6.ゆきおんな
6.
"……ほっぺをつねったり木々にあたまをぶつけて痛みを感じたりと、思いつく限りの方法は全て試した。
けれど、全て無駄だった。
おまけに、雪に囲まれたこの世界は、現実と同じ様に段々と体力が減っていく。
見たことの無い生物に襲われ、かすり傷も負った。
もちろんズキズキとした痛みと共に、血が流れる。
時間の経過と共に辺りは暗くなるし、腹も減る。
"全く別の世界――"
この時に初めて恐怖を感じた。
……けれど、現実の俺は夢から覚めてくれない。
どうしようもなかった――"
*****
朝。
俺が目覚めた頃にはもう、少女は傍に居なかった。
(珍しいな……)
幸い起床時間前なので、監視員にぶったたかれて起こされる事は免れた。
……しかし、機会は完全に逃してしまったと言える。
(……まあ、夜でもいいけどさ)
個人的に、女の子を自分が不機嫌にさせたまま過ごすというのは心地良いものではないんだけれど。
あと、面倒な事を後回しにすると更に面倒になるという経験則があるというのもあるんだけど。
……まあ、こればっかりは自分の配慮が足りなかったとしか言えないので、致し方なく受け入れる事にしよう。
「――おい、262番」
そうこう考えている内に、監視員の声と足音。
ジャラジャラと足音に続いて聞こえるのは、朝起こし様の長い鎖である。
おっかない。
「はい」
適当に、けれど誠実に聞こえるように返事をして、牢屋を出て行く。
……さてと。
今日も、寒い中頑張りますか――
*****
「……」
今日の天気は、昨日に引けを取らない大雪。
寒さに身体が順応していったのか、ちょっとマズイ反応を起しているせいかは分からないが、起床した時点では特別に寒いという感情は無かった。
……今日の仕事は、いつものレバーではなく、最初から奴隷直売アピールタイム。
あのクソ野郎指令どもが、昨日の状況を見て判断したのだろう。
中々良い判断だ。それに伴い、奴らの脳内ランクを蛆蝿からシロアリに上げてやってもいい。
(……しっかし、なあ)
牢屋には雪が入らないようにそれぞれ布が被せてある。
だから空は見にくいが、裏路地から町を除き見るには充分な視界が確保できた。
そこに存在しているのは、ひたすら白の世界。
何センチ積もってるんだ、と思わず腕を突っ込みたくなるような積雪の表通りに、防寒着に身を包んだ人々が数人見える。
雪かきだろうか。
ひたすら道の真ん中にある雪を邪魔にならない端に除け、他の店の扉の前に除け、忙しなく動いている。
たまに、そんな道の中を歩く買い物客らしき人々も見えるが、みんなこちらには興味なしといったところだった。
「……」
クソ野郎。
何より暇そうなのは、分厚い防寒着を着用したコイツだったりする。
そりゃあ、商品のアピールをしようにも客足がこんな状態では心中穏やかではないだろう。
ここは裏路地だ。
わざわざ入って来ようとするのは、それこそ奴隷を買いに来た貴族様くらいであって。
こう雪が続くと、その貴族様ですら外出を渋るのだ。
だからって、奴隷を表通りで売る訳にもいかないのだろう。
町では奴隷という存在自体は認められているが、やはり良い顔をされるものではない。
結局、客が来るかすら分からないまま、だからって俺たちを酷使して殺す事もできないまま、挟み撃ちにあってイライラしているのだろう。
(もしかして、今日はずっとこのままなのか……)
外を見るのも飽きたので、今度は逆方向を見てみる。
まあ、見えるのは勿論、同じ様なボロ布を被って震えている奴隷共だけなんだけど……。
(……ん?)
奴隷共の牢屋、その奥。
ここから見えるのはそれだけのはずなのに、妙な違和感を視界に感じる。
何だろう。
視界の中心。
その部分だけが、妙にぼやけているような気がするのだ。
(誰か……いる?)
なぜそう感じたのかは分からない。
けれど、俺はどうしてかその気配を"人"のものとして認識している。
目が悪いわけではない。
中心に渦巻く靄は、段々とハッキリ形を形成してきているように思えた。
(……も、もしかして幻覚とか?)
この寒さだ。
手足だけではない。色んなところの感覚が麻痺している可能性は、充分にある。
もしかしたら、頭のどっかの神経が麻痺して幻覚を見せているのかもしれない。
(そういや、マッチ売りの少女ってこんな最期だったような……)
段々と色を濃くしていく靄を見て、思う。
マッチ売りの少女。
現実世界ではとても有名な童話で、売れないマッチ売りの少女が最期に走馬灯を見て死ぬ話だ。
彼女が死んだのも、確か、こんな雪の日だったよな……。
(……)
いかん、いかん。
こんなところで走馬灯なんてシャレにならないぞ……。
そもそも、死んだとして、ここは夢の中だ。
まさか、本当に死ぬわけでもあるまいし――
「――」
……と、その時。
くだらない事を考え始めていた脳内が、一瞬で停止する。
人がいた。
奴隷共の牢屋が並んでいる通りの真ん中に、靄が形成されていたその場所に、人が立っていた。
白い長髪。
白い装束。
表情を隠すほど深い、白いフード。
(……うっそだろ)
全身白ずくめで、うっかりすると背景に溶け込んで見失ってしまいそうにも思える。
というか、今目を離したら次に見つけられる自信が無い。
それだけ、華奢で白い人間。
マッチ売りの少女ではないが、別の童話的要素として、俺はこういった存在を見た事がある。
雪女だ。
「――」
雪女の口元が、少しだけ動いた。
視線を完全に釘付けにされ、その全ての挙動を把握する事が出来る。
"オ マ エ ハ"
(……っ)
……ずっと目を逸らしていなかったのに、瞬きすらもしていなかったというのに。
いつの間にか、雪女は消えていた。
あれだけ鬱陶しく視界に映っていた靄ごと、そこにあった全ての違和感ごと消えていた。
幻覚だったのだろうか。
それは、人が裏路地からこの速さで消えてしまうにはあまりにもおかしい事で……。
(……何を言おうとしてたんだ)
お前は……だっけ。
口から上は見えなかったが、あれは俺に向かって放っていた言葉だよな。
……嫌だなあ。
こんなクソ寒いのに、ホラー要素なんて。
(やっぱ、寒さの所為かな……)
というか、そうでないと説明がつかない。
オカルトを信じるよりよっぽど現実的な話である。
まあ、夢の中だし、現実で起こりえる事を基準に考えてはいけないのかもしれないけど。
(……一応、今日も早く寝るか)
ここ最近、変な夢ばかりを見ているし、眠りが浅いのだろう。
昨日も早く眠ったとはいえ、寒さで何度か起きてるからあまり意味も無い。
俺は表通りに目を向け、他の奴隷共と同じ様に客を待った。
その間にもチラホラと先程の場所に目を向けたりしたが、もう一度雪女が現れる事は無かった……。
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