第3話 次なる依頼者

 リビングで少年がひいひい言っていた。一体どうしたのだろう?

「悶絶してるけど、何が起きたの?」

「余りにも、がはっ、ヒマなもんで、だ、台所の唐辛子を舐めて、

ごほっ、たら、最初は大丈夫、ああああ、だったけど」

「けど?」

 やたら咳き込む少年の顔が真っ赤だ、茹でダコみたいだ。

「辛子やワサビなどと比較するうち、三種の辛味が、

ごほごほっ、ぐわぐわ来てこのザマさ」

 しょうがないなあと呆れつつ、私はある物を取りに行った。

「ごほっ、氷か、がはっ、こんなんで効果あるのか」

 そうよ、氷じゃいけないの?少年は疑わしげな目で

マグカップいっぱいに入った氷を見ている。

舌を麻痺させたら、まぁ、たぶん辛味をわからなくなるかもしれないと思ったのに。なんとなく効果あると思ったのに、なけなしの気遣いを反古にするボーイだ。

「ここ置いとくから」

 私はそう言って、しゅっ、または、さっ、ってな感じにそそくさと自室に戻った。


 三週間が過ぎた。

出会って3日目の午後3時33分、ビラ配りを終え、戻ってきた少年が切り出した。

「あれっ、姉ちゃんに名前名乗ったっけ、どうだったっけ?」

「ん?まだ聞いてないよ」

 少年は天川映と名乗った。映と瑛で漢字が似てるなと思いつつ私も名乗る。

「なんか名前の漢字が似てるよね」

「そうかな、僕にはわからないけど」

 どこまでもつれないな。

 で、三週間ずっと他愛もない話はしていたけれど、

映にむじなの死体はどこへ埋めたのか聞き出せずにいた。

というより、映が持っている謎の能力により、罪悪感はすっかり消え失せ、

不可抗力だし、まぁ、仕方ない、前に進むしかないって思えるようになって、

三週間前の出来事が遥か昔のことのように感じられる。

といった状態なんだ、今の私って。

おっ。少女が入店したぞ。はて、浮かない顔をしている。

映と同い年くらいに見えるその少女の表情は翳りに翳っていて、

肩を何千回も撫でれば元気になるかな?なるかな?

私は一人の命すら救えねえ屑野郎だけど、

やはり救えないままなんだろうかと絶望しかけ、やりきれなくなって俯いた。

「あの子、ちょっと話聞いてみた方が良いのではないか」

 映が私の耳元で囁く。その大人びた口調は何なの。

14歳のくせに。わかっている、へこたれている場合ではないのは。

今の所、傍観者ではいられない。

「こんにちは、今日は学校とかは休みなのかな」

「は、はい。学校は行っていないんです、病弱なので」

「大丈夫よ、私は中学までしか行ってないから。学校は意外とつまらないよ」

「そ、そうなんですか。花屋はいつからやっているんですか」

「16の頃からやってるよ。元気になったらここで働いてみる?」

少女にこんなことを言ったのは社交辞令というか、

やる気のないその場限りの言葉でなく、

もう一人くらいなら雇える余裕があったからだ。

「そうしたいですけど、体が言うことを聞いてくれないんです」

「良かったらさ、話を聞かせてくれないかな」

 休憩室に少女を連れて、映は店番。

という訳にいかないのはまだ彼にビラ配りと

掃除以外は教えてないからで、店を閉めることにした。早目に教えないとな。

「僕、映といいます。よろしく」

 なぜにお前が最初に名乗り出す?まあ、いいか。

「私は一応店長の栗野詩瑛っていうけど、そこの写真の……」

 と私は置いてあるはずの蒔さんの遺影を指して紹介をしようとしたのだけど、

映が来てからすぐにその遺影を自室に移動させていたのを忘れていた。

余程親しくなってから、そのことに触れればいい、

今はやめておこうと思った私ははぐらかした。

「いやー、そこの本棚の角度が気に入っていて、写真に撮りたいくらいなの」

 映も少女もぽかーんとしていた。

自己紹介の話題から、突然本棚の角度の話題にされても困惑されるのは当然だ。

「お前そんなに本棚好きだったんだ」

「まあ、花には負けるけどね」

 むむっ、映がフォローしてくるとは。

少女は名前を名乗るチャンスを失っているように見える。まずいぞ、これは。

「ごめんごめん。あなたは名前何ていうの」

「由良漣乃です。何から話せば良いのか……」

「大して力になれないかもしれないけど、話してみてよ」

 漣乃は陰惨無残な人生を送っていて、

父と母は生まれてすぐに火事で亡くなり、

12歳年の離れた姉と暮らしているが、

男に捨てられ仕事をクビになるなどするうち、

姉の精神状態は悪化を極め、リズムを取りながら家具を破壊、

漣乃に強引に酒を勧め、嫌がると姉は体に酒をかけつつフラフラ踊り、

日中はずっと踊り狂っているという。

家庭の経済は困窮し、パンの耳や野草でつないでいるが、

正直苦しいといって漣乃は泣いた。

 やっぱり私にはできないなと漣乃の話を聞いて思った。

ってことは、やはり偽善的で、困っている人に何かお困りですかって尋ねては、

うわーん、私にはできないと人助けから逃れる臆病者の屑野郎なのか、私は。

ああ、凶悪なメロディがずんずんと迫ってきて、

ボリュームが少しずつ上がっていく。

もうカミソリは捨てたのに。

自分のことだけで精一杯なのに、他人を救える訳もないか。

そう私が絶望に呑まれかけ、煩悶していると映の声。

「大丈夫です、どうにかなります。漣乃ちゃんのお宅はどこにあるのかな」

「霙町の方です」

 隣町か。映め、安請け合いしてお前の方こそ大丈夫なのか?

