第9話 絶望声優を救うには

 黒い座布団の上で寝そべるホワ。

ほわほわした白い毛が可愛くて、ん?とこっちをまんまるな目で見ている。

じー。金色の星がびゅんびゅん飛んで、

無数の花が宙にふわふわ浮いて、どこまでも続く紫色の道の上を散歩していたい。

薄桃色の猫の形の雪が降って、地面に降り立った途端に本物の猫になって、

桃のような甘い香りを発している。

にゃあと鳴くと、花火がちろっと口から出る。

ああ!!美しい景色を詰め込んだ猫だな。

でもあっという間に走っていなくなってしまう。

足跡がキラキラ光って、オーロラみたいなものに変わって地面を走る。

猫を追いかけるように。宇宙にそんなロマンチックな場所はないかな。

現実世界は世知辛いもので、孤独な猫がさまよい、

殺伐とした廃墟みたいな感じだけれど。

「可愛い猫ちゃんね」

 雉家さんの言葉で我に返る。

「何か動物は飼ったりしているんですか?」

「ううん。マンション住まいだからちょっとね……」


そう言って彼女は小脇に抱えていた義手を床に置いた。ホワがそれをパンチする。こらこらと私はわんぱくホワを抱きかかえる。

「猫になってみたいな。ふふっ、良い飼い主だといいけど。

ええっと……私が事故に遭ったのは……2ヶ月前くらいかな。

友達と遊園地に行って、家までの帰り道を一人で歩いていた。

いきなり車が来て、いきなり腕に激痛が走って、ベッドの上だった。

感覚が無かったけれど、痛すぎて麻痺してるだけだと思っていた」

 何も言えなかった。ただ、事故という箇所に反応して、蒔さんの無念を思い出して涙が出た。呼応して、彼女も嗚咽を漏らし始めた。

「握手会の時怪しまれないかな。それにサイン会だって、もうサイン描けないよ。失ったの利き腕だったし……私もう駄目なのかな。嫌だよ、辞めたくないよ。ああ、先が見えない」

「なあ、禎子さん。握手は残った手で、サインの代わりに、あなたは何の花が好きなんだ?ちょっと本取ってくるから待ってて」


 これまでに無いほど、熱い言葉をぶつけて映は何かを取りに行った。

「面白い子ね。私なんかにどうするつもりなのかしら」

「さあ。変わったヤツなのは確かですが」

 映が取ってきた図鑑を見ながら、むべの項目で雉家さんは、

「変な名前。これにしようかな」と言った。

それを聞いて、「任しときんしゃい」と妙な言葉使いをしつつ、

映はポケットからさっとカッターと消しゴムを取り出し、削り始めた。

私は不安な目で、雉家さんは好奇心バリバリな目で見ていた。

数分後、映は完成品を見せた。むべか、妙な響きの花だ。

白い、たこさんウインナーっぽい形をした花と

紫色の実がセットになって中央に描かれている。

むべのぐるりをいくつものバネが囲っている。

無機質なバネと花のギャップが変だ。

どことなくシュールで奇妙だけど、ユニークで面白い絵だ。

郁子と書いて、むべと呼ぶのはなぜなのか、蒔さんならわかるだろうか。

雉家さんはむべバネはんこを手にとって眺めながら、

「なかなかやるわね」と言い、嬉しそうに笑った。

「サイン会でこのはんこを代わりに押せばいいんじゃないかな」

「ありがとう、もし戻れたら使わせてもらうわ」

 

