8.引き返せない空回り
8.
"奴隷としての生活は最悪だ。
今まで完全完璧な環境の中で育ってきた俺にとっては、慣れない事だらけだった。
ブラック企業もびっくりの重労働を毎日こなさなければ、殺される。
怪我や病気は治療を受けられないので、ほぼ致命傷。
食事も独房の環境も最悪で、いつかこのまま死んでしまうとさえ思わせる。
それでもここまで頑張れたのは、希望が見えたからだ "
*****
……あれから、数日が経った。
あれほど人々を悩ませていた大雪は突然ピタリと止み、その後照りつけた日の光が厄介な雪の塊を溶かした。
奴隷共は前と同じ様に、しかし前よりも効率よく働けるようになり、今日もせっせとレバーを回している。
そのおかげか、クソ野郎はそっち方面の問題で頭を悩ませる事は無くなったと言う。
しかし、代わりに一つ。
問題が生まれた。
「――がッ!!」
支えを失ったかのように、地面の上に顔面から倒れる。
……め、めっちゃくちゃ痛い……。
幸い、まだ数センチ残っていた雪がクッションとなり、大怪我は免れたようだ。
両手片足を支えとして顔を上げる。
「――おい262番、てめェやる気あんのかッッ!!!」
クソ野郎の怒鳴り声。
それも充分に刺さるが、何より刺さるのは他の奴隷共の視線。
それはかつて、俺が他の奴隷共に向けていたモノと同じだった。
「す、すんません!」
急いで身体を起こし、レバーをしっかりと両手で持つ。
一瞬、身体が左に揺らぐのを気合で押し留める。
「再開ッ!」
他の奴隷の声。
その声と共に、レバーをゆっくりと押し始める。
「次ヘマしたら承知しねェぞ!!!」
背中に怒声を受けながら、不安定なバランスの中で必死にレバーを押していく。
それは、今まで慣れてこなしてきた作業に比べて、何倍も、何十倍も運動量が違うとさえ感じた。
「……」
俺は、自分の足を見る。
動かないまま白く染まった、固まったままの左足を。
*****
壊死寸前。
目が覚めた時、監視役のクソ野郎はそう説明した。
俺の左足は、突如にして氷点下マイナス何十度だか何だかのダメージを受けたらしい。
確かにあの日、大雪の降り続く中ほぼ裸足に近い状態だったが、それによるダメージではないと言う。
もっと強い、例えば左足だけを数時間ガッチガチに氷で固めたかのような、本来人体が耐えられないダメージ。
そんなあり得ないダメージを、左足だけが受けた状態だと説明された。
……脳裏に、雪女の笑い声が過ぎる。
もっとも、理由なんてどうでもよくて。
そんなものを知っても、左足が使い物にならなくなった事実は変わらない訳で。
クソ野郎共にとっては、それはそれは迷惑な話だった。
やっと雪が止んだところで、俺みたいなのが居ては作業効率が落ちる。
このままでは殺されると知っている俺は、根性で魔力生成装置の作業に喰らい付いた。
こんなところで終わりたくない。
夢だという事も、忘れて。
ただ、恐怖に終われる日々を過ごす。
……意味が分からなかった。
普通に過ごしてきたのに。
真面目にこなしてきたのに。
こんな夢の中でも、うまくいっていると思っていたのに。
こんな世界で、いつまでも目覚められずに。
……俺が。
何をした。
*****
「あ……お、おかえりなさいっ」
牢屋。
結局、まだ日も暮れないうちに俺はそこへと返された。
ムチの制裁は無い。
ただ、それが何を表しているのかは、考えたくも無い。
「……」
黙って、ずるずると座り込む。
情けで得たパンも水も、今は何も口にする気は無かった。
「……恭介さんっ! 今日はなんと、りんごを丸々一個貰ってきちゃいました!」
「……」
「私、頑張ったんですよ! このりんごも、市場じゃ有名なもので……
……ご一緒にいかがですか?」
「……」
「……あ、そうですよね! このままじゃ食べ難いですもんね! 待ってて下さい、今、剥いて――」
「……いらねえよ」
「大丈夫ですっ! 私、こう見えても結構器用に――」
「いらねえって言ってんだろッッ!!!」
項垂れていた、顔だけを上げる。
訪れたのは、何者も音を発しない静寂。
他の牢屋の奴隷共も、傍を通っていた監視役も。
何もかもが、凍りついたように。
時間が止まったかのように。
「……あ」
その静寂を、少女が破る。
「……ご、ごめんなさい。私、また……か、勝手な、こと」
……目いっぱいに、涙を溜めながら。
「……」
俺はなるべく彼女を見ないように、見ないで済むように瞼を閉じた。
……このまま、寝てしまえばいい。
今居るのは、夢の中だ。
目覚めた時には、俺はきっと、元の生活に戻っていて。
「……っ、」
……しばらくの間、地下には、少女が涙を堪えて鼻を啜る音だけが響いていた。
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