三
あっという間に週末はやってきて、今日はTST(Tokyo Suicide Tour)当日。
待ち合わせ五分前に駅前に到着するとやはり既に唯先輩は待っていて、「お、デキる男ね」などといつかみたいな冗談をかまされました。
普段制服でしか接することのない女の子たちの私服姿は根暗野郎にはとても新鮮で、なんだかそれだけでいい気分になれるのでした。なお外見描写には定評がないので割愛させていただきます。
「さて、まずは中央線。ここは非常に人身事故の多い路線として有名だけれど、その理由というのも、これといった答えは出ていないのよね。路線が直線であるからだとか、駅の構造が運転手に気づかれにくいからだとか、車体の色が飛び込みを誘発するからだとか、発車メロディーが自殺を助長させるだとかいろんな説があるけれど、どれもそうだと言い切るには決定的な論証が不足しているわ。その悪い知名度も併せて、いろんな要素が絡み合っているのでしょうね」
地元を朝早く出発し、立川駅で中央線に乗り換えた自殺部一行。地元とは違い休日でも人の多い車両の中、唯先輩は相変わらず様々な自殺ウンチクを語ってくれる。この人、案外ただの喋りたがりの可能性がなくもないんだよな……。
「しかし、なんで電車なんかに飛び込むんだろうな。比較したらもう少し楽な死に方だってあるだろうに」
高島が疑問を呟く。到底列車内で、ましてや話題のその車両の中でするやり取りではない。俺はそれとなく、周囲の視線を気にする。
「どうせなら、最期なんだし全て投げ捨ててナイアガラの滝辺りまで行ってしまえばいいのにね。まぁきっと、追い込まれた精神にはそんな余裕もないんじゃないかしら。――或いは、自殺というものは一種突発的なものであるとも言われているが故に、普段通勤で使っているような身近な場所で、死んでしまうのかもしれないわ。他方、名所にはわざわざ遠くから来る人もいるわけだけれど、その点はまぁ、名所の吸引力といったところかしら」
唯先輩と高島がそんな会話をする傍ら、三原は窓の外を流れていく風景を眺めている。高架線を駆けてゆく中央線の車内からは、ちょうど連なる建物の屋上の起伏が見えた。
屋上。三原と初めてしゃべったのも、高校の屋上で、そうしてあの出来事も、屋上で起きた。
今、こうして、初めて見るであろう景色を目にして、三原は何を想っているだろうか。――生きていてよかったと、そんなこと想ったりしているだろうか。そうであってくれたら、いいと思う。
「さて、そんな話をしている間に、最初の目的地に到着ね」
電車はホームに入り、緩やかに止まる。乗車待ちの人々が、まるで出迎えるかのようにドアの両脇に寄り、乗客が降車しきるのを待つ。そして下車する俺の心は、俄かに浮足立つ。
……と、いうわけで。
というわけでこのTSTは、ここ中央線三鷹駅から始まるのであった!
