第4話 他人の昼飯を嗤うな
再び若い時の話である。
ある日バイト先の休憩所で昼飯を食っていた。
「あれえ?今日は何?」
突然視界に現れたパートのオバさんにそう聞かれた。完全に取り留めのない世間話である。
「コレです」
私は食べていたカップ焼きそばを見せる。
「あー、またそんなカップラーメンなんか食べて。病気になるよ。この間テレビでやってたけど、お湯を注いだ時にその容器から出る成分がうんたらかんたら」
カップ焼きそばです。カップラーメンじゃないです。と言いたいところだったが面倒だったしオバさんもそんな事を言われても困るだろうから止めておいた。
また別のある日。
実家に住んでいた頃の話。
休日だった。
猛烈に天気が悪かったので買い溜めておいたカップラーメンを昼飯に食べていた。
すると、外出から帰ってきた母がリビングきやって来た。母はリビングに入るなりこう言った。
「臭い臭い臭い!あーーー臭い!なんなのアンタはいつも。そんな毒みたいなもんばかり食べて!うわくっさい!」
とこうである。
オバさんにしても母にしても私を気遣っての事なのだろうが、正直食べている最中に病気だ毒だと言われると誰だって良い気分はしない。食欲も遥か彼方に消え失せる。これは食事中にトイレの話をするくらいマナー違反ではなかろうか。
大体、カップ麺が身体に悪い事くらい先刻承知している。毎日食べているワケではない。あくまでたまにである。それなのに、彼女たちはここであったが百年目と言わんばかりに私の食生活を責める。
では彼女たちの食生活が本当に人間としてあるべきものなのか。必ずしもそうでないと私は考える。
パートのオバさんだって、スーパーで買った冷凍食品や総菜コーナーのお世話になっている筈だ。それらは確かにカップ麺と比べれば幾らかマシなのかもしれないが、しかしオバさんの言う病気になるリスクを回避した健康的な食事とは言い難いのではと思う。
母はとにかく、無農薬やオーガニックという言葉に弱い。それは何処の家庭でも一緒かもしれないが、私はこれらの言葉に対して懐疑的である。無農薬やオーガニックの野菜を使ったは本当に健康的な食事なのか。
自然の食品を自然のあるがままの姿で育ていただくという事だが、本当にそれは人間が食べて大丈夫なのものなのか。自然と共にあると言うのなら、必ずしも自然が人間の味方では無いという事実を受け止めるべきだ。自然は人間に都合良くできていない。野菜や果物はあくまでも食べられるというだけであって、産まれた時から人間の為に存在するわけではない。度重なる品種改良を経て、人間に都合の良い食べ物になっただけである。自然のあるがまま、つまり野生の姿に近い野菜や果物は本当に人間にとって良い物なのだろうか。もちろん、果物の中には動物に食べてもらって排泄により種を広範囲に撒く物も存在する。だが全ての野菜や果物が動物に食べられる為に存在するわけではない。その証拠に、キノコの中には警戒色というのを生まれつき備えている品種もある。野生のキノコは美味いが、とても怖い。
話が少し脱線したがつまり、現代の日本に生きていて人様にご高説を垂れられるほど立派な食生活をしている人間なんてごく僅かしかいない。
カップラーメンを食う者を笑う者はコンビニでなかなか腐らないフランケン弁当を食う。フランケン弁当を食う者を笑う者はチェーン店でバイトが適当に作った料理を食べ写真に残してブログに貼る。ブロガーを笑う者は料金と料理やサービスの値段が全く釣り合っていないボッタクリ有名西洋レストランでちまちま料理を食う。ボラれる意識高い系を笑う者は老舗で高い金を払っておきながら料理人にペコペコして顔色を伺う。そして結局家に帰って、お新香でさらさらと茶漬けを食う。そうしてひと息ついた後、やっぱり家で食う茶漬けが一番美味いなと思うのだ。
とどのつまり何が言いたいかと言うと、人の昼飯を笑って良い奴なんざこの世に存在しない。そういう事だ。
かしこ
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