第四章 自殺部課外活動 Tokyo Suicide Tour
一
「遅くなりましたー……」
学内清掃当番の仕事を終え、部室の扉を開くと向かって左側、一番入り口に近い場所に座っている三原と目が合う。お下げに眼鏡に紺のセーター、相変わらずの文学少女ルックの三原はプラスチックのスプーンを口に運ぶ途中で固まったまま、小さく会釈した。
「こんにちは、和海くん」
入り口から一番遠い席、俺の真正面に座っている唯先輩はいつものように挨拶をくれる。ふんわり毛先のハーフアップ。この人、やっぱり黙っていたら絶対モテる。黙っていたらな。
「おう青木。……んま~」
三原の左隣で顔を綻ばせる高島の目元には、いつものような鋭さはない。左右に揺らす身体に合わせて、ご自慢のしなやかなポニーテールは踊る。
「美味しそうですね、みなさん」
あんみつ。誰が持ち込んだやら、部室端の電気ケトルで沸かしたお茶なんか飲みながら、まぁなんとも優雅なことで。
「えっと、あの、さっき、近くの和菓子屋さんに、みんなで……」
三原がいつも通りの小さな声で現状の説明をくれる。ご当地和菓子屋の名物らしい。
「今日は残念ながら先輩の奢りではないから、和海くんの分はないわ」
「えぇ~。そんなぁ」
何気ない会話を交わしながら、入って右手、いつもの席に座る。
「あら、じゃあ私の食べる? はいあーん」
唯先輩は小憎たらしい笑みでスプーンをこちらに差し出す。ウ、こういうのって思い切っていっちゃった方がいいわけ……?
「あっ! えっと、そ、そういうのは……その……」
左斜め前の三原がいつもより少しだけ声を張る。高島がニヤニヤしている。
「じゃあ夏菜子ちゃんが代わりにしてあげるといいわ」
「え」
三原は固まる。みるみる顔が赤くなっていく。かわいい。
「え、あ、え、いや、だめ、そんな」
もごもごと口籠る三原。高島がケタケタと笑う。
――自殺部の部員が四人になって数日。嵐が去ったかのように学校に平穏は訪れた。まぁその、今後いつまた爆弾が投下されるとも知れないわけですけれど。目の前で三原と同じようにあんみつ食らってるこのふたりによって、ね。
自殺部。傍から聞いた誰もがきっと想像するであろう集団自殺の意志など微塵もなく、部長
唯先輩の頭上の壁に掲げられるは額縁。いつ見ても達筆な部訓、『死を想え』。
*
「さて、みんな集まったところで今日は、自殺の名所について学んでいくとしましょう」
「自殺の、名所……」
これまた物騒な話題だこと。あんみつを食べ終えた唯先輩は立ち上がり、キャスターの不調なホワイトボードを手繰り寄せる。水性マジックの蓋をきゅぽんと外し、『自殺の名所』と板書する。
「飛び降りの瞬間を鮮烈に映し出したドキュメント映画が話題となったゴールデンゲートブリッジを始め、ナイアガラの滝、エンパイア・ステート・ビルにエッフェル塔……世界各国に名立たる名所は数あるけれど、今回はとりあえず、私たちの暮らすここ日本に限定するわ。身近に思い描くことのできる場所について考えることにしましょう。
そもそも何故『名所』なんてものができるのか。理由のひとつにはまず以てメディアの影響力があるわね。何かしらの話題性を持った自殺や、事件なんかの舞台になったりすると、そのインパクトによって多くの人の記憶に鮮明に残り、結果名所化してしまうの。もちろん、死者が多いということはそれだけ死ねる場所としての確実性が証明されてしまっているということでもあるわ。自殺の名所は同時に観光名所であることも多いけれど、その雄大な景色の吸い込まれるような魅力に、命の最期を此処で終わらせようなどと思わせてしまう心理作用が働いたりするのかもしれないわね」
「なるほど……」
「断崖絶壁、深山幽谷……観光地は高低差があったりする場所が多いよなぁ」
高島、三原も唯先輩の話を真剣に聞きつつ、時折言葉を挟む。
「さて、まずは」
ホワイトボードに書き込まれる最初の名所。おそらく日本国民全員が知っているであろうその名前。
