六
傷。痕。生々しく抉られた細い線は、自己を戒めるための、刻印。
真夜中にひらく世界への嫌悪、自己に向ける、嫌悪。罪悪感。滲んでゆく贖罪。自戒、自壊。
――惨めで、憐れで、それでも自分には何もできない。
こんな自分は、苛まれることも、苦しむことも、当然のことなのではないかと、思う。思い込んで、少女は、また、静かに哭く。
背負う十字架は重く、大きくなってゆく。それを肥大化させているのは他の誰でもない自分自身なのだと、少女は気づくことができない。
その傷を見られても、助けを乞うことは出来なかった。自分には、そんな価値などないと思ったから。
赤。鮮血の、朱。
夕焼けの紅を、何千倍にも醜く濁らせた、赫。
恥。恥辱。卑屈。劣等感。矮小。罵倒。中傷。嘲笑。忌避。迷惑。孤独。憐憫。哀れ。惨め。辱め。
恥ノ多イ生涯ヲ送ッテ来マシタ――――――――
私には、何がある?
私には、何もない。
私は、何処にいる?
私は、何処にもいない。
私はきっと、何処にもいられない。
ワタシニハナニモナイ。
ワタシハスクワレナイ、スクワレテハイケナイ。
ワタシハコノセカイニヒツヨウナイ。
私には、何もない。
*
それからしばらくは、何もない日々が続いた。何もできない日々が続いた。俺がそんな日々を過ごしている間にも、三原はまた誰かの悪意に塞ぎ込み、自分が悪いのだと自らを追い込んでしまっているのかもしれなかった。けれど、何をも窺い知ることはできない。どうにかしてあげたいと思う気持ちも、拒絶されてしまった。そのまま放っておいて、果たして解決なんかするだろうか。時間にその解決を委ねるなんて、あまりに非現実的で、不確実だ。ただ、俺にはその解決の方法を、思いつくことはできなくて――――
文化部室棟四階の廊下から、屋上に何気なく目をやる。ちょうど、お気に入りの場所が見えた。いつものフェンス。その先の、紅の空。
「あ……れ……?」
その屋上に佇む人影。……でもあの人影、フェンスの手前じゃなくて……、
――――‼
目の前の状況を理解した瞬間、全身を電撃が流れるような感覚が貫いた。
そして刹那、思い出す。最後に文芸部室で会った時、彼女が顔を上げた時、見せた表情。
その表情は――――――――諦め。
「三原ッ!」
駆け出す。考えるより先に、条件反射のように身体が動いた。ここからだと屋上への最短距離は、……駄目だ、頭が上手く回らない、誰か、ああ、部室! 唯先輩!
「先輩!」
すぐ近くにあった自殺部の部室に飛び込む。幸いなことに、部室にはいつも通り、ちゃんと唯先輩がいてくれた。
「あら和海くん、どうしたの」
「先輩……ッ! み、三原がっ、お、屋上の、フェンスを越えて――ッ!」
「……!」
上手く言葉にならなくとも、俺の切羽詰まった態度に状況を理解してくれたようだ。
「……紗代が今、新聞部室にいるはずだわ」
言うが早いか唯先輩は高島にコールを入れる。あちらの棟の四階には新聞部が活動で使っている小さな部屋があり、あちらの棟では最も屋上に近い場所のひとつだと言える。
「紗代、すぐにそちらの棟の屋上に向かって。何でもいい、飛び降り自殺志願者を引き留める言葉をかけ続けて」
『飛び降り自殺⁉』という高島の声が、通話口から俺の耳まで届いた。
「ええ、そうよ。詳しく説明している暇がなくて申し訳ないけれど。私もすぐに行くわ。決して刺激せず、当たり障りなく、とにかく相手から言葉を引き出して」
繋がった通話。出来過ぎた話かもしれないが、何気ない偶然が重なってよかった。ただ、一安心はしたけれど、問題が解決したわけじゃない。悠長にしている暇なんてない。
「先輩、お、俺、職員室に――」
「――――いや、ちょっと待って」
先輩は動き出そうとした身体を止め、何かを思案した。
「え?」
「――ねぇ、いっそ、試してみましょうか」
唯先輩は、含みを持たせて、静かに言った。
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