第一章 天ヶ瀬唯は死を想う


「さて、今日は『首吊り』と『焼身』について考えてみることにしましょう」

 放課後。ブラインドの隙間から淡く射し込む西陽は、部屋の中をぼんやりと橙色に染め上げる。普段生活する教室を、黒板と並行に二等分したような縦長の小部屋。欠陥や破損によって用済みとなってしまった学校の備品なんかで埋め尽くされた、どことなく窮屈な空間。

『死を想え』

 達筆の墨文字でそう書かれた〝部訓〟が、額縁に収められ部屋の壁に掲げられている。そのちょうど真下に設けられた席に居座る先輩は楽しそうに今日の議題を提起し、部室端に捨て置かれ……もとい設置された、鍵の壊れたロッカーから何かを取り出す。軸足不良のホワイトボードには『本日の論題 首吊り 焼身』と大きく書かれている。

 天ヶ瀬唯、先輩。二年生の彼女は特別教室棟・文化部室階の端にある空き教室を勝手に占拠し、ここに『自殺部』を創設した。

 ――自殺部、これが一体どういう部活なのかと、その名を聞いた者ならば誰しもが思うであろう。さらに聡明な諸君ならこうもお考えになるだろう、「何故その部活にお前が居るのか」と。え、思わない? お前のことなんてどうだっていい? そんなことより先輩の容姿とスリーサイズの話をしろだって……? 仕方ないなァ。

 唯先輩の容姿――なんと言っても目を惹くのは、目を合わせれば思わず惹き込まれてしまいそうな、くりっとした大きな瞳だろう。その奥に煮え滾るような何かを宿しつつ、澄んでいて純粋そうな綺麗な瞳だ。毛先がほんのりウェーブがかった栗色の髪は、軽く編み込んだサイドの一部を後ろで纏め、レースのついた大きなリボンで結んでいる。……ハーフアップ? そんな専門用語存じ上げませんね。全体的にお嬢様っぽい雰囲気を漂わせていて、小柄で華奢だがそれを感じさせないような快活さを持つ先輩のその顔は、端的に言って可愛い部類。しかし、何かよからぬことを考えているような、とんでもないことをしでかすのではないかと思わされるような不敵な笑みを浮かべることもしばしばで、立ち振る舞いを知ればとてもお嬢様なんかではないということは容易にお分かり頂けるだろう。スリーサイズは知りません。

「そもそも自殺とは。デュルケームは『死が、当人自身によってなされた積極的、消極的な行為から直接、間接に生じる結果であり、しかも、当人がその結果の生じうることを予知していた場合を、全て自殺と名づける』と言っているわ。そしてこのように定義される行為でありながら、死という結果を招く前に中止されるものが自殺未遂」

 唯先輩は俺の必死の容姿描写に赤ペンを加え入れることなどなく(当たり前だ)、今日の『部活動』を進めていくようです。デュルケーム? 誰だそれ。

「ではまず首吊りからいきましょうか。テキスト五十六ページを開いて」

 唯先輩は手元にあった本を開き、同じ行為を取るようにと俺を促す。

「て、テキスト……?」

「完自」

 聞き慣れない単語を、さも知っていて当然かのようにしれっと告げる唯先輩。

「カン、ジ……?」

「完全自殺マニュアル。デュルケームの自殺論と併せて基本中の基本じゃない。中古でもいいから買って予習しておきなさいって言ったでしょう? まだ用意してないの?」

 いや、知らないよ。なんだよその基本って。しかも『完全自殺マニュアル』の略し方ってそうなの?

「完全自殺マニュアル。そのタイトルからして発売当時物議を醸したこの本だけど、これを読んで思うのは存外人間の強さよ。ここまでやらなければ死ねない、という具体的な尺度の提示、その具体例に疑似体験を覚えながら、『こうすれば死ねる、だったら今じゃなくてもいいか』と安心感が得られる。こうして前向きになった人はたくさんいるというわ。実際、私だって読み終わった後なんだか胸がすっとするような、生の実感が満ちるような、そんな感覚になったもの。でもこの本は、有害図書問題にまで発展した。どうやら発売から十年経った今でも、新たに有害認定している県もあるようね。この本が引き起こしたとされる自殺が話題になったけれど、果たしてこの本が、自殺の決定的な理由になんてなるかしら。方法を知ることを行動の理由に結びつけるのはあまりに短絡的だわ。それに当書は煽動性の低い――むしろそこから生きろというメッセージをも読み取れるような、捻くれてシニカルで、極めて冷静な書籍よ」