三十分ほど話して、帰っていく雉家さんを見送った。

今までに演じた役は売れない琵琶法師や夢遊病の踊り子、

お百度参りをしつつ、壁に穴を穿ち、

そこにゼリーを流し込む主婦などぶっ飛んだキャラが多かった。


 ランプを集めた夜の街。琥珀色の光源をあてにして、

望遠鏡越しに限りなく遠く眺められたら贅沢だなあ。

屋根をトントン渡って、空を飛びながら光の中心を見たい。

中心に行けば行くほど暖かくなるようでいて、冷たかったら嫌だな。

でも、心の中心なんてそんなものなのだろうか。

暗闇を照らしている灯をそのまま切り取った、

優しい景色は未来にあるのかな。

デパートとつながっているだだっ広い橋から賑やかな街を見て思う。

不条理な世の中をなんとかやり過ごそう。

って、なけなしの力を入れ、デパートに戻った私。


 人ごみが嫌いという理由で、閉店間際を狙って雑貨屋に入った。

入浴剤や石鹸を買いたい気分だった。桜や柚子の入浴剤も悪くない。

花系で森か山かなんかイメージして浸かるのもさ。

でも、ちょっとキワモノなチョコレートやプリンのデザート系にするのも乙だね。

チョコレートでべちゃべちゃになりながら、

どこまでもチョコレートの丘を進んでいく。

ぽつぽつ生えた巨大なミントが木みたい。

遠くに富士山によく似た山。

私はペンギンの石鹸を持って、丘を登っていく。

いつまでも川が見つからなくて洗い流せないまま、

太陽に溶けた石鹸がぬるぬるして、

気色悪さに捨てたいと思うけれど、

キレイに洗えなくなるし、

くちばしとひれみたいな部分が溶けていて可哀想で捨てられない。ぬるぬるの手。

ようやく川を見つけ、石鹸で手を洗おうとするのだけど、

ぽちゃんとうっかり落としてしまうんだな。うるる。やってしまった。

「おーい、詩瑛ちゃん?ペンギン好きすぎて変になっちゃったの?」

 はっとなって、顔を上げると雉家さんがいるではないか。

「雉家さんは何を買ったんですか?」

「ええとね、みかんのゼリーの入浴剤と、

押すとつぶれちゃうピンクのまんまるとかね」

「つぶして中身がこぼれるのを楽しむタイプ?」

「柔らかい感触を楽しんでると、手の中で破裂してしゅわしゅわする」

 たわいもない会話をしつつ、

「時間ギリギリだけど大丈夫?」

と雉家さんに促され、レジで会計を済ませた。

大きな葉に買った商品を包めたらエコロジーかもしれないけど、

破れたら意味ないな。味気ないな。くだらない発想を広げている。あはは。


 カフェオレの穏やかな味。物語で言えば主人公の命を救うために

敵にやられていっちゃうクラスの善人か?

男性か女性かといえば、女性かな。

何でこんな風に擬人化して想像したりするのだろう?できるのだろう?

