7.世界は

7.



 牢屋に帰ると、既に帰ってきていたらしい少女が床に突っ伏して寝ていた。



「……」



 珍しく、こちらに聞こえるほどの寝息を立てている。

 昨日の件、朝に釈明することが出来なかったから今晩に……と思っていたんだけどな。



(……まあ、疲れたんだろうな)



 今日は朝からいなかった訳だし。

 コイツの仕事の事を考えると、朝から呼び出されたというのは相当身体に堪えたのだろう。


 傍に転がっていたボロ布毛布をかけてやる。

 俺も充分に堪えていたが、こういう時はレディー・ファーストとするのがモテる男の秘訣だ。

 ……なんて。


 一応、普段から主に食料面で援助はしてもらっているし、これくらいは我慢してやろう、というのが本音だ。



(けど、また後回しだなあ)



 面倒ごとを後回しの後回しにしてしまった。

 自業自得とはいえ、ついてない。


 ……まあ、いいか。

 俺も、今日は早く寝ようと決めていたわけだし。



(昨日も、そんなんだった気がするけどな……)



 最近、うまくいかない事が多い気がする。

 そんな事を考えながら、固いパンに噛り付く。



(まっず……)



 ……どうしてか、普段より飯が不味く感じられた。






*****






 "俺は目覚める事のできないまま森で三日ほど過ごし、空腹や環境に耐えかねて倒れたらしい。


 次に目を開けた時、そこは見慣れた部屋のベッドの上ではなく、冷たく狭い独房の中。



 この世界には奴隷と、奴隷を売る商人が存在しているらしい。

 それを自身が奴隷として捕まることで、身を持って知る事ができた――"




*****




 ……朝。

 起きると、既に少女は姿を消していた。


 もちろん、今朝も俺は監視員に起されるより、だいぶ早く起きたのだが。



(なんだってんだ……)



 昨日から、仕事が忙しくなったとでも言うのだろうか。

 彼女の仕事の性質上、それなら事前に分かるだろうから、一言くらいあっても良いと思うんだが。



(まあ、今夜聞けばいいか……)



 また機会を逃した。

 と、いうよりまた話せなかった、という思いのほうが強い……気がした。


 考えてみれば、全く言葉を交わさずに一日が終わるというのは初めてである。



(避けられてる……なんて、俺に限ってあるわけないか)



 起き上がって、かかっている毛布を避けながら、俺は一抹の不安を感じる。


 ……いいじゃないか。

 別に、嫌われたとしても。


 どうせ、これは夢なんだから。






*****






 ……今日も雪は降り続いていた。

 勢いは止むことなく、昨日から連日道を整備していた町の人々も、徐々に意欲を削がれてきているように見える。


 当然だろう。

 徹夜で身体を動かしていない限り、すぐに雪が積もってやり直しになる。



「……ちッ」



 こちらのクソ野郎も、昨日よりイライラしている様子だ。

 昨日、今日に引き続き全く売れない奴隷の販売。


 もちろんだが、レバーを回す事も困難なため、今の俺たちはただの飯食い虫みたいな存在だ。

 何も産まず、ただ売れないボロボロの奴隷共を置いておくだけ。


 こっちとしては大助かりだが、いつコイツが切れるかも分からない。

 最悪、奴隷共を全員処分するとか言い出しかねない危なっかしさだ。



(……まあ、その前に止むだろうけどな)



 その自信は町の人々や、他の奴隷共の会話を盗み聞きして得た。

 何でも、町に三日以上の大雪が降り続けたことは、過去十数年無かったようで。

 長くても二、三日で勢いは止み、一週間もする頃には降り止むのがこれまで通りだそうだ。


 つまり、長くても明日まで。

 丁度クソ野郎が噴火しないギリギリの位置付けだろうし、その辺りは雪に感謝したいところである。



(……ん?)



 ……と、そんな事を考えていたら。

 見つめていた表通りの真ん中に、妙な白い靄がかかっている様に見えた。



(あれは……昨日の)



 一目で分かる。

 ぼかしたように不自然に見える空間に、段々と形を整えていく白い靄。


 間違いない。

 昨日と同じ、白い靄。


 雪女が出てきた時にも現れた、白い靄だ。



「――」



 そう思った瞬間だった。

 白い靄は、急にペースを上げ、昨日より圧倒的に早く形を形成しそこに雪女を造りだす。


 白い長髪、白い装束、表情を隠す白いフード――



(なん――)


   " オ マ エ ハ "



 ――そいつは、こちらが考えるより早く。




   " ―――― "




 ――伝えた。


 ……氷付けの、言葉を。






*****






「……おい、262番」


「……」


「誰に断って寝てやがるんだ!! おい、262――」



 ……クソ野郎の不快な声が耳に張り付く。

 怒鳴られている。


 早く動かなくては、返事をしなければいけない。

 起き上がらなくてはいけない。


 ……だというのに。



「――」



 段々と、声が遠くなる。

 クソ野郎だけではない。


 他の奴隷共が、牢屋側からこちらを見て何かを叫んでいるのが見える。

 うるさいやつらだ。聞こえないけど。

 俺に何の用なんだか。



「――」



 クソ野郎が牢屋を開けた。

 外で開けるなんて、買われた奴隷にしか行われない事だというのに。

 もしや、買われたのか?


 それなら、尚更起きなくては。


 足に力を入れる。



「……」



 ……力は、入らなかった。

 というか、入れる場所が無かった。


 足。

 それは、どこにあって、どうやって力を入れる?



「――」



 叫んでいるクソ野郎に引きずり出される。

 体の何処も持たれている感覚がしないのに、引きずり出されるとはおかしな表現の気もするが。


 クソ野郎が引っ張っているのは、確かに俺だった。

 けれど、直接持っていた箇所は俺の身体でなかった。


 ……スラリと長い、雪に白く塗られた何か。


 引っ張っているクソ野郎の両手すら短時間で赤くなっていくほど、冷たい。

 それは、凍っているようだった。



「――」



 意識は遠のき、失われようとしている。

 白い何かの正体を気にかけることなく、クソ野郎を気にかけることなく、他の奴隷共を気にかけることなく、俺はただ見つめていた。


 表通り。


 こちらを見つめる人々の中に、確かに一つの存在。


 ……雪女。


 白い長髪、白い装束、表情を隠す白いフード――



「――」



 ……ソイツは、笑っていた。



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