 モノトーンに赤いフォイル加工。冷淡な面持ちのその表紙を唯先輩は人差し指でそっとなぞる。

「この本を読むことは、所持していることは、果たして不健全かしら。若者に悪影響? 若者だって自殺を、死を想っていいとは思わない? 確かに俗っぽい本ではあるけれど、自殺をなにか特別触れてはいけないもののように扱うことには納得がいかないわ。そもそも、書籍を有害指定、発売禁止にしたところで、誰かの自殺願望が消えるわけじゃない。上辺だけで騒ぎ立てることは何も本質的じゃないと思うの」

 唯先輩、この人どうやら、実によく喋るお方のようだ。

「……話に全然ついていけないですけど、その、とりあえず、昨日の今日で用意できるわけないじゃないですか。それに俺、まだ入部するとか一言も言ってないですし……」

「仮入部ってのはどんな部活か知るためにある期間のことよ、ただぼーっとその場にいればいいってものではないわ」

「それは分かりますけど……今日だって先輩が無理矢理俺を連れ去ったんでしょうが……」

「連れ去る? 穏やかじゃないわね。私はいつだって最大限相手の意志を尊重しているつもりなのだけれど」

「……よく言うぜ」

 あっまずい、つい心の声が! と、そんな俺の小言に唯先輩はニヤリと口角を上げて、毒づく。

「知り合って日も浅いのに随分と近い距離感でものを言うのね」

「す、すいません! ……って、それを言うなら初対面からゼロ距離射撃ぶちかましてきた先輩はどうなるんですか」

「さて、首吊りは非常に成功率の高い自殺方法だと言われているけれど――」

「シ……シカト……?」

 なんて人だ! 俺の意志など介在する余地はないと、そういうことなのか? いいから黙って話を聞けと、そういうことなのか⁉ ……いいでしょう、ならばこちらにも考えがあります。俺だってこの先輩の話を無視して、昨日の回想をする!

 諸君らには是非とも、この意味不明で高圧的な先輩との邂逅……否、〝遭遇〟のお話を聞いていただきたい。どうせ先輩の話を聞いたところでそのテキストとやらも持ってないし、丁度いい反抗になることでしょう!



 ――ドカァンと、文字にするならまさにそんな音。漢字二文字なら爆音。どうやったらそんなけたたましい音が出るのかと首を傾げたくなるが、びっくりした俺は傾げる暇もなく、その音のした方へと視線を向ける。

 目線の先には、何故か腕組み仁王立ちで、不気味な笑みを浮かべている……女生徒。スカートがふわりと揺れた。

「青木和海くんね。あなた――」

 その女子生徒は俺の名前を呼び、そのまま勢いよくこちらへ歩み寄ってくる。背筋をぴんと伸ばし、その堂々たる様はまさに〝凜〟。思わず見惚れてしまう。

 彼女は、突然の出来事に唖然とするしかなかった俺の目の前で立ち止まり、そして、言った。


「自殺部に入部しなさい」


 言い放ったのち、静寂。


「は……?」

 どのくらい経っただろう。体感的にはものすごく長かったような気がする静寂。開いたままになっていた口から無意識にその一文字が漏れた。名も知らぬ女の子から一方的な部活の勧誘。俺、このお嬢さんと幼い頃に人生の伏線でも張ってあったっけ……?