「何と言っても青木ヶ原樹海! やっぱりここよね。世界の名立たる自殺名所の中でも堂々の自殺者数一位! 世界で、よ? もはや王者の貫禄と言える自殺者数を誇っているわ。人気の理由は何と言っても命尽きるまで誰かに邪魔されることがないこと。高い木々を用いた首吊り、乗ってきた車でそのままガス自殺、どんな方法でもとにかく見つかりにくい。ドラマ化もされた有名小説の舞台になったことから有名度が増したと言われているわね。そんな面ばかり注目される樹海だけれど、キャンプや森林浴にも絶好の場所で、東京からのアクセスも比較的容易だと観光地としても人気が高いわ」
「松本、清張の……、波の塔」
「ん、三原、何か言った?」
「今言ってくれたのは件の小説の作者とタイトルね」
「あれ、それどっかで読んだぞ……あ、完自だ」
完自。遂に自分でも略称使っちゃった。正式タイトルは『完全自殺マニュアル』。やっと読んだけど、普通に読み物として面白い書籍でした。
「次は……そうね、栃木県は華厳の滝。萬有とは曰く不可解なのだと書き残し、落差約百メートルの滝壺に飛び込んだ一高生、藤村操の哲学的自死は学者を始め世間の人々に衝撃をもたらし、多くの者が彼の死に続いたわ。当時の社会情勢に疑問を投げかけるように、人間のちっぽけな生についての諦観を綴り、藤村はその短い命をまさに華やかに、厳かに終わらせたというわけね」
唯先輩は華厳の滝の下に藤村操と書き加える。出た、藤村操。唯先輩この人好きだよな。
「彼が残した一種の高尚さっていうのも、飛び降りという手段だったからこそ、という感じがしなくもないよなぁ。首吊りだったらそこまで注目されただろうか」
「そこなのよね。鋭い視点だわ、紗代」
高島の言葉に唯先輩は深く頷く。
「もちろん彼があらゆる点でドラマチックに死んだ、というのはひとつあるのだけれど、飛び降り自殺に何故か付随するその神聖さのようなものの本質を、私はもっと突き詰めてみたいと思っているわ」
「というかこの藤村って人、十六歳でこんな小難しい遺書遺したのかよ……敵わねぇー」
唯先輩がプリントアウトしてきた『厳頭之感』の全文を読む。ワケワカラン。
「この遺書には『悲観も楽観も同じ』だと書かれているが、そう思えたのなら楽観の中で生きていけばよかったのにな……そういう時代でもなかったんだろうか」
「彼のような人、今だったらきっと『中二病』だなんて言われてしまうんでしょうね。自殺の原因は失恋である、なんて存外思春期らしい話もあることだし」
「あー、言われそうですね」
「そう考えたら、彼の死は文学的に、哲学的に〝拾って〟もらえて、良かったわよね。報われたんじゃないかしら、彼の厭世や虚無感も」
これもまた、唯先輩の言う『私は此処にいる』ってやつだろうか。なんて考えていると、次なる名所が書き込まれる。
「続いて高島平団地。建設当時の都内にしては珍しい高層建造物、加えて団地であるというその立ち入りやすさから投身自殺が相次いだわ。続く飛び降りに、団地全域に鉄柵で対策がなされ、今ではほとんど自殺は起きていないようね。東尋坊、足摺岬、長らく滝壺や岬なんかが飛び降り自殺のスポットだったけれど、都市の高層化によってその役割が高層ビルに移ったとも言われているわ」
唯先輩の解説中、三原が俺の分のお茶を用意してくれた。天使。
「京都の天ヶ瀬ダムは都市も近く観光地も兼ねているためか、名所として知られているわ。ダムは殺人なんかの舞台になるイメージが強いけれど、他殺ができるってことは自殺もできるということね」
「さらっと言いますねぇ……いつものことですけど」
「続いて、山。三原山、阿蘇山なんかは火口への飛び込みね。マグマで焼かれれば死体も残らないわ。三原山は今から八十年ほど昔、とある女子学生の連続自殺がかなり〝センセーショナル〟に報道されたらしく、その年だけでなんと千人近い後追い自殺が発生したと記録されているわ。自殺した女学生の一人は自身の価値観から真っ当な覚悟を持って飛び込んだらしく、またそこに立ち会っていたという女学生は飛び込んだ彼女の友人で、その飛び込みに立ち会った一月前にもそこで同じように友人を〝見送った〟というの。その『立会人』としての特異さがマスコミに受け話題になり、心中を望む若い男女を中心に大ブレイクしたというわけね」
「三原山……あ」
「どうしたの和海くん」
「湯の町エレジー」
