第11話 再生

体がスースーする。高速で飛んでいる。

自分自身が飛行機になってしまったような。

くるり旋回しながら巨大な赤い輪をくぐる。

ぴゅーんと上昇して雲を越えて青い空を進んでいく。

まっすぐに。虹がすぐそこにあって、七色に輝いて、

何もかもが晴れていった。

両手を広げて、どこまでも飛んでいけそう。

無限に続く世界を。快晴で正解、隅々まで届け。

なんて上機嫌になって、めちゃくちゃに飛んでいたらば。

夕方をスルーして、なぜか夜。

輝く橙色と紫色の水が集まり、次第に緩やかな波になって、漆黒の空を彩った。

しゅるしゅるしゅるしゅる、雲の上から降りてきた五人組。

銀髪のショートボブはベース、黒髪のウルフカットはドラム。

レディー2人はリズム隊。男3人の方はメガネをかけたキーボード、

ツンツン立てた茶髪のギター、

至って普通なボーカル。

ギターの奏でる軽やかでポップなリフに疾走感のある演奏。

ボーカルの彼が歌いだす。


短すぎる時を歩く はっきり聞こえてる

迷い道から抜ける ヒントの歌声を


簡単に忘れてしまう前に 何気に口ずさんでおこう


後ずさりして 避けたいことばかりだな

弾めないな スーパーボールみたいには

重たい扉を強く開けて明かりの向こうへ

進んだら陽光のシャワー 生命になって


 しんみりとして、しかし力強い歌詞だった。

歌い終わるとすぐにベースの女の子を残して

他の4人はしゅっとテレポートをしてどこかへ行ってしまった。

「あれっ、他の人たちはどこへ行っちゃったの?」

「さあね、私にもわからんのよ」

 二人で地上まで下降していくと、地面が白く発光している。

ガラスの床の下に照明を仕込んでいるようなものに似ている。

周りに温風が吹き続けて、ピコリーンという音の後に流れ星の絵が浮かんだ。

途端に不思議と身体中に力が漲る。

駆け出したい衝動を感じた私はこらえようとした。

しかし、我慢は毒だし、走ってしまおう。

そいで、ダダダダ、ダッシュし始めると彼女も追走してくる。

ええい。私は負けじと速度を上げていく。

平坦な光る道がどこまでも続いている。

これでもかとスピードアップした結果、ついに音速の領域に達した。

「ああーっ!疲れた、やめやめ」

 30分ほど駆け回って、彼女が音を上げた。

ふうふうはあはあ言いながら、落ち着いたところで彼女が、

「ミッツオってーの、よろしく」と握手を求めてきたので、

はーいあくしゅあくしゅってノリ良く握手した。

そこで止まらず、ノリが良すぎる、

というか興奮した様子のミッツオはガッと私を抱き寄せキスしてくる。

わああとうろたえつつ、もはやされるがままだ。

いつのまにか私たちを囲むように、

数十匹の白と水色のマーブル模様の狐が踊っている。

楽しげに愉快にステップを踏んでいる。

けれど、テレビのスイッチを切ったように突然暗闇が広がって訪れた静寂。

辺りに響くフルートの音。

木漏れ日を浴びながら私は枯葉の上に寝そべっている。

とっても心地よい。

脳裏で名前もわからない五人組のバンドの歌がリフレインしていた。

飛ぼうとしたけど、能力が消えたのか飛べなかった。

それでも良いように思えた。

ただカラカラに乾いた枯葉の感触がくすぐったかった。

しばらく横になって、まどろんでいると顔に何かが落ちてきた。

見慣れた花だった。

空から蓮華草が降ってきたようだ。

枯葉に紫の蓮華草が入り混じる。

蒔さんの声が聞こえて、その方角へ振り向いた途端に部屋の天井が飛び込んできた。じっと天井を見据えながら、夢を思い返していた。


 やっぱりだめだ。今じゃないと間に合わない。

上の空で一週間が過ぎていって10月になったけど、

雉家さんの精神状況はどうなっているのだろう?

あれから映は少しずつ私に話しかけてくるようになった。

彼がどんなに良くしてくれても、

傷つきたくなくて今まで壁を作って遠ざけてたのかな。

着実に持ち直してきている。

でも、それは蒔さんや映の尽力によるもので、

いつかは一人で戦っていくしかないんだろうな。

思い出をぎゅうぎゅうに詰めて、最期まで乗り切ったら蒔さんに話そう。

笑ってほしい、悲しませる訳には行かないな、やっぱり。

黄昏きった街を越えて、国道沿いを歩いて、つぶれた柿の散らばる三叉路で。

 不吉な想像を巡らしつつ、303号室の扉を開けると真っ暗闇。呼んでも反応無し。気が動転して、携帯の存在を忘れて、おっかなびっくりな私は手探りで廊下を渡って部屋へ向かう。か細い金色の光が漏れていた。