裏口から私たちは出て、霙町方面へ向かう。空は曇っていた。足が重かった。

 15分ほど歩いて漣乃の家に着いた。

借家で、家賃を滞納しているが大家が70過ぎの老人で催促はしてこないという。

耄碌しているか、余程のお人好しなんだろう。

家はしんと静まり返っていて、ダンスミュージックは聞こえてこない。

ガラスの代わりにところどころ破れた緩衝材が貼られた玄関のドアを開けて、

由良家の中に入った。

三和土にはひしゃげた空気清浄機。

その脇を通り、廊下に散らばるビリビリに破かれた本やへし折れた筆記具を越え、

その半狂人と化した姉が呪詛を唱えているであろう部屋の前で

私は自分の運命を呪った。ああああ、面倒くさいことに巻き込まれてしまった。

修羅場が待ち受けていると思うと、逃げ帰りたい気分になった。

涼しい顔をして映が勢い良くドアを開けた。

ぐんぐん部屋に入っていく彼に、そろそろと私たちも続く。

ボコボコ空いた壁の穴が強烈で。

「警告の渓谷を、何で渡れないの?

そういえば無地のシャツに曼荼羅模様が浮き出てさ、はっきりと見えた。

うん、あははは鈍ちゃん、食べすぎよ胃もたれるよ」

 虚空に向かって、漣乃の姉は話しかけていた。

乱れたパジャマを着て。淀んだ目で。

映は私たちに部屋を出て行くように言った。

何をする気なんだろうか。30秒ほど経って、悲鳴が聞こえてきた。

「あみょみょ、愚心愚心のジャンボ藻草、だんだららだんだピョウ」

 明らかに漣乃の姉はさっきよりも狂気に近づいている。

急いでドアを開ける。

そこには頭をかき乱し、時計の長針をバウムクーヘンに刺して

遊んでいる哀れな漣乃の姉の姿があった。

「はははっ、人間って狂うとこうなるのかな。僕の能力はこういう風にも使える」

「ふざけないでっ、早くなんとかしなさい」

「わかりましたよ。今のはデモンストレーション、準備体操みたいなもんだったんだけど」

 映は懐からつまようじを取り出すと、先端が輝きだし、映像を放った。

黒い蝶の形した皿に乗ったショートケーキの白がズームアップ。

視点を元に戻していくと城壁に変わっていた。そして部屋一面を満たす眩い光。光。光で何も見えやしない。光が止んだ。

きょろきょろと私たちを眺め回し、漣乃の姉が口を開いた。

「あら、漣乃の友達かしら。私橙乃というわ。

確かに部屋を壊した記憶はあるのだけど、自暴自棄になっていて、

昔読んだ小説のシーンを再現してみたかったのかな。

でも、まさか本当にやっちゃうなんてね。

うっわあ、修理費かかるわね、ごめん、掃除するから外行っててくれないかしら?」

 胸を撫で下ろし、私たちは近くの公園に行った。

 天晴れなほどに何も無い公園だった。

ベンチが中央に置いてあって、座っても何だか落ち着かない。

それと、申し訳程度に木が2、3本あるくらい。やる気のない公園だ。

公園に着くなり、溜息をついた映は、

「ちょっと漫画喫茶行ってくる」

と言ってたったったっと行ってしまった。

重々しく小さな声で左に座る漣乃が話し出したので、

私はすいっとレフトに身体を移動させ、耳を傾けた。

「あの……姉が元気な頃に戻って良かったです。ありがとうございました」

「うん、どういたしまして」

「でも、もう疲れちゃったんですよね。

どうせ学校には行けないし……詩瑛さんは生きてて良かったと思いますか」

 ガツンとヘヴィーな質問をぶつけられ、

メチャメチャに私は悩み、うーん、あれっ、良いことなかったなあと思った。

生みの親には虐げられ、14歳の冬休み、

花屋の店先をこの少女のようにじろじろ眺めてたら蒔さんに声かけられて、

二年くらいはただ店に行く程度だったけど、

ある日色々事情を話したらうちに来る?って聞かれ、

言われるまでもなく栗野家の一員になった。

蒔さんがバツイチだったこともついでに知ったけれど、

男の方に問題があったのだろう。

にしても、その蒔さんも死んでしまうし、

訳の分からない女を構ったばかりに自殺幇助の手助けを

結果的にはしたようなしていないようなことにもなるし、

ツイてないっちゃツイてない。

でも、どっこい生きてるんでえ。生きてんだよ、馬鹿野郎。

時間にして5秒くらいで右の自問自答を終わらせ、私は答えた。

「そんなに良いことなんてなかったけど、なんとかなるんじゃない」

 もっ、ぜーんぜん良かったと言うのは確実に嘘だし、

良くないと言うのも陰気で私を立ち直らせた

蒔さんの努力的なものをふいにしてしまう感じがして嫌だった。

「何でそう思えるんですか、適当にあしらっているだけなんでしょう」

「いや、違うよ。なんとかなると思わないとやっていけないよ。

不条理なことばかりだよ。大切な人は事故で亡くなっちゃうし、

どこにでも悪意はひしめいているし」

「それなら何で」

「大切な人の花屋を守りたいし、

おちゃらけた小説の新刊やたわけた歌が聞きたいからかな。

明るくバカなことをするのも意外と大変なんだぞ」

 漣乃のすべすべとした頬をつんとつつくと、笑った。


 公園をゆっくり散歩して、互いの電話番号を交換してさよならをした。

心の闇を拭いきれなかったことに気付かずに。

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