第2話 アノマテカがあるのはあのまちか

 私は人を殺めてしまった。不可抗力とはいえ、半分は殺したようなものだ。

ぶん殴ってでも止めるべきだったのに、まどろっこしい手段を取って結局自殺幇助する形になってしまった。

花屋の運営が軌道に乗り始めたばかりだったのに。

全ての感覚がマヒして、もうどうでもよかった。

蒔さんに申し訳ない気持ちで涙が止まらなかった。

「罪悪感に呑まれすぎて、死んでしまうな、君は。

僕が代わりに埋めてきてやろう、その死体。でもその前に」

 少年の声の後に、ノイジーなギターの轟音。木の幹に、四角形の映像がはみ出るように映し出されている。何だか催眠術にかかったように、この映像を見るしかないといった気分になって、画面を食い入るように見つめた。

あらゆる色が放射状に伸びている。その中の白色がみるみる膨張し、

白い部屋にぽつんと一つの木製のドアの場面になって。

ぐにゃぐにゃと木製のドアが溶けて液体になって、

その液体が下から上へ吸い取られるように、

まるで逆再生のような感じで酒場のグラスへ戻っていく。

グラスは何度も砕けては元の形に戻るのを繰り返し、

脈絡もなく画面は真っ暗になった。これで終わりかとぼんやり思っていると、

突如おてもやんが目から白いビームを出しながら降りてくる。

赤い翼を生やしたおてもやん。目から発射される白いビームが渦になって、

その渦が画面をはみ出し、私めがけて飛んでくる。白く染まる視界の中で、

罪悪感の代わりに贖罪をしなければならない意識が芽生えた。

と思ったら、猛烈に贖罪をする、さっきは自殺を止めるどころか、

半ば手助けするような方向へ進んでしまったが、

しゃにむに食い止めないとヤバイといった感じで。

疲れきって座り込み目を閉じた瞬間、ロレフの残骸という言葉が浮かんで、

すぐに意識が野草に溶けてく心地。水のように。


 私はベルトコンベアーに寝かされていた。体中が魚臭い、ああ気持ち悪い。

ん、どういうこと?無用になったサバとかイワシとか

あんきもとかの缶詰工場を少年が勝手に占拠していて、

しょうがねえ、かったるいけど通報されて本当のこと言われても困るし、可哀想だ。まず死体片付けなきゃいけないし、ひとまず置いとこう、

サバ臭くなっても恨むなよってどこに寝かせるか悩んだ少年はイタズラ心を働かせ、私をベルトコンベアーに寝かせ、ははっ、缶詰や回転寿司の気分を味わえるんだぜ、幸せだろって嘯いたのか。

まあ、そんなところだろう。にしても、少年は戻ってこない。

声だけしかわからないから、

もしかすると少年のような声の少女とも考えられるけれど。

あの意味不明な映像は何だったのだろう。

携帯は充電切れだし、退屈でひび割れた床をぼーっと見つめていた。

扉から射す光がまぶしい。ダダダダダダダダダダダと

猛ダッシュな勢いで現れた少年。

「お前イワシ臭いぞ」

 立ち止まって軽く私の血圧を上昇させると、また走り出す少年。

制服着てればやんちゃな中学生って感じ。

「あの時さ、エロ本探してたら君らがあんなことしてて驚いた。

君の罪悪感を消した代償は何もないよ。歴史的な偉人は何の見返りもなく、

善行、困った人に巣食ってるダーク取ってソウルを救ってるよね。

自殺を止めようっていう僕の発想はひょっとすると

偽善的でええ格好しいなだけなのか?

