5.少しずつ崩していく

5.



 "しかし、そんな風にはしゃげたのも最初だけ。


 リアルな感触の雪と寒さに、そろそろ目覚めようと考えた時に、気付く。


 どう目覚めればいいのだろう、と――"






*****






(クソさみぃ……)



 翌日。

 いつもの場所、いつもの仕事の定位置で、俺は立ちすくんだまま動けないでいた。


 予報通りの……いや、それ以上の馬鹿みたいな大雪。

 昨晩、俺たちが寝静まった頃から深々と降りだしたそれは、ただでさえ冷えきったこの世界に追い討ちをかけるには充分な破壊力を持っていたようで。


 最初こそ気合で乗り切ったものの、いつまでも降り続ける大粒のそれに、俺たちの身体は遂に悲鳴を上げて言う事を聞かなくなってしまっていた。


 ここまで、開始僅か2時間程度。


 まさか、慣れていたと思われる寒波がここまで酷い物だとは、想像したことが無かった……。



「親方。これは、どうしますかねえ」


「……」



 少し離れた所では、分厚い何かの毛皮を被った指導者のクソ男どもが駄弁っている。

 大方、中断するか否かで迷っているのだろう。


 普通、 一人も動ける者がいない現状、今日のところは中断するのが懸命だという事くらいすぐ分かると思うけど。 



「クソの掃き溜めの奴隷共!! てめェら、動かないとこの場で殺すっつったら……どうだ?」



 ……しかし、クソ野郎の方は違ったようだ。


 脳みその中に蛆か蝿でも飼っているのだろうか。

 よりにもよって、この場で一番相応しくないであろう"脅し"という手段を用いてきやがった。


 そうか。

 こんなポジティブ馬鹿野郎共に普通なんて求めちゃいけなかったんだ……。


 こうなった以上、俺が願えるのは……。



(動くなよ……)



 他の奴隷どもに目配せをしながら、必死に祈る事だけだった。


 馬鹿野郎共も物騒な事を言っているとはいえ、一応商人だ。それで、俺たちも一応は商品だ。

 全員動けなかったところで、何も本気で殺そうとはしないだろう。


 見れば、クソ野郎共も随分と寒さに堪えているみたいだし、そういった面倒でお粗末な行動には出ないはずだ。

 むしろ、こいつらだって本音は早く帰りたいって気持ちでいっぱいだろう。


 少しの間でいい。

 脅しに屈せず、俺たちが誰一人として動かなければ今日はもう撤退するはで――



「――はぁッ!」



 ギシリ。


 錆びた金属が擦れる音。

 深々と降り注がれる雪で詰まった耳にも、ハッキリと聞こえる恐怖の音。

 ……その時、その場所で、俺たち奴隷がみんな、いつも以上に忌避していた音。



「……ほぅ」



 レバーの根元にある軸が動いた音。

 それは、この場でどっかの頭の悪い蛆の繭で構成された脳を持ったとしか思えない、馬鹿野郎ドM奴隷がレバーを動かしてしまった音。


 他の奴隷達にとって、地獄のゴングとも変わらない音波。

 ……それを、頭の禿げ散らかしたクソ野郎は、何とも意地の悪そうな笑みで見ていた。



「……まだ、動けるじゃあないかぁ。……なあ、お前ら?」



 ……俺は、この時ほど強く他の奴隷を恨んだ事は無かった。






*****






「それは……大変、でしたね」


「本当にな」



 夜、いつもの牢屋にて。


 いつものように会話をしながら、固いパンとドブ水を喉に流し込む。

 今日のおすそ分けはハムだった。



「で、そいつってのがこの前261番と入れ替わりで来たヤツでさ」


「……そう、なんですね。261番さんの事は本当に残念で……」


「そうか? 自分でヘマした無能だぞ?

 ……そうじゃなくて、その新しいヤツなんだけど、何か妙に張り切ってるというか、空回りしてるんだよな」


「そ、そんな言い方は……!」


「いやいやマジだって。お前も一度見れば納得するはず」


「……261番さんの方です」


「は? ああ、死者を冒涜するなって事か。しかし事実は事実だ。俺もだいぶ迷惑被ったしな」


「……」



 ハムは硬い。

 前歯を駆使して、やっと三分の一を噛み切ってパンと一緒に飲み込む。


 租借も忘れてしまうほど、今日の俺は腹が減っていた。

 雪の中労働を続けた事も関係しているだろうが、主にストレスの所為だと思う。


 結局、あの後で体感三十分もしないうちに俺たちは作業を中断させられた。

 もちろん仕事が終わった訳ではなく、その後は売り出し様の牢屋に入れられて町の裏路地に商品として置かれた訳だが、雪に直接触れながら裸足で歩き回るよりは全然良かった。


 しかし、あの役立たず奴隷の行動さえなければ、もう少し速く楽になる事ができたと考えると、何とも許し難い。 

 ドブ水の臭気に若干顔をしかめながら、ヤツの行動を恨み続ける。


 こうしていると、まるで臥薪嘗胆のようだ。



「……私、もう寝ます」


「はえっ?」



 ……何て馬鹿な故事成語を思い出していると、少女はそう言ってボロ布毛布にくるまってしまった。


 なんだなんだ。

 いつもなら、この後で現実の俺の話を聞きたいと積極的に言ってくるはずなのに。


 話さずに終わった日が無いわけでもないが、そういった時はきまって俺が疲れている時だったはず。



「おいおい。今日は現実世界の話をしなくてもいいのか?」


「……」


「……何だよ、もう寝たのか」



 のび太くんみたいなやつだな。

 確か、彼は三秒で眠りに入れる特技を会得していたはずだ。


 ……じゃ、なくて。


 こんな一方的な会話の切り方、今までのコイツじゃ考えられない。

 こんな、親に怒られた子供が拗ねた様な――



「……」


 ……あれ?

 もしかして、拗ねさせたのって、俺?


 ……しばらくの間一緒に過ごしてきて薄々感づいてはいたが、コイツはこの環境で結構夢見がちなお花畑だ。

 例えば、みんな仲良くとか、世界の平和とか、本気でそんな事を考えている節が見え隠れしていた。


 そんなコイツの事だ。

 きっと、仲間の悪口を愚痴られるなんてあまり良い気分ではなかったのかもしれない。

 それだけじゃないとしても、俺の先程の発言のどこかでダメージを与えていた可能性はある。


 今まで、愚痴は言っても悪口は言わなかったからな、俺。



(……)



 あちゃぁ。

 人に話をするのが上手いリア充の俺が、珍しくミスをしてしまったな、これは。


 仲間内(あの奴隷共を仲間だと思わないが)の悪口だなんて、あっちでもやらなかったのに。

 言ったとしても、聞かせているのはあいつだけだったのに。


 ……あっちでは犯さなかったミスを、こっちで犯し始める。


 いかんな。

 完全に、こっちが疲れ始めている証拠だ……。



(……明日、適当に繕う事にするか)



 ともあれ、今日のところはもう遅いだろう。

 今更何て言えば良いのかも分からないし、弁明は明日に決めた。



(……ったく、早く目覚めてくれよな)



 どうにも最近、空回りが多くなってきた気がする。

 それもこれも全て、この世界が悪いというのに……。


 ……。


 嫌な事ばかりを考えても仕方が無い。

 俺も、今日は疲れた。

 早めに寝て疲れを取れるという意味ではラッキーだったと、この世界を解釈しておこう。


 ……残ったパンの欠片とハムをドブ水で一気に流し込むと、俺も直ぐ横になり、目を瞑った。



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