「えっと、あの……、とりあえず、どちらさまですか……」

 何よりもまず、この人が誰なのか分からない。上靴の配色的にどうやら二年生のようだけれど……。

「あら、私としたことが勢い先行で自己紹介を忘れてしまったわ」

 こほん、と改まるようにして、目の前の女の子は言う。

「私は二年の天ヶ瀬唯。あなたを自殺部に勧誘するためにやってきたの」

 どこか育ちの良さを感じるかのような口調で、その先輩は自己紹介した。

「あ、っと、先輩、なんですね」

 ……いや、先輩だとかそんなこと、今は些細なことじゃないか。

 それよりも……、俺の聞き間違いでないのなら――

「……で、えっと、じ、ジサツ……部?」

「ええ、そうよ、自殺部。そこにあなたに入部してほしいってわけ」

 その先輩――唯先輩はきっぱりと言い切った。

 自殺部。

 じ、自殺部? 自殺部ってなんだ? 字面から判断しようとしたら……どう考えてもよろしくない反倫理的集団としか思えないぞ。私と心中してくださいとかそういうこと? もしかして新しい愛の告白のカタチなの? だとしたらぶっ飛びすぎてるだろ。でもだったら部活にする必要がないわけで、するとやっぱり集団自殺とかを目論んだりする方向性の……?

「いや、あの、えっと、俺、自殺願望とかないですけど……」

「自殺願望……は、別に必要ないわ。あなたに求めているのはそこじゃないから」

 ……ソコじゃないならドコなんだ! 何なのこの人!

「あの、よく分からないんですが、ヤバげな香りがもの凄いのでお断りしてもいいですか?」

「うーん、それはちょっとできない相談ね。あなたはどうしてもこの部に必要なのよ」

「そ、そんなこと言われても」

 俺が必要? どういう意味で? やっぱりこれって部活勧誘を装った愛の告白なの? 或いは俺とお近づきになりたいけどどうやって接近したらいいのか分からない不器用なオンナノコからのアプローチ? 青木和海には恋心がわからぬ。俺はなんて言葉を返したら正解なんですか太宰先生!

「えっと、あの、俺一応文芸部入っているので……」

「でもほとんど活動なんてしていないじゃないの。どうせ放課後はいつも暇しているんでしょう? 限りなく灰色に近い高校生活を送っているのでしょう? だったら私に力を貸してくれてもいいじゃない。時間の限られた高校生活、有意義なことをしましょうよ」

「うっ……」

 確かに俺の所属している文芸部はほとんど活動をしていない。毎月一回は必ず行わなければならない活動日すら全員集まらない、正確な部員数すら把握できないような部活動だ。決まった時期には文芸誌を出すけれど、それだって一部の有志のみで、部活である必要は正直全くない……。

 でも、でも! それとこれとは別の話であって、いくら俺の放課後が柑橘系制汗剤の香りに包まれた青春と程遠いものであろうとも、学校帰りのコンビニで友達とダベりながらカップラーメンをすすったりしなかろうとも、頑張るブカツ女子と励まし合いつつ惹かれていったりしなかろうとも、読書しかない毎日であろうとも(……うう、言ってて悲しくなってきた)、自殺部などという得体の知れない部活動で〝有意義〟な活動を行う理由にはならない。というか有意義な活動って何だ! 自殺と有意義って単語が繋がってこない! ますます意味が分からない!

「あの、順序立てて説明してもらえませんかね、ちょっと情報が断片的過ぎて理解できないんですけど……」

「順序立てるも何もないけど……これ」

 俺の言葉を受けて、唯先輩はブレザーの内ポケットから縦長に折り畳まれたコピー用紙を取り出した。

「……なんですか、それ」

「自殺について 一年六組一番 青木和海」

 先輩は畳まれていたその用紙を勢いよく開き、その一枚目に書かれているらしい文字列を読み上げた。

 ――それは、俺が今年の夏に書いた読書感想文の表題だった。

「え、なんでそれを……」

「司書の先生を訪ねてコピーを取らせてもらったわ。次号の図書室便りに全文が掲載される予定らしいけれど、待ち切れなかったものでね」

 半ば興奮気味になって、唯先輩はふふんと鼻を鳴らす。……何故そこで興奮する?

