「……いじめ、ね」

 問題を放っておきたくなかった俺は、唯先輩に改めて相談する。安直に教師に話したところで、学校側がいい方向に動いてくれるとは限らない――むしろ問題が悪化してしまう可能性だってあるということは、いじめに対する方々のニュースを見ていれば何となく思うところだった。まずは頼れる周りの人、思い浮かぶのはやはり唯先輩以外にいなかった。

「いじめ自殺というのは、深刻な問題だわ。たまたま巡り合わせてしまった一瞬の不幸で、これからいくらでも未来のあるその命を絶ってしまうわけだから」

 いじめから直接自殺に繋げるのはなんとも唯先輩らしいが、確かにその通りだ。少し環境が変われば消えるかもしれない苦悩に追い込まれ、逃げ道があることすら見えなくなってしまった末に、自ら命を落とすことでその苦痛を終わらせる――。そんな悲しいことがあっていいだろうか。

「私はひとつ思う。いじめって、案外誰のせいでもなかったりするのかもしれないって」

「――ッ! そん、そんな言い方……」

「まぁ聞いて。――それは今この瞬間その苦しみに苛まれていない、外側の人間だからこそ言えることだと思うけれど、あれはひとつの、謂わば伝染病のような、同時多発的な病というか、そういう実態や核のない曖昧なものであって、それを引き起こすのは学生という不安定な時期や、学校という閉鎖的な社会であるのだと思う。或いは中高生の間には、無邪気な悪意なんてものがある。特定の人物をみんなが何となく避けているだとか、いじめにまでならなくとも、どこからともなく自然発生的に出来上がってしまう空気なんかね。社会に出てもいじめはあるというけれど、それも本質はやはり集団というものがどうしたって生み出してしまう歪みのようなものであると思うわ。だからと言って決して、いじめをしている加害者に問題はないと言うつもりはないけれど。

 ――そして勿論、当事者にとっても違う。いじめの加害者はどこまでも悪であり非であるし、本人の苦痛を仕方のない季節だから我慢しましょうと放っておくことなど有り得てはならない」

 俺は三原のことで結構思い詰めているのだけれど、極論唯先輩にとってはそんなこと関係ないわけで、故にいつも通りなのだろう。今日も調子良さそうに舌が回る。

「例えば私たち高校生において、或いはそれより年下の、小学生中学生において、社会とは学校の中だけ、世界だって学校と家とその間だけ。人間関係の広さだって、当然限られたものになる。そんな中で、居場所がない、いじめられている、いつか思い返したら笑い飛ばせるような些細なことも、世界の終わりであるかのような一大事として圧し掛かってくる。その時、逃げ道を作れない子は、それを全て受け止めようとしてしまう。内側へと塞ぎ込もうとする。その激情を外側へ発露、昇華させられたらいいのだけれど、なかなかそうはいかない。何故なら――理由のひとつとしては、お手本が周りにないから、などが挙げられるでしょうけれど、とにかく、解決策は自分自身でそうそう見つけられるものじゃない」

「そう、ですね」

「例えば、中学生を考えてみましょう。互いに過ぎ去った季節、伝わりやすい喩えになるはずだわ。そうね……十三歳の少女がある日訳もなく独りぼっちになって、自分なんて世界に必要ないんじゃないかって思ったりして、でも、進級なんていうほんのささやかな環境の変化だけで、何事もなかったかのようにまた平穏はやってきて。――そんな経験って、案外誰にだってあるんじゃないかと思うの。まだ十代も始まったばっかりで、右も左も判らない中で社会と自己を知ってゆくそんな最中に、誰しもがその足元の不安定さに、何かに縋ろうとする。誰かを傷つけ自分のプライドを守り、傷つけらないように誰かを犠牲にする。それは、簡単に言ってしまえば社会で生きていくための一種の処世術。

 でも、終わったらあっという間だったなんて思ったりするけれど、やっぱり中学の三年間って長いわけで、なんて、高校生の私が言うのもおかしな話だけれど、――ほら、よく聞くじゃない、生まれてから二十歳までの体感時間と二十歳から死ぬまでの体感時間って等しいみたいな話。そう考えてみても、中学生が目の前の地獄を永遠だと考えてしまうのも無理はないことだとは思う。それは多分この今、高校生だって一緒。それに加えて、苦しい状況にいる時の体感時間は、楽しい瞬間よりもずっと長い。だから苛まれ続ける時間が長ければ長いほど、自殺に向かう可能性も高くなってしまうでしょう」

 的を得た言葉だ、と俺は素直に思った。唯先輩は続ける。

「けど、十代の人生なんてきっと、あっさりと二転三転するものだと思うの。自分自身振り返っても、この十七年でそうだった経験があるんだから、きっとそういうものなのよ。もちろんそれは良い方にも悪い方にも、ね。気の持ち様、だなんて精神論が万人に通用するとは勿論思っていないけれど、でも、それくらいで確かに変わる世界だって、きっとある。でも、それに気づけるのってやっぱり時間と経験が必要で……」

