第4話

夕食にペペロンチーノを食べ、

チッチッ動く時計の針を見ると11時25分を指している。

そろそろ寝よう、ああ、でもその前に歯磨きしないとねって洗面所に向かっていた。明日の夕食はペスカトーレにしようって考えながら。

留守番電話のメッセージが残されているのか、ピカピカ点滅している赤。

暗闇に赤い光が走っていて、怖いって言ってられない、

誰からだろう、って再生したら。

「明日の午後2時に家に来てください」

 なんてことはない、漣乃からの電話で、さあ、歯磨き歯磨きと

受話器を離そうとした途端に聞こえてきたウイスパーボイス。

何度も繰り返し再生させ耳を澄まして確認したけれど、

「やっぱり死にます」と言っているように聞こえ、私は眠れなくなってしまった。

 睡眠不足で散々な状態になりつつ、映に店番を頼み、

ってレジの使い方全く教えてないけど、

お釣り用のお金を詰めたウエストバッグは着けさせたし、大丈夫だ、

なんとかなるって私は午後1時半の時点で漣乃の家へ急いだ。

信号に手間取り、さらにはうろ覚えを当てにして歩いたものの、

道を誤り気がついたら午後2時15分。

全然間に合ってないじゃない、あわわわと慌てふためきながら来た道を戻り、

漣乃の家に行くには右に曲がる必要があったのに、

私ときたらそのまま直進してしまっていたのだった。

ふうふう息を切らしながら、目的地に着いた、34分か、だいぶ遅れてしまったな。半ば諦め気味に私は緩衝材の代わりにベニヤ板が貼られた、

何だか五十歩百歩な玄関のドアを開けた。


熊のぬいぐるみを傍らに置き、泣き腫らした顔で、

薬の瓶を持って佇んでいた漣乃。

深呼吸してから、

「お姉ちゃんが職探しに行っている間に死んだらどう思うかなって」

と穏やかな声で言った。

正攻法であなたは死んではいけないと止めるのは

漣乃に対して効果がないように思えた。

多少リスキーだが、自殺幇助の手助けをするように装って、

すんでの所で説得を試みる方法がひねくれきった私の考え方からすると、

一番届くのではないかと思うのだ。

動物虐待はいけませんよと素直に言った所で、

世の中には動物を玩具にするクソ野郎がいる。

それであえて、動物を虐げて喜ぶ歪んだ男の姿を

漫画や小説などの媒体で描くことによって、

何だ、ふざけるな、可哀想じゃないかと人々に感じさせ、

その作品が反面教師になる。

しかし、この場合困ったのはそのまま面白そうだなと模倣する

不謹慎な人間もいるということで、反面教師すら意味は無いのか?

ちきしょう、頭の中が混乱するばかりだ。頭をフル回転させて、私はこう言った。

「薬飲まなくても大丈夫よ、私が首を絞めてあげるから」

「そうですか……お願いします」

 くっと目をつむって、漣乃は私の手を待っている。

白い首筋に1,2,3,4,5と左手のそれぞれの指を這わせ、

右手の指も同じように合わせていく。

10秒も経たないうちに、漣乃の目から涙が零れ落ちて、

苦しげにもがいたので私は手を離した。とっとと離して、説得がしたかった。

「も、もう一度締めてください」

「やめとくわ、今ので死ぬ怖さがあなたにもわかったでしょう。

生きていく上で首を絞められるようなしんどいこともうざったいこともある。

薔薇色どころか灰色だ。嫌な奴ばかりだ。

でも、100人に1人くらい、本当に少ないけど、

どんなに仕事をミスっても、手首切っても、庇護してくれる人がいる」

「現れなかった場合は」

「楽観的に考えるのよ、とか、きっと現れるはずよ、

なんて嘘臭いと思うので私は言いません。

孤独でも、悪意どろどろな人間に囲まれるよりはマシなはずよ」

「そういうものですかね」

「たっぷりマイナスより、プラマイゼロだったらいいと思うの」

「はあ」

 もう、言葉は無用だ。生気のない目をどうにかしたくて、

漣乃の細い体を抱きしめた。 

ライトアップされた夜の山、兎が桃色の柱を登っていく。おてもやんと共に。

しゅおっと兎は口から放射状に光を吐いた。

光は紫の川になって山に流れた。だらだらだら、よく見るとスミレ色。

しゅんしゅんしゅん、川は蒸発して螺旋状の青い道になった。

兎とおてもやんはくるくるくる登っていくよ。

疲れたら一休みして、いつまでも螺旋を登る。どこに行き着くかわからずに。

 私はなぜかシュールな空想をしてしまったけど、生きるってこういうことだ。

不可解なことの連続だ。

兎とおてもやんが進む螺旋の先は虚無で落ちて死んでいくかもしれないし、

すんごい美味い果樹園が待っているかもしれないし、

登りきったと思ったら別の山に行き着くかもしれないし。

 辛さを吐き出すように、私の腕の中で漣乃は泣いた。強く泣いた。

私には背中を撫でてやることしかできないけど。

 家を出ると、映が立っていて、店にいるもんだと思っていた私は吃驚した。

無人の花屋を訪れ、それがたまたまモラルが低い感じの人で、

あれっ、今人いないのか、これはラッキー、

花を無料で得た俺は非常にラッキーと嘯き、取られたらヤバイよ。

花ではなく、現実的にレジから現金を盗むかもしれないし、

ひいいっ、大慌てで店へ走った。映には目もくれずに。

 扉は開きっぱなしだし、あああっ、むかつくうと少し狂いかけた私は

なんとか冷静さを取り戻し、花の本数をチェックしたが、

盗まれてはいないようだった。幸運だ。

とりあえず閉店時間まで乗り切って、それから映を問い詰めよう。

客を応対できる機嫌ではなくなってしまうし、

って私は営業スマイルを存分に発揮し、バリバリ応対した。

花を売った。あまり客は来ないけれど。したところ。

 いつまで経っても帰ってこない、どうしたんだろうと

映の消息を気にしたのはものの一時間くらいで、

いなくなってしまったものはしょうがないって、

ちゃっと夕食を済ませ、テレビを消し、

わしゃわしゃバブルまみれの指でタンポポのスポンジ握って洗い物して、

明日の仕事に備えて午後10時に眠った。

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