「おおおぉ……」
駅を出て、商店街の通りを北へ進んでゆく。目に映る、知らない街の知らない風景。
「さぁて、今日は分刻みの弾丸ツアーよ。ゆっくり手を合わせたいなら目的地までは急ぐわ」
唯先輩を先頭に、自殺部一行は太宰先生のお墓がある禅林寺まで歩く。
「ここが……太宰先生が生きた町……」
踏みしめる、一歩一歩。休日朝の少し静かな街、胸が高鳴る。何故高鳴るのだろう。亡くなった人がかつて住んでいた街を歩いているだけなのに、どうしてなのだろう。死んでしまった人間が、時間を越えて、生きている人間の心を揺らす。それは小説だって、様々な物語や言葉だってそうだ。もちろん時にそれは作り手を離れて一人歩きしていくものでもあるけれど、今まさにこの瞬間の俺自身のように、好きになった物語の先の、作者自身の生と、そして死を想って、胸を高鳴らせている。考えてみたら、なんだか途方もなく、不思議なことのように思わされる。
禅林寺に到着する。少し分かりにくい墓地への道を通って、遂に辿り着いた、太宰先生のお墓。ありふれた墓地だけれど、何だかとても神聖な場所のように感じてしまう。六月の桜桃忌には多くのお供え物で埋め尽くされるというこのお墓。俺は持ってきたお供え物のさくらんぼ――太宰先生が生前好んだと言われるさくらんぼを供え、しゃがみこんで手を合わせる。隣では三原が同じようにしゃがみこみ、静かに目を瞑る。俺たちの後ろでは唯先輩と高島が立ったまま、多分手を合わせてくれていると思う。
太宰先生、あなたの文学は今この瞬間も、誰かの心を揺らし、誰かに文学の面白さを教え、きっと死にたいと思った誰かを救っていると思うのです。太宰先生、先生なんて呼ぶのは烏滸がましいでしょうか。あなたの言葉が、時代を、時間を越えて、今も多くの悩める命に、そのどこか気の抜けた優しい文体で、語りかけるのです。先生、僕はあなたの作品が本当に大好きです。時に耽美で、時に優しく、時にどうしようもなく間抜けたその物語たちに、何度だって心を動かされたのです。どうかこれからも、あなたの言葉が、物語が、その生き様が、愛されますように。永遠に、語り継がれますように――――
ゆっくりと目を開き、顔を上げて墓石を見つめる。関わったことすらない、もう関わることすらできない人間に対して想いを馳せること、当たり前のようで、でもこの部活に入ったからこそ、そんなことすら少し俯瞰するように、考えさせられる。
心が満たされている。じんわりと暖かく、愛しい気持ち。死者を弔うことで、死を想うことで、生きようと、思える。……なんて言い表したらいいか分からない。弔うという行為は、追悼するということは、大切なことなのだと思う。
――死は、残された人たちの為にある。
あれ、こんな言葉、いつか唯先輩が言っていたかな。それとも今、俺自ら思い浮かべたのかな。
突き抜ける十月の青空に向けて立ち上がる。何だか、生の実感で満ちている。胸いっぱいに広がる、そこはかとない生命力。
「……よし、三鷹旅行と洒落込むか、三原」
「こら」
唯先輩が歩み出す俺の襟を引っ張る。……冗談ですってば。
「いやあ、すっかり心が満たされてしまったもので……」
「ツアーは始まったばっかりじゃない。余韻に浸りたい気持ちはよく分かるけれど、行くわよ」
「そんなぁ……、やっぱりですか? あの、来る前にネットでいろいろ調べてきたんですけど、井の頭公園とか、文学サロンとか……もちろん行か……」
「ないわ」
「ですよね」
半分そうだろうとは思っていたけれど、これはやはり残念でならない。踏みしめたい場所が、感じ取りたい空気が、すぐ目の前に広がっているというのに! これじゃあ生殺しだ。
「はぁ……くっそー。絶対また来てやるぞー。今度は桜桃忌、生誕祭の時に!」
「だね……」
「今日は縁の地にも行けないってさぁ、悔しいなぁ……」
三原と息を合わせて項垂れる。無情にも、ツアーは続く。けれど、とてもいい体験ができた。いつか改めてゆっくりと、この街を味わおうと固く誓った。
「さて、せっかくだし入水自殺についてのお話を少ししましょうか」
