五ノ回廊 不思議な鍵

 ――こんな夢をみました。


 青い空と青い海、ふたつのコラボレーションにいろどられた浜辺の風景。

 白い砂浜には人影もなく、自分はひとりで早朝の海辺を散歩していた。サマードレスにビーチサンダル、たぶんこの近くの住人なのかも知れない。

 朝の海辺の空気は、たっぷりとオゾンを含んで肺の中まで爽やかだった。自分は潮風に吹かれながら、桜貝などを拾ったりしながら歩いていた。

 砂浜をずっと行くと、波打ち際に『砂の城』みたいなものが作られていた。

 誰が作ったのか知らないが『砂の城』は、波が来る度に少しずつ削られて小さくなっていく――。

 思わず座りこんで崩れゆく『砂の城』を手で守っていたら、砂の中、指の先に何かが触れた。

 なんだろう? 摘まんで引っ張り出したら、それは鍵だった。


 それはビーズや硝子の宝石で飾られた、玩具おもちゃみたいな銀色の鍵だった。

 どうして、こんなものが埋められていたのか分からないが、こんなチャチな鍵が何かを開けるためのものとも思えない。

 何気なく鍵を持って、クルリと回し、開ける振りをしてみたら……。


 カチャリ! 何か開いた音がした。――自分はクラッと眩暈めまいがした。



 目を開いたら、そこは想像も出来ないような場所だった!

 どこか外国の街角みたいで、たくさんの人々が道を行き交っていた。人々はクラッシックな衣装で、女性は長いドレスにお洒落な日傘を差して、男性はシルクハットに黒いタキシードのような服を身に着けていた。

 そんな中、自分はサマードレスにビーチサンダルだったが、誰ひとり気にも留める風もない。――なんとも不自然なことだ。


 遥か向こうに凱旋門がいせんもんのような建物が見えた。

 もしかして、ここは十九世紀頃のパリの街角だろうか? 以前から、自分は世紀末のフランスの文化には興味があった。

『アール・ヌーヴォー』それはフランス語で、新しい芸術という意味である。

 植物模様や流れるような曲線が特徴で、ガラス工芸家のエミール・ガレやロートレック、ミュシャ、ビアズリーなど、日本でもよく知られるアーティストたちが活躍したのも、この時代である。


 もしかしたら、あの鍵を回したせいで、自分はこんな場所にきてしまったのかも知れない。――この鍵は、果して魔法の鍵なんだろうか?  

 街角にボーと立っていると、花売り娘がやってきて、小さなブーケを差し出し、自分に買ってくれと云っているようだった。――夢の中とはいえ、フランス語は皆目かいもく分からない。お金を持っていないので「ノンノン!」と断った。

 そうすると、次に知らない男がやってきた。彼は花瓶みたいな大きなグラスに赤ワインを注いで、呑め! と云うように自分の顔の前にグラスを突きつけた。「ノンノン!」そんな量をいっぺんに飲めないわ。


 急に賑やかな音楽が聴こえてきたと思ったら……自分はいつの間にか、フレンチカンカンの踊り子になっていた。

 派手な化粧と香水の匂いをプンプンさせた踊り子たちが、自分を捕まえて無理やり踊らせようとしているのだ。あまりに早いリズムについていけず、足がもつれて、息があがって、自分はフラフラになった……。

 もう、許して! 「ノンノンノン!!」大声で叫んで、持っていた鍵を、空中でクルリと回した。


 カチャリ! 扉が開く音がした。フッと意識が遠のく……。




 ――気がつくと、自分は氷の上に倒れていた。


 一面、雪と氷におおわれた白銀の世界。ここは何処だ、シベリアか? 南極か? 北極か? 

 氷の世界なのに、サマードレスの自分はちっとも寒いと感じていない。これも夢のせいだろうか? 起き上がって、グルリと180度見回した。

 おっ、ペンギンがいるぞ! あれは皇帝ペンギン、たしか南極に住んでいるペンギンたちだ。


 氷の上をペンギンたちが群れをつくって、こっちに向かったヨチヨチと歩いてくるではないか。

 これはたまらん! ピングーみたいで可愛すぎる。自分はほっこりしていた。

 すると、モソモソと……白い氷の岩が動いた。

 なんだろうと見ていたら、それは大きな白クマに変化した。

 ええー! 嘘? ちょっと待ってよ。白クマは、たしか北極に住んでいるはずなのに……。ここは南極だったよなあ? だって皇帝ペンギンがいるのだから……やっぱり南極だよ。