「……安吾、だよね」
「あ、うん、さすが三原。そうそう、確かあの冒頭でさ、三原山のあるあの島は、彼女らのおかげで観光地として有名になって、島民の生活の質が上がったとかなんとか」
「三原山〝心中〟事件や、その一年ほど前にあった坂田山心中事件などの騒動は、戦争を背景に据えつつ新聞、映画、音楽、観光、様々な要素が絡んで進展していったと言われているわ。発端の自殺も耽美主義的な思想の下で行われたと語られているし、時代性のようなものは大いにあったのでしょうね」
「時代性かぁ。恋愛絡みの心中は昨今あまり聞かないよなぁ」
「当時はまだ心中という価値観が十分生きていた頃で、心中賛美の映画や歌なんかも作られたらしいわ。にしても、自殺者が神様のように祭り上げられたなんて、まるで乃木希典ね。いや、同列に語れないとは思うけれど。まぁ今となっては、三原山で自殺する物好きなんてほとんどいないでしょう」
『都市の高層ビル化』という書き込みに丸が付けられる。
「それから、ここはかなり真新しい名所ね! JR総武線新小岩駅。自殺防止のため、駅内に設置されたポスターや美しい画像を映すモニター、流れるヒーリング音楽に、極めつけの青色透過の天井屋根やブルーライト、そして目を光らせるは警備員。現在進行形のまさに名所と呼ぶに相応しい場所ね! 駅では様々な対策をしているというけれど、列車への飛び込みを物理的に遮断するホームドア設置にはまだ時間がかかる予定らしいわ」
「飛び込んだ女性が跳ね飛ばされ、ホーム売店に突っ込んで男女数人が重軽傷……か」
生々しいウェブニュース記事の文面を、タブレットを持った高島が読み上げる。
「人身事故の多さなら新宿駅だって負けていないわけだけれど、決してそこは『名所』とは呼ばれない。やっぱり何かしらの特異性が必要なのよね」
それから、と、唯先輩は『人身事故』という板書から線を伸ばし、中央線と書き加える。
「人身事故と言えば中央線が有名よね」
「――中央線」
唯先輩の言葉に反応したのは俺と、三原。そう、中央線と言えば……かの有名な……!
「荻窪、国立駅あたりでかなり多いと聞くわね。特快が停車せず通過する駅だということはやはり列車速度と関係があるのでしょう。中央線の通る立川市の踏切も何本か、自殺者を多く出しているようだわ」
「…………」
……えっ、中央線の話、終わり⁉ 歴史ある文学の路線ですよ⁉ もっとこう文芸部的な……って、あっ、ここ文芸部じゃなかった。とんだ勘違いをしてしまった。
三原をちらりと見る。言わんとしていることは分かるよ、という表情をくれた。
「鳴門大橋は、そのまま渦巻く瀬戸内海への飛び込み自殺が多いらしいわ。ここもきっと圧倒的な眺望が広がっているのでしょう。横浜ベイブリッジなんかも高速道路の路肩で車から降りて海に飛び込んだりするようね」
唯先輩は上半身を後方に反らし、「こんなところかしら」と、ホワイトボード全体を確認する。
「さてまとめ。自殺の名所とされるのは概ね滝壺、岬などの断崖絶壁、高層ビル、吊り橋やダムなどの高所ね。観光地も兼ねていることが多いわ。基本的には飛び込んだ際まず助からないと思われる場所。飛び込み、飛び降り、その身を投げるという自殺方法はやはりポピュラーね。
ところで今挙げた名所の中にも、既にその名声を失っているものが多いわ。事件の教訓を基に多くの対策を講じたことが結果として出ているのもひとつ、話題が過ぎ去ることによる風化だってそうでしょう。今はネットで手軽な自殺の方法を詳細に知ることもできるしね。そう考えると樹海はやっぱり特異よね。ただの森なのにすごいわ」
おおよそ特筆すべき場所が出揃ったようで、唯先輩は解説を終えた。三原がみんなの湯飲みにお茶を注いで回る。家庭的で、いいね……。
列挙された名所一覧を改めて見返す。国内に限定したところで、どれも自分の住む街からは遠く離れていて、実感として掴めそうな場所はなさそうだった。一息ついた唯先輩は再び話し始める。
「さて、続けて今から話し合いたいと思うのは、課外活動の計画についてよ」
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