新宿方面へ向かう三鷹駅発中央線特別快速。少しずつ都心に近づいてゆく街並みを眺め楽しんでいると、唐突に唯先輩がしゃべり始める。
「ヒエッ……! あなたって人は、本当に、風情がない!」
「いい? 私たちは今日、自殺部として来ているのよ。だったらお勉強もしないと」
「……くぅ、この、この、余韻を……」
「また来たらいいじゃないの。夏菜子ちゃんとふたりで」
「え?」
「……えっ」
「というわけで入水自殺。もちろん太宰の情死が有名ね。情死、なんて言い方俗っぽくて嫌だけれど、今回論点はここではないので置いといて、と。入水自殺とは基本的に窒息が引き起こす死で、呼吸困難や窒息に伴う苦しみが付随するわ。『入水』とは言うけれど極論水があれば浴槽でも洗面器でも死ぬことができるのよね。ギリシャの女性詩人サッフォーは入水自殺したと言われているわ。水死体はよく土左衛門と言われ醜いとされるけれど、足摺岬に飛び込めば死体が浮かんでこないらしく――――」
ムードぶち壊しな唯先輩の講義を聞いているうちに、自殺部一行は次なる目的地へと到着しました。
「さーて、ここから二時間の自由行動! 十二時には指定の昼食場所に集合ね!」
新宿。東京からはそれなりの距離がある中都市に住む俺にとって、ここはまるで異世界だ。
都会。華やかで、賑やかな街並み。高いビルが連なり、どこか窮屈にも感じられる。通り過ぎていくたくさんの人たち。地元だったら、街に出たってこんなに人は歩いていない。人波の頭上、目を引くのは享楽的なポップの数々。ここで生きる人々は、俺なんかとは違った毎日を送っているのだろうか。
「にしても……やっぱりおかしい。この二時間こそスーサイドツアーに関係ない……」
「せっかくの東京じゃない! 田舎高校生の私たちがそう何度も来れる場所じゃないんだから、楽しみましょう」
「よーし唯ちゃん! 渋谷行こう渋谷!」
わいわいと楽しそうに、先程出た改札の方へ駆けていく唯先輩と高島。ああいうところ見ると、如何にも今時の、普通の女子高生なのになぁ。ほんの数分前まで自殺自殺言ってたのが嘘みたいだ。
「……………………」
「……………………」
「行っちゃったな」
「行っちゃった……ね……」
「近くにでかい本屋あるっぽいけど、行く?」
「……行く」
というわけで取り残された俺と三原は、ふたりで本屋に行くことにしました。
「お、なんか展示会やってるっぽいぞ」
大型書店をぶらぶらと見て回る。品揃えのよさに感動しつつ、この後どうしようかなどと考えていた時、何気なく目についたポスターが、近くで日本絵画の展示会が行われているということを教えてくれた。ちょうど残りの時間がつぶせそうだ。
「行く?」
「……行く」
三原と一緒に展示会を回る。時折絵についての感想なんか言い合いながら、何だかちょっとデートっぽいぞと、意識した途端いつもより三原が……可愛く見えてしまいます。
ハッ⁉ まさか唯先輩、色恋に縁のなかった俺のために⁉ ――んなわけあるか。
再三言う。青木和海には色恋がわからぬ。
男女の機敏も感じ取れないし、このもやもやする心持ちも、きっとまともに女の子と接したことがなかったからに違いないのだ。三原は俺に好意を持ってくれているかもしれないけど、きっとそれは同じ趣味を持つ者としてのそれのはずで、勘違いしてはいけないんだぜ……。
「急に新宿で二時間自由だなんて言われてもさ、オシャレやらに興味ない人間には皆目楽しみ方が分からないよなぁ」
「でも、私は楽しかった、よ」
「お、そうか、ならよかった。ま、知らない街を歩くだけで楽しいってのは勿論あるよな」
「あ……」
二人で昼食場所に指定されていた店の前で待っていると、集合時間五分を過ぎて唯先輩と高島がやってきた。息を切らして、それぞれ両手には何やら大きな紙袋。
「唯先輩~、遅刻ですよ」
「くっ、私としたことが……」
「レジが! レジが混んでたから!」
「はいはい、別にどうとも思ってないから大丈夫。お腹空いたんで早くお店入りましょう」
昼食中には高島に、執拗に自由時間の行動についての質問攻めを受けた。
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