「どういう、ことなんですか。それと、部活の勧誘に何の関係が――」

「まずは一言」

 俺の質問を遮るように先輩はびっ、と右手を突き出し、俺の言葉に待ったをかける。

「この読書感想文、非常に良かったわ。先生が褒めちぎった理由もよく分かった。まず何より、読書感想文にありがちな『ありきたりな正論』に行き着かないところ。好感が持てるわね。実に素直に、正直に書いたということが伝わってくる。それはすなわち全てがちゃんとあなたの言葉だということ。変に媚びを売ったり、世の中に散見される思考停止のつまらない意見など並べたりしていない。真摯だわ。扱いの難しい自殺というテーマを敢えて選び、それについて短い文章で書き切った、という部分も評価の高いポイントね。

 加えて、太宰治の『人間失格』を筆者自身の自伝的小説であることを意識した上で、坂口安吾の『不良少年とキリスト』を絡ませた文章の纏め方。読んだ者に二つの作品を読ませたくなるような惹き込まれる文章。文体や表現から、文学が好きなことが伝わってくるわね」

「い、いやあ。それほどでもないですよ、知ってることしか知らないですし……」

 不意なベタ褒めに思わず頬が緩んでしまう。しかもただ褒めるだけではなく、しっかり中身のある感想もくれた。もしかしたらこの先輩、そんなに悪い人じゃないのかも?

 ……そんな風に思った俺は、少しだけ気を許してしまったのだろうか。

「だからね、あなたには是非、私と熱い議論を交わし合ってほしいのよ」

「へ、あ、熱い……? 交わし合う……?」

 脳内にしょーもない妄想が立ち上がる。健全なる十六歳男子。

「……いいですねぇ、ひひ、ふふふ……議論?」

「ええ、そうよ。自殺について、のね」

「ふぇ」

「ありがとう、好意的な言葉が聞けてうれしいわ。じゃあ早速明日、放課後またこの教室へ来るから、とりあえず、そうね、完全自殺マニュアルを購入して一通り目を通しておいて。あなたならもしかしたらもう読んでいるかしらね。ま、持ってなければ古本屋なんかで用意するでもいいから、とにかく、よろしく」

「え、あ……いや」

「じゃあね、青木和海くん」

 唯先輩は、嵐のように去っていった。独りきりになった夕暮れの教室には、なんだかもの悲しさが溢れていた。如何にもカラスが「カァー」などと気の抜けた声を上げそうなワンシーン、遠く木霊したのは野球部の掛け声。手に持ったままの『斜陽』に目を落とす。目の前で起きていた出来事は、果たして現実だっただろうか? 実は今の今まで居眠りでもしていて、夢でも見ていたのではないのか? 自殺。自殺について議論したい?


 ……そして今日。唯先輩の存在は、昨日の出来事は、居眠り中の夢なんかではなく、現実だった。放課後、まだ生徒の多く残る教室に喧しく来襲した先輩に俺は問答無用で連れ去られ、この不法占拠した部室に拉致・監禁された。俺が何かと逃げの言葉を重ねていると「とりあえず仮入部でいいから」と強い語調で一蹴され、俺はしぶしぶ従うに至ったのである。仮入部は来週月曜日までの一週間と設定された。まぁ、これを過ぎても俺がいまいちな反応を続けていればそのうち先輩も諦めることだろう……。



「――ちょっと、和海くん? 話を聞いているのかしら?」

「え、ああ、はい」

「じゃあ、早速これを首に巻いてみましょうか」

「……え? は?」

 どうやら先輩は、俺の回想中も話を続けていたようだった。全然聞いていなかったけれど声をかけられたのでぼんやり生返事をした俺は、少し経って目の前に先輩がいないことに気づく。

 瞬間、俺の首に何かごわっとした感触のものが当てられる。

「――⁉」

 振り返ると背後にはいつの間にか唯先輩が立っていた。……なんとも不穏な笑みを浮かべながら。

 そしてその手には――縄。……縄?