人間って不思議な生き物だな。

「お待たせ、私レモンティーにしちゃった」

レモンティーは少女って感じだね。

雉家さんには若返り願望があるのか。向かい合う目と目。顔と顔。

「ねえ、思いつく言葉を並べてみない?」

「えっと、どういうことですか」

「即興で歌詞を作るみたいな」

「あっ、面白いですね」

 言葉のセッションをすることになった。

雉家さんからどんなフレーズが飛び出すのか、読めない。

ジャンケンで私が先に言うことに。

「屋根裏で散った火花、野良猫見てた花火」

「僕がダンボール箱に隠したペンライト」

「ちゅうちゅうちゅうちゅう」

 抑揚なくネズミの鳴き声で鳴く私に雉家さんは思わず笑った。

「蛍光灯でチャンバラするの、私」

「ネズミの宴会、終日禁煙」

「それがしの行灯、某メーカー製」

「ちゅうちゅうちゅうちゅう」

 自分で考えたとはいえ、恥ずかしい。ネズミが差しかかる度、小声になる。

「もち米まみれの余を照らしたシャンデリア」

 Bメロ、サビの前で盛り下がるというか、

勢いを落としてメリハリをつける部分をどうしよう。

「万華鏡の家を出る」

「靴下片方だけ履いて」

 さて、サビだ。茶目っ気を発揮した雉家さんの歌詞で世界観が崩壊しているが。

「炸裂!煙玉から白い煙」

「目まぐるしく変わる煙模様」

「わっかになって帯になって」

「雲になって霧になったきり」

 もはや訳がわからない歌詞になったな。

そして、さっき思いついて言ったフレーズはどんどん煙になって消えている。

二人して冷めたカフェオレとレモンティーををやっつけて、喫茶店を出た。

拗ねたような味だった。


 三叉路を右に曲がって、こまごました通りを進むとくすんだ灰色のマンション。

オートロックを鍵でちゃっと開けちゃって、

1階のエントランスまですいすい。エレベーター、ぐっと上昇。

303号室に住まう雉家さん。まぁ、普通の部屋だ。

蛇を飼ってたり、なぜかチェーンソーがあったり、

五寸釘と藁人形が置いてあったりはしない。


 誘われるままに、ここに来た。電話して映には伝えたし、

昼のどんよりが引っかかっているのね。

熱心なファンではないけれど、

彼女の漂わせる妙なオーラに惹かれたのかもしれない。

モスコミュールを飲み、すっかり酔っ払った雉家さんの目つきがとろんとして、

くてんとして、たらんともしている。

うわっ。抱きついてきた。悪くはないけど。暖かいけど。

「ストーブやこたつじゃ熱すぎて、人肌くらいがちょうどいいわ。

人工より天然物よ」


 抱きつきが強くなる。私はあわわと戸惑いつつ、

とりあえず雉家さんの頭を撫でた。美しい髪よのう。

抱き合いながら、沈黙が流れた。サイレンスな空間。震える彼女の肩。

こぼれ落ちた涙の温度が肩の辺りを伝っていく。

最初はかあっとしてる涙が、徐々にひんやりして、

でも私の胸の内は熱くなるばかりで。

「人生思い通りにはならないってわかってるけど、

こんなことになるなんて思わなかった」

 痛いほどに抱きついて、淡々と彼女は呟いた。

「まだ終わりませんよ……終わらせませんよ」

「この先も不幸が終わらなかったらどうしよう。怖いよ、頭がこんがらがるよ」

「失ったものは戻ってこないけれど、声を残していけるじゃないですか」

「その声を失くしてしまったら?」

「う……他の方法でも雉家さんという人間を示すことができるはずです」

「そうかな……そうなったらもう私、弦の無いギターみたいなものよ」

 なだめ続けたけれど、立ち直らせることはできなかった。泣き疲れた雉家さんはくっつけていた体を離し、横になって眠った。

 ぶつぶつ何かを呟き続ける声。不気味な、静かな怒りに満ちた呪詛だった。

「車炎上してしまえよ……逃げやがって、クソ野郎が。

あの日から扉を開けてもずっと扉続きだ。

同じ所をひたすらループしている。

徒労に終わる、嘲笑される、蔑視される。

ああ……治せないかな。ろくでなしでもひとでなしにはなりたくない。

でも、荒んでしまいそう」

 憂鬱を振り払うかのように、彼女は首を振ると、

パソコンを起動させ、昔出演したアニメを寂しげな表情で見ていた。

どうしたらといいのかなを交互に呟きながら。


私は器用に布団で顔を隠しつつ、時折顔を出して悲しむ姿を見ていた。

確実に手を打たないとまずい状況に追い込まれている気がする。

しかし、私に何ができるのだろう。できるのだろうか?

 翌朝。仕事に戻るか悩んだが、やつれた雉家さんを見てひとりでに口が動いて、「何か手伝えることあったら言ってください。一緒にいます」と言ってしまった。

映は電話で、

「横領してやる、ははは、うそうそ。ヤバかったら呼べよ、俺を」

とごちつつ、心配してくれたからなんとかなるだろう。

甘い甘いおしるこを朝食に食べ、今はボサノバをかけながら、

アルバムを一緒に見てる。


子供時代のそれは三つ編みの幼い彼女で兎の着ぐるみにチョップをくらわせたり、

靴べらをマイク代わりにして歌ってたりとお茶目な写真もあれば、

線香花火をしてうっとりしていたり、

夜空を見て儚げなセンチメンタルな表情をしていたりと可愛げな写真もあった。

中学や高校の時の写真が無い理由を尋ねたら、

離婚した際に置いてきてしまったらしい。気まずいことを聞いてしまった。

話題を変えようと、その頃好きだった男子はボーイは?と問うと、

彼女は懐かしそうに話し出した。

教室の隅で一人でいるような目立たない感じの人間同士で集まって、

その中でも音楽に夢中になっている少年がいて、

体育倉庫で弾き語りライブをしたこと。

名前は何だったけなと雉家さんは思い出そうとして、でも浮かばず、

最初に木琴をぴんぽんぱんぽん鳴らして、

最後に「超合金ー♪」と絶叫してアコースティックギターを傍らに置き、

マットの上を転がり、意中の女子へダイブしたがヒラリとかわされ、

痛みに少年はぐずり始めおいおい泣いたということを話した。トーキング・ヘッズ。さらに少年の歌う歌のテーマが奇抜で信号待ちするじれったさ、

雑巾を洗って冷えた手、

鶏小屋のエサを探す歌など日常のどうでもいい部分を

あえて描いたものばかりだったらしい。ぶっ飛んでいるなあ。


雉家さんがページをぺらぺらめくる。すくすく大人な写真で、

イベントでファンに手を振る彼女、

共演した声優と肩を組んでいる姿でだんだん今に近づいている。

「写真……増やしていきたいわね」

「そうですね。きっとファンの方も待ってますよ」

 アルバムをしまって、彼女はかすかに微笑んだ。その場にカメラが無いのが残念だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る