第3話 他人の好き嫌いを嗤うな
もう随分と昔の話になってしまうが、かつて私がとある飲食店でバイトをしていた頃こんな事があった。
その日は物凄く暇で五歳年下の後輩と二人でフロアをまわしていた。社員は別の階にいてダラダラとした時間が流れ、我々は無節操に自らの若さという貴重な資源を金で売り払っていた。
口を半開きでぼおっとしていた私に突然後輩が思い出した様にこんな事を言った。
「今週のジャンプ、読みました?」
まず大前提として私はその時点でとうの昔にジャンプを卒業しており、ましてや彼とジャンプについて会話した事は一度もなかった。ただでさえ決めつけた言い方に一瞬「あれ?」と思ったが私は歳上の余裕としてそこは努めて冷静に対応した。
「ごめん。ジャンプ、もう随分前から読んでないんだよね」
そう言うと彼は「はっはーんなーるほど」みたいな顔をしてこんな事を言った。
「ああ、単行本派の人ですか?」
「え?何が?」
「いやだーかーらー。ワンピースですよ。単行本で一気に読む派ですか?」
再び大前提として、私はワンピースを読んでいない。ましてや彼とワンピース関連の会話をした事は一度もない。
「ああ、ごめん。俺ワンピース好きじゃないんだよね」
この不毛な会話を一秒でも早く終わらせたかった私は些か乱暴な勢いで彼を突き放した。しかし彼から返って来たのは、私が思っていた以上にショッキングな返答だった。
彼は鼻から「プスーン」という嘲笑的な音を繰り出し唇の右端を吊り上げこう言った。
「ああ、そういう系の人ですか?」
そういう系の人。彼はそんな言葉を口にした。
「え?どういう事?」
「いや、イイっす。すんません」
彼は何だかクスクスした感じで突然に謝罪をしてきた。
「いやいや。え?なにどういう系?」
私はあんまり彼の言い方が気になったので執拗に食い下がった。今考えてみると非常に大人気なかったと思う。
「いやぁ。まあ、たまいますよね?ワンピース嫌いな人?」
ここでついに、私は内心プッツンしてしまう。
はあああ!?なんだそれ?!「たまにいますよね!」???なんでワンピース読んでる奴中心に世界が回ってるみたいな?ワンピースの事は世界の九割の人が好きだみたいな!?なんでそんな言い方すんの?!なんだその押し付けのビッグバンアタックみてえなのオラわくわくすっぞ!!!!
と、その時内心思っていたかどうかは別として私はかなり頭にきていた。
当時の私はこういう手合いが特に嫌いだった。
ちょっと自分の好きな物が市民権を得たらそれが世界の総意みたいな言い方をする奴。その上でその価値観の上にいない奴は問答無用で変わり者もしくは哀れな奴という認定。それが大嫌いだった。
こういう手合いのせいで私はワンピースがどんどん嫌いになっていった。
そして彼はこうも言ったのである。
「自分って結構オタクなんですかね〜ついてこれない人が多いんですよ」
「へえそうなんだ。俺、実はフェアリーテイルの方がワンピースより好きでさ。ワンピースのパクりだなんだって言われてるけど、世界観とかはあっちの方が好みなんだよね」
私がそう言うと彼は目線を合わせずにしばらく俯いていた。
「アレ?どした?」
「それって、ジャンプの漫画ですか?」
彼はそう聞いてきた。
「いや、マガジンだけど‥」
「あ‥自分、ジャンプ以外読まないんで」
こういった所謂ファッションオタクへの文句は、近年腐るほど大勢の方が書かれているので割愛させていただく。まあ私もにわかの部類に入るので偉そうな事は言わない。しかしオタクを自称する割にジャンプ以外購読していないとは段々と彼が哀れにさえ思えてきた。
私は彼とのこの会話を早々に切り上げて残りの時間を社員の山根さん(仮)の悪口を言う事に徹した。彼もノリノリで山根さん(仮)を罵倒していた。その日はそれで事なきを得た。
私はこの、価値観を押し付けた上でその正当性を全く疑おうとしない輩が大嫌いである。
例えば私は海の魚が嫌いで生だろうが焼いていようが食べれない。寿司屋の臭いは本当に辛い。磯の香り全般が苦手なのである。出汁に関してもかつお節なら平気だが、さば節や煮干しなんぞは知らずに食べると顔をしかめてしまう。
ある日、心無い友人が私にこんな事を言った。
「お前は魚が喰えない癖に、食に対してあれこれうるさい事を言う資格はない」
これこそ押し付け以外の何物でもない。好き嫌いがあっては食を語っていけないなんて乱暴過ぎるではないか。
そもそもこの男は何がオカズでもご飯に必ず塩をかけて食べるという塩分中毒者だったので、彼自身もまた論ずるに値しない味覚音痴なのである。こういう事を言う人間に限って、大した価値観を所有していないのだ。私はこういう人間が嫌いだ。
幸いこれまでの私の人生でこういう事を言ってきた人間に彼ら二人以外、遭遇した事はない。今後もそうであると願ってやまない。ちなみに彼ら二人とは現在疎遠である。
この様なネット小説投稿サイトで何年も経ってからくだらないエッセイで悪口を書かれたくなかったら、人の好き嫌いにとやかく言うべきではない。
かしこ
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