「な、なんですか、これは」

「? 見れば判るでしょう。首吊り用の縄よ、縄。資料として買ってきたの」

 机の上には先程、先輩がロッカーから取り出していた布の袋が空になって置かれていた。

「そ、それを、なんで、俺の首に」

「自殺志願者の気持ちになってみるのよ。相手の気持ちを知ろうとすることは自殺志願者との対話以前にコミュニケーションにとって重要な事よ。大丈夫、暴れなければ締まらないから」

 そう言って唯先輩は改めて俺の首元にゆっくりと縄を押し当てる。結構太い。

「いやいやいやいや! 冗談キツいですよ!」

「首吊り用の縄は電気コードでもベルトでも事足りるわけだけど、なるべく頑丈で簡単に切れてしまわないものを選ぶことね。重みに耐えきれず切れてしまうようなヤワなロープはダメよ、ロープは命の重さを吊るのだから」

 そんなことを言いながら、唯先輩は首の後ろで縄を括る。

「上手いこと言わなくていいですからそれやめてくれませんか!」

 この人、絶対楽しんでる。実験台ができたとでも思ってるんじゃないだろうな――――

「じゃあちょっと引っ張ってみようかしらね。苦しくなったらすぐに声を発すなり机を叩くなりして知らせて頂戴ね」

「えっ! ちょ……」

 唯先輩はゆっくりと縄を上方向に引いていく。

「さて復習。首吊りは最もポピュラーな自殺方法で、未遂率は非常に低いわ。死に際の苦しさも脳の酸欠で意識を失うためにほとんど感じないらしく、なんなら気持ち良いとまで言われているわね。首吊りというと高い所から足を投げ出して死ぬ光景が想像されるけれど、実は座ったままでも死ぬことができるのよ。それは何故かというと――――」

 さっきの話をまるで聞いていなかったため復習なんかではないのだが、今はそんな知識に感心している場合ではない。徐々に締まっていく首。縄が皮膚に食い込む。結構太い。あ、ダメだ、マズい、苦し――――

「ああ、ちょっと、やめッ――――ウグ」

「――和海くん、さっきの話ちゃんと聞いてなかったでしょう。正直に言ってごらんなさい」

 唯先輩は縄を締め上げる手を止め、鋭い口調で一言呟く。

「はい! はい! 聞いてませんでしたすみません許してください!」


「けほっ、げほ……っ、ああ、死ぬかと思った……」

 首括りから解放され、俺は安堵の咳込み。唯先輩はなんだか不服そう。

「もう少し頑張れば臨死体験ができたかもしれないのに」

 先輩は冗談っぽくそう毒づく。いや、笑えないっつーの! 確かに話を聞いていなかったのは俺だけど!

「馬鹿言わないでください! これで死んだら他殺ですよ他殺! 犯人はあなた! 真実はいつもひとつ!」

「大袈裟ねぇ、せいぜいオチて気持ち良くなるくらいよ」

「あなたって人は……俺まだ部員でもなんでもないんですからね! 手荒すぎますよ初日から! 仮入部ならもっとこの部活に入りたくなるようにこう……新入部員候補生たちに楽しんでもらったりするのが筋でしょう! なんですか首絞めって! こんなん仮に入部希望でこっちから来たとしても逃げますよ!」

「首絞めじゃないわ首吊りよ。やっぱりさっきの話ちゃんと聞いてなかったのね」

 そう言って唯先輩は再び、俺の言葉を遮るかのように長々と語り始める。

「首絞めによる死というのは気道が塞がれることによって起きる窒息死、一方首吊りは脳に行く血液が遮断され起きる酸欠による死。言葉は似ていても違いがあるのよ。脳に血を送るふたつの動脈のうち、首絞めでは骨に守られている片方は塞がれない。一方首吊りの場合は斜め上方からの引っ張り上げによってそのどちらもが同時に塞がれて、瞬時に脳への血液供給が止まる。その引っ張り上げさえできれば高さは関係ないから、扉のドアノブなんかでも首を括ることができるってわけね。首吊りは酸欠による意識喪失で苦痛はないとも言われているの」

「へ、へぇ……」

 なんか感心しちゃった。……いやいや、この人のペースにつられてはいけない!

