服を買った……親が寝静まった頃を見計らって、それを着て鏡を見て楽しんでいた……そうしていると、女の子が産まれた、歳の離れた妹が……両親が待望していた子供だ……母親は大切に仕舞っていた俺のお下がりのドレスを着せて楽しんだ……俺は大学へ進学する為に一人暮らしを始めた……そして就職先が見つからなくて、今はコールセンターでメール処理のアルバイトをしている……これで終わりだ」
龍治は煙草を吸い、横を向いて煙を吐き出した。
そして俺を見て言った。
「つまり、そのメール処理のアルバイトを私にさせようと言う事ですね?」
俺は頷いてから言った。
「もしかしたら、一度働いてみたら、何か変わるかも知れない、と思って」
龍治は微笑んで言った。
「良いですよ……でも、履歴書が必要なのですよね?初めて書くので、明日、あの公園で見て貰えますか?用意しておきますので」
俺は頷いてから言った。
「俺がチェックする……問題が無ければ、そのまま正社員に提出する」
龍治は微笑んで言った。
「何だか、面白そうですね……私が一般の仕事に就くなんて」
その後はお互いに黙り込み、コーヒーを啜った。龍治は2本目の煙草にライターで火を付けて顔を横にして煙を吐き出した。
お互いのカップが空になると、小さな脚立とロープを持って龍治が立ち上がって言った。
「そろそろ、お互いに帰りましょうか……お代は勿論私が払います」
俺は頷いてから、また俯いて店を出た。
龍治は「じゃあ、またあの公園で」と言ってから、何処かへ去っていった。俺も自宅に向かって歩き出した。
翌日の夜、俺はピンクのワンピースを着て、あの公園へ向かった。パンプスも同じ色に合わせた。
公園が見えると、大きな桜の木の枝にロープを縛り付けて、先端の輪に首を掛け、しばらくすると地面に落下する龍治が見えた。
ゆっくりと近付くと、龍治は地面に体を横たえていた。
「やはり、地面に落ちるのは痛いですね」
微笑みながら言う龍治の上半身を右腕で抱き起こすと、龍治はうっとりとした顔をして両腕で俺を抱き締めた。
「また、来てくれたのですね……ありがとう」
男に抱き締められているのにも関わらず、俺は何故か嫌悪感を抱かなかった。
隆治は俺を抱き締めながら言った。
「履歴書、持って来ました……見て貰えますか?」
小さい脚立の側に、黒いバッグが置いてあった。
俺達は公園のベンチに座り、龍治が書いた履歴書を見ていた。綺麗な字ではあるが、月の明かりだけでは読む事が難しかった。
俺は龍治に言った。
「昨日の喫茶店に行かないか?これじゃきちんと読めない」
龍治は俺の手から履歴書を受け取ると、バッグに入れて俺の右手を握った。
「行きましょう、忍……きちんと見てください」
俺達は手を繋いだまま、昨日入った喫茶店に向かった。
俺は正面を向いて喫茶店の椅子に座ると、龍治が店員に「いつもの、2つ」と言った。すぐにホットコーヒーが運ばれてきた。
店員が去った後、龍治はバッグの中から再び履歴書を取り出して俺に差し出して言った。
「ちゃんと、見てください」
そう言われるがまま、俺は龍治の履歴書を見た。やはり、綺麗な字で経歴が書いてあった。
「高校卒業、大学入学、卒業、職歴無し、以上か」
俺はそう言いながら、2つに折りたたまれている履歴書の反対側を見た。
履歴書の賞罰の欄に「自殺幇助罪」と書かれていた。
俺は驚いて言った。
「自殺幇助罪って……何だよ……」
龍治は微笑みながら言った。
「大学生時代に、恋人が居まして……話し合って本当に自殺する事にしたのです……いつもの公園とは違う場所で……彼女が首をロープで吊って死んだ事を確認してから自分もロープを首に掛けましたが、たまたまパトロール中の警官に見つかってしまったのです……捕まりました……裁判が行われて、執行猶予付きで釈放されました……それだけです」
履歴書から目を離して龍治に向けると、やはり微笑んでいた。
龍治は胸ポケットから煙草を取り出し、ライターで火を点けて吸った。
俺の顔に煙が掛からないように顔を横に向け、煙を吐いた後、龍治は言った。
「これでも……働けるのでしょうか?」
俺は正社員に対する言い訳を考えてから言った。
「大丈夫……だと思う……一緒に働いてみよう……明日、これを正社員に提出する」
職場での朝礼の際に、俺は龍治の履歴書を小野に渡した。
「俺の、友達です……良かったらここで働きたいみたいなんです」
俺はそう言いながら小野の反応を見た。
小野は履歴書を見た後、眉をしかめて言った。
「自殺幇助罪って、どういう事なのかな?」
俺は出来るだけ冷静に言った。
「一度、恋人と自殺を計ったんですけど、彼女だけが死んでしまって……それで自殺幇助罪になったんですけど、でも彼は病院でカウンセリングを受けて、もう自殺なんてしない状態です、問題はありません」
小野は俺の言葉を聞いてから、立ち上がった。
「まぁ、人事担当者に上手く言っておく……もうすぐ平野が居なくなるからな、人が欲しい」
そう言ってから、小野は何処かへ去って行った。
小野が去った後、左隣の席に座っている茅野はクスクスと笑って言った。
「まさか、加藤君の知り合いに自殺未遂をした人が居るとは思わなかったな」
茅野の左手首には新しい包帯が巻かれていた。
俺はあくまでも冷静に言った。
「俺だって、色々知り合いが居ます……さぁ、茅野さんも平野さんも仕事を始めましょう」
俺達3人はパソコンの画面に目を向けて、マウスとキーボードを操作し始めた。
その日の夜も、その後も、毎日俺はワンピースを着て、切れたロープから落ちる龍治の上半身を起こした。その度、うっとりとした顔の龍治は俺の体を抱き締めた。
そして2人で喫茶店に行き、コーヒーを飲む事がいつの間にか習慣になっていた。
龍治の履歴書を小野に渡してから1週間が経過した。その日で平野は退職する事になっていた。
職場で小野は言った。
「明日から、須藤君に出社してもらう様に伝えてくれ……人事が許可を出した」
その日の夜、いつもの公園で切れたロープから落ちる龍治を抱き起こしてから俺は言った。
「明日から出勤だ……朝9時にここに来い……俺が職場まで案内する……」
龍治はうっとりとした表情を見せてから俺を抱き締めて言った。
「初めて仕事をするのですね……分かりました……忍の普段の姿も見る事が出来る……嬉しいです」
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