 言葉途中で切り上げて、唯先輩は小さく吐息を漏らす。

「追い詰められた者の自殺、環境が、人間関係が、様々にその人の心身を蝕んだ結果の自殺、それは自殺ではなく、きっと他殺と大差ない。じゃあその他殺をどう防いだらいいのか。それは大いに検討の対象だわ。

 真の意味での自殺、その尊厳を貫ける自殺、死ぬ権利の行使として正しく行われる自殺をあってもいいと思う私でも、社会的な、間接的な殺人と同義である自殺は認めたくないわ、絶対にね」

「なるほど、他殺。確かに、そうかもしれませんね……」

「ただ、いじめ問題を根本から解決するだなんて、できるかしら。個々のいじめ問題を潰していくだなんていうのは到底不可能よ。現実的なのは当事者の意識に何かを投げかけるか、或いは集団の体質自体の改善を行うこと。けれど、いじめというメカニズムは、集団が存在する以上はどうしても発生してしまうもののはず。ただ、それに遭遇してしまった人のことを不運だったから仕方ないなどとは言えない……。それに、何と言ったって、庇護される存在である学生は、主体的な反撃なんてほとんどできない」

 しばし思い悩む沈黙。やがて「そうね……」と呟いた唯先輩は、提起する。

「『自殺は二十歳になってから』、そう例えば、そんな標語をWHOは掲げたらいいのよ。その思想は完全自殺マニュアルと同じ! 『二十歳になれば死ねるのだから今は死ななくていい』と、何なら『生きてやってんだ、世界』くらいの傲慢さを持ってティーンは生活するの。大抵十代が終わる頃には、学生時代に味わうことになる大小様々な苦痛からは〝卒業〟できているだろうし、そうでなくとも上手く社会や環境と折り合いをつける術を学んでいることだと思うわ」

 唯先輩はぱあっと表情を明るくし、どこか真剣な空気だった部室の雰囲気が変わる。

「……結構面白いアイデアだとは思いますけど、そのコピーだと『じゃあ二十歳越えたら死んでいいのか』って反論が絶対出てきますよ」

「じゃあなんて標語がいいのよ」

 俺の客観的で正当(だよな?)な意見に眉をしかめる唯先輩。

「えーと……、『とりあえず二十歳まで、生きてみよう』とかですかね?」

「はあ、何それ。インパクトがないわ。微塵もセンスがない。そんないくらでも量産できるミュージシャンの詞みたいなフレーズ、苦悩している人間に突き刺さるわけないじゃない。世の中見たら分かるでしょう? 『死ぬ勇気があるなら生きる勇気もあるはずだ』とかいうフレーズに怒りまくっている人間が溢れているってことが。当たり障りのない言葉に宿る力は所詮当たり障りのない程度だわ。『自殺は二十歳になってから』、やっぱりこれね。このコミカルさと皮肉のスパイス! 我ながらよく思いついたと感心しちゃうわ」

 唯先輩は興奮している。目を輝かせ、机から身を乗り出す。

「中高生を対象にした標語としては悪くないのかなぁ。でも二十歳の〝その後〟を考えたらやっぱり無責任のような……」

「人生を経験し、十分その人なりの思考ができるようになった頃――、それを大人と定義するならば、大人がどうしようがそれはその個人の責任だと言ってしまうのは、これまた無責任かしら。真っ当な覚悟と意志、死に向かう理由があるならばそれは、尊重されるべき意志、尊厳なのではないかしらね」

「……言いますねぇ」

「今問題にしているのはその責任を持ち得ない若さが起こす自殺についてよ。それに、正直言って大人のことは解らないわ。だって大人になったことがないのだもの」

 唯先輩はおどけた表情で、両手を挙げるジェスチャーをする。

「……ま、最も現実的なのは自殺に関する教育を、中高生に向けてちゃんとすることだと思うわ。『そんな話題を出しては自殺の可能性を刺激しまうかもしれない』なんてくだらない逃げ台詞言ってないで、あなたたちがまず向かい合えって話なの。効果はすぐに出なくて当たり前、それでも粘り強く続けていく。それが教育者や大人の責任ってもののはずだわ」

「……教育ってのはやっぱり大切なんですね」

「誰もが、責任は取りたくないと思うものなのよきっと。死に関することなんて特に、請け負うにはあまりにも重すぎる話題だわ。でもだからって仕方ないと野放ししていたら、何も変わりはしないの」

「そうですね。安易に大人は無責任だなんて言うつもりもないですけど……」

「中高生の対人的苦悩って、その最中にいる時には永遠のように感じられても、それでもいつかは終わるじゃない。どうにか凌げば、逃げ切れるものだと、私は思うのよ。だってたまたま同じ空間で過ごすことになっただけの存在で、家族のように一生付き合っていくものではないのだから。ああ、そんなことを言うと家庭問題の話もしたくなっちゃうわ。……今はやめておきましょうか。