 吊るされた巨大な蝶のライトがパーパーとシャイニング。

それ見て放心している抹茶色のドレス着た雉家さん。

はて?どうなされました?私に気付くと、一気に喋り始めた。

「蝶に憧れてカランコエ食べようとしたけど、食えたものじゃないわね。

ヤケになった挙句、他人に危害を加えるのはヘタレな私には土台無理で、

そこまで落ちぶれたくはないし、ヤンデレの二番煎じみたいじゃない。

デレが抜けてるか。ただ一日がぼんやり過ぎていく。

答えが出ない。もやもやして尖るばかりの心」

「いっそ吐き出してしまえば良いんですよ。

喫茶店で歌詞作りましたけど、私は○○だと統一して

今の気持ちをまとめてください」

「何が変わるのかしら……私は臆病だ。私は惨めだ。私は無価値だ。私は空虚だ。私は敗者だ。私は根性無しだ。私は愚劣だ。私は不用だ。私はおしまいだ」

「あなたは優しくて、お茶目で、健気で、真摯で、謙虚で、必要で、

今は過渡期でこれから盛り返すのよ」

 しかし私の言葉は届かなかった。彼女はふふんと鼻で笑って、

「嘘よ」の一言で切り捨てた。

二言目に、「あの面白い坊ちゃん、連れてきてよ」と言うと、

早く出てけとでもいうような態度で私を玄関先までぐいぐい押したのだった。


 で、映を引き連れて私はまた来た。リトライが効くうちに。

臨時休業はほどほどに。

「お前、楽器弾けるんだー、意外」

 さっきマンションのエレベーターの中、映が言っていた。

家を出る際、ヴィオラのケースを担いだ私に映が何の楽器か質問してきて、

ヴィオラと答えたらさっぱりちんぷんかんぷんな顔をしていた。

ヴァイオリンの仲間みたいなものだと説明して、ようやくわかってくれたが。

クローゼットの奥深くに眠っていたヴィオラを

わざわざ引っ張り出してきたのは、

昔読んだ小説に音楽療法士が傷ついた人々を

再生させていくシーンがあって、それをなぞらえているのかもしれない。

 対峙する映と雉家さん。

「禎子さん、見せたいものがあるんだ」

「ふうん、何かしら?」

 ぱーっ。つまようじを取り出し、

部屋中を覆う黒のカーテンに映写。

エイシャって女の子の名前みたい。

慌てすぎて私は肩にかけたヴィオラのケースを床に落としつつ、

かっこよくは行かないな、いまいち決まらないなとくよくよしつつ、

ぼやきつつ、凹みつつ、3年ぶりに取り出した。

構えてすぐ、脳裏をよぎる凶悪なメロディ。

少し音を出してみて、尚更凶悪なメロディは、

悲しい記憶をフラッシュバックさせる。

「てめえ、下手くそなんだよ」

「あたいらの吹奏楽部にあんたみたいな雑魚はナッシングなの」

「はん、リコーダーに塗るアレを口に塗ってりゃいいわ」

「貴女って唾液を拭かずに放置したピアニカみたいね」

 ぐんぐん睨み、キレるにキレ、一番多く浴びた言葉はアウトオブ眼中。イン・ザ・UK。

便座オブ右頬。掃除箱・イン・ザ・教室の隅。

アウトしない屈辱の日々。

ああああ、ヴィオラ持つたび、手が震えるよ。

涙でうるうるだよ。

隣の芝生はメタリックシルバーだったよ。

ということは何ですか?

私は音楽療法を試みたものの、過去の傷的なものに翻弄されるんだす?

NO、ちゃうねん。否ですよ。負けない不屈の精神。

なんてのは嘘なんだけどね。あはは、そんなものあると思うんですか?

そう言う人間に限って、

私は御免こうむりたいとかなんとかぬかして、逃げるんじゃないかな。

高みの見物を決め込んで、あーあ、そこから誰か飛び降りちゃったよ。

硫化水素怖いね、僕は君と関係良化させたいつって、

華麗なご婦人とドミノ倒し。そんなものだろう。

 気がつくと、叫びながらガシャガシャ私はヴィオラを弾いていた。

二本やら三本やら切れた弦が刺さって、

血まみれだけど気にしない。気にしてられない。

がむしゃらにしゃにむに無闇に演奏する。

もはや錯乱状態で演奏と呼べるものかはわからないけど。

映は微笑している。

画面に見入っている雉家さんもヴィオラに合わせて美しい鼻歌。

ヴィオラからふわふわの凪。淡い緑色、草原が広がっている。

おてもやんが笑っている。

ひょっとこもヴィーナスも弁天もサラリーマンも妖精も奴隷も笑っている。


 三日後。パソコンを起動させ、開くは雉家さんのオフィシャルサイト。

大切なお知らせと手書きで書かれた可愛い丸い字の下に、

「ファンのみなさんへ、このところ姿を見せずにごめんなさい。

これから言うことをよく聞いてもらえたらと思います。

7月の終わり頃に交通事故に遭い、私は右腕の肘から先を失ってしまいました。

まだ犯人は見つかっていません。

一時は声優を辞めることも考えました。

だけど、私を待ってくれている人たちがいるのに

投げ出せないなと思って戻ってきたんだ。まだ声があるって。

残していかなきゃなって。今はただ生きていることに感謝です。

これまで通りよろしくお願いします」

と報告文が書かれていた。

右下の空白には映の贈ったむべバネが押されていた。

熱い歌が千曲同時再生され、

嘘偽りなく込められた感情が全て溢れ出たような気持ちになった。

上手くいけ!

好転していくことを切に願う。

昨日更新された写真のコーナーには

芝生の上で穏やかな笑みを浮かべた雉家さん。

それは確かに新たな一歩を踏み出した一瞬だった。

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