「……あの……やっぱり謎なんですけど、自殺部って何をする部活なんでしょう。というかまず、なんで部活にする必要があるんですか?」

 こちらの意見を逸らされないよう慎重に言葉を選びながら、考えもつかないその創設理由について尋ねる。

「ちゃんと部活の形になること、それは活動に必要な人数を集めるという意味でも、正式な活動場所を手に入れるという意味でも、関連書籍や資料などを買うための部費を手に入れるという意味でも、重要な事だわ。自殺関連の本って高校生には意外と痛い出費なのよ」

 ……この学校において新規の部活動を立ち上げる際には、最低でも五人の生徒の署名が必要である。成立の際、部活によっては活動場所となる部室や、部費の支給、顧問の配属が行われる、らしい。五人以下、または活動が部活動でなくてもよい曖昧なもの、などはとりあえず同好会という形で結成することが可能だが、同好会の場合は学校の認知を得るという事実が発生するくらいで特に何か恩恵を受けられるわけではないので、サークルのようなものを立ち上げたい場合は非公認で自由に活動している者が多い。この規則に則ると、唯先輩は現状この部屋で行われている活動を『自殺部』と称しているが、正確には『自殺同好会』、ということになる。そして今一度言うがこの部屋は〝不当占有〟である。

「自殺同好会、なんて名前にインパクトがないじゃない」

 生徒手帳を見ながらこの学校の規則について説明すると、唯先輩は「そんなことは当然知っている」という顔で言葉を返した。

「というか自殺同好会とかどう考えてもアヤシイ集団じゃないの」

 いや、自殺部も十分アヤシイんですけど……。

「自殺部。唯一無二で反論を許さない感じがあるでしょう?」

 自信満々に自らの命名を誇る先輩。その誇らしさは一体何処から。確かにインパクトはあるけども、あまりいい目で見られないような気がします。そもそも申請通らなさそうだし。

「こういう名前にしておけば、気づいてくれる人はきっと気づいてくれるわ。それからやっぱり、なんというか、反抗感が欲しかったからね。レジスタンスなのよ、この部活は」

「な、何に反抗するんですか」

「世の中に、よ」

 世の中、に……?

 いまいちよく分からないが、そんな集団に加入させられようとしていたのか俺は……!


「何より私には、もっとたくさんの仲間が必要だから」

 ぽつりと、唯先輩は最後に呟いた。ブラインドの隙間から窓の外を眺めるその横顔には、どこか切実な意志が、見えたような気がした。


 それにしても、やっぱり自殺部の活動内容は見えてこない。何を最終的な目標にしているのかも分からない。例えば運動部であれば、大会に出るとか、試合に勝つっていう目標のために努力をするわけだし、芸術系の部活であれば何かを制作し、発表するために活動したり、その為に必要な人数を集めたりだとか、そういった過程目標や最終目標がそれぞれある。だけど……この自殺部(暫定同好会)はどうだろう。そもそも部にしたいのであればまず先輩の他に四人の部員が必要なわけだが、この部長、多くの人に門戸を開いているわけではないようなのだ。

「あの、先輩。そもそも、部員が五人揃ったら、自殺部が正式に結成されたら、何をするんですか? ……まさかとは思いますけど、本当にまさかだとは思いますけど、例えば集団自殺――――」

 やっぱりそれなのか? 『自殺部』なんて物騒な名前、聞いてぱっと思い浮かぶのはやはりそんな活動内容だ。……嫌だぞ、俺を巻き込まないでくれ。俺はこんな頭のオカシイ先輩とは無関係な平凡な高校生で、死ぬ気なんてさらさらないんだ。まだ読んでない文学作品だっていっぱいある。俺はこの世に今も生み出され続けている素晴らしい物語をもっともっと楽しみたいんだ。頼む、俺の平穏な日常に無理矢理終止符を打たせようとするのはやめてくれ!

「ふふ。さあ、何をするんでしょうね」

 しかし俺の質問を、先輩は案外陽気にはぐらかした。拍子抜けなその返事に、俺は面食らう。

 曖昧なまま、次の議題へ移っていく。

「さて次は焼身自殺について。焼身はかなり他者への訴えかけが強い死に方で、パフォーマンス的な意味合いも大いにあることでしょう。即死できるわけでもないし、とにかく苦しいと言われているわ。運が悪ければ一生残るケロイドを抱えたまま生き残ってしまうこともあるし、オススメはしないわね」

「オススメって……されてもしませんよそんな物騒なこと」


『死を想え』と語りかけるその達筆が何を言い表しているのかさえよく解らないまま、自殺部の仮入部が始まった。始まってしまったのだった。

 ――自殺部の仮入部、うん、口にしてみると改めて訳が分からないな。

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