九ノ回廊 みどりの太陽

 ――夢の続きは終わらない。


 果てしない砂の海を漂っていた。

 白い砂の波が、ずぼずぼと自分の足を引きずり込もうするから、遅々として進まず、方角すら分からなくなった。

 砂漠の遊牧民のように、駱駝らくだの背に揺られて、自分は木彫りの男の人形を胸に抱き、今日でひゃくと何日か旅を続けている。


 ――月が昇ると、木彫りの人形は人の姿に変る。

 夜の間だけ、ふたりは人の姿で話ができる。だが、触れればたちまち人形の姿に変ってしまう。

 愛し合っていても、お互いに触れ合うことも契ることもできない。――そんな呪いをふたりはかけられていた。


 今宵こよいも男は人の姿に変ると、自分のそばでいろんな話を聞かせてくれる。

 自分は呪いをかけられる前の記憶を持っていない――。だから、男の話すことが本当のことかどうか判らないままに、ただ、黙って聴いているだけ……白いターバンを巻いた異国の男は、自分の恋人だと云う。

 愛するあまり、シバ神の踊り子だった自分を神殿から連れ去ったせいで、人形に変る呪いをかけられてしまった。砂漠の蜃気楼しんきろうが見せるオアシスに、呪いを解く泉があって、そこで沐浴もくよくすれば呪いが解けるという。

 それを求めて旅を続けているのだと、異国の言葉で男が話した。


 毎夜、砂漠を彷徨う夢を自分はみていた、夢だと知りながら、そこから逃れられない、もどかしさ、はがゆさ……。

 夢が現実を浸食していく――。


「おまえは俺と旅をしていて哀しくないのか?」ふいに、そんなことを男が云う。

 哀しいと思っていても……これは夢なのだから、と心の中で思ったが、なにも云わず黙っていると、

「俺は、おまえに触れることもできず、ただ砂漠を彷徨っているのが苦しいのだ!」

 怒りを含んだ声で、男が云った。

「いっそ人形のおまえを壊して、俺も砂漠で朽ち果てる。こんな旅は終わりにしたい」

 男の夢では、人形に変るのは自分の方ので、踊り子の人形と男が旅をしているのだ。

 ――この回廊のような、堂々巡りの夢を終わらせるには、人形を壊すしかないのだろうか? 

 砂漠を彷徨う夢に疲弊ひへいしていたので、自分もそう思い、こっくりと頷いた。


 明日、陽が沈む前にお互いの人形を壊そうと誓い合って、ふたりは最後の時を過ごした。

 やがて朝日が昇り、砂の上にコトリと人形が落ちた。自分は、人形の男を拾い上げて胸に抱くと、ラクダの手綱をひき、再び当てどない砂漠の旅を続けてゆく。


 狂気のような砂漠の熱風がこの身を焼く。生きながらにして、自分は焼かれていた。――夢の中で。

 陽が昇った瞬間、ひたすら陽が沈むことだけを願う。そんな苦しい夢に、ついに終わりがくる。陽が沈みかけたら、木彫りの男の人形を壊す覚悟は出来ている。

 もうすぐ、白い砂漠の地平線に陽が沈む。夢の終わりが近づいてきた。

 少しずつ太陽が落ちていく。揺らぎながら陽炎かげろうのように、ゆらゆらと……。ほとんど、地平線に太陽が隠れかけた時、自分は手に持った石のつぶてで、男の人形を壊そうと腕を振り上げた。

 ――が、その瞬間、太陽の色が緑に変った!


「みどりの太陽!」


 緑の閃光、太陽が強く輝き緑色に変る現象を「グリーンフラッシュ」という。

 この緑色の光を見た者は幸せになれるという言い伝えがある。ああ、これが緑の太陽、緑の光線だわ。これに願いをかけたら叶うのかしら? どうか、ふたりを人の姿のままでいさせてください。

 木彫りの男の人形を胸に抱きしめ、何度々も緑の太陽に祈った。


 人形の男は、いつしか人の姿に変り、自分を抱きしめていた。ふたりは唇を重ねて抱擁した。もう、触れ合っても人形にはならない。

 緑の太陽が忌々いまいましい呪いを解いてくれたのだ! ふたりは抱き合ったままで、砂漠の砂の上を転がっていた。

 異国の言葉で「愛している」と男が何度も云うと、自分は嬉しくて男の身体をなおも強く抱いた。

 

               *


「おや、珍しい人形ですね?」

 砂漠の町のバザール、小さな土産物屋の前で、ひとりの観光客が足を止めた。

 その声に、店主は棚の上に置かれたまま、長い時間が経って砂塵を被っている物を、フッと吹いてから客の前に見せた。――それはアラビアンナイトの踊り子とターバンを巻いた男が抱き合っている人形だった。


「こいつ、ですかい? キャラバンが砂漠の砂の中から見つけ出した人形でさあー。これは不思議な人形でしてね。月が昇ると人の姿に変ると言い伝えがあるんですよ。まあ、人の姿にはなりませんが……時々真夜中に、睦合むつみあう男女の声が聴こえたりすることがあるんで、魔術師に見て貰ったら、強い念のこもった人形だから大事に持っていろ。と云われました。――だから、これは売り物ではありません!」


 土産物屋の店主はそういうと人形を元の棚に戻し、別の物を観光客に売りつけようとして、ペルシャ織りの絨毯じゅうたんを開いて見せていた。


 抱き合った木彫りの人形は、愛を永遠に封じ込めて……今宵も『夢回廊』を彷徨う。

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