三ノ回廊 幻の蝶々

 ――こんな夢をみました。


 長い髪をツインテールに結んだ自分は女子高生だった。

 校庭をスケッチブックと絵の道具を持って美術部の部室へ向かって歩いていた。部室は美術室で一年の新入部員は、そこで石膏デッサンばかりやらされる。

 美術部に入ってはみたが、あまり絵が上手くない自分は、劣等感で退部したいと何度も考えていたが、言い出す勇気がなくて……それと、ある理由で続けていた。


「○○ちゃん」


 呼び声がして振り向くと、Y子とM美が学生食堂へ続く渡り廊下に立っていた。

 このふたりとは小・中・高と同じで仲良しなのだ。自分たち三人は入学式のあくる日、美術部の先輩たちの勧誘に捕まって、まんまと入部させられてしまったのである。

 どうやら、ふたりは部活の前に食堂で腹拵はらごしらえするつもりのようだ。運動部ではないが、じっと絵を描いているのも案外お腹が空いてくる、運動して身体でも動かしていれば、空腹も紛れるかも知れないが、絵を描く作業は集中力がいるので、お腹が空くとそればかり気になって集中できない。


「なあ、食堂でパン食べよう?」

「うん、いいけど……」

 お小遣い前で、たぶん自分の財布には百円くらいしか入っていない。

 一番安いパンなら買えるかな? こんな時にお金がないと云うのはとても恥ずかしい。

 ここは私学の女子高なので裕福な家庭の子女が多い。

 自分の家は豊かでないのに親友たちと同じ高校へ入りたいために、無理をして通わせて貰っている。夏休み以外はアルバイト禁止なので、いつも自分はお小遣いが足りない。


 ――そんなことも劣等感だった。


 食堂で軽く食べて、三人で部室に行ったら、部長が独りで油絵を描いていた。

 キャンバスには、初夏の庭に咲く、薔薇、バーベナ、ダリアなどの花々が描かれていた。きれいな絵なのだが、どこか物足りなさがあった。

 部長は美術部で一番絵が上手いのに、とても控え目な性格の人だ。だけど部活には一番熱心な先輩だった。

 新入部員の我々三人は、美術準備室からデッサン用の石膏を持ってきた。昨日まで手のデッサンだった。今日はY子が足の石膏を持ってきた。

「石膏の足なんて珍しい」

「うわっ、水虫があるよ」

「ゲッ、汚いなぁー」

 こちょこちょ……くすぐったりして、石膏の足を玩具おもちゃに三人は遊んでいた。


 どんなに騒いでも、部長は怒ったり注意したりしない、我関われかんせず、自分の作品に集中しているのだ。

 長い黒髪をおさげに結って、色白で聡明な眼差しの部長は憧れの人だった。

 彼女が校庭を歩いているだけで、自分の眼は自然と釘付けになってしまった。心の片隅にいつも先輩の存在を意識していた。


 ――だから女子高生活は楽しかった。


 大好きな部長だったが、ほとんど会話をしたことがない。

 誰かと話している声や会話の内容をこっそり聴いているだけで幸せだった。きっと面と向かって喋ったりしたら、自分は恥ずかしくて林檎みたいに真っ赤になってしまうだろう。

「あ……」

 かすかに空気を揺らすような部長の声がした。自分だけ気づいて振り向くと、部長は筆を止めて何かを凝視ぎょうししていた。

 開け放した教室の窓から二羽の紋白蝶が入ってきて、まるで追いかけっこをするように、ふわふわと教室の中を飛んでいた。やがて部長の描きかけのキャンバスの上に、二羽の蝶々は同時にとまった。


 その瞬間、スッと自分の視界から紋白蝶が消えた。


「あれ?」


 あの蝶々はどこへ行ったの? 自分は教室の中をぐるりと見回した。


「あっ!」


 不思議なことに、二羽の紋白蝶は部長の絵の中に居た。

 キャンバスに描かれた、初夏の庭、花々の上を蝶々たちは飛んでいたのだ。

 まるで、絵の中に吸い込まれてしまったかのように。――そして、その絵は二羽の紋白蝶を描き込むことで完璧になった!

「部長、白い蝶々が……」

 キャンバスを指差し、キョトンとしている自分を見て、

「うふふ」部長が悪戯いたずらっぽく笑った。


 ――これは魔法なのかしら?


《これは、ナ・イ・ショ……》部長の声が、優しく耳の中をくすぐった。


 この不思議な出来事は、部長と自分だけの秘密だから、永遠の指きりゲンマンなのだ――。

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