 ――だから、やっぱり逃げ方っていうものを学ぶこと、或いは私たちより上の世代、そしていずれその『上の世代』になっていく私たちが、逃げ道のことを考えてあげること、用意してあげること、ありふれた模範解答のように聞こえてもやっぱり、それが大切なんじゃないかしらね」

 その苦悩がもっと人生そのものに対する哲学的なものだったら話は変わってくるけど、などと、独り言のように続く先輩の言葉を意識から外し、俺はひとり冷静に考える。

 唯先輩はもしかしたら意図的に、三原の問題に限定的に関わろうすることを、当事者、それに準ずる存在になることを、避けているのだろうか。第三者だからこそ語り得るものがあるはずだと、先輩はいつか言っていた。一連の会話だって、どこか苛まれている当事者を脇に置いて、より広い視点で、感情論から距離を置いて語ろうとしている節があるように感じる。

 唯先輩に相談したのは無駄足だっただろうか、そんな疑念が湧く。


 ――しかしそれは、杞憂に終わった。

「……少し、三原さんの周囲について、私も調べてみることにするわね」

 最後にぽつりと添えられた心強いその一言が、俺を改めて安心させてくれたのだった。


     *


 三原の周囲について調べてみる、という唯先輩の言葉で、はっとさせられるものがあった。三原に直接何かしてあげることができなくても、彼女の周囲から現在の状況を知り、何か解決に繋げる方法を考えることができるんじゃないかと思ったのだ。

 だから、他クラスに友人もいない俺が柄にもなく、三原のクラスの前までやってきた。


 怖い!


 ……なんて、そんなことを言ってる場合じゃない。先日の放課後に三原を見かけたクラス、その前で怖気づきながらも、覚悟を決める。基本的に教室から出ない俺が、高校生になって半年、初めて他のクラスに顔を出そうとしている。三原がクラスでどんな立ち位置にいるのか、いじめは顕在化しているのか、そんなことを知れたらと、往来する生徒に声をかけんとする。

 でも…………。

 知らない人に話しかけるのは、やっぱり怖い……。

 知り合いもいなく、教室の入り口で立ち尽くし何となくクラスの様子を覗き込むだけ。すぐ横を行き交う生徒はみな俺を不審な目で見ている……気がする。

 勇気を出せ、情報通っぽいやつを捕まえるんだ。

「あっ……、えっと」

「はい? 何ですか」

「三原夏菜子って子、このクラスにいますよね?」

「んーーーー、俺、ちょっと名前覚えるの苦手なんで分かんないっすね」

「あ、そうですか、すいません」

 運動部っぽい少年は、あっさりと去っていった。

 出鼻を挫かれた感がある。しかしこれで諦めたらいけない。


 ――だって、俺は、三原を助けてあげたいから――


「あの!」

 思い切って声をかけたのは何だか話しかけやすそうな雰囲気を醸し出していた女の子。「はい?」と笑顔で立ち止まってくれたため一安心。

「このクラスに、三原夏菜子って子、いますよね?」

「……いる、けど、どうしたの?」

 その名を聞いた彼女の表情が、少しだけ暗くなった。やはり、何か……。

「正直な話、彼女ってこのクラスでどんな感じですか?」

「…………んー」

 言葉を選ぶように険しい表情になり、そして声を低くして、彼女は教えてくれた。

「まあ、正直な話、いつも独りでいるし、一部のコはからかったりしてるみたいだね。高校生にもなって、って思うけど、一緒の空間で生活してると、なんかいじめられるのも分かるかも、って感じはするかな……」

「なるほど、ありがとうございます」

「なに、彼氏とかですか?」

「いや……違い、ます。なんというか、知り合いで。ここんとこ彼女暗かったから」

「なるほどね……。このクラスの男女の一部、ちょっとだけタチが悪いんだよね。感情的っていうか、子供っぽいっていうかさ。すっかり高校生になって、調子乗っちゃってるっていうのもあるのかな~」

「そうなんですか……」

「でもクラス内での地位は高いし、わざわざ彼らがしてることに首突っ込むお人好しもいないっていうか」

「仕方ないと言えば仕方ないんですかね……そういうの、リスキーだし」

「そうそう。だから彼らが飽きるのを待つしかないのかも」


 彼女にお礼を言って、教室に戻る。心の中はもやもやでいっぱいだった。

 いじめ。スクールカースト。何となく想像がついた。その情景は、きっと全国の学校で同じように起きている典型的なものだろうと思った。三原の苦しみも典型的だ、などと言いたいわけじゃない。ただ、でも、そんな風にありふれてしまう世の中は、理不尽だと思った。

 どうしたら、いいだろう。首謀者とっ捕まえて、改心させる? ……そんなこと、非力な俺には多分無理だ。こんな時に、唯先輩のような行動力や胆力やコミュニケーション能力があったらと、うらやましく、思った。

 どうしたら、いいだろう。行動したはいいが、その先に、詰まる。

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