でも、自己満足に終わっても良いじゃないか。

あなただって人が救いたかったんだろう」

 一気にまくしたてる少年。うん、私はかつて蒔さんに救われたように、

あの女を救いたかったのだ。狢のように善意を悪意に化かされたけれど。

 カミソリみたいに鋭く輝く新月。

形自体は似ていないけど、鋭利で刺したら痛そうだなあと思う。

凶悪なメロディを持った言葉が胸に突き刺さって、

17歳の私にはまだ闇がどす黒く残っていた。

洗面所に散った赤い血がアマリリスに変わったら綺麗だけれど、

だらだらと血が垂れ落ちるだけだ。

そっとカミソリを押し当てる。

さっき切った所より2cm下にしよう。傷口から真実が見えるような気がしていた。辛い過去が血液になって流れ去ったらどんなに楽だろう。

新しい傷を作ろうと再びカミソリを構えようとした。ガチャッ。

扉が開いて、蒔さんが立っていた。

歯磨きをしようとしていたのかな。

蒔さんは一瞬驚き、穏やかな笑みを浮かべてゆっくりと私の隣に来ると、

腕の傷を指でなぞって、

「ふふっ、痛いよね。でも、切るのは野菜と嫌いな人との縁くらいにしなさいな」と静かに寄り添うように言った。

傷を指でなぞったのは痛みは共有できなくても、傷の感触だけでも知って、

そこに傷があることを確かに知りたかったからか。

しらたきのように不安定でプルプルだった精神を蒔さんは結んでくれたのだった。

押せばすぐに千切れる脆さ、何十本もわさわさあって

不気味でこんがらがっている感じも当時の自分を例えるなら

しらたきじゃないかと思うの、私は。

記憶をなぞっていたら、少年が割り込んできて。

「おーい、何を考えてたんだ」

「しらたきみたいな脆さってわかる?」

「訳分からないよ。これからどうする?」

「早く花屋に戻って花の世話しないとまずい」

「ああっ、花屋やってるんだ。お客さんの中で不安定な人がいたら声をかけてみてはどうか」

「わかったわ。っていうか、あなた家はどこなの」

「グミの家とかメルヘン的な答え方をしてはぐらかしたいけれども、道路に立っていたところから記憶が始まってて」

「ってことは住む所がないってこと?」

「まあ、正確には家出したんだけどね」

 ホームレスかと思わせて家出少年か。

「で、ふらふら渡り歩くうちこの工場を見つけて根城にしてたんだ」

「そうそう。いやー、ここ寒いし電気もないし、姉さんについてっちゃ駄目かな」

 嫌だと即答したかったが、悪そうな奴では無いし、ビラ配りでもさせれば良いかと思い、少年がついてくること、また家に住み始めることをOKした。


 一階が店舗で、二階は居住空間。店舗はレジの奥に休憩室みたいな小さい部屋がちょこんとあって、そこに蒔さんの遺影を置いている。

蒔さんの部屋は物置になっていて使用不能だし、私の部屋はあり得ないし、リビングを少年にあてがった。

明日から店は再開、まだ午後2時だし、暇ね、どうしようってなった私は

蒔さんの部屋へ。たまに落ち込んでどうしようもない時、

ついつい蒔さんの部屋に入ってそこらじゅうに散らばる遺品を見る。

花柄のノート、作文、愛読していた園芸雑誌、花をタイトルにしたCD、

ニゲラの種などを見ているとつくづく花が好きだったんだなあと思う。

花柄のノートには花を育てていくコツ、ある花の好きなポイントが、

「ベロペロネの淡い赤が滲んでいる感じ好きなのよね」というように

書かれてるのだけど、学の浅い私にはベロペロネが何の花だかわからず、

しばらくクエスチョンマークが満たされて、

その言葉の響きから近寄って眺めるやいなや、

顔中を舌で舐めようとする人懐っこい花が浮かんできて、

シュールな光景に爆笑してしまった。

探索を続けていると、花柄でもなく、普通な実にシンプルなノートがあった。

今更だけど、読むことを躊躇し、ノートを片手に持ったまま中身を想像した。

高校か大学辺りで取ったノートか?

でも、名前も教科も書いてないから、個人的な私用に使用したノートだろう。

花にまつわるスクラップノートだろうか。

または嫌いな花と花の特徴を掛け合わせることにより好きになるかもしれない、

つまり、「ボリジの剛毛がもしゃっとなった感じをペンタスくらいにすっきりさせたいのよね」と花に対する個人的な理想・夢想が書かれているのだろうか。

悩んだ挙句、ええいっ、蒔さんはこういうこと咎めるタイプじゃなかったし、

私は振り返るのだ、憧れの人のノートを見たいのだから見ようって優しく開いた。

スローリィにページを。

目に入ってきたピンク色の花の写真。

六枚の花びらのうち、下三枚に赤い斑点。

写真の下には、蒔さんの筆跡で詩が書かれていた。

幼児向けの絵本に載っているような、童心に帰らせる素朴な詩。


アノマテカがあるのは

あのまちか

はなびらにあかいてん

ぽつぽつぽつ

みっつついているのはね

さんかいてれたからだるまそう


 このダジャレを盛り込まれた詩を子供が聞いたところで達磨草が何だかわからず、親御さんに尋ねる。尋ねられた親はそんなマニアックな花が出てくるとは夢にも思わないから子供の無邪気な質問に狼狽し、

「ええっ、うーん。お父さんわからないなあ、達磨チックな草花なんだろうか。それ以前に達磨草と言うからには草なのか?

フェイントで花?ううむ、うむむむむむ。花屋行ってこよう」と言って、

達磨草を買ってこようとするのだけど、花屋の店員に、

「こいつは達磨草すら知らないのか、ははっ、呆れた。お引取り願いたい」と

なめられ追い払われるのではないかと恐れ、図書館に立ち寄り、

事前に達磨草なる面妖な名の花を調べようとする父親。

しかし、ページをめくれどもめくれども、全く達磨草にはたどり着けず、

発狂しそうな精神を抑え、ついには会社を辞め花屋の店員になり修業を積むことで、達磨草の正体を突き止めようと奔走する

そんな涙ぐましい努力をしてしまう父親を想像してしまった。

アノマテカと達磨草が生んだ妙ちくりんな悲劇。

 それから私はノートを一通り読んで、

ほんわかを貯めて心を朱色橙色琥珀色にしてから、部屋を出た。

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