四ノ回廊 三白眼の女

 ――こんな夢をみました。


 まだ夜が明けきれない真っ暗な街を、自転車のペダルを漕いで自分は朝刊を配っていた。

 後、三十分もすれば朝日が昇るだろうか? なんだか小雨も降ってきて、早く朝刊を配り終えて家へ帰りたい。

 真っ暗な街はいいようもなく不気味で、いつも路街灯だけが頼りなのだ。


 前方から透明のビニール傘を差した若い男が歩いてくる。こんな時間に……朝帰りか? 電車は終電も始発もまだ動いてない筈なのに……。

 どうでもいいことなのに自分はやけに気になった。たぶん、こんな時間帯に遭遇した人間だからだろう。

 よく見ると、男の後ろから女がひとり、二、三歩離れて付いてきているではないか。雨が降っているのに、なぜ男は女を傘に入れてやらないのだろう。

 全く素知らぬ風で歩いている。ははん、さては喧嘩でもしているのだろうか。そんなことを考えている内に、このカップルとすれ違った。

 その時、後ろの女が、ギロリと三白眼さんぱくがんで自分を睨んだ。一瞬、背筋に寒いものが走った。

 なにか……途轍とてつもなく嫌なものを見てしまった気がした。いいようのない不気味な恐怖が、五感を駆け廻り震えが止まらない。


 自分は急に暗闇が怖くなってきて、早く夜が明けて欲しいと願った。

 それでも朝刊を配っていると、路地の奥、道の真ん中に黒猫が座りこんでいて、自転車が近づいて行っても、いっこうに逃げる様子がない。

 ミャアーとひと鳴きして、

「おまえ、あの女を見たんだね」黒猫が話かけてきた。

「……あ、あ、」自分は恐怖ですくんで声も出ない。

「あの女は三日前に、十一階建てのマンションの階段から飛び降りて死んだのさ。まるで腐ったトマトみたいに、真っ赤な血を地面にぶちまけて死んだ女なんだ」

「……ひ、ひぇー」

「――そりゃあ、もう、辺り一面血の海でさ。男に捨てられて自棄やけになって自殺したんだけど、成仏できなくて……ああして暗闇を彷徨っているんだよ」

 突然、ひらりと黒猫は塀に登った。

「おまえ、気をつけな、かれそうだ!」そう告げて、闇へ消え去った。


 まさか猫がしゃべるなんて……今の猫の話を聞いて余計に怖くなってきた。

 この近くのマンジョンで飛び降り自殺があったことは自分も知っている。もう新聞なんか配っていられない。

 早く帰りたい! 明るい所へ逃げたい! 闇雲やみくもに自分は自転車を走らせる――。

 とにかくこの暗闇から逃げ出したい。

 自転車の前を誰かが横切った。あっ、あの女だ! また三白眼で睨んだ。駐車している車の中にも、あの女が居る。生垣の暗がりからも、あの女が見ている。いたる所に、あの女が潜んでいるのだ!

 ああ、もう嫌だ! 恐怖でパニックになった。心臓もドックンドックン脈打つ。

 街路灯が点いたり消えたりと……急にチカチカ点滅し始めて、恐怖は頂点に達した。

 そして、誰かが後ろから自分の腕をギュッと掴んだ。振り向いたら――恨めしそうに三白眼で、あの女が睨んでいた。


「ギャアァァァ―――!!」


 恐怖で、自分はベッドから転がり落ちていた。

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