 だけど、そんなは夢の世界には通用しなかった。


 氷だと思っていた白い岩がどんどん白クマに変身していく、そしてペンギンたちの群れを白クマたちが襲い始めた。

 こ、これは酷い! ペンギンたちが次々と捕食されていく。真っ白な氷の世界が、赤い血に染まって、弱肉強食の惨劇さんげきが繰り広げられた――。

 自分は震えながら見ていたが、その内、一匹の白クマが自分を目がけて突進してきた。


「ひえぇぇぇ―――!!」


 カチャリ! 鍵を回して、自分は逃げ出した。




「ハァー、危なかった……」


 安堵の溜息に呟く、また別の場所に自分は移動していた。

 今度はどこにでもあるような児童公園のベンチに座っている。やっと、マトモな場所へ帰って来られたと、ホッとする。

 さて、これからどうしたものかと思案していると、男がひとり現れて、

「おまえ、どこへ行ってたんだ。早く帰ろう!」

 と、自分の腕を引っ張る。

 誰だろう、この男は? 能面の蝉丸せみまるのような、のっぺりした顔をしている。目はあるのだか、まるで糸みたいに細い。

「子どもたちが待っているから、早く!」

 温和おんわそうな顔と裏腹に、ひどくせっかちな男である。自分はわけが分からないまま、男の家に連れて行かれた。


 その家は町外れの荒れ地にぽつんと建っていた。かなり古い平屋で、近所には一軒も家がなく寂しい場所だった。

 玄関を開けるとすぐに居間で、丸い昔風の座卓に男の子が三人座っていた。たぶん四、五歳だと思うのだが、気味が悪いくらい男とそっくりな顔した、三つ子である。


「母ちゃん、ご飯、ご飯、ご飯!」


 三つ子たちは自分を見ると、丸い座卓を叩いて大合唱を始めた。

 ああ、五月蠅うるさい! なんて食い意地の張った子どもたちだろう。

 仕方なく……自分は台所に立って、食べ物を探したら、特大のシリアルの箱があった。冷蔵庫には牛乳もあるし、やかましい三つ子たちには、これを食べさせ黙らせようと思った。

 大きな丼鉢どんぶりばちに、シリアルをてんこ盛りに入れて、上から牛乳をぶっかけて、丸い座卓の上に三つ並べた。

 すると、三つ子たちはすごい勢いで食べだした。あっという間に、空っぽになった!


「母ちゃん、ご飯、ご飯、ご飯!」


 また座卓を叩いて大騒ぎだ。

 チッと舌打ちしながら、また同じものを作って並べた。ガツガツと食べる三つ子たち、こいつら犬か?


「母ちゃん、もっと、ご飯、ご飯、ご飯!」


 食べるスピードが早すぎて間に合わない。

 牛乳なしシリアルを与えたら、またしても凄い食べっぷりである。とても、小さな子どもとは思えない食欲だ!


「母ちゃん、もっと、もっと、ご飯、ご飯、ご飯!」


 どうしよう? シリアルの箱が空っぽだ! 

 三つ子たちの底なしの食欲が怖ろしくなった。今から作っても間に合わない。蝉丸せみまるの能面みたいな、三つ子たちが丼鉢を持って自分に迫ってきた。


「ひいぃぃぃ―――!!」

 

 まるでゾンビみたいで怖いよう。自分は逃げよう必死になった。


「母ちゃんが、ご飯だ、ご飯だ、ご飯だぁー!」


 ガブリ! 三つ子のひとりが自分の足にかじりついた、もうひとりが腕を噛んだ! 肩に牙みたいな歯を立てる。

「うわーっ! やめてぇ―――!!」絶叫した。

「おまえらが母ちゃんを喰っちまうから、父ちゃんがまた探しに行かにゃあ、いかんじゃろが……なあ」

 蝉丸せみまるの能面の男が、のんびりした口調で云う。

 ……!? 

 自分にかじりついてくる三つ子たちを足で払い、いざりながら部屋の中を逃げ回っていたら、ガタンと、押し入れのふすまに背中が当たった、その拍子に戸が外れた。

 すると、中から大量の髑髏どくろが転がり出た。――こ、これは、もしかしたら食べられた母ちゃんたちの骨なのか?


 なおも、三つ子たちはピラニアのように喰らいついて離れない。

 このままでは自分は食べられてしまう! 気がつけば、三つ子たちの頭に一本、小さな角が生えていた。

 ひょっとして、こいつらは『餓鬼がき』なのか? 

 そして、男の頭には立派な角が二本生えているではないか。間違いない! ここは鬼のだったのだぁー!

 

「ぎょえぇぇぇ―――!!」


 あ、三つ子のひとりが、自分の持っていた鍵を食べようとしている。

 

 ダメ! 慌てて引っ手繰たぐると、自分は必死で鍵を回した。 カチャリ!




 青い空と青い海、ふたつのコラボレーションに彩られた浜辺の風景。

 ここは元いた世界だ。やっと自分は帰って来られたみたい。ああ、こんな怖い夢ばっかり、もうりだ。

 手に持った不思議な鍵を苦々しい思いで見つめていた。

 こんな鍵なんか……こんな鍵なんか、海に放り投げようと自分は決めた。


「こんな鍵なんか、銀河の果てまで飛んで行け―――!!」


 大声で叫ぶと、全力投球で海に向かって鍵を投げた。カチャリ!




 ――銀河の果てに放り投げられたのは